第7話 書け
義父に殴られた頬を押さえ、リョウジは床に座り込んでいた。
私は義実家の棚からメモ帳とボールペンを取り出し、無造作にテーブルの上へ放り投げた。
「……書け」
私の短い言葉に、リョウジがビクリと肩を震わせる。
「な、何を……」
「今日一日の行動よ。家を出た時間、行った場所、誰と会ったか。一分単位ですべて書きなさい」
私の声は、自分でも驚くほど低く、感情が削ぎ落とされていた。
リョウジは視線を泳がせ、助けを求めるように義父母を見た。
だが、二人は冷たい石像のように腕を組んで彼を見下ろしている。
「書く必要なんてないだろ……ただ一人で飲み歩いてただけだよ」
「嘘ね」
「嘘じゃない!」
「じゃあ、この後の警察の捜査でも同じことが言える?」
私は冷たく言い放った。
「放火の可能性も含めて、警察は周辺の防犯カメラを洗うわよ。あなたがマンションを出た時間、どちらへ歩いて行ったか、誰と合流したか。全部丸裸になる」
「ッ……」
「それに、私も探偵を雇うつもりよ。あなたのクレジットカードの履歴、スマホのGPS、全部調べ上げる。もし今ここで嘘を書いたら――」
私は一歩、彼に近づいて見下ろした。
「慰謝料の額、倍じゃ済まないから」
リョウジの顔が引きつる。
彼は観念したようにペンを手に取った。
しかし、その手は震え、なかなか文字を書こうとしない。
「……書けないの?」
「い、いや……その……」
「誰といたの?」
私の問いに、リョウジは蚊の鳴くような声で答えた。
「……さい、おんじ……」
「は?」
「西園寺……ミカ……」
聞き覚えのある名前だった。
ハルと同じ保育園に通う子の母親だ。
何度か挨拶を交わしたこともある、清楚で大人しそうな女性。
「西園寺さんって、既婚者よね?」
「……うん」
「ダブル不倫、ってこと?」
リョウジは無言で頷いた。
義母が「なんてこと……」と呻き、その場に崩れ落ちそうになる。
義父が慌てて支えた。
ハルを火事の家に置き去りにして、保育園のママ友と不倫。
最悪の裏切りだ。怒りを通り越して、吐き気すら催す。
だが、リョウジの口から飛び出したのは、謝罪ではなかった。
「で、でもな! 俺が悪かったわけじゃないんだ!」
彼は必死な形相で顔を上げた。
「向こうが誘ってきたんだよ! 『旦那とうまくいってない』とか相談されて、優しくしたらあっちからすり寄ってきて……! 俺は断ろうとしたんだ! でも、あいつがしつこくて!」
「…………」
「今日もそうだよ! 俺はハルを見てなきゃいけないって言ったんだ。でもミカが『少しだけ会いたい』って泣きついてくるから……仕方なく行っただけで……俺は被害者なんだよ!」
ペラペラと、よくもまあ次から次へと。
さっきまでは「子供の自主性」と言っていたくせに、今度は「女に誘惑された被害者」気取りか。
私は深く、長く溜息をついた。
もう、この男に期待するものは何一つない。
人間としての底が、完全に割れた。
「……そう。西園寺さんに誘惑されたのね」
「そ、そうだよ! だから俺は悪くない!」
「わかった。その言い分、しっかり記録させてもらうわ」
私はスマホの録音停止ボタンを押した。
最初から、回していたのだ。
「え……?」
「今の話、全部録音したから。西園寺さんにも、西園寺さんの旦那さんにも、そのまま聞かせてあげる」
「は、はあッ!? やめろよ! そんなことしたら俺の立場が――」
「立場? そんなもの、もうあんたにはないのよ」
義父が、静かに告げた。
「リョウジ。お前とは縁を切る」
「お、親父……?」
「二度と敷居を跨ぐな。遺産も墓もやらん。……消えろ」
義父母の拒絶。
録音された自白。
全焼した家と、莫大な賠償責任。
リョウジは床に這いつくばったまま、ただパクパクと口を開閉させていた。
その姿は、憐れなほど滑稽だった。




