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4-1

 法医学教室に重苦しい空気が流れる中、思いがけない来客があった。鑑識課の西原妙子が、ハンバーガー・ショップの紙袋を片手に「お疲れ様で~す」と明るく入ってきた。


「どうした?」思わず、康浩が尋ねた。

「あれから現場のサンプルを署に持ち帰って整理していましたが、なーんにも出ませんでした」 西原は勝手知ったる他人の家とばかりに室内へ入ってきて、ハキハキと報告した。


「それで?」

「佐山に嫌疑がかかっていた横領事件の捜査は、彼の死亡によって完璧に暗礁に乗り上げました」 西原は持っていた袋を部屋の中央の実験机に置いてから、康浩とスヨンに微笑んだ。


「ふーん」

「今や捜査会議は無意味に言葉が踊っているだけです。まさに踊る大捜査会議ですね」 彼女はトレンチコートを脱ぐと、疲れをほぐすように首と肩を屈伸させた。コートの下にはグレーのパンツスーツを着ていた。


「茶化してる場合か?」 康浩は西原に言った。

「アハ。とにかくぅ、署に私がいても用はないので課長に、中央医科歯科に行ってきますと真面目な顔して断って出てきました」 西原が屈託のない笑顔で言った。


「……それで、ここには本当に用事なのか、それとも無意味な会議を抜け出す口実なのか?」 半ば呆れた康浩が、彼女に尋ねた。

「両方です。スペシャル・バーガーは先生と私。スヨンさんはポーク・バーガー」 西原は悪びれる様子もなく、デスクに置いた紙包みから三個のハンバーガーを取り出した。西原は、スヨンが牛肉よりも豚肉が好きなことを知っている。お気楽に見える彼女だが、案外細やかな気遣いのできる女なのかもしれない。


「コーヒーを淹れますか? インスタントですが」と、スヨンが立ち上がった。

「ああ、私も手伝いますよ」 西原がスヨンに駆け寄ると、二人で窓際にある棚から三個のマグカップを出して、インスタントコーヒーを入れてから電機ポットのお湯を注いだ。辺りにコーヒーの香りが漂った。


 出来上がったコーヒーのカップを、スヨンが康浩の前に置いてから、西原と二人で向かいのデスクに並んで座った。

「いただきます」と康浩が西原に言うと、スヨンも彼女に礼をした。三人は空腹だったせいか、ハンバーガーにかぶりついた。


「ここは落ち着きますね」 スヨンの横に座った西原が、ハンバーガーを頬張りながら笑った。

 死体を見てもビビらないタフな彼女は、よく解剖に派遣されてくる。死体を見慣れない警官の中には解剖室で嘔吐したり失神する人もいるが、康浩としては仕事に慣れた西原が来てくれると助かる。


「君たち、どちらが年上なの?」 ふと、康浩が、仲良く座ってハンバーガーを食べている二人に訊いてみた。

「いやだ。私の方が若いです。見えません?」 西原が鼻をふくらませて抗議した。

「一歳だけですよ」とスヨンが西原を制すると、「正確には一歳半です」と西原が即座に応酬した。

 大した違いはないではないと、康浩は思わず苦笑しスヨンも微笑んだ。西原には、他人を笑顔にする才能がある。


 しかし考えてみると康浩は、スヨンと西原のプライベートを知らない。個人的な生活がどうであろうと、仕事をしっかりやってくれればいい。スヨンはスラッとした美人、一方の西原は巨乳で愛くるしい女性。普段は物静かなスヨンと、いつも明るくハキハキした西原。何かと対照的な感じのする二人だが年齢も近く、案外親しくても別に不思議でないかと康浩は思った。


「ところで横領とは、どんな事件なんですか?」 スヨンが真面目な顔で、西原に尋ねていた。

「ああ、第三製薬が下請け企業に資金を不正に流していました」

「不正?」 医学用語には強いスヨンだが、専門外の言葉はまだ難しいようだ。

「正しくないという意味です」と西原が言うと、スヨンはうなずき言葉を続けた。

「でも不正に高い商品を第三製薬に買わせて利益を得たとしても、それは会社のお金。個人の自由にはなりませんよね」と、スヨンが指摘した。


「もー、スヨンさん、鋭い。そのとおりです。その方法では、佐山個人には金が入らない。そこでその下請け企業は、あるコンサルタント事務所に相談料の名目で送金をしていました」

 それを聞いたスヨンは納得したようにうなずき「それは、ダミーですね」と即座に言った。


「……そのとおりです」 どうやらスヨンは、真相のすべてを言い当てているらしい。スヨンを見る西原の目が、尊敬の眼差しに変わってゆくのがわかった。


「それで、そのダミー会社が、佐山氏の持ち物だったんですか?」 スヨンが、なおも西原に質問をぶつけた。

「それが、その会社は消えてなくなっていたの」 西原が肩をすくめた。

「消えた?」 今度は思わず、康浩が口をはさんだ。

「はい、跡形もなく……」 西原は、それ以上の捜査機密を話していいものかと考えるように、少し黙った。


 やがて、「実は……、第三製薬の経営状態はあまり良くなかったようです。そんな状況なのに、佐山は一億円ほどを会社から横領していた疑いがあります」と意を決したように、西原が話し始めた。

「問題は、横領された一億円の行方がつかめないことでした。それで近藤刑事たちは、佐山を任意で取り調べようとしていました」と西原が続けた。


「任意?」 スヨンが小声で西原に質問している。

「意に任せる。拒否もできる」 西原の答えにスヨンが「ああ」とうなずいた。

「そして今回の佐山の死亡は、任意同行を求める前夜でした」 西原が言った。


「できすぎている」と康浩がうなると、「でしょ?」と西原が応じた。

「だから、佐山の遺体は司法解剖に回されたんだ」 康浩が言うと、「ビンゴ」と西原が人差し指を立ててウインクした。


「……それにしてもスヨンさんはミラクルです」 西原がスヨンに言った。

「え?」

「どうして横領事件の構造がわかったんですか?」

「ああ、世界は意外に単純にできています」

「単純?」


「はい。横領事件は、どの国でも似たような方法が多いんです」 スヨンが答えた。

「やるぅ」と西原が笑った。


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