表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/9

第九話

 





 奴は観念するように深く息を吐き出すと。一切の表情を唾棄した。

 そこには私に愛を嘯く、微笑みの貴公子はいなかった。

 常に浮かべていた微笑を取り払い、感情の欠落した顔を私に向ける。奴の美しい顔と相まって、精巧に造られた人形のようだ。


 これが奴本来の姿なのだろうか。今まで向けられた事のない奴の冷たい瞳に私は小さく身体を震わせた。


「僕は君以上にめんどくさい人に会った事はないよ。その可憐な容姿に反して、疑り深いくせに浅はかで、小賢しく、真実を歪め自分のいいように思い込み、見たくない現実から目を逸らす」



 いきなり始まった暴言に私はあんぐりと口を開けた。未だかつてここまで間抜けな顔を奴に晒した事はないはずだ。

 甘い言葉ばかり吐き出していた奴の口からここまで辛辣な言葉がこれでもかとばかりに出てくるとは予想だにしなかった。

 そもそも私が奴を責める側だったはずだ。毒を飲まされ一ヶ月も寝込む羽目になり、世間に真実を歪めて吹聴され、有る事無い事噂が飛び交っている。私には奴を責める権利があるはずだ。

 なのになぜ、私は奴にここまで悪し様に罵られなければならないのか。私が気に入らないなら初めから構わねければ良かったのに。ストーカーの果てに心中未遂までやらかした男が言う台詞ではない。


「……だったら、さっさと私の前から消えてくださらない?そのめんどくさい人間につきまとっていたのはあなたでしょう。文句を言われる筋合いはないわ。私にはあなたが何を望んでいるのかさっぱり分からない」


 どうしてこんなにも声が上擦りそうになるのだろう。言い終えると唇を噛み締め、飛び出てしまいそうな何かを必死に押さえ込んだ。そんな私に奴は能面のようだった瞳をふっと和らげ、いつか見せた困惑を乗せた笑みを浮かべた。その表情は綺麗に造られたいつもの笑みとは違い、どこかぎこちないものだった。


「僕も自分が何をしたいのかさっぱり分からないよ。初めは見目のいいご令嬢に遊んでもらおうと声をかけただけだった。だけど、君がグランハートの娘だと知り俄然、興味が湧いた。ユーフィルム家とグランハート家は僕たちが出会わないように躍起になっていたからね。正直どうでも良かったから、わざわざ会いに行こうと思わなかったけれど、気まぐれで行った夜会に君がいたんだ。からかってみようと思うのは仕方のない事だろう?」


 やっぱりあれは、からかっていたのか!あまりのしつこさに一発食らわしたのは間違っていなかったのだ。あの時の私、よくやった!


 胸中で自画自賛している私に構わず、奴は言葉を続けた。


「なのに君の反応が予想外で、面白くて、次はどんな事をやらかしてくれるんだろうと思うと楽しくて、気づけばいつも君の事を考えていた」


 その楽しかった事とやらを思い出したのか、奴はくすりと笑う。何のてらいもなく笑う奴は、少しだけ幼く見えて、私はとっさに胸を両手で押さえた。

 私はまったく楽しくなかった!いや、奴の苦痛に歪んだ表情を見るのはなかなか楽しかったが、私のデメリットの方が大きかったため総じてマイナスだ。


「僕たちの秘密の関係ってのも新しい遊びみたいで楽しかったし、どこまでばれずにやれるかってのもなかなかスリルがあったな」


 遊び。その言葉に私の心臓は再び嫌な音を立てる。

 さっきから変だ。なんで私は奴の言葉に一喜一憂しているのだろう。毒を飲まされた時よりもずっと胸が痛い。あの時は胸が灼けつくように熱かったのに、今は芯から凍えてしまいそうだ。


 そんな私に奴は気づいたのか、奴は瞬くといつもの笑みを満面に浮かべた。砂糖を吐き出したくなるほど、甘い、甘い笑みだ。


「ねえ、君は気づいてる?どんなに拒絶の言葉を口にしたって、表情を取り繕ったって、暴力を振るたって、君の瞳の奥には期待と喜びが見え隠れしているんだよ。それなのに頑なに認めようとしない君は本当にめんどくさい」


 めんどくさいと言いながら奴は心底嬉しそうだった。期待?喜び?そんなものを感じた覚えは一切ない。勝手な講釈を垂れないで頂きたい。私は奴の存在が煩わしいだけだ。私の日常をかき乱して、無遠慮に踏み込んで、甘い言葉の羅列を並べ立てる。

 かと思えば、ここにきて罵詈雑言ときたものだ。

 結局、奴は私に何を言いたい。めんどくさいと言われて喜ぶと思っているのだろうか。それとも、私への嫌がらせに飽きたから、さようならと言いたいのだろうか。

 それならさっさとしてくれと私が口を開く前に、奴は言った。


「そんなめんどくさい君を愛してしまった自分がまったく理解できない」


 理解できないことなんて今までなかったのにと付け足された言葉は普段なら殺意を覚えるが、今は頭に入ってこなかった。

 さんざっぱら言われてきた、愛してるの言葉。これまで聞いてきた中で一番ひどい台詞だ。


 なのに、体温がこれでもかと上昇し、さっきから心臓が忙しなくて、息が止まりそうだ。きっとこれは毒の後遺症に違いない。

 即刻、病院に行って検査してもらわねば。


「君は頑固で融通が効かなくて、懐かない猫みたいだ。冷静に振る舞おうとして墓穴を掘って、それでもまた取り繕うとして、憎らしいのに可愛い。……好きだよ、ジュリエット。心の底から愛してる。君と一緒に死んでもいいと思えるほどに。ここまでしても僕の愛は伝わらない?死界の土を踏まないと僕の心は受け入れてもらえない?」


