第50話 鳴海楽にはどう聞こえているのか
最近、作曲の仕事以外にも取材の申し込みが増えていた。
最初は《終幕まで聴いて》についての質問が多かったけれど、今は《青瀬》や、それ以前の動画についても聞かれるようになっている。
どうやって作曲しているのか。
なぜあれだけ多くの楽器を演奏できるのか。
普段はどんな音楽を聞いているのか。
質問の内容はさまざまだった。
ただ、メールで全部に答えていると、それだけで結構な時間がかかる。
「まとめて話した方が早いかな」
そう思って、今回は音楽関係の取材を一つ受けることにした。
相手は音楽家へのインタビューを掲載している媒体で、動画と記事の両方を制作しているらしい。
送られてきた質問予定を確認すると、これまでの活動や商業音楽の仕事について聞きたいと書かれていた。
変わった内容ではない。
取材を受けること自体は特に嫌ではないので、日程を調整する。
大学の授業がない時間を選び、都内の収録室へ行くことになった。
当日、指定された建物へ入ると、担当者が案内してくれた。
収録室には椅子とテーブルが置かれ、少し離れた場所にカメラと照明が設置されている。
室内の響きは抑えられていて、空調の音も小さかった。
「本日はよろしくお願いいたします」
「よろしくお願いします」
席へ座ると、インタビュアーの人が簡単に進行を説明してくれた。
基本的には普通の会話で進め、必要に応じて質問を追加するらしい。
公開前には、発言内容に事実関係の間違いがないか確認できるそうだ。
それなら問題ない。
飲み物を用意してもらい、マイクの位置を調整する。
収録スタッフが音声を確認している間、俺は何となく室内を見ていた。
テーブルの木目と、壁の淡い色が作る音。
照明の光が少し動くと、それに合わせて音の重なりも変わる。
空調から流れてくる冷たい空気は、頬に触れるところで細い音になっていた。
特に変わったことはない。
知らない部屋へ来れば、いつもこういう音がある。
「準備できました」
スタッフの声が聞こえた。
俺はインタビュアーの方へ向き直った。
「では、始めさせていただきます」
「はい」
収録が始まった。
〓〓〓
最初に聞かれたのは、やっぱり《終幕まで聴いて》についてだった。
「【灰冠のアルカディア】での楽曲が、非常に大きな反響を呼んでいます。ご自身では、今回の結果をどう受け止めていますか?」
「気に入ってもらえたなら良かったです」
「かなり多くの方が楽曲を購入されているそうですが」
「そうみたいですね」
「予想はされていましたか?」
「特には。ゲームに合う曲を作ろうと思ってただけなので」
インタビュアーは頷き、次の質問へ進んだ。
「そもそも、あの曲の構想はどこから生まれたのでしょうか」
「アリアの設定ですね。歌で人の意識を奪う魔女って聞いたので、それなら歌を聞き続けたくなる曲がいいかなって」
「実際、ゲームを遊んでいる方が音楽に気を取られてしまうという、非常に珍しい現象が起きています」
「そうですね」
「そこまで計算して作られたんですか?」
「ゲームの操作まで考えたわけじゃないですけど、続きを聞きたくなるようには作りました」
「なるほど」
「戦闘中は曲が終わらないので、ずっと続きが気になる方がアリアっぽいかなと思って」
「それが結果的に、プレイヤーの集中力へ影響したわけですね」
「そうみたいです」
インタビュアーは少し笑った。
「音楽を消すことが攻略法になるというのは、作曲家として複雑な気持ちにはなりませんでしたか?」
「別に。勝てないなら消せばいいと思いますよ」
「でも、ご自身の曲を聞いてもらえなくなるわけですよね」
「ゲームを遊んでる時に邪魔なら、消してもいいんじゃないですか。曲だけ聞くこともできますし」
俺がそう答えると、インタビュアーは一瞬考えるような顔をした。
「なるほど。ゲームの攻略と、音楽そのものの鑑賞は別だと」
「そうですね」
それから《青瀬》の話になった。
一人で管弦楽曲を作り、必要な楽器を全部自分で演奏して録音したこと。
制作にはそれなりの時間がかかったこと。
楽器によっては、身体が演奏に対応できるようになるまで待つ必要があったこと。
そのあたりは以前にも何度か話している。
「一つの曲を作るために、それだけ多くの楽器を扱うことを負担には感じませんでしたか?」
