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鳴海楽は努力しない  作者: 悪癖


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35/56

第35話 いつもの動画

放課後、教室に残っていたのは数人だけだった。


俺は自分の席でスマートフォンを見ていた。


画面には、昨日投稿した動画が出ている。


ピアノを弾いただけの動画だった。


曲名も付けていない。


タイトルは「放課後」。


説明もない。


映像は、鍵盤と手が映っているだけだった。


「楽、それ昨日のやつ?」


前の席から陽太が振り返る。


「うん」


「もう上げたんだ」


「昨日」


「編集した?」


「最初と最後切った」


「それだけ?」


「それだけ」


陽太が少し呆れた顔をする。


「相変わらずだな」


「何が?」


「動画」


画面を見る。


特に変なところはない。


スマートフォンを固定して、弾いて、終わったら止めた。


最初に椅子へ座るところと、最後に立つところだけ切った。


「普通じゃない?」


「今のお前の規模で、それを普通って言うのもどうなんだよ」


「見たいの音でしょ」


「まあ、そうなんだけどさ」


陽太が自分のスマートフォンを出す。


「俺だったら、もうちょいタイトル考える」


「考えたよ」


「『放課後』で?」


「放課後に弾いたから」


「そのまんまじゃん」


「分かりやすいでしょ」


陽太は笑った。


俺の動画には、前よりずっと多くの人が来るようになった。


新しい動画を出せば、すぐにコメントが付く。


昔の動画まで見に行く人もいる。


それでも、投稿する時にやることはあまり増えていない。


音を出す。


録る。


終わる。


上げる。


必要なら少しだけ切る。


それだけだ。


「コメント見た?」


陽太が聞く。


「少し」


「何て?」


「またピアノだって」


「そりゃ言われるだろ」


「あと、録音環境もっとちゃんとしろって」


「それも言われるだろ」


昨日使ったのは学校のピアノだった。


もちろん、校名や場所が分かるものは映していない。


他の生徒も映っていない。


音として必要な範囲だけ録った。


でも、専用の録音室ではない。


部屋の響きも入っている。


椅子を動かした音も少し残っている。


「別に聞けるけど」


「お前はな」


「聞けない?」


「聞ける。むしろ普通にすごい」


「じゃあいいじゃん」


「その中身で、なんで外側だけこんな雑なんだって話」


それはよく分からない。


動画そのものを綺麗に作りたいわけではない。


音が残ればいい。


必要なら音の方は触る。


多重録音する時は重ねるし、音色を作るためなら切ったり加工したりする。


でも、映像の見栄えをよくするためだけに何時間も使う気はなかった。


「陽太はちゃんとやるよね」


「俺は動画も見せたいからな」


「ならやればいいじゃん」


「やってるよ」


そこで話は終わった。


陽太は自分の動画の確認に戻る。


俺も画面を閉じた。


もうすぐ先生が来る時間だった。




授業が始まれば、普通に授業を受ける。


動画の再生数が増えていても、それで数学の授業がなくなるわけではない。


先生が黒板に式を書く。


説明を聞く。


問題を解く。


途中でプリントが配られる。


全部終える。


まだ時間が余る。


隣を見ると、何人かはまだ途中だった。


俺はもう一度問題を見る。


間違っていない。


することがなくなる。


窓の外へ目を向ける。


風が木を揺らしている。


枝が少しずつ違う速度で動く。


その動きが音になる。


高い音が一つ。


少し遅れて低い音。


重なる。


面白い。


でも今は授業中だった。


机を叩いたり、スマートフォンを出したりはしない。


頭の中だけで続ける。


あとで覚えていれば使えばいい。


先生が次の説明を始める。


そちらへ意識を戻す。


特に困ることはなかった。




休み時間になると、別のクラスの生徒が教室の前まで来た。


「鳴海いる?」


呼ばれたので顔を上げる。


「いるよ」


「昨日の動画見た」


「ありがとう」


「即興?」


「うん」


「楽譜ないの?」


「作ってない」


「マジで?」


「うん」


相手は少し困ったように笑う。


「コメントでも聞かれてたぞ」


「そうなんだ」


「出さないの?」


「必要?」


「弾きたい人いるんじゃない?」


考える。


俺自身は覚えている。


同じように弾こうと思えば弾ける。


でも、それを他の人が弾くなら楽譜があった方が便利なのだろう。


「気が向いたら」


「絶対やらないやつじゃん」


「必要になったらやるよ」


「それをやらないって言うんだよ」


相手は笑って戻っていった。


そのすぐ後、今度は同じクラスの女子に声をかけられる。


「鳴海、昨日の高いところ綺麗だった」


「ありがとう」


「あれ難しくない?」


「そんなに」


「それ、鳴海基準で言ってるでしょ」


「そう?」


「そうだよ」


こういうやり取りも、前より増えた。


でも、それだけだった。


教室へ誰かが押しかけてくるわけでもない。


授業中に騒ぎになるわけでもない。


最初の頃は、動画の人だと知って少し距離を取っていた人もいた。


今は普通に話しかけてくる。


俺も普通に返す。


それで終わる。




 




 




〓〓〓




 




 




