3-2
職員食堂から帰った康浩は、佐山氏の解剖報告書に今まで判明している客観的事実のみを記載していった。身長、百七十八センチ、体重、八十キロ。前額部に皮膚損傷を伴う頭蓋骨陥没骨折。それらを、次々にパソコン上で書き入れた。その間、向かいのデスクではスヨンもパソコンに向かって一心に作業をしていた。
午後五時になって康浩は、「そろそろ出ようか」とデスクにいるスヨンに声をかけた。
「はい。少し待ってください」すぐにスヨンが答えた。
「どうして?」
「少し準備をしたいんです。すぐに戻ります」彼女が言った。
「いいよ。そうだな……。五時半に地下鉄の駅で待ち合わせよう」 繁華街に出るなら、スヨンの住む大学の敷地の端にある留学生会館を抜けた通りにある大学病院駅がいい。
「はい。では五時半に」スヨンは立ち上がると、壁際にあるロッカーに白衣を脱いで入れた。黒っぽいスーツ姿になった彼女は、一礼してから教室を出て行った。
康浩は書きかけの報告書を更新してから、パソコンの電源を切った。そして教室を出て向かいの自室に入って白衣を脱ぐと、紺のブレザーに黒いコートを羽織った。
約束の時刻、五時半ピッタリにスヨンが地下鉄駅の入り口に現れた。束ねていた髪を下して眼鏡をはずした彼女の唇には、うっすらリュージュが塗られている。朝から着ていたやや短めのスカート・スーツの上にグレーのウール・コートをはおり、黒いエナメルのヒールをはいてきていた。
少し大きめのショルダー・バッグをさげて白いマフラーを首元に配した彼女は、シンプルな色合いの服装がセンスよく似合っていた。そこかしこにアメリカナイズされた立ち振る舞いや、その黒いストレートヘアからアジアン・ビューティーというテレビCMを、康浩は思い出した。
康浩はつい、お世辞ではなく本心から「いつもきれいにしているね」と彼女に言った。
「ありがとうございます。でも実は、安い服なんです」
「安物には見えないよ」と康浩が言うと、彼女は少しはにかんだ。
二人で連れ立って地下鉄の駅へ下りると、やって来た地下鉄に乗った。夕刻のラッシュは始まっていたので、車内では吊革につかまって立っていた。
三駅先の繁華街駅で電車から降りると、そこは勤め先から帰宅する人や学生たち、買い物や飲食に向かう人で混み合っていた。
「中町交差点の西、二本目の信号を左折して三軒目の左側に和膳があります」 駅から地上に出て、ネオン街を歩き始めたスヨンは言った。
彼女は、どうやら入念に下調べをしてきたらしい。繁華街の人ごみを歩きながら彼女は、解剖結果の疑問点を康浩に話し、今から行く店で訊いてほしいと言った。
やがて着いた日本料理店、和膳は繁華街の大通りからは少し奥まったところに建っていた。ビルに挟まれて建つ日本家屋の玄関に、控えめな木の看板が立っていた。伝統と格式を感じさせる構えで、いかにも日本的で素敵だとスヨンが目を細めた。