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グレープフルーツ中のフラノクマリンという物質が、薬物相互作用を起こすことがある。併用に注意すべき薬は、高血圧治療薬のカルシウム拮抗剤のほかにシクロスポリン系の抗生物質、ベンゾジアゼピン系睡眠薬などで、主作用、副作用ともに効き過ぎることがあるので注意を要する。要約すると、そんな記載だった。
「もう一度、血液を調べてみます」 スヨンが言った。
「ああ。でもサンプルの量はあまり多くない。検出する薬の数はできるだけ少なくしなくては」
「はい」 スヨンが保温庫にあった佐山の検体から血液を少量とって、それを分析器にセットして作動させた。一分ほどで分析器の液晶画面に結果が描出された。
「カルシウム拮抗薬が検出できました」 スヨンが結果を読み上げた。
「佐山は高血圧の治療中でしたよ」 西原が言うと、
「そうだ。その薬が検出されても不思議ではない」と康浩が言い添えた。
「そうでしたね……」 スヨンが、腕組みをして右手は頬にあてた。
しばらく黙考していたスヨンは、ふと思いついたように再びパソコンと薬物分析器の間を忙しく動き回り始めた。その間に西原が康浩に、「解剖の結果はどうなりそうですか?」と尋ねてきた。
「それが……、佐山氏は階段から転落する前に死んでいた可能性が否定できない」 康浩は正直に答えた。
「転落前に死亡ですって?」 西原が目を丸くした。康浩は、彼女に解剖結果とスヨンの出したデータを見せた。その一つ一つに客観的で科学的な根拠があったので、西原はうなずきながらメモをとって康浩の説明を聞いていた。
「ピモジドが検出できました」 突然、分析器の前でスヨンが声を出した。夜更けの研究室に、突き抜ける何かを予感させる声だった。
「ピモジド? 初めて聞く薬だ。ちょっと待て」 康浩が自分のデスクにあった医薬大辞典を開いて調べた。
「それは……、精神科で使う神経遮断薬ではないか?」と康浩が言うと、すでに西原はスヨンの後ろに移動して分析器の液晶画面を見入っていた。
「グレープフルーツと相互作用のある薬を一つずつ調べていったら、検出できたんです」 なおもキーを叩きながら、スヨンは言った。
「ほう」 康浩は、ただ感心してうなった。
「でも、この薬は大量でないと人は死にません」 スヨンはそう言って黙った。研究室には再び静けさが戻った。エアコンやパソコンの唸り声が、わずかに部屋の空気を揺らしていた。
流れる静けさの中で、康浩の頭に何かが引っかかった。自分のパソコンで、二つの薬についてさらに詳しく調べ続けていたら、数分後に二剤の共通点を発見した。
「ピモジドの血漿中濃度ピーク時間は投与後六時間、身体からの消失半減期は三十三時間だ」 康浩は、まだ分析器の前にいる二人に向かって言った。
「効き目が表れるのに時間がかかる薬ですね」 スヨンは答えた。
「そしてカルシウム拮抗薬のピーク時間も六時間、半減期は三十六時間だ。グレープフルーツで作用が増強する薬が二剤検出され、しかも二剤の血中ピーク時間は同じだ。これは偶然の一致なのだろうか?」
「あっ!」 康浩の疑問を聞いたスヨンが数秒後、何かにとりつかれたようにキーボードを打ち始めた。
「……アルコールとグレープフルーツジュース。これらは二つとも薬の効果増強作用を持ちます」 キーボードをたたきながら、スヨンが言った。
「確かに」 康浩が相槌を打った。
「薬物効果増強作用は最大でアルコールが四倍、グレープフルーツジュースが八倍です」 彼女は薬物相互作用の方程式を見つけたようだ。
「四かける八……、三十二倍にもなる」
「さらに、人間が動くことによって薬物作用は二倍から三倍増加します」
「ああ、最近わかったことだ。食物アレルギーのある人を食直後に運動させると激しいアレルギー反応を起こして急死する危険があると報告された」
「ゆっくり効き始めた降圧剤と神経遮断薬が、アルコールとグレープフルーツジュースで作用が増強。佐山氏が店を出ようと立ち上がって歩き始め、それが急速に身体中に回ると……」 スヨンが計算を続けている。
「薬物作用は最大で九十六倍も増加します。カルシウム拮抗薬を大量投与すると血圧が異常低下し、神経遮断薬を大量投与すると心臓は停止します」
「うーん……」 康浩が、うなった。
「検出された神経遮断薬は統合失調症の治療薬です。佐山氏には精神疾患がないです。つまりこれらの薬は、何らかの意図を持って佐山氏が自分で飲んだか、または本人が知らずに誰かによって飲まされたことになります」
「……」康浩も西原も黙ってスヨンの話を聞いていた。
「これは、死の方程式です」 スヨンの声が、冷たく室内に響いた。
「死の方程式?」 耳慣れない単語に、西原がおびえたような声を上げた。
「はい。薬の相互作用を緻密に築き上げ死の方程式。とても複雑に組み合わされています。経済学者の佐山氏が考え出したとは考えられません」
康浩と西原は、スヨンの唇を見つめた。話の続きを待った。
「これは、計画的な殺人事件です」 スヨンが静かに、しかしキッパリと断言した。
「殺人事件!」 あまりにも恐ろしい単語に、西原の声が裏返った。




