終章 完結
恵子の証言を得た近藤が再捜査したところ、横領された金の受け皿になったダミー会社の所有者は、最近になって大島一郎から佐山健一に塗り替えられていたことが判明した。どうやら一郎は一郎で、佐山健一に横領の罪を着せようという偽装工作を画策していたらしい。第三製薬から横領されたのは一億円近かったが、競馬で少なくない借金を抱えていた一郎は大半を返済に使ってしまったと思われた。
大島一郎の資金工作を見ていると、佐山健一は遠からず亡き者にされていたかもしれない。しかし推測の域を脱せず真相は闇の部分も残っていると近藤刑事は言っていたそうだ。
「恵子氏は誰かを守りたかったのだと思います」 西原の話を聞き終えたスヨンが、ぽつんと言った。
「そうかもしれないね」 康浩が答えた。人の心の奥底までは誰にもわからない。
「それが父親か、それとも会社だったのか。それは本人しか、わからないでしょう」 スヨンが続けた。
「まったく、そうだね」 そう答えた康浩は、人間は自分さえも見失うこともあるというのに、まして他人のことが全部わかるはずもないのだと思った。どちらにせよ、巧妙に仕立てられた二つの事件は終わった。
「世の中に根からの悪人は少ないと、私は思っています。いや、思いたいです」 スヨンが力を込めた。
「ねっからの悪人」 横から西原が言い添えた。スヨンの「ねからの悪人」と言った日本語を正してやった。
「ねっから? 植物の根から、という言葉ですよね?」 スヨンが首をかしげた。西原が答えに窮して、助けを求めるように康浩を見た。
「うーん……、なぜ、ねっからと発音するのか、わからない」 康浩は、両手のひらを上に向けて肩をすくめて見せた。欧米人がよくやるポーズで、言葉が通じない国に行ってもとても重宝する。
スヨンも「仕方ないわね」と言うように、少し首をすくめた。
「いずれにせよ、二つの事件の早期解決は、先生方のお蔭です。本当に、お世話になりました」 西原が、改めて二人に礼を言った。
「俺は解剖をしただけだよ」 康浩は言った。自分は解剖以外に、何も貢献していないと思った。
「その解剖が、ゴッド・ハンドです。しかも薬物相互作用に気がついたのは先生でした」 スヨンが康浩を擁護するように言った。
「……でも、事件の真相を解いたのは、ほとんどスヨンだ」
「私は、いつでも先生のために働きます。先生と二人なら、何でもできる気がするんです」 スヨンは康浩に言った。
「来年には先生が国際学会に登壇していると信じています」 そう言ったスヨンの姿が、まぶしく見えた。彼女にそう言われると、心強いし力が湧いてくる。
「わあ、世界デビューですか。かっけー」 西原が笑った。
「かっけー?」 スヨンが訊くと、「かっこいいの短縮形」と西原がウインクした。
ふと窓の外を見ると、冬の空に少しばかり春の兆しが感じられた。