「演奏するのは面白かったですよ。ただ、録音は結構時間がかかりましたね」
「ほかの演奏家へ依頼するという選択肢もあったと思うのですが」
「ありましたけど、自分でやった方が欲しい音にしやすかったので」
「なるほど」
インタビュアーが資料をめくる。
「映像作品や広告音楽でも、ご自身で演奏されることが多いそうですね」
「はい。必要な音を自分で出せるなら、その方が早いので」
「音楽を作る時には、まず頭の中で完成形が聞こえているのでしょうか?」
「大体はそうですね。作りながら別の音を思いつくこともありますけど」
「それを楽器で確かめる、と」
「はい」
そこで、インタビュアーは少し間を置いた。
「実は、今回ぜひ伺ってみたかったことがあるんです」
「何ですか?」
「鳴海さんには、音がどう聞こえているんですか?」
少し変わった質問だった。
「どうって?」
「例えば、作曲する時に、普通の人とは違う聞こえ方をしているのではないかと思いまして」
「ああ」
そういうことか。
「いろいろ聞こえてますよ」
「いろいろ、ですか?」
「はい。普通の音もですけど、見えてるものとか、匂いとかも」
インタビュアーの手が止まった。
「……見えているものも、音として聞こえるんですか?」
「そうですよ」
「それは、どういう……」
少し困ったような顔になった。
俺は周囲を見て、説明しやすそうなものを探した。
「例えば、そこの壁の色にも音があります」
そう言って、向かい側の壁を指す。
「壁、ですか?」
「はい。あと、このテーブルの色とか、木目とか。照明の光にも音がありますね」
「実際に、何か音が鳴っているという意味でしょうか」
「俺には聞こえてますよ。普通に耳で聞く音とはちょっと違いますけど」
「……なるほど」
インタビュアーはそう言ったものの、まだよく分かっていないようだった。
まあ、そうだろう。
俺も他の人がどういうふうに世界を認識しているのか、直接確かめたことはない。
だから、どう違うのかを完全に説明するのは難しい。
「色が違えば、音も違うんですか?」
「違いますね」
「例えば、赤色なら赤色に対応する音があると?」
「はい。同じような赤なら、大体同じような音です。明るさとか、細かい色の違いで変わりますけど」
「それは、ドやレといった音階に対応しているのでしょうか」
「そういうのとはちょっと違いますね。楽器の音じゃないので」
「なるほど……」
「でも、音としては分かりますよ。赤いものを見れば、赤い音がするので」
説明してみたけれど、相手の表情を見る限り、まだ理解しきれていないらしい。
「赤い音、ですか」
「はい」
「それは、毎回違う音になるわけではないんですね」
「同じものなら大体同じですよ。毎回全然違ったら、何の音か分からないじゃないですか」
「確かに、そうですね」
インタビュアーが少し笑った。
俺も笑う。
それから、もう一つ例を挙げてみた。
「今、空調が少し冷たいですよね」
「はい」
「その冷たさにも音があります」
「温度にも?」
「ありますよ。あと、この飲み物の味とか」
テーブルに置かれたお茶を指す。
「味にも音があるんですか?」
「はい。匂いもあります」
「つまり、音だけでなく、五感の情報がすべて音として存在しているということでしょうか」
「そうですね。見えてるものも、触ったものも、味も匂いも。普通に音としてあります」
インタビュアーは、今度こそしばらく黙ってしまった。
どう説明すれば分かりやすいんだろう。
少し考えたけれど、俺にはそれ以上の説明が思いつかなかった。
「昔からそうなので、普通なんですよね」
そう言うと、インタビュアーはゆっくり頷いた。
「鳴海さんにとっては、それが当たり前の世界なんですね」
「はい」
〓〓〓
「一つ気になったのですが」
少ししてから、インタビュアーが質問を再開した。
「それだけたくさんの音が同時に聞こえていると、疲れたり、集中できなくなったりしませんか?」
「特には」
「常に音があるんですよね?」
「ありますね」
「普通なら、かなり大変なことのように思えるんですが」
「全部を同じように聞いてるわけじゃないので」
俺は少し考えてから続けた。
「必要な音を聞けばいいんですよ。ほかの音は、そのままあっても別に邪魔じゃないので」
「聞き分けることができるんですか?」
「できますよ」
「膨大な数の音を?」
