2 心花魁 その過去
茜色からゆっくりと藍色に……
少しずつ暮れていく空、江戸吉原にも次々に灯りが入る。
「花魁! 心しん花魁~!」
禿かむろの呼ぶ声がする。禿かむろは部屋付き花魁の世話係で遊女見習いでもある。
部屋で夕空を眺めている美貌の女性は、吉原で一二を争う名店天女楼のNo.2、心花魁その人だった。
(この時間の空は今も昔も変わらないなぁ……
私はこの時間の空の色が一番好き)
心花魁は徐々に暮れていく空をずっと眺めていた。
高く結った勝山髷かつやままげに、選び抜かれた簪は花魁には珍しく三つだけ。
だがどの簪も心花魁の「お気に入り」なだけあり、その横顔を美しく輝かせていた。
まだ着付け係は呼んでいない為、その姿は長襦袢のまま。
襦袢につけている半襟は、異国から取り寄せたレース生地。そこに小さなケシパールとビーズが所々縫い付けられ花模様を作ってある。この非常に手の込んだ半襟は、花魁が体を動かす度にキラキラ光り、本当の花がついているかのようだ。
部屋に掛けてある着物は、地は今でいうターコイズ色の新橋色。
その着物には、初夏の草花が銀糸で細かくグラデーションになるように刺繍され、袖に薄いフリルもついている。涼やかで可愛らしさもある着物だ。
心花魁の身に着ける物は、他の遊女とはかなり違う。
個性的だけど可愛らしく、見たことがない物ばかりだ。
それは心花魁が選び抜いた物たちで、江戸では「心好み」と言われ、花魁をより輝かせている。
そして、心花魁は夕暮れを眺めながら、
「この世界にきて随分経つなぁ~」
と呟く。
……この心花魁、癌で死んだ後、この世界に転生してきた心子である。
心花魁は夕暮れを見ながら、今世の幼い頃を思い出していた。
◆
私、心子は、江戸の外れの貧しい農村で三人兄弟の末っ子、心しんとして生まれた。
家は貧乏だったけど父さん、母さん、兄さん姉さんがいて、末っ子の私。
いつも末っ子の私には皆優しかったなぁ……
そんな優しい家族に囲まれて、私は育った。
だが、8歳の頃に村中で流行り病が蔓延した。
発症すると初めは軽い咳と微熱が出る。そしてほとんどの人が1、2週間のうちに症状は悪化し最後は亡くなっていく……
「心、生きてくれ……」
父さんは、家族で唯一元気な私を、隣村の叔父さんの所へやった。
そうして私1人を残して、優しかった家族は皆、死んでしまったのだ。
隣村でその知らせを聞き、急ぎ村に戻ってきた。私が家族の遺骨を手に茫然と立っていると、村人が争い始める。
村では親が死んだ時、他の家で子どもを預かり育てていく決まりがある。
誰が私の世話をするかで皆揉めていた。
流行り病のあとだ、皆余裕はない。
「うちには父ちゃんはいるけどもう、年で働けねぇ。引き取れねえよ」
「あんたのとこ、心ちゃんの家と仲がよかったよな」
「いやぁ、うちよりこいつの所が、
心ちゃんの父ちゃんには、世話になってたよ」
大人が本気でなすり合いする姿を見て、私は茫然とした。
(私、どうなってしまうの。怖い……)
「子どもの前で何を話しているんだ」
私を預かっていた隣村の叔父さんだった。
叔父さんは私を引き取ると言い、村人は喜んでこの申し出を受けた。
叔父さん家族も決して裕福では無かったが、自分の子供と分け隔てなく私を育ててくれた。
叔父さんは私の頭を撫でながら言う。
「心、何でも言うんだよ。金は無いけど辛いことも皆で話せば、笑いになるもんだ……」
叔父さんの家はいつも笑いがあった。
(私がまた笑えるようになったのは、叔父さん家族のおかげだよ……本当にありがとう。
いつかきっと叔父さん家族の力になる)
私はそう誓った。
私が10歳の頃、かつてない程の飢饉が村を襲い、
わずかに残った米もイナゴが全て食べ尽くしていった。
困った叔父さんは、身重のおばさんと子供達を村へ残し、慣れない漁仕事へ出稼ぎにいこうとしたのだ。
(私が叔父さん家族を助けるのは今だ!)
