第34話 だったら、もっとやればいい
収入と支出を記録するようになってから、スタジオへ行く回数は少し増えた。
増やそうと決めたわけではない。
今までなら、小遣いの残りを見て「今日はいいか」とやめていた時でも、動画から入った金が残っていれば借りられるようになっただけだ。
その日も、特に作りたい曲が決まっていたわけではなかった。
スタジオへ入って、スマートフォンを台の上に置く。
ギターを借りる。
ケーブルをつなぐ前に、録画を始めた。
前なら、何をするか決めてから録っていたと思う。
でも最近は、先に押しておくことが増えた。
何か面白いものができれば残る。
何もできなければ消せばいい。
それだけだった。
ギターを鳴らす。
一つ。
もう一つ。
同じ音程でも、弦を弾く場所で少し変わる。
指で弾いて、ピックに変えて、また指へ戻す。
短いフレーズができる。
そこへ別の音が欲しくなった。
借りられる機材を確認する。
小さなキーボードがあったので追加する。
ギターの音を残して、その上から鍵盤を弾く。
まだ足りない。
今度は声を入れる。
歌詞はない。
母音だけを何本か重ねる。
最初は一つだった音が、気づけば三種類になっていた。
ギター。
鍵盤。
声。
さらに、椅子を動かした時に鳴った音が使えそうだったので、それも録る。
終わって時計を見る。
思ったより時間が経っていた。
「まあ、いいか」
予約時間にはまだ余裕がある。
前なら、そこで終わっていたかもしれない。
遊びとしてはもう十分だった。
でも、録画も録音も残っている。
どうせなら形にしておけばいい。
家へ帰ってから、必要なところだけ並べ直した。
映像はほとんど触らない。
音だけ少し整える。
椅子の音を短く切って、拍の隙間に置く。
声を一つ減らす。
鍵盤を少し下げる。
全部で三分くらいになった。
聞く。
悪くない。
そのまま投稿する。
タイトルを考える。
スタジオで作った。
それ以上の特徴も特にない。
「今日のやつ」
入力する。
少し雑な気もしたけれど、別に困らない。
公開する。
そこで終わった。
翌日、陽太が昼休みに言った。
「楽、最近投稿多くない?」
「そう?」
「多いだろ。前より」
言われて考える。
確かに、少し増えている。
前は音で遊んでも、録っていないことがよくあった。
学校帰りに頭の中だけで曲を作って、そのまま終わることもあった。
スタジオで面白い音ができても、録画していなければ残さない。
今は先に録ることが増えた。
「録るようになったからじゃない?」
「何で?」
「残ってたら上げられるでしょ」
「それはそうだけど」
陽太がパンの袋を開けながら俺を見る。
「収益化したから?」
「少しは」
「やっぱ金?」
「金が欲しくて作ってるわけじゃないよ」
「じゃあ何?」
少し考える。
答えは簡単だった。
「どうせ遊ぶなら、公開しても損ないじゃん」
陽太が止まる。
「……ああ」
「録っておけば、上げられるし」
「で、見られたら金も入る?」
「うん」
「その金でまたスタジオ借りる?」
「そう」
陽太が笑った。
「なんか、すげえお前らしい理由だな」
「変?」
「いや。もっと稼ぐぞ、みたいにならないところが」
「それ面倒そう」
「普通は稼げるって分かったら、もうちょい考えるんじゃね?」
「何を?」
「再生される動画とか。人気あるやつとか。投稿する時間とか」
「陽太は考える?」
「考えるよ。ある程度は」
「じゃあ陽太はやればいいじゃん」
「うん。俺はやる」
それで話は終わった。
陽太が数字を見るのは、陽太には必要だから。
俺が見ないのは、今のところ必要がないから。
どっちでもよかった。
〓〓〓
投稿するものが増えると、作るものも少しずつ変わった。
一回弾いて終わりだったものを、そのまま投稿することもある。
逆に、一度録った音へ別の音を足していくことも増えた。
最初から大きな曲を作ろうとは思わない。
ただ、一つ足すと次が欲しくなる時がある。
ピアノを録る。
家へ帰って聞く。
低いところが欲しい。
別の日にベースを借りる。
重ねる。
今度はリズムが欲しくなる。
電子ドラムで作る。
少し固い。
机を叩いた音も混ぜる。
それで終わる。
別の時は、ギターだけのつもりだった。
弾いているうちに高い音が欲しくなり、シンセサイザーを足した。
声を入れる。
その声を二つにする。
二つでは足りず、三つにする。
最後に一つ消す。
結果として、最初に考えていたものより大きくなる。
でも、それは作品を立派にしようとしているわけではない。
必要になった音を足しただけだった。
スタジオを一回借りて終わる日もある。
別の日に続きを録ることもある。
前より金の心配をしなくてよくなった分、「今度でいいか」とやめる理由が一つ減った。
もちろん、学校は変わらない。
朝になれば行く。
授業を受ける。
課題があればやる。
早く終われば、残った時間で窓の外を見ることもある。
音が浮かんでも、授業中にスマートフォンを出して録音することはない。
覚えておけばいい。
休み時間になってから必要ならメモする。
放課後、使える場所があれば音にする。
その繰り返しだった。
「鳴海、昨日の曲、あれ全部一人?」