「はい。別々に聞くこともできますし、まとめて聞くこともできます」
インタビュアーが首を傾げる。
「まとめて聞く、というのは?」
「例えば、今の部屋にもいろいろ音がありますよね。壁の色とか、光とか、空気の冷たさとか。それを一個ずつ聞くこともできるし、部屋全体の音として聞くこともできます」
「……音楽のように?」
「そうですね。いろんな楽器が同時に鳴ってても、どの楽器が何をしてるか分かるじゃないですか。それと似てるかもしれません」
「普通の人間には、オーケストラのすべての音を完全に聞き分けることは難しいと思いますが」
「そうなんですか?」
「少なくとも、私には無理です」
「じゃあ、ちょっと違うのかな」
インタビュアーが笑った。
俺も少し笑ってから、話を続ける。
「でも、音が多いから困るってことはないですよ。いつもそうですし」
「子供の頃からですか?」
「はい。覚えてる限り、ずっとです」
「特別な訓練を受けたわけではないんですね」
「そうですね。何かを練習してできるようになったわけじゃないです」
俺にとって、音を分けて聞くことは普通のことだった。
人と話している時に相手の声を聞くのと同じように、必要な音を選んでいる。
周囲に別の音が存在していても、それで困るわけではない。
「それなら、作曲にもその感覚が使われているのでしょうか」
「使ってますね」
「例えば、風景を音楽にすることも?」
「できますよ」
「以前の《青瀬》も、そうした作品なのでしょうか」
「そうですね。青瀬で見たり聞いたりしてたものを使ってます」
「つまり、実際に聞こえた音だけではなく、景色の色や空気の状態も作曲の材料になるわけですね」
「はい」
「それは、普通の作曲家とはかなり違う発想かもしれません」
「そうですか?」
「少なくとも、景色の色が実際に音として聞こえるという方は、非常に珍しいと思います」
なるほど。
珍しいらしい。
それは知っていたけれど、普段あまり気にすることはなかった。
「ただ、景色を見て音楽を思いつく人は、ほかにもいるんじゃないですか?」
俺がそう言うと、インタビュアーは頷いた。
「もちろんです。風景から音楽を着想する作曲家は大勢います」
「じゃあ、やってることはそんなに違わない気もしますけど」
「着想の元になる情報の受け取り方が、根本的に違うのだと思います」
「なるほど」
そういう考え方もあるのか。
俺としては、そこに音があるから使っているだけだ。
特に難しいことをしているつもりはなかった。
〓〓〓
取材が進むにつれて、質問は人間の感情についての話へ移った。
「鳴海さんは、相手が何を考えているのか分かることがあるそうですね」
「ありますよ」
「それも、今お話しいただいた感覚と関係しているのでしょうか?」
「そうですね」
「具体的には、どのように分かるんですか?」
「顔とか声とか、呼吸とか、匂いとか。いろいろ聞いてれば、大体分かります」
「……匂いも関係するんですか?」
「しますよ。人って、緊張してる時とか、普段とちょっと違うじゃないですか」
「確かに、表情や声は変わると思います」
「身体も変わりますね。そういうのが全部音として聞こえてるので」
インタビュアーは何かを考えるように、指先でメモを押さえた。
「例えば、怒っている人には、怒りに対応する音が聞こえるということでしょうか?」
「一つの音だけで分かるわけじゃないですけどね」
「違うんですか?」
「はい。顔の動きとか、呼吸とか、声とか、いろいろ変わるので。それをまとめて聞く感じです」
「なるほど。複数の情報から判断しているんですね」
「そうですね」
「それは、相手の心を読んでいるのとは違うのでしょうか」
「違いますよ」
少し意外な質問だった。
心を読むというのは、相手が頭の中で考えていることが、そのまま分かるということだろう。
そんなことはできない。
「見えたり聞こえたりしてることから分かるだけなので」
「では、相手が隠している秘密を知ることは?」
「手がかりがなければ分かりません」
「手がかり、ですか」
「何かを隠してるなって分かることはありますよ。でも、何を隠してるかは別じゃないですか」
「……確かに」
「それに、知らないことは分からないですし」
インタビュアーは頷いた。
「それなら、少し試してみてもよろしいですか?」
「いいですよ」
「今、私が何を考えているか分かりますか?」
