第45話 初めての本格商業依頼
大学から帰って音楽室で遊んでいると、パソコンに新しいメールが届いた。
ちょうど録音を終えたところだったので、何となく受信箱を開く。大学からの連絡かと思ったけれど、差出人は知らない会社だった。
Starward Interactive。
日本語では、スターワード・インタラクティブと書くらしい。
件名には、楽曲制作の相談とあった。
「曲?」
メールを開いてみる。
丁寧な挨拶の後に書かれていたのは、ゲーム作品のために新しい楽曲を制作してほしいという依頼だった。
今までも、活動用のメールには音楽関係の問い合わせが届いている。
自分の動画で俺の曲を使ってもいいかとか、動画の背景で音源を流したいとか、そういう既存の曲の利用についての話だ。
でも、今回の内容は少し違った。
まだ存在しない曲を、向こうが作っているゲームのために新しく作ってほしいらしい。
「へえ」
もう少し詳しく読んでみる。
Starward Interactiveは、世界規模でゲームを展開している会社だという。今回の連絡は、その日本語対応チームから送られていた。
依頼したいのは、同社が開発・運営する【灰冠のアルカディア】というゲームの追加楽曲。
大型アップデートで登場する重要なボスキャラクターの戦闘曲を、ゲストコンポーザーとして担当してほしいそうだ。
俺の動画を以前から見ていたらしく、特に《青瀬》の管弦楽表現と、他の動画で使っている歌や声の表現を評価していると書かれていた。
作曲だけではなく、実際に自分で演奏したり歌ったりするところにも興味があるらしい。
ただ、褒めている文章が長かったので、そこは途中から流し読みになった。
知りたいのは、何を作ってほしいのかということだ。
メールの後半に、その説明があった。
今回の対象となるボスは、【独唱の魔女 アリア】。
歌と音によって人間の注意や意識を奪う、異形の姫を思わせる魔女だという。
「歌で?」
少し気になった。
人の意識を奪う歌。
それがゲームの設定だということは分かるけれど、どんな音を使うのかは書かれていない。
そもそも、どういう意味で意識を奪うんだろう。
聞いた人が眠るのか、周囲のことを忘れるのか、それとも歌だけに集中してしまうのか。
どれも似ているようで、音楽にするなら全然違う。
もう少し詳しい資料が見たくなった。
ただ、その前に確認することがある。
俺はメールの差出人情報を見て、会社について調べ始めた。
公式サイトを確認する。
ゲームの情報も出てきた。
大きな会社らしく、いくつもの地域でサービスを展開しているようだった。
【灰冠のアルカディア】も実際に運営されている作品で、公開されている映像や紹介記事がいくつも見つかる。
でも、会社が実在していることと、送ってきた相手が本当にその会社の人かどうかは別だ。
父さんから、前にそう言われている。
確認できる連絡先や差出人の情報を調べ、必要なところを照合してから返事を考えることにした。
一通り見たところで、父さんへ電話する。
「父さん、ゲーム会社から曲作ってって来た」
「ゲーム会社?」
「うん。スターワード・インタラクティブってところ」
「何の曲だ」
「ゲームのボスの戦闘曲らしい」
「既存曲の利用じゃないのか」
「違うよ。新しく作ってほしいんだって」
父さんは少し黙った。
「相手は確認したか」
「会社は実在してる。連絡先も調べてるところ」
「なら、まずそこを確認しろ。契約の話は?」
「まだ。詳しい説明をしたいって」
「条件を聞いてから判断しろよ」
「うん」
「報酬だけじゃないぞ。何に使うのか、どこまで権利を渡すのか、納期も確認しろ」
「分かってる」
「ならいい」
そこで話が終わりかけたので、一つ聞いてみる。
「父さん、歌で人の意識を奪う魔女ってどう思う?」
「何の話だ」
「ゲームのボス」
「知らん。ゲームの設定だろ」
「そうなんだけど、ちょっと面白そうなんだよね」
「だからといって、条件を見ずに引き受けるなよ」
「まだ引き受けてないよ」
「ならいい」
電話が切れた。
父さんはゲームの内容にはあまり興味がないらしい。
まあ、音楽の話をするために電話したわけではないので、それはいい。
相手について必要な確認を済ませ、メールへ返信する。
詳しい話は聞いてみたいこと。
日本語でやり取りできることを確認したいこと。
そして、制作する曲の内容や条件について説明してほしいこと。
そうした内容を送った。
返事が来るまでの間、俺は公開されている【灰冠のアルカディア】の映像を見てみることにした。
〓〓〓
【灰冠のアルカディア】は、広い世界を冒険するアクションRPGだった。
紹介映像では、プレイヤーが操作するキャラクターたちが、剣や魔法のような攻撃を使って大きな敵と戦っている。