ある日、クラスメイトに聞かれた。
「うん」
「途中のギターも?」
「そう」
「声も?」
「俺」
「ドラムは?」
「電子音と、机」
「机?」
「叩いた」
相手が少し黙る。
こういう反応にも慣れた。
「なんで机なんだよ」
「合ったから」
「それで説明終わるのずるくない?」
「他にないよ」
横で聞いていた陽太が笑う。
「聞くだけ無駄だぞ。こいつ毎回それだから」
「でも前より曲でかくなってない?」
クラスメイトが言う。
それは俺も少し思っていた。
前なら、ピアノを弾いて終わり。
ギターを触って終わり。
声を重ねて終わり。
最近は、そこからもう一つ足すことが増えている。
「使える音増えたからじゃない?」
「増えすぎだろ」
「まだいっぱいあるよ」
「何が?」
「楽器」
「もう増やす気なの?」
「気になったら」
相手は何か言いかけて、諦めた。
陽太は笑っていた。
季節が変わっても、やることは大きく変わらなかった。
投稿する。
見られる。
昔の動画もまた見られる。
収益が入る。
父さんに言われた通り、入った金と使った金は記録する。
最初は少し面倒だったけれど、慣れれば数分で終わった。
スタジオ代。
楽器レンタル。
録音に使ったもの。
記録しておけば、後で確認できる。
それだけだった。
父さんも毎回口を出してこない。
たまに表を見る。
問題がなければ何も言わない。
「これ、増えてるけど大丈夫?」
一度だけ俺から聞いた。
父さんは画面を見る。
「今のところはな。記録だけ続けろ」
「分かった」
「使い切るなよ」
「税金の分でしょ」
「分かってるならいい」
それで終わった。
金が増えても、家の中が変わるわけではない。
父さんはいつも通り仕事をする。
俺もいつも通り学校へ行く。
動画の数字だけが、見ていない間に大きくなっていった。
〓〓〓
ある休日、朝から音が頭に残っていた。
前の日に聞いた雨の音だった。
窓へ当たる音ではない。
建物の外側を流れて、どこかへ落ちる水。
一定ではなく、少しずつ間隔が変わる。
そこへ車が通った時だけ、低い音が重なっていた。
前なら、そのまま頭の中で遊んで終わっていたと思う。
でも今は、スマートフォンを机の上へ置く。
録画を始める。
机を軽く叩く。
雨の間隔を作る。
キーボードで低い音を入れる。
少し違う。
消す。
今度はもう少し短くする。
合う。
声も入れてみる。
いらない。
消す。
代わりに前に録ったギターの音を一つ使う。
そこから、曲が広がった。
昼になっても終わらなかった。
一度飯を食う。
戻る。
続きをやる。
夕方には、朝に考えていたものとはかなり違う形になっていた。
でも、途中で変わるのは普通だった。
聞き直す。
もう少し低いところが欲しい。
今日は外へ出る気はない。
だったら次にスタジオへ行った時に録ればいい。
保存する。
前なら、その時点で「面倒だからここまで」と終わっていたかもしれない。
今は、次に行った時に続きを録ればいいと思える。
スタジオ代はある。
楽器も借りられる。
録ればそのまま残る。
完成したら投稿すればいい。
「だったら、もっとやればいいか」
口に出す。
頑張ろうという意味ではない。
練習を増やすわけでもない。
毎日決まった時間に何かを作るつもりもない。
ただ、途中で止める理由が前より少なくなった。
面白いなら続ければいい。
必要な音があるなら借りればいい。
できたなら上げればいい。
それで見たい人が見る。
金が入れば、また次の音に使える。
それなら、わざわざ小さく終わらせる必要もなかった。
それから、録画を始めるのが少し早くなった。
何か作ると決めてからではなく、音を出す前に押す。
ピアノへ座る前。
スタジオで楽器を持つ前。
声を試す前。
面白くならなければ消せばいい。
面白くなれば、そのまま残る。
投稿するかどうかを毎回大げさに考えることもなくなった。
遊んだ。
録れていた。
なら上げる。
タイトルが必要なら、その時考える。
説明が必要なら最低限書く。
それだけだった。
短い動画も出した。
少し長い曲も出した。
ピアノだけの日もあった。
いくつかの楽器を重ねる日もあった。
声だけで遊ぶこともあった。
日常の音を混ぜることもあった。
統一する気はない。
俺がその時面白いと思った音が違うのだから、同じになる方がおかしかった。
陽太には、ある日こう言われた。
「最近のお前、ほんと何でも上げるな」
「そう?」
「前なら絶対そのまま終わってたやつまで出してるだろ」
「録ってあるから」
「それだけ?」
「公開しても損ないし」
「収益も入るし?」
「うん」
陽太が笑う。
「結局そこにつながるんだな」
「便利だからね」
「金が?」
「仕組みが」
音で遊ぶ。
残す。
誰かが見る。
金が戻る。
また音で遊べる。
誰かに命令されているわけでもない。
人気のために作る必要もない。
俺のやることは何も変わっていない。
ただ、前より残る音が増えた。
前より公開する音も増えた。
一つの音から始まって、気づけばいくつも重なっていることも増えた。
それでも、俺にとっては全部同じだった。
暇になったら音で遊ぶ。
録れていたら、出す。
それだけだった。




