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鳴海楽は努力しない  作者: 悪癖


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42/56

第42話 受験には形式がある

灰崎さんから届いた資料を開いたのは、その日の夜だった。


入試要項。


過去問。


受験までに確認しておくもの。


最初に要項を見る。


出願する時期、必要な書類、試験の日程。読んでいけば、音楽とは関係ないところにも決まりが多い。


「面倒だな」


大学へ入りたいなら必要なのだから仕方ない。


父さんにも日程を見せる。


「ここまでにこれ出すんだって」


「なら忘れるな」


「うん」


「高校から必要な書類もあるだろ」


見る。


あった。


「あるね」


「学校にも早めに確認しろ」


「分かった」


その程度なら、普通の受験と同じだった。


問題は過去問の方だった。




一つ開く。


読む。


途中までは分かる。


音も分かる。


譜面も読める。


何を聞きたいのかも、たぶん分かる。


でも、答え方が分からなかった。


「これ、何て書けばいいんだ?」


問題文をもう一度読む。


知らない言葉がある。


前に灰崎さんが話していたものもあれば、初めて見るものもある。


意味が分からないままでは答えられないので、調べる。


説明を読む。


「ああ、これか」


名前を知る。


もう一度問題を見る。


今度は分かる。


次。


また知らない言葉。


調べる。


分かる。


「名前多いな」


やっていること自体は知っている。


二つの声部をこう動かした時にどう聞こえるか。


ある音から次へ進めば何が変わるか。


同じ音を別の楽器へ渡せば、どんな違いが出るか。


それは曲を作る時に普通に使っている。


ただ、その関係にいちいち名前が付いていた。


しかも試験では、その名前を知っている前提で聞かれる。


音だけ分かっていても、問題文の意味を取り違えれば終わる。


「なるほど」


灰崎さんが言っていたのは、これだった。




翌日、学校へ行く。


授業はいつも通り受けた。


休み時間、机の上で入試要項を見ていると、陽太が寄ってくる。


「何見てんの?」


「大学のやつ」


「藝大?」


「うん」


陽太が横から画面を覗く。


「本当に受けるんだな」


「受けるよ」


「勉強してる?」


「今してる」


「お前が?」


「失礼じゃない?」


「いや、お前が家で受験勉強してるところ想像できなくて」


「俺もあんまりしてないよ」


「どっちだよ」


画面を見せる。


「こういう名前覚えてる」


陽太が数秒見てから顔をしかめた。


「全然分かんない」


「音なら分かる」


「またそれ?」


「でも名前で聞かれるから、名前も覚えないとだめみたい」


陽太が椅子を引いて座る。


「それ、勉強じゃん」


「そうだね」


「珍しいな」


「必要だから」


「それでどのくらいかかりそう?」


「そんなに」


「もう分かってんの?」


「名前付けてるだけだから」


陽太が嫌そうな顔をした。


「受験生にそれ言うなよ」


「陽太には関係ないでしょ」


「聞いた俺が悪かった」


予鈴が鳴る。


俺は画面を閉じた。


授業が始まるなら、そっちを聞けばいい。




 




 




〓〓〓




 




 