背景には森や街、古い建物のような場所があり、戦う場所によって音楽も変わっていた。
俺は最初、映像より音を中心に聞いていた。
戦闘が始まると、音楽の速度が上がる。
低い音が増え、打楽器が動きを支える。場面が変わるところでは、旋律を残したまま響きを切り替える工夫もされていた。
ゲームなので、映画と違ってプレイヤーがいつ何をするか分からない。
敵をすぐに倒す人もいれば、長く戦う人もいるはずだ。
それでも音楽が途中でおかしくならないように作られている。
なるほど。
そういうところは、普通に曲を作る時と少し違いそうだった。
公開されていた映像をいくつか見てから、今度はゲームの世界設定を確認する。
この世界では、周期的に魔女や魔人と呼ばれる災厄が現れるらしい。
それぞれ異なる能力を持っていて、人間の住む場所に大きな被害を与えることがある。
プレイヤーたちは、その災厄に立ち向かう側だという。
紹介されている敵の中には、巨大な獣のようなものもいれば、人間に近い姿のものもいた。
音楽も敵によって違う。
重い打楽器を中心にしたもの。
不規則な音で落ち着かなくするもの。
旋律がほとんどなく、低い響きを重ねているもの。
それぞれ、敵の動きや見た目に合っていた。
ただ、アリアについては、まだ詳しい情報が公開されていなかった。
追加アップデートの内容だから当然か。
俺は公開映像を閉じ、返信を確認した。
メールが届いている。
こちらが日本語での対応を希望していることについては問題ないらしい。
打ち合わせも契約上の連絡も、日本語対応チームが窓口になると書かれていた。
それなら困らない。
詳しい話をするため、数日後にオンラインで打ち合わせを行うことになった。
それまでに何か準備する必要があるかと聞くと、特にないという。
今回の依頼内容を説明し、こちらの希望も確認したいそうだ。
俺は予定に登録して、その日はまた音楽室へ戻った。
歌で意識を奪う魔女。
さっきから、少し気になっている。
歌というのは、そもそも人間の注意を引きやすい音だ。
言葉が分からなくても、声の高さや強弱、呼吸の変化だけで、聞いている人の意識が向くことはある。
もちろん、それだけで本当に意識を奪えるわけではない。
でも、音楽の中で、次に何が来るのか気になって仕方がない状態を作ることはできる。
一つの旋律が終わりそうで終わらない。
別の音が入り、今度こそ収まると思ったところで、違う方向へ進む。
そういうことを考えているうちに、ピアノへ手が伸びた。
適当に数音弾いてみる。
すぐに別の音が続いた。
ただ、何となく面白いだけでは、依頼された曲にはならないだろう。
ゲームの中で何が起きるのか分からないままでは、まだ決められないことも多い。
俺はそこで考えるのをやめ、別の音を弾き始めた。
〓〓〓
打ち合わせの日、指定された時間にパソコンを起動した。
画面には日本語対応チームの担当者と、ゲーム制作側の担当者が映っている。
全員、日本語で話してくれた。
「本日はお時間をいただき、ありがとうございます」
最初に話した人が挨拶した。
「こちらこそ」
「早速ですが、今回ご相談したい楽曲についてご説明させてください」
「はい」
画面共有が始まる。
表示されたのは、【灰冠のアルカディア】の作品紹介資料だった。
公開映像で見たことがある世界地図や、ゲーム内の風景が並んでいる。
「弊社の作品は、広大なファンタジー世界を舞台としたアクションRPGです。プレイヤーは複数のキャラクターを操作し、さまざまな地域を探索しながら、災厄と呼ばれる存在と戦います」
担当者が説明する。
俺は画面を見ながら聞いていた。
ゲームの仕組みは、公開映像を見た時に大体理解している。
ただ、実際のゲームでは戦闘がどのくらい続くのか、音楽がどう切り替わるのかなど、まだ知らないことは多かった。
「今回お願いしたいのは、次の大型アップデートに登場する重要ボスの専用戦闘曲です」
画面が切り替わった。
文字が表示される。
【独唱の魔女 アリア】
「このキャラクターは、歌と音によって人間の注意や意識を奪う能力を持っています」
「意識を奪うって、どういう感じですか?」
思っていたことを聞く。
担当者は少し説明を止めた。
「物語上では、アリアの歌を聞いた人間は、その歌から意識を離すことが難しくなります。抵抗できなければ、周囲の状況を認識することすらできなくなる、という設定です」
「眠るわけじゃないんですね」
「必ずしもそうではありません。目は開いていても、アリアの歌以外へ注意を向けられなくなる場合があります」
「へえ」
それは少し面白い。
「じゃあ、歌を聞いている間は、他の音が聞こえなくなるんですか?」