「もう嫌だ。私はこんな所にいたくない!吉原に行く!そして飯を腹一杯食べるんだ!」
誰もそれが本音だとは思っていない。皆が強く反対したが、それでも私は絶対に譲らなかった。
「きっと沢山稼いで叔父さんにも仕送りするから。待っててね」
私は明るく言って最後は笑顔で別れ、吉原に向かった。
吉原へはかなり長い道のりで、所々宿に泊まるが、
もう売り物である私は、ある程度大切に扱われご飯も沢山食べる事ができた。
(こんなにお腹一杯食べる事が出来るなんて。ああ、叔父さん達に届けてあげたい)
そう思ったが今更どうにもならない。
必ず叔父さん達に沢山お金を送るんだ。そう強く誓った。
それから山を越え、大きな川に出たその時の事だった。川を渡る最中、渡し舟が大きくぐらりと揺れて、小さい私だけが川に落ちてしまった。
「わあぁ!助けて!」
激しい濁流の中、私の体はくるくると回りながら、どんどん流されていく。
(嫌だ!今度はもっと早く死んでしまうの!)
そう思った。
船頭さんが素早く川に飛び込み、私を岸にあげた。
(ふう、また死んでしまうとこだった。
あれ?私また死ぬって、さっきから何なの?)
そしてこの瞬間、私は前世の事を思い出した。
(あれ、私癌でホスピスで死んだんじゃない?
何でこんなに小さいの?このボロボロの着物は何?
どうして他の人も時代劇みたいな格好をしてるの?ビルも何もないし……何がどうなったの!)
「ほらよ。着物を着替えて少し休みな」
女衒のおじさんが、渋々新しい着物を買って持ってくる。
着替えをしているその時、自分の頭の中で今世の10歳までの境遇と、前世の46歳で死ぬまでの記憶が、じわじわと混ざっていく不思議な感覚におそわれた。
そして……自分の中でこの二つの記憶が一つになったのだ。
(私、死んだと思ったらこの世界に心として転生してきたのね。
いやいや、っていうか何この状況。こんなに小さいのに吉原へ行くって人身売買! 幼児虐待だよ!
今世も私、既にハードモードじゃない!
家族が死んで、叔父さん家が貧しいからって、
こんなに小さいのに自分で吉原行くって決めてさ。
どんだけ私、可哀想なのよ~)
「ふ、ふぇぇん……」
自分の状況がわかった私は半泣きで、暫く元気がなかった。
「おいおい、そんなんじゃ一人前になれないよ。吉原っていっても誰もが食っていける訳じゃないんだよ」
女衒のおじさんがそう言った瞬間、私はふと考えた。
(ちょっと待って。確か吉原って、遊女として人気が出れば、花魁とかになれるんだよね?
私、前世と違ってこの江戸だと多分、めっちゃ流行りの美人顔じゃない?だって浮世絵見てたらそうだもん。私の顔は一重でおちょぼ口の純和顔で、スタイルも着物がよく似合うなで肩で柳腰だし。
あとさ、私は前世で借金の為に馬車馬の様に働いてたから、吉原でもハードワークは多分、いやかなり平気。そしてなんてったって私は着物が大好き!
前世も借金ができる前は、アンティークやリーズナブルな着物をよく着てたし!
お金が無かったから出来なかったけど、芸事も一度はやってみたかったしさ……
あれ?ひょっとして今世は頑張り次第で私、かなりいい感じになれるんじゃない?
健康にさえ気をつければ、これ……きっといけるよ!)
「よっしゃあああ!頑張れ私!」
私はつい声を出して気合を入れた。
すると女衒のおじさんが、
「あんた大丈夫?吉原に行くんだよ。
急に落ち込んだかと思ったら、今度は急に叫んだりしてさ。怖くて気を病んでしまったかね?困るよ。
あんたは高価で買ったんだ」
と、怪訝そうな顔をされた。
「はい!とっても大丈夫です!」
……変な返事になったけど、私は気合十分で、吉原に向かった。