数日後、灰崎さんともう一度話した。


画面がつながると、向こうはすぐに聞いてきた。


「見たか」


「見ました」


「分からないところは」


「いっぱいありました」


灰崎さんの眉が動く。


「内容がか」


「名前が」


「……そうか」


「あと、答え方」


「そこだ」


灰崎さんが資料を開く。


「鳴海。これは入試だ。お前が頭の中で正しい音を出せるかだけを見る試験ではない」


「はい」


「問題を読み、何を要求されているか理解し、その形式で答える必要がある」


「そこは分かりました」


「本当に?」


「昨日やったので」


「ではこれを見ろ」


過去問の一部が表示された。


「答えてみろ」


問題を読む。


前なら意味を調べないと分からなかった言葉がある。


今は分かる。


少し考える。


「ここはこうです」


「理由は」


説明する。


灰崎さんが途中で止める。


「その言い方ではなく、名称で答えろ」


「ああ」


言い直す。


「そうだ」


次。


今度は譜面。


見る。


音はすぐ分かる。


「これ」


答える。


「違う」


「音は合ってますよ」


「音の話はしていない。設問を読め」


もう一度読む。


要求されているものを見る。


「あ、こっちか」


書き方を変える。


「そうだ」


「面倒ですね」


「試験だからな」


「音合ってるのに」


「採点する側は、お前の頭の中を採点できん」


それはそうだった。


「じゃあ、この形で書けばいいんですね」


「そうだ。少なくともその問題ではな」


次。


次。


何問か続く。


最初に見た時よりずっと簡単だった。


知らない単語が減っている。


問題が何を聞いているのか分かれば、中身そのものは困らない。


灰崎さんも途中から説明を減らした。


「鳴海」


「はい」


「これは?」


答える。


「ではこれは」


答える。


「これは」


「その言葉、まだ分かりません」


灰崎さんが説明する。


具体的な音の例になる。


「ああ、それですか」


「使ったことは」


「あります」


「どこで」


少し考える。


《青瀬》にもある。


前の曲にもある。


「たぶん何曲か」


「たぶん?」


「名前知らなかったので、そういう分類で覚えてないです」


灰崎さんは黙った。


「お前は、今まで自分の曲をどう整理していた」


「音で」


「そうだったな」


少し疲れた声だった。


でも嫌がってはいない。


むしろ前より質問が早くなっている。


「では、これは何だ」


また別の言葉。


説明を聞く。


「それなら分かります」


「名称を覚えろ」


「はい」


「次」


そんなやり取りがしばらく続いた。




途中で、一つ気づく。


「これ、結構同じもの多いですね」


「何がだ」


「名前違うけど、音としては近いやつ」


「分類上は分ける必要がある」


「試験では?」


「分けろ」


「じゃあ覚えます」


灰崎さんがこっちを見る。


「不満そうだな」


「覚える意味が試験以外にまだ分からないので」


「他人と話す時には便利だ」


「それは分かります」


 前に灰崎さんと話した時も、名前が分からないせいで何度か説明してもらった。


自分一人で作るだけなら要らなくても、他人と話すなら共通の名前があった方が早い。


「じゃあ、大学では使いそうですね」


「当然だ」


「なら覚えてもいいか」


「入試のためではなかったのか」


「それもあります」


「お前は必要性が見えると急に素直だな」


「いらないこと覚えるの面倒なので」


「そういうところは一貫しているな」


褒められた感じではなかった。


でも怒ってもいなかった。




話の最後に、灰崎さんが聞いた。


「過去問は他の年度も見たか」


「見ました」


「傾向は」


「似てます」


「手続きは」


「父さんと確認しました」


「出願書類」


「学校にも聞きました」


「当日の流れは」


「要項に書いてある分は」


「それでいい」


灰崎さんが一度頷く。


「では、残りは分からない名称を潰せ」


「全部ですか?」


「入試で出る範囲はな」


「分かりました」


「長くはかからないだろう」


「たぶん」


「そこは否定しないんだな」


「もう結構分かったので」


灰崎さんは少し笑った。


「ならいい」


通話が終わる。


画面にはまだ過去問が開いたままだった。




 




 




〓〓〓




 




 




