第40話 何をやってるんだこいつ
翌朝、スマートフォンを見ると通知が増えていた。
多い。
普段も動画を出した翌日はそれなりに来るけれど、今回は画面を動かしても終わらない。
《青瀬》のコメント。
登録。
共有。
知らないところからの反応。
寝ている間にもずっと増えていたらしい。
一番上に陽太からのメッセージがあった。
『起きたら見ろ』
その下。
『お前の青瀬やばい』
さらに下。
『海外まで行ってる』
「海外?」
動画を開く。
再生数は昨日の夜とはかなり違っていた。
正確に覚えていないから、何倍になったのかまでは分からない。ただ、増え方がいつもの動画と違うことくらいは分かる。
コメントも多い。
最初に目につくのは、一人で全部演奏していることについてだった。
『最初ピアノの人だと思ってたんだけど』
『何種類やってるの?』
『途中から楽器が増えるたびに笑えてくる』
『これ全パート本人ってどういう意味?』
『弦の人数まで一人で重ねてるの?』
『高校生って書いてあるんだけど本当?』
その間に、少し違うものも混ざっている。
『ホルン普通にうまくない?』
『オーボエ、始めたばかりの音じゃない』
『専門じゃない楽器をこの水準で録音に使えるの意味分からん』
『ヴァイオリン何テイクあるんだこれ』
そこまでは日本語だった。
下へ行くと、英語が増える。
全部を細かく読む気はないけれど、学校で習った範囲と知っている単語で、大まかな意味は分かる。
一人。
高校生。
全部演奏。
信じられない。
そういう言葉が多い。
別の言語もあった。
そっちは分からない。
「まあ、見られてるならいいか」
画面を閉じる。
学校へ行く時間だった。
教室へ入った瞬間、何人かがこっちを見た。
普段から動画を見ている人はいるので、そこまでは珍しくない。
でも今日は早かった。
「鳴海!」
鞄を置く前に呼ばれる。
「何?」
「昨日のやつ、何なんだよ」
「《青瀬》?」
「それ」
「曲だけど」
「そこじゃない」
男子がスマートフォンを見せてくる。
画面には俺がハープを弾いているところが映っていた。
次の瞬間、ホルン。
その次はヴァイオリン。
「これ全部お前なんだよな?」
「うん」
「マジで?」
「説明に書いたよ」
「書いてあるから聞いてんだよ」
近くにいた女子が笑う。
「私、途中まで何人か手伝ってると思ってた」
「一人でやるって決めたから」
「なんで?」
「一人で全部やったらどうなるか気になった」
「それで半年やる?」
「できるまでにそれくらいかかった」
「鳴海のその感覚、たまに分かんない」
別の席から声が飛んでくる。
「海外の人も動画出してるぞ」
「俺の?」
「《青瀬》見ながら解説してるやつ」
「へえ」
「へえ、じゃないだろ」
「何て言ってるの?」
「英語だから全部は分かんない」
「俺も全部は分かんないよ」
「本人がそれでいいのかよ」
別に困っていない。
動画は出せている。
聞きたい人は聞ける。
必要なら後で確認すればいい。
そこへ陽太が教室へ入ってきた。
俺を見る。
そのままこっちへ来る。
「楽」
「おはよう」
「見た?」
「何を?」
「数字」
「ちょっと」
「ちょっとって」
陽太が自分のスマートフォンを出した。
「昨日から増え方おかしいぞ」
「そうだね」
「他人事みたいに言うなよ」
「俺の動画なのは分かってるよ」
「じゃあもうちょい驚け」
「増えてるなとは思った」
陽太が息を吐く。
それから周りを見て、少し声を落とした。
「海外の音楽家が何人も取り上げてる」
「さっき聞いた」
「楽器の人たち、そこばっか見てるぞ。フルートの人はフルート見て、金管の人は金管見てる」
「そうなんだ」
「しかも曲の話してる人もいる」
そっちは少し気になった。
「何て?」
「俺に聞くなよ。なんか構成がどうとか、オーケストレーションがどうとか」
「オーケストレーション?」
「知らん。英語の動画に字幕付いてた」
たぶん楽器の組み合わせ方か何かだと思う。
俺が曲を書く時には、欲しい音を置いただけだった。
陽太が続ける。
「コメントでも、演奏より曲の方がおかしいって言ってる人いるぞ」
「曲?」
「そう」
「普通に作ったけど」
「それを言うなって」
予鈴が鳴った。
先生が来る。
話は終わる。
授業が始まれば、昨日までと同じだった。
黒板を見る。
説明を聞く。
課題をやる。
