第27話 好き勝手に音を出す場所
昼休みに思いついた曲は、その日の放課後まで頭の中に残っていた。
消えることはないので、急いで形にする必要はない。それでも、今は弾いてみたかった。
音楽室へ行って、先生にピアノを使っていいか聞く。
「いいけど、今日は何するの?」
「曲弾く」
「練習?」
「違う。さっき作ったから」
先生が少し止まった。
「……そう。片付けだけちゃんとしてね」
「分かった」
音楽室には俺しかいない。
こういう時は学校のピアノが使えるので便利だった。家にはピアノがないし、マンションで好きなだけ大きな音を出すこともできない。
スマートフォンを譜面台の横へ置く。
学校だと分かるものを映す必要はないので、画面には鍵盤と俺の手が入るくらいにした。
撮影を始める。
昼休みに聞いた教室の音を、そのまま再現するつもりはなかった。
窓の外で葉が揺れていた音。廊下を通る足音。椅子が床を擦る音。誰かの笑い声。
全部そのまま使えば、ただの教室になる。
頭の中で混ぜて、いらないものを捨てる。
残った流れを鍵盤へ移した。
最初は軽く、同じ形を少しずつ変えながら進む。
途中で低い音を一つ足す。
昼休みにはなかった音だけれど、その方がいい。
そのまま最後まで弾いた。
撮影を止めて確認する。
音は少し遠い。
学校の音楽室でスマートフォンを置いて撮っただけだから当然だった。
でも、何を弾いているかは分かる。
別にこれでいい。
家へ帰ってから動画を移して、最初と最後の余計な部分だけ切った。
タイトル欄で少し考える。
昼休み。
それで投