それからしばらく、空いた時間に必要なものだけ確認した。


学校の課題を早く終えた後。


家へ帰ってから少し。


動画を上げる前。


音で遊ぶ気分ではない時。


長時間ずっと机に向かう必要はなかった。


知らない言葉を見つける。


意味を確認する。


知っている音と対応させる。


終わり。


次。


一度対応すれば、後は困らなかった。


「これが前のあれか」


というものが増えていく。


今まで自分の中で音としてしか分けていなかったものに、外で使われている名前が付く。


名前を知ったから、音が変わるわけではない。


《青瀬》が別の曲になるわけでもない。


作れるものが急に増えるわけでもない。


ただ、人に説明する時と、問題文を読む時は楽になった。




過去問も何年分か見る。


最初は問題文の意味を確認するところで止まった。


二回目はほとんど止まらない。


別の年度でも、知らない形式があれば調べる。


一度知れば終わる。


音楽そのものより、何をどこへ書くのか、どの言葉で答えるのか、その方が気を使った。


「やっぱり形式だな」


父さんが近くを通ったので言う。


「何が」


「試験」


「そう言ってただろ」


「音楽だけなら別に困らない」


「それを試験で伝えるための形式なんだろ」


「そうみたい」


父さんは俺の画面を見る。


「日程は」


「覚えてる」


「書類」


「これ」


「受験料」


「払う」


「ならいい」


父さんはそれ以上確認しなかった。




翌日、陽太に聞かれる。


「受験勉強どう?」


「だいたい終わった」


「は?」


「必要なのは」


「早くない?」


「知らない名前そんなになかったし」


「この前いっぱいあるって言ってなかった?」


「いっぱいあったけど、意味聞いたら知ってた」


陽太が黙る。


「それずるくない?」


「何が?」


「普通、名前覚える時に中身も覚えるんだよ」


「俺、中身は知ってるから」


「だからそれがずるいんだって」


「でも試験の書き方は知らなかったよ」


「慰めになってない」


陽太は少し笑った。


「受かりそう?」


「受けてないから分かんない」


「珍しく普通の答えだな」


「試験当日に何が出るか知らないし」


「でも大丈夫そうなんだろ?」


考える。


過去問。


形式。


名前。


手続き。


知らなかったものは、一通り確認した。


「たぶん」


「じゃあいいじゃん」


「うん」


陽太はそこで別の話を始めた。


俺も普通にそっちへ移る。


受験の話を一日中する必要はない。




最後に灰崎さんへ、もう一度過去問を見てもらった。


今度は説明されることがほとんどない。


問題を読む。


必要な形で答える。


次。


答える。


灰崎さんが途中で何度か質問を変えた。


書いてある問題とは少し違う聞き方をする。


それでも中身が同じなら分かる。


「では、この名称は」


答える。


「意味は」


音として説明する。


「逆だな」


「何がですか?」


「普通は名称を覚えて、意味を説明させる」


「俺も今名前覚えましたよ」


「意味の方が何年も先にある」


「そうですね」


灰崎さんは手元の資料を閉じた。


「もういい」


「終わり?」


「今の範囲ならな」


「じゃあ受ければいいですか?」


「その前に正式な出願をしろ」


「あ」


「そういうところだ、鳴海」


忘れていたわけではない。


ただ、音楽の確認が終わったので、そっちも全部終わった気になっただけだ。


「父さんとやります」


「必ずやれ」


「はい」


「受験票も確認しろ」


「はい」


「当日の時間と場所も」


「分かりました」


「楽器を弾ければ大学へ入れるわけではない」


「作曲科ですよね?」


「そういう意味ではない」


灰崎さんが少し呆れた顔になる。


「お前は、音楽以外で落ちる方が現実的だ」


「それは嫌ですね」


「なら確認しろ」


「します」


通話が終わった。




その夜、父さんと必要な手続きを一つずつ確認した。


書類。


期限。


提出。


当日の予定。


終わったものへ印を付ける。


「これでいい?」


「現時点ではな」


「じゃあ終わり」


「まだ受験が残ってる」


「準備が」


「そうだな」


俺は一覧を閉じた。


入試のために新しく曲が作れるようになったわけではない。


新しい音が聞こえるようになったわけでもない。


ただ、今まで知っていたものに名前が増えた。


それから、試験でどう答えればいいかが分かった。


必要だったのは、それだけだった。


あとは普通に受ければいい。

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