「物語上は、そのように描写される場面もあります。ただ、実際のゲームでプレイヤーの操作を妨げるほど音声を加工するわけではありません」
「そっか」
ゲームとして遊べなくなったら困るだろう。
「戦闘ではどうなるんですか?」
別の担当者が説明を引き継いだ。
「アリアは歌や音を利用して攻撃を行います。通常のボス戦と同じく、プレイヤーには敵の動きを見て対応してもらう必要がありますが、戦闘全体を通して、彼女の歌が強く印象に残るようにしたいと考えています」
「音楽も攻撃の一部みたいな感じ?」
「演出としては、かなり近いです」
なるほど。
だんだん分かってきた。
「歌ってるのはアリア本人ですか?」
「はい。設定上は、アリア自身が歌っています」
「独唱って書いてありますもんね」
「そうですね」
担当者が少し笑った。
「ただし、戦闘曲全体を完全な独唱にするかどうかについては、まだ決めていません。音楽的な表現は、鳴海さんにもご提案いただきたいと考えています」
「分かりました」
それなら、作り方はいろいろありそうだ。
「今回、鳴海さんへお願いしたいと思った理由についても、ご説明してよろしいでしょうか」
「はい」
担当者は資料を切り替えた。
今度は俺の動画が並んでいる。
《青瀬》のほか、ピアノやギターの動画、歌っている動画もあった。
「弊社のサウンド制作チームでは、アリアの戦闘曲について検討を重ねてきました。その中で、通常のボーカル曲とは違うアプローチが必要ではないか、という意見が出ています」
「違うアプローチ?」
「歌が中心でありながら、単純に歌を前面へ出すだけではない音楽です。プレイヤーが戦闘へ集中するための音楽であると同時に、アリアという存在そのものを表現できるものを求めています」
「難しそうですね」
「はい。簡単な依頼ではないと思っています」
「でも、面白そう」
担当者の表情が少し変わった。
「そう思っていただけますか」
「うん。歌が中心なのに、歌だけにすればいいわけじゃないんですよね?」
「その通りです」
「それなら、いろいろできそうです」
俺がそう言うと、担当者たちは互いに少し顔を見合わせた。
「《青瀬》を拝見した時にも感じたのですが、鳴海さんは非常に多くの楽器を扱えますよね」
「はい」
「また、歌唱についても、楽曲によってかなり声の印象が変わっています」
「欲しい音に合わせて歌ってるので」
「その表現力にも期待しています。アリアは、人間の歌声に近いものを持ちながら、人間とは異なる存在です。普通の歌手による歌唱だけでは表現しきれない部分があると考えています」
「なるほど」
普通の人間とは違う歌声。
でも、人間の言葉や感情に近いものも持っている。
どういう音になるんだろう。
今度はキャラクターそのものに興味が出てきた。
「アリアの絵とか、動いてるところは見られますか?」
「はい。正式に制作をご依頼する場合には、キャラクターデザインや設定資料、開発中の戦闘映像などをご共有する予定です」
「そうなんですね」
「現在は未公開の情報も含まれるため、取り扱いについては契約上の確認が必要になります」
「分かりました」
まだ見られないなら仕方ない。
ただ、説明だけでも面白そうなのは分かった。
今度は俺から、いくつか質問することにした。
「ボス戦って、途中で音楽変わります?」
「戦闘の進行に合わせた演出を予定しています」
「曲を全部流し終わるまで、戦闘が続くわけじゃないですよね」
「はい。プレイヤーによって戦闘時間は異なります」
「じゃあ、途中で終わったり、長く続いたりするんだ」
「その通りです」
「音楽はどうやって切り替える予定ですか?」
担当者が少し身を乗り出した。
「そこも、まさにご相談したい部分です。ゲーム側の仕組みに合わせて、複数の区間を使い分ける形になると考えています」
「なら、その動きも見たいです」
「戦闘映像でしょうか」
「はい。どのタイミングで何が起こるか分からないと、音も決めにくいので」
担当者が頷いた。
「承知しました。開発チームと調整して、必要な情報をご用意します」
その後も、ゲームについていくつか聞いた。
どんな場所で戦うのか。
プレイヤーはどのくらい動き回るのか。
アリアは戦闘中に何をするのか。
歌以外に、どんな音が鳴るのか。
全部の答えがその場で出たわけではない。
まだ制作中で、細かい部分が確定していないところもあるらしい。
それでも、何を作りたいのかはだんだん分かってきた。
俺が曲を作る時は、音そのものが面白ければ大体それでいい。
でも、今回はゲームの中で使われる曲だ。
映像もあるし、キャラクターの動きもある。
プレイヤーが操作することで、同じ場面でも毎回違う時間の流れになる。
その中で、アリアという存在に合う音楽を作る。
普段とは少し違う遊び方ができそうだった。
〓〓〓