別の日。


貸しスタジオへ入る。


今日はギターを使うつもりだった。


部屋に入ったら、まずスマートフォンを置く。


角度を見る。


自分と楽器が一応映っている。


それで十分だった。


録画を始める。


ギターを持つ。


音を出す。


最初は短いフレーズだった。


そこから少し変える。


同じ音型を別の位置で弾く。


響きが変わる。


面白い。


もう一度。


今度は少し間を空ける。


そのまま弾いているうちに、別の音が欲しくなった。


一度止める。


ベースも借りる。


録画は回したままだ。


ギターの音を残して、その下へベースを重ねる。


今度は声も欲しい。


マイクを使う。


低く一つ。


少し高く一つ。


重ねる。


聞き直す。


声が多い。


一つ消す。


その代わり、ギターを薄く足す。


だんだん最初の形とは違うものになっていく。


でも、それでいい。


最初から完成形を決めていたわけではない。


欲しい音を足して、いらない音を消す。


それだけだ。


途中、スタジオの空調が切り替わる音が入った。


少し低くて、短い。


使えそうだった。


もう一度鳴るのを待つ必要はない。


今のが録れている。


あとで切り出せばいい。


一通り終わる。


録画を止める。


時計を見る。


まだ少し時間があった。


もう一度やる理由はなかった。


必要な音は取れている。


片づける。


家に帰ってから、音だけ少し触った。


空調の音を切る。


短くする。


ギターとベースの間に置く。


声を少し下げる。


終わり。


映像はほとんどそのまま。


最初と最後だけ切る。


タイトル欄で少し止まる。


スタジオでやった。


ギターから始まった。


途中で色々増えた。


「今日のスタジオ」


それでいい。


公開する。




翌朝、教室に入るとすぐ声をかけられた。


「鳴海、昨日の何?」


「何って?」


「動画」


「曲」


「それは分かる」


机へ鞄を置く。


「最初ギターだったのに途中から別物になってるじゃん」


「増えたから」


「説明になってない」


「音が」


「そこは分かってるって」


陽太も近くで笑っている。


「タイトルも『今日のスタジオ』だしな」


「スタジオでやったから」


「お前、もうタイトル考える気ないだろ」


「考えた結果だよ」


「その結果が毎回それなんだよなあ」


別の男子がスマートフォンを見せる。


「これ、もうかなり回ってるぞ」


画面に数字が出ている。


「そうなんだ」


「反応薄っ」


「昨日上げたやつでしょ?」


「だからだよ。昨日上げたやつがもうこれなんだよ」


前より速いのは分かる。


でも、それだけだった。


「見てもらえてるならいいんじゃない?」


「もっと喜べよ」


「嬉しいよ」


「全然見えない」


「じゃあどうすればいい?」


「知らん」


相手が笑う。


俺も席に座る。


そのうち先生が来る。


授業が始まる。


また普通の一日になる。




高校生活も、いつの間にか後半へ入っていた。


教室の顔ぶれにも慣れた。


先生の癖も分かる。


校舎の音も、季節ごとの匂いも、廊下を歩く人数の変化も分かる。


下の学年が増えた。


知らない後輩に声をかけられることもある。


「鳴海先輩ですよね」


「そうだけど」


「動画見てます」


「ありがとう」


「写真いいですか?」


「いいよ」


特に急いでいなければ断る理由もない。