《青瀬》がどこまで広がっていても、授業の内容は変わらない。
〓〓〓
放課後、陽太と帰りながら動画を見せてもらった。
海外の演奏家らしい人が、《青瀬》を途中で止めながら話している。
言葉は全部分からない。
ただ、楽器名は聞き取れる。
フルート。
オーボエ。
ホルン。
ヴァイオリン。
画面の端には《青瀬》の映像が出ていた。
俺が演奏している。
その人は何度か巻き戻して、特定の場所を聞き直していた。
「ここ」
陽太が字幕を指す。
『専門奏者として完成しているとは言わない。しかし、これは初心者が偶然出した音ではない』
「だって」
「そうだね」
「反応薄いなあ」
「トランペットとか前からやってたし」
「全部はやってなかっただろ」
「今回やったよ」
「知ってるよ」
次の動画。
今度は弦楽器を弾く人らしい。
同じヴァイオリンのテイクを切り替えて見ている。
『同一人物が複数奏者分を演奏しているのに、単純な複製になっていない』
字幕が出る。
さらに、
『弓の入り方、音の立ち上がり、フレーズ内部の重心を少しずつ変えている』
と続いた。
「ちゃんと見てるね」
俺が言うと、陽太がこっちを見る。
「そこは嬉しいんだ?」
「分かる人が分かってるのは面白いでしょ」
再生数そのものより、こっちの方が少し面白かった。
俺が何度も同じパートを弾いた理由を、映像だけで見つけている。
「こっちは作曲家らしい」
陽太が次を出す。
日本語の動画だった。
年齢は父さんより上に見える。
《青瀬》の中間部を流している。
画面には譜面らしいものも出ていた。
「譜面出してないよね?」
「耳で取ったんじゃね?」
全部ではない。
一部の音だけを拾って表示しているようだった。
動画の中の人が言う。
「一人で全パートを演奏したという時点で十分異常なんですが、作曲をやっている側からすると、問題はそこではありません」
陽太が俺を見る。
「問題って言われてるぞ」
「聞けば?」
続ける。
「この曲、二十分近くあるのに、分かりやすい主題一つで押し切っていない。複数の短い素材が同時に動いて、別の声部へ移って、役割を変えながら全体を作っています」
画面の譜面が動く。
「しかも楽器を増やして豪華にしただけではない。音が多いところほど、どの帯域に何を置くか整理されている。各楽器の性質も分かった上で書かれている」
少し止まる。
「これを書いたのが本当に高校生で、しかも専門的な作曲教育を受けていないという情報が正しいなら、そちらの方がよほど理解しにくい」
動画が続く。
陽太が黙っている。
俺も見る。
「だって」
「うん」
「お前、作曲の勉強してないよな?」
「学校の音楽くらい」
「だよな」
「ピアノの時に楽譜の書き方とかは習ったけど」
「いや、それでこれ作るなよ」
「できたから」
「その返し禁止にできない?」
「なんで?」
陽太が笑った。
ちょうど駅が見えてきた。
それ以上動画を見る必要もなかった。
家へ帰ると、父さんから呼ばれた。
「楽」
「何?」
「メール見ろ」
「どれ?」
「活動用の方だ」
部屋で開く。
増えている。
普段来る視聴者からのものだけではなかった。
件名に英語が混じっている。
学校らしい名称。
音楽。
大学。
プログラム。
いくつか開く。
長い。
「面倒」
「読め」
父さんが言う。
「全部英語なんだけど」
「必要なら翻訳しろ」
「それも面倒」
「なら俺が概要だけ見る。返事は勝手にするな」
「うん」
以前も言われたことだった。
分からない条件へそのまま同意しない。
相手を確認する。
必要なら父さんに見せる。
何通か一緒に確認する。
《青瀬》を見た。
音楽を学ばないか。
プログラムについて話したい。
入学や奨学制度について案内したい。
表現は違うけれど、大体そんな内容だった。
「大学?」
「大学だけじゃない。音楽教育機関もあるな」
父さんが画面を見る。
「興味あるか?」
「条件はちょっと面白い」
授業内容。
設備。
使えるスタジオ。
楽器。
そこは見る。
大きな施設や、珍しい楽器が使えるところもある。
「ここ、楽器多いね」
「そこか」
「他に何見るの?」
「普通は教育内容と進路だろ」
「それも見るよ」
いくつか読む。
悪くはなさそうだった。
ただ、場所を見る。
海外。
当然、日本語が普通に通じるところではない。
「ずっと英語?」
「授業はそういうところが多いだろうな。国によっては生活では別の言語もある」