 こんな愛の告白があるものか。どんな物語だって、甘くて優しい言葉が紡がれるのに。完璧な貴公子はどこへ行った。最後に化けの皮が剥がれるのは悪役だと相場が決まっているのだが。


 言葉とは裏腹に私を見つめてくる奴の瞳はどこまでもとろけるような甘さを宿し、ちらちらと不安が覗いている。こんなに所在無さげな奴を見るのは初めてかもしれない。


 まるで完璧超人でもただの変態でもない、恋に不器用な普通の青年のようではないか。


 私が飲んだ毒は相当強烈だったようだ。なんてたって変態に飲まされてしまったのだから、救いようがない。


 私は奴に答える代わりに、欄干に足をかけた。奴はぎょっと目を見開き、私を制止しようと声を張り上げる。


「ジュリエット、何を!?」


「受け止めて、くれるのでしょう?」


 それだけ言うと私は私は欄干から身を乗り出した。奴の腕めがけて飛び降りる。


「ジュリエット!!」


 綺麗に着地するなんて不可能だ。奴はなんとか私を掴みダンスのようにくるりと一周したが勢いを殺しきれず、芝生の上を上下入れ換えながら転がり続け植木にぶち当たってなんとか止まった。

 やっと止まっても、しばらく目は回ったままだった。倒れた時に肘を打ったのか、鈍い痛みが走る。もしかしたら骨をやったのかもしれない。

 奴の方も盛大に打ったのか、私の下で盛大に呻いている。上から退こうと身体を捻ったが、奴の腕が私を離すまいとぎゅうぎゅうに締め付けてきた。


「君は!飛び降りて、僕が受け止められなかったらどうするつもりだったんだ!?なのに、君は!何をやらかすか本当に予測出来ない……ふふ。あはははは!!」


 説教をするつもりだったようだが、なぜか笑い出した。どうやら頭を打ったらしい。優秀な頭脳をお持ちだったが、残念な事だ。いや、脳みそが残念なのは元からか。


「あなたが言ったのよ。落ちてきてって。私は言われた通りにしただけだわ」


 私がつんとそっぽを向くと、大きな手が私の頰に触れ、奴の方を向かされた。アメジストの瞳と至近距離で見つめ合う。心臓の音が重なりどちらのものか分からないが早鐘のように鼓動を刻んでいる。


「君は本当に素直じゃない。可愛くない。いい加減、認めたらどう?僕が好きだって」


「可愛くなくて結構よ。あなたなんて嫌いだもの、どう思われたって構わないわ」


「君は嘘つきだ。嘘をつくのは悪いことだよ。悪い事を言うこの口は塞いでしまおうか」


 奴は頰に当てた手の親指で私の唇をなぞる。感触を楽しむようにふにふにと押してくるその指に私は思い切り噛み付いた。


「いっっ!!……っまったく君は。その容姿からは想像できないくらい野生的だな。噛み付くのはベッドの中だけにして欲しいんだけ、どっ!」


 私は顎に力を込める。口の中に血の味が広がった。貴公子の仮面を被るなら最後まで被っておけと思うのは私だけだろうか。


 奴は痛みに頰を引きつらせているが、さっきまで確かにあったはずの不安は瞳からは消え去り、嬉しげに目を細めている。


 やっぱり奴は被虐趣味者に違いない。痛みに喜ぶなんて理解出来ないが、痛みに歪めた奴の顔を見るのは好き……かもしれない。


「ねえ、ジュリエット。君は自ら僕の腕に落ちてきたんだ。もう、逃してあげないよ」


 奴の吐息が私の唇に触れる。どうせ、逃げられないのなら、捕らわれてもいいのだろうか。王子様の助けを待つお姫様ではなく、ドラゴンに捕らわれたまま幸せに暮らすお姫様になってもいいのだろうか。


 ああ。こんな事を考えるなんてやっぱり私の頭は毒に侵されてしまっている。


 恋愛小説をたくさん読んできたけれど、私自身は愛に応える言葉を持っていない。だから、吐息が触れる程、近くにあるその唇との距離を詰めた。

 突然の事に奴は息を飲み、身体を硬直させる。私はすぐに唇を離し、今度こそ起き上がろうとした。のもつかの間、視界がぐるんと反転し、奴の背景が緑から青へと変わっていた。


「愛してる、僕の可愛いジュリエット。君なしじゃ生きられないし、僕のいない世界に君を生かしたくはない。未来永劫、君は僕だけのものだ」


 青空なんて霞むくらい、奴のアメジストの瞳はきらめいている。喜びと幸福で紡いだ星座をその瞳に内包しているようだ。


 奴は小瓶を持っていない。なのに、降ってきた唇から流れてくるのは、何よりも甘美な毒。深く交わる口付けは脳髄を溶かし、世界には私と奴しかいないような錯覚を起こさせる。



 愛する人と共に死んだジュリエットが幸せだったとは、もう思えない。


 愛する人と共に生きていける喜びを私は知ってしまったのだから。








 この後、怒り狂った父が私たちの元に駆けつけてきたのは当然の話だ。

これにて完結です。


これはあくまでジュリエット視点のため、曖昧な部分や事実とは違う部分があります。その辺を別視点で書けたらと思いますので、機会があれば是非。


めんどくさい女の子ジュリエットと実は腹黒いライオネルに最後までお付き合いいただきありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