第4話 ひとりぼっちの五歳児
鎮火したマンションの前には、規制線が張られたままだ。
私は警察官に誘導され、パトカーの近くで事情聴取を受けていた。
体は震えが止まらず、歯の根が合わない。
寒さのせいか、恐怖のせいか、自分でもわからなかった。
「……奥さん、落ち着いて聞いてください」
年配の警察官が、手帳を開きながら重い口を開いた。
「息子さん、ハル君の命に別状はありません。搬送先の病院から連絡がありました。軽度の一酸化炭素中毒ですが、意識ははっきりしているそうです」
「よ、よかった……」
張り詰めていた糸が切れ、その場に崩れ落ちそうになる。
けれど、警察官の次の言葉が、私を現実に引き戻した。
「ですが、問題は火災発生時の状況です」
警察官の目が、鋭く私を射抜く。
それは被害者をいたわる目ではなく、被疑者を見るような厳しい目だった。
「消防隊が突入した時、玄関には鍵がかかっていました。チェーンロックではなく、外から施錠されていたんです」
「え……?」
「つまり、ハル君は室内に閉じ込められていた。たった一人で」
頭を殴られたような衝撃だった。
外から、鍵がかかっていた?
ハルが一人で?
「そんな、はずはありません……夫が、リョウジが一緒にいたはずなんです。今日まで有給を取って、ハルを見ているはずで……」
「ご主人の姿はありませんでした。近隣住民への聞き込みでも、夕方ごろにスーツ姿の男性が出かけていくのを見たという証言があります」
警察官は溜息交じりに言葉を継ぐ。
「奥さん。五歳の子供を置いて外出することが、どれほど危険か分かりませんか? これは立派な保護責任者遺棄、ネグレクトですよ」
「ち、違います! 私は出張で……夫に任せていて……!」
弁明しようとしても、喉がひきつって上手く声が出ない。
警察官の目には、「無責任な親たち」と映っているのが分かった。
悔しさと情けなさで涙が溢れる。
――リョウジ。
あんた、何やってるのよ。
「任せろ」って言ったじゃない。
「ハルの父親だ」って、笑ったじゃない。
ハルは暗い部屋で一人、煙に巻かれて、どれほど怖かっただろう。
パパもママもいない部屋で、熱さと苦しさに耐えていた小さな体を思うと、心臓が引き裂かれそうだった。
「ご主人とは、連絡がつかないんですか?」
警察官に促され、私は震える手でスマホを取り出した。
画面には、先ほどかけた十数件の発信履歴が並んでいる。
怒りで指先が冷たくなるのを感じながら、私はもう一度、リョウジの名前をタップした。
プルルル、プルルル……。
コール音が鳴る。
お願い、出て。
出て、今すぐここに来て。ハルを抱きしめて謝って。
そして、「ちょっとコンビニに行っていただけだ」とでも嘘をついてよ。
祈るような、呪うような気持ちで待つこと数回。
突然、コール音が途切れた。
『……はいよー』
聞こえてきたのは、気の抜けた、少し鼻にかかったような声だった。
背後からは、ガチャガチャという食器の音や、楽しげなジャズのBGM、そして微かに女性の笑い声が聞こえる。
どう聞いても、緊急事態にいる人間の声ではない。
どこかの店で、酒を飲んでいる声だ。
『ん? なんだユイか。どうした、こんな時間に』
リョウジの声は、あまりにも明るかった。
自分の家が燃えて、息子が死にかけたことなど、微塵も知らない男の声。
その瞬間、私の中で「不安」は完全に消え去り、どす黒い「殺意」に似た感情が湧き上がった。
「……リョウジ」
『おー、なんだよ。寂しくなったか?』
ふざけた返事。
私は唇を噛み切りそうなほど強く噛み締め、スマホを握りしめた。




