第8話 壊れた家族の精算
翌日、私は会社に有給延長の連絡を入れると、すぐに弁護士事務所の門を叩いた。
紹介されたのは、離婚問題に強いという敏腕弁護士だ。
「……なるほど。状況は把握しました」
すべての経緯を聞き、私が提出したスマホの録音データと、義父が書いてくれた陳述書を確認すると、弁護士は眼鏡の奥の目を光らせた。
「ご主人の有責は明白です。不貞行為に加え、保護責任者遺棄に近い形での重過失による火災。これ以上ないほど、奥様に有利な条件で話を進められます」
「お願いします。取れるものは、すべて取ってください」
「もちろんです。徹底的にやりましょう」
私は淡々と依頼した。
もう、リョウジに対する愛情など欠片も残っていない。
今の彼に対して抱く感情は、ただ一つ。
――ハルとの新しい生活を始めるための「資金源」。
それだけだった。
◇
数日後、ファミレスの個室。
テーブルを挟んで、私と弁護士、そしてリョウジが座っていた。
リョウジは無精髭を生やし、数日でげっそりと痩せこけていた。
実家を追い出され、ビジネスホテルを転々としていたらしい。
「ユイ、あのさ……離婚はわかるけど、条件が厳しすぎないか?」
リョウジが震える手で書類を見ながら抗議する。
「慰謝料三百万円に、ハルが大学を卒業するまでの養育費。それに財産分与で預金はほぼ全額ユイのものって……俺、生活できないよ」
「自業自得よ」
私は冷たく切り捨てた。
「火事の後始末、誰がやってると思ってるの? 焼け跡の撤去費用、近隣への補償、仮住まいの手配。全部私がやったのよ。あなたは逃げ回っていただけじゃない」
「そ、それは……」
「文句があるなら裁判でも何でもすればいいわ。その代わり、ネグレクトと放火の件、警察にもっと詳しく話すことになるけど?」
弁護士がすかさず補足する。
「重過失による失火に加え、不貞行為の証拠もあります。裁判になれば、これ以上の請求額になる可能性が高いですよ。社会的信用も地に落ちるでしょう」
リョウジは「うぐ……」と唸り、黙り込んだ。
会社にだけはバレたくない。
その保身の心が、彼の首を絞めている。
「……わかったよ。サインすればいいんだろ」
彼は諦めたようにペンを取り、離婚届と、公正証書の作成委任状にサインをした。
これで、養育費の支払いが滞れば、即座に彼の給料を差し押さえることができる。
「あと、ミカ……西園寺さんへの請求はどうなってるんだ?」
サインを終えたリョウジが、恐る恐る聞いてきた。
「ああ、そっちも手配済みよ」
「手配って?」
「内容証明郵便を送ったわ。彼女の自宅にね」
「じ、自宅!? 旦那にバレるじゃんか!」
「当然でしょ。ダブル不倫なんだから、向こうの家庭も壊れて当然よ」
私はバッグから、もう一つの書類を取り出した。
「それに、彼女には『プレゼント』も贈っておいたから」
「プレゼント……?」
「あなたの『声』よ」
私がニッコリと笑うと、リョウジの顔が凍りついた。
『向こうが誘ってきたんだよ! 俺は被害者なんだ!』
あの夜、義実家で彼が保身のために叫んだ、ミカへの責任転嫁。
あの録音データを、慰謝料請求書と一緒に送りつけてやったのだ。
「愛し合ってたんじゃないの? でも、あなたが彼女を『誘惑してきた加害者』扱いしたって知ったら……西園寺さん、どんな顔をするかしらね」
「お、お前……悪魔かよ……」
リョウジが絶望的な顔で私を見る。
悪魔で結構。
ハルを殺しかけた人間に、慈悲なんてかけるつもりはない。
「これで終わりよ、高坂さん。さようなら」
私は書類を回収すると、コーヒー代も置かずに席を立った。
背後でリョウジが何か喚いていたが、振り返らなかった。
店の外に出ると、空は抜けるような青空だった。
重たい荷物をすべて下ろしたような、清々しい気分。
私の「家族の精算」は終わった。
あとは、彼らが勝手に地獄へ落ちていくだけだ。