俺は相手を見る。
顔の動き。
視線。
呼吸。
指先の力。
声の調子。
さっきから少し緊張が残っている。
でも、何を考えているかという具体的な内容までは分からない。
「何を考えてるかは分からないですけど、ちょっと緊張してます?」
インタビュアーが驚いた顔になった。
「……分かるんですね」
「分かりますよ」
「実は、かなり緊張しています。こういう取材は慣れているつもりなんですが、今日のお話があまりにも予想外で」
「ああ、そうなんですね」
「ただ、考えていた内容そのものは分からないと」
「はい」
「例えば、今から私が頭の中で好きな食べ物を思い浮かべても?」
「何か反応が出れば、それは分かるかもしれませんけど、何を思い浮かべたかまでは分からないですよ」
「なるほど」
インタビュアーは少し笑った。
「今、思い浮かべてみました」
「そうなんですね」
「分かりませんか?」
「分かりません」
「少し安心しました」
今度は、俺が笑ってしまった。
「分かったら怖いですよね」
「正直、少し怖いです」
「俺も、そんなことできたら怖いと思いますよ」
それから、インタビュアーは少し考え込んだ。
「では、《終幕まで聴いて》のような曲を作れたことにも、人間の感情や反応を音として認識する能力が関係しているのでしょうか」
「関係してますね」
「やはり」
「人がどんな音を聞きたがるかは、普段からいろいろ聞いてるので」
「それを作曲へ利用したんですね」
「はい。アリアは歌で人の意識を奪うので、聞き続けたくなるようにしました」
「普通の人間には、そこまで正確に聞き手の反応を予測することは難しいと思います」
「そうなんですかね」
「少なくとも、あの楽曲の反応を見る限り、極めて特殊なことが起きています」
インタビュアーは真剣な表情になった。
「人間が次にどんな音を期待するか。それを普通の作曲家とは違う精度で理解しているからこそ、あの曲が成立したのかもしれませんね」
「そうかもしれないですね」
俺は頷いた。
もちろん、《終幕まで聴いて》を作った時に、誰かの考えを直接読んだわけではない。
ただ、今まで聞いてきた人間の反応は、いろいろ覚えている。
楽しい時。
退屈している時。
何かを期待している時。
期待していたものが来なかった時。
そうした変化が、音として残っている。
それを使って、次を聞きたくなる曲にした。
俺としては、それだけだった。
〓〓〓
「もう一つ、音の記憶について伺ってもよろしいでしょうか」
「はい」
「鳴海さんは、一度聞いた音を非常に正確に覚えていらっしゃるそうですね」
「そうですね」
「どのくらい前の音まで覚えているんですか?」
「昔の音でも覚えてますよ」
「例えば、子供の頃に聞いた演奏も?」
「はい」
「それは、頭の中で再現できるということですか?」
「できますね」
インタビュアーは少し驚いたようだった。
「それなら、今お話しいただいた色や匂いの音も、記憶しているんでしょうか」
「はい。聞いたものは覚えてます」
「……ということは、一度見た文章も、全部記憶しているんですか?」
「ああ、それは違いますよ」
「違うんですか?」
「文字そのものが音として読めるわけじゃないので」
「少し詳しく教えていただけますか」
俺はテーブルの上に置かれた資料を見る。
「紙の色とか、インクとか、文字の形には、それぞれ音があります。でも、文字を見たら意味が音になって聞こえてくるわけじゃないです」
「では、文章は普通に読んでいるんですね」
「はい。文字の形を見て、覚えた読み方で読んでます」
「なるほど」
「だから、一度見た文章を、あとから音だけで全部思い出せるわけじゃないですよ」
「一度認識した音は覚えていても、そこから元の文字列を完全に復元できるわけではないと」
「そうですね」
「例えば、昔読んだ本の題名なども?」
「普通に忘れることはありますよ」
インタビュアーは納得したように頷いた。
「非常に興味深いですね。音の記憶と、言葉や文字の記憶は別なんですね」
「はい」
「では、外国語についてはどうでしょう。言葉が分からなくても、音から意味を理解できるんですか?」
「意味は分からないですよ。知らない言葉なら」
「相手の感情は分かる場合があっても、何を言っているかまでは分からない?」