一緒に写真を撮る。


それで終わる。


少し離れたところで、別の後輩がこっちを見ている。


来たいなら来ればいい。


来ないなら、それでもいい。


俺から呼ぶ必要はない。


その日の放課後も、陽太と一緒に校舎を出た。


「お前、もう普通に有名人だな」


「前から言われてない?」


「前よりだよ」


「そう?」


「後輩まで写真頼んでくるじゃん」


「陽太も頼まれるでしょ」


「たまにな。でもお前ほどじゃない」


陽太はそう言ってから、少し笑う。


「なのに動画は相変わらずスマホ置いて終わりなんだよな」


「だってそれで撮れるし」


「もうちょい良いカメラ買うとかないの?」


「必要?」


「金あるだろ」


「あるけど」


「じゃあ買えば?」


考える。


今のところ困っていない。


音が必要なら、スタジオの設備を使う。


録音そのものをちゃんとしたい時は、ちゃんとした場所を使えばいい。


普段の動画まで全部大げさにする必要はない。


「今のでいいかな」


「その答えだと思った」


「陽太は変えた?」


「俺はちょっとずつ変えてる。見せ方も大事だし」


「じゃあそれでいいじゃん」


「お前は?」


「音が残ればいい」


陽太が笑う。


「ほんと変わんねえな」


「変える理由ないし」


駅の方へ歩く。


途中で車が一台通る。


少し遅れて、自転車のブレーキ音。


横断歩道の電子音。


人の足音。


全部が重なる。


その中に一つ、気になる並びがあった。


スマートフォンを出す。


録画するほどではない。


音だけ覚えておけばいい。


「また何か聞いてる?」


陽太が聞いた。


「うん」


「次の動画?」


「まだ分かんない」


「じゃあ何?」


「音」


「それはいつもだろ」


「うん」


その通りだった。




 




 




〓〓〓




 




 




休日の午後。


特に予定はなかった。


家で少し暇になる。


机の上にスマートフォンを置く。


録画を始める。


別に動画を作ろうと思ったわけではない。


少し音を出したくなっただけだ。


机を指で叩く。


一定。


少しずらす。


反対の手を加える。


音が重なる。


そこへ声を一つ入れる。


今度は低い。


もう一つ。


少し高い。


録って、聞く。


面白い。


パソコンで短く重ねる。


少しだけ広げる。


それで終わる。


大げさな準備はない。


照明も変えない。


背景もそのまま。


説明もない。


でも、出来上がった音だけなら、十分だった。


投稿する。


タイトルは「机」。


数分後にはコメントが付き始めた。


『なんで机叩いてこれになるんだ』


『また説明がない』


『三分しかないのに何回聞いてるか分からない』


『普通の投稿みたいな顔して出す内容じゃない』


最後のコメントを見て、少し考える。


普通の投稿。


俺にとっては普通だった。


暇だった。


音が出た。


録っていた。


だから上げた。


それだけだ。


画面を閉じる。


次に何かする予定はない。


何か面白い音があれば、その時また録ればいい。


有名になったからといって、動画の作り方まで変える必要はなかった。


学校へ行く。


授業を受ける。


暇になれば音で遊ぶ。


録れていれば投稿する。


いつの間にか、それが俺のいつものやり方になっていた。

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