「面倒だな」
父さんがこっちを見る。
「行くなら勉強すればいい」
「できると思うけど、何年もそれやるの?」
「そうなる」
「じゃあいい」
「早いな」
「日本語でいいところあるでしょ」
英語そのものが嫌いなわけではない。
必要なら読む。
必要なら覚える。
でも、毎日ずっと言葉を一段変換して生活する必要があるなら、それだけ余計なことが増える。
音を出すために、わざわざ生活全体を面倒にする理由がなかった。
「断るのか?」
「全部見てからでいいよ。でも海外に何年も住むのはいいかな」
「分かった。返答が必要なものだけ後で整理する」
「ありがとう」
父さんは画面を閉じかけて、もう一度俺を見る。
「かなり広がったな」
「そうみたい」
「どうする」
「何を?」
「次」
考える。
別に決めていない。
《青瀬》は終わった。
今すぐもう一曲オーケストラを作りたいわけでもない。
「暇になったら何かやる」
父さんは少しだけ笑った。
「そうか」
それで終わった。
〓〓〓
私は最初、その動画を最後まで見るつもりはなかった。
知人から送られてきた時の文面も、そういう内容だった。
『高校生が一人でフルオーケストラをやっている。暇な時に見てください』
珍しい。
確かに珍しい。
ただ、それだけなら世の中にはいくらでもいる。
複数の楽器を演奏する人間はいるし、録音技術を使って一人で合奏を作る試み自体も新しくはない。
だから最初は、技術的な余興だと思った。
動画を開く。
タイトルは、
管弦楽曲《青瀬》。
説明を見る。
作曲、演奏、録音。
すべて同じ名前。
鳴海楽。
高校生。
「ずいぶんやったものだな」
再生する。
静かな弦から始まった。
数十秒。
木管が入る。
私は手を止めた。
そのまま聞く。
一分。
二分。
画面では同じ少年が違う楽器を演奏している。
だが、映像はどうでもよくなった。
「……待て」
少し戻す。
もう一度聞く。
短い音型。
別の声部。
受け渡し。
同じものを単純に反復していない。
役割が変わっている。
さらに進める。
音が増える。
普通なら雑然としやすい。
だが整理されている。
ただ整理されているだけでもない。
どの声部も独立している。
一つを止めれば、その部分だけ意味が変わる。
飾りとして置いた音ではない。
私は最初から再生し直した。
今度は映像ではなく、曲だけを聞く。
静かな始まり。
少しずつ増える活動。
複数の流れが同時に存在する。
中間部。
密度が高い。
それでも潰れない。
木管が持っていた形が、別の場所で変わって戻る。
低弦。
金管。
また木管。
「誰に習った?」
当然、動画は答えない。
説明欄を見る。
情報が少ない。
鳴海楽。
名前を検索する。
動画が出る。
多い。
ピアノ。
ギター。
歌。
電子音。
即興。
よく分からない日常音。
ジャンルが揃っていない。
「何だこれは」
古い順に開く。
ピアノ。
上手い。
それはすぐ分かる。
次。
ダンス動画用の曲。
また次。
歌。
声まで本人。
さらに別の楽器。
どれも投稿の体裁は妙に簡素だった。
タイトルも雑なものが多い。
だが音楽は雑ではない。
《青瀬》へ戻る。
高校生。
この年齢で、この編成を扱う。
それだけなら、早熟な作曲家として理解できなくもない。
問題は、書き方だった。
何かを覚えて、それらしく配置した感じがない。
必要な音が先にあって、その結果として管弦楽の形になっている。
少なくとも私にはそう聞こえる。
もし正式に管弦楽法を学んでいるなら、相当な水準だ。
学んでいないなら、もっとおかしい。
プロフィールを探す。
専門の音楽高校ではない。
少なくとも公開されている経歴からは、現在どこかの音楽大学に所属しているわけでもない。
高校生なのだから当然だ。
過去にはピアノコンクールの記録がある。
しかし、それも小学生時代で途切れている。
その後は動画。
「何をやってるんだ、こいつ」
気づけば声に出していた。
もう一度《青瀬》の中間部を再生する。
演奏技術の話ではない。
一人で全楽器を演奏したことでもない。
そんなものは、この作品の入口にすぎない。
知りたいのは一つだった。
この少年は、どうやってこれを書いた。
私は動画を止める。
鳴海楽の名前をもう一度確認した。
それから、公開されている過去作品を最初から調べ始めた。