説明が一通り終わったところで、担当者が尋ねた。
「ここまでお聞きいただいて、いかがでしょうか」
「面白そうです」
「ありがとうございます」
「特にアリアの設定がいいですね」
「そうですか」
「歌で人の意識を奪うんですよね。それを音楽でどう表現するか考えるのは、面白そうです」
担当者は嬉しそうに頷いた。
「我々としても、そこを最も大切にしたいと考えています」
「だったら、やってみたいです」
画面の向こうで、少し間が空いた。
「ぜひお願いしたいのですが……お引き受けいただけるということでしょうか」
「条件が合えば」
そう答える。
父さんにも、先に条件を確認しろと言われていた。
今回の話は面白いけれど、何でも好きに作っていいわけではない。
必要な期限や、どういう形で納品するのかによっては、できることも変わってくる。
「もちろんです。正式な契約に関しましては、制作条件を整理した上で、改めてご相談させてください」
「はい」
「大学へ通われていると伺っていますが、制作期間についても確認させていただければと思います」
「授業はありますけど、空いてる時間はあるので」
「承知しました。具体的なスケジュールは、資料をお送りした上で調整させてください」
「分かりました」
担当者は続けて、今後の流れを説明した。
まず今回の打ち合わせ内容を社内で共有し、必要な資料と制作条件を整理する。
その後、報酬や納期、楽曲の使用範囲、権利関係などを含む契約内容を提示する。
双方が内容に合意できれば、正式に制作を開始することになるらしい。
普通の仕事の進め方だった。
俺としても、何を作るのか決まる前に曲を書き始めるつもりはない。
「最後に、何かご質問はございますか」
「アリアって、歌以外にも普通に喋ります?」
担当者が少し驚いた顔をした。
「はい。会話する場面もあります」
「その声も聞けますか?」
「キャラクターボイスでしょうか」
「うん。歌う時と喋る時で、どう違うのか知りたいので」
担当者は少し考え、隣の人へ確認した。
「開発中の音声資料になりますが、共有できるものがあるか確認いたします」
「お願いします」
「ほかにはございますか」
「今のところ大丈夫です」
「ありがとうございます。それでは、資料の準備ができましたら改めてご連絡いたします」
「はい。よろしくお願いします」
挨拶を交わして、通話を終了する。
画面が元に戻った。
「面白そうだな」
つい声に出た。
大学へ入ってからは、いろいろな作曲家や学生の音楽を聞く機会が増えた。
でも、ゲームのために曲を作るのは、それとはまた違う。
他の誰かが用意した世界に、俺の音を入れることになる。
しかも、今回はその世界の中に、歌で人の意識を奪う魔女がいるらしい。
どんな声なんだろう。
まだキャラクターの詳しい姿も動きも知らないので、今すぐ何かを決めることはできない。
それでも、少し試したくなった。
俺は音楽室へ移動し、ピアノの前に座った。
歌に聞こえるような短い旋律を弾いてみる。
最後の音を少し長く伸ばす。
普通ならそこで終わるところを、別の音へつなげてみた。
すると、続きが欲しくなる。
もう一度弾く。
今度は終わりそうなところで、少しだけ音を変えた。
それでも続きが欲しくなる。
面白い。
ただ、これだけではアリアの曲とは言えない。
何も知らないまま、勝手に作っているだけだ。
「まあ、今はこれでいいか」
俺は別の旋律を重ねて、しばらく遊んだ。
正式に依頼を受けることになったら、ゲームに合わせた曲を考えればいい。
今はまだ仕事じゃない。
ただ、思いついた音を鳴らしているだけだった。
その日の夜、Starward Interactiveから新しいメールが届いた。
打ち合わせのお礼と、今後の進め方についての確認だった。
こちらが制作に前向きであることを社内へ伝え、詳しい資料と契約条件をまとめて送ると書かれている。
俺は内容を読んで、必要な返事をした。
それから父さんへも、簡単に連絡する。
『ゲーム会社と話した。面白そうだから、条件が合えばやる』
少しして返事が来た。
『契約書が来たら内容を確認しろ』
『分かった』
いつもどおりだった。
俺はメールを閉じ、音楽室へ戻る。
ピアノの上には、さっき遊んでいた時の音がまだ頭の中に残っていた。
一度弾いた音は覚えている。
でも、あれをそのまま使うかどうかは分からない。
アリアの姿を見て、声を聞いて、動いているところを見れば、きっと別の音も思いつく。
そっちの方が面白いかもしれない。
俺は鍵盤に指を置き、さっきとはまったく違う音を鳴らした。
今度は少し低い音だった。
その響きが気に入ったので、続きを弾いてみる。
正式な資料が届くまでは、まだ時間がある。
だったら、今は好きな音で遊んでいればいい。