「そうですね。怒ってるとか、困ってるとかは分かっても、知らない言葉の意味まで分かるわけじゃないので」
「なるほど……」
「勉強すれば分かるようになりますけど」
「それは普通の学習が必要だということですね」
「はい」
インタビュアーはメモへ視線を落とし、質問を整理しているようだった。
しばらくして顔を上げる。
「鳴海さんにとっては、音楽以外の情報も音として存在している。でも、それだけで知らない知識まで得られるわけではないんですね」
「そうですよ」
「未来の出来事が分かったり、遠く離れた場所のことが分かったりするわけでもない」
「聞こえてないものは分かりませんからね」
「確かに……」
そこで、インタビュアーは少し笑った。
「こうしてお話を伺っていると、鳴海さんにとっては非常に当たり前のことなんだと感じます」
「昔からそうなので」
「それ以上、特別な説明のしようがないと」
「そうですね」
俺は頷いた。
自分の感覚を言葉で説明するのは、意外と難しい。
どんな音が聞こえているのかと聞かれても、聞こえているものをそのまま説明するしかない。
相手が同じ音を聞けるわけではないので、全部を伝えることはできない。
でも、別に困っているわけでもない。
分かる範囲で答えればいい。
「最後に、一つだけ伺ってもよろしいでしょうか」
「はい」
「鳴海さんは、そうした感覚を持っていることについて、どう思っていらっしゃいますか?」
少し考えた。
「どうって?」
「特別な才能だと感じることはありますか?」
「音楽が得意なのは分かってますけど、聞こえ方については、昔からこうなので」
「なるほど」
「別に、特別なことをしてる感じはしないですね」
「それだけ多くの情報を音として受け取り、音楽へ変換できることに、何か使命のようなものを感じることは?」
「使命?」
「例えば、その才能を使って、音楽の世界に何かを残さなければならない、といった考えです」
「ないですね」
思わず即答した。
インタビュアーが少し驚いた顔になる。
「そうなんですか」
「はい。音楽は面白いからやってるだけなので」
「……なるほど」
「暇な時に適当に弾いたりもしますし。仕事なら、頼まれたものを作りますけど」
インタビュアーはしばらく考えてから、笑った。
「鳴海さんらしいお答えですね」
「そうですか?」
「はい。ありがとうございました。とても貴重なお話を伺えました」
「こちらこそ」
それで、取材は終了した。
〓〓〓
収録が終わると、スタッフが機材を片付け始めた。
俺は飲み物を飲みながら、インタビュアーと少し雑談していた。
「それにしても、今日は本当に驚きました」
「そうなんですか?」
「はい。作曲の方法について伺うつもりだったんですが、まさか世界の認識そのものが違うとは思いませんでした」
「まあ、人によって聞こえ方は違うみたいですね」
「違うという程度ではない気もしますが……」
そう言って、相手は笑った。
「ちなみに、今日のお話は以前から周囲の方にもされていたんですか?」
「はい。父さんとか、長く付き合ってる人には普通に話してますよ」
「秘密にしていたわけではないんですね」
「別に隠すことでもないですし」
「なるほど」
「聞かれれば答えますよ」
インタビュアーは頷いた。
「今回の内容は、公開前に確認用の原稿をお送りします」
「分かりました」
「かなり珍しいお話なので、誤解が生じないようにしたいと思っています」
「そうですね」
「特に、他人の心を直接読めるわけではないという点などは、正確に伝えたいです」
「お願いします」
そこは確かに大事かもしれない。
心を読めると思われると、知らないことまで聞かれそうだ。
そんなことはできないので、説明するのが面倒になる。
必要な連絡先を確認してから、収録室を出た。
外へ出ると、建物の中とは違う音が広がっていた。
通りを走る車。
歩いている人たちの足音。
建物に反射する光。
風の温度。
近くの店から流れてくる匂い。
全部、いつもどおりだった。
さっきまで取材で話していたのは、こういう音のことだ。
ただ、それを言葉にして説明しただけだった。
〓〓〓
取材が公開されたのは、それから少し後だった。
確認用に送られてきた原稿には、俺が話した内容がかなり細かくまとめられていた。
音楽の制作方法。
《終幕まで聴いて》の構造。
景色や色が音として聞こえること。
匂いや温度、味も音として認識していること。
人間の感情を、表情や呼吸などの複数の情報から推測していること。
知らない知識や、感覚で取得できない情報までは分からないこと。
内容を読んで、特に間違いがないことを確認する。
取材を受けた時には、思いついたことを普通に話しただけだった。
でも、こうして文章になると、結構いろいろ話していたらしい。
「結構長いな」
最後まで確認し、担当者へ返事を送った。
それから、動画と記事が公開された。
反応は思ったより大きかった。
音楽についての感想だけでなく、俺の聞こえ方そのものについて質問する人が増えた。
『色が音になるってどういうこと?』
『匂いまで聞こえるの?』
『共感覚みたいなものなのかな』
『それで《青瀬》みたいな曲が作れるのか』
『《終幕まで聴いて》の人間心理への理解も、そこから来てるんだろうか』
『心が読めるわけじゃないんだな』
『本人が普通に話してるのが一番すごい』
いろいろな感想が並んでいた。
中には、そんな感覚は信じられないという人もいた。
それはそうだと思う。
俺も、他の人の感覚を直接知ることはできない。
説明を聞いただけで、まったく同じ世界を理解できるとは限らないだろう。
ただ、音楽の専門家らしい人たちは、少し違うところに興味を持っているようだった。
音を聞き分ける能力。
複数の感覚情報を統合する能力。
一度認識した音を忘れないこと。
そして、それらを演奏や作曲に使っていること。
そうした話題について、いろいろな意見が出ていた。
もっと詳しく調べたいという人もいるらしい。
でも、俺としては、これ以上何を説明すればいいのかよく分からない。
「昔からそうなんだよなあ」
画面を見ながら呟く。
それ以上でも、それ以下でもない。
ただ、今回の取材で自分の感覚についてまとまった説明が残ったのは、悪くないと思った。
同じ質問が来たら、あの記事を見てもらえばいい。
その方が、毎回最初から説明するより楽だ。
そう考えていると、スマートフォンが鳴った。
父さんからだった。
『取材見たぞ』
『うん』
『ずいぶん詳しく話したな』
『結構いろいろ聞かれたから』
『内容は問題なさそうだな』
『そうだね』
少しして、また返事が来た。
『昔から変わらんな』
俺は少し笑った。
『そう?』
『ああ』
それで会話は終わった。
父さんにとっても、俺が何を聞いているのかは昔から知っていることだ。
今回、初めて知ったわけではない。
ただ、それを知らなかった人たちにも伝わったらしい。
全部を理解できたかどうかは別だけど。
俺はスマートフォンを置き、大学の課題を確認した。
次の授業までに提出するものが一つ残っている。
先に終わらせておこう。
〓〓〓
課題を終えて音楽室へ入ると、窓の外では夕方の光が少しずつ変わっていた。
壁へ落ちる光の色が変わり、それに合わせて部屋の音も変化している。
遠くから車の走る音が聞こえ、空調の風が頬に触れた。
どれも、普段からある音だった。
今日の取材で話したからといって、何かが変わったわけではない。
大学へ入ってから、作曲の仕事は増えた。
ゲームの曲を作り、広告の曲を作り、今は別の映像作品の相談も来ている。
俺のことをプロの作曲家と呼ぶ人も増えた。
自分の感覚についても、以前より多くの人が知るようになったらしい。
でも、俺が聞いている音は昔から同じだ。
もちろん、知らない音に出会うことはある。
大学で新しい知識を得ることもあるし、仕事で見たことのない映像や楽器に触れることもある。
そういうものは普通に面白い。
ただ、それで自分の根本が変わるわけではなかった。
俺はピアノの前に座り、鍵盤へ指を置く。
窓から入る夕方の光に合わせて、短い旋律を弾いてみた。
少し低い音から始まり、ゆっくり上へ向かう。
途中で別の音を重ねる。
すると、最初に考えていたものとは少し違う響きになった。
「こっちもいいな」
もう一度弾く。
今度は、最後の音を少し変えた。
窓の外では、光の色がまた少し変わっている。
その音を聞きながら、指を動かす。
気づけば、さっきまでとは違う旋律ができていた。
特に何かのために作っているわけではない。
仕事でもないし、大学の課題でもない。
公開する予定も決めていない。
ただ、音が面白かったから弾いている。
俺はそのまま、しばらく続きを作ってみることにした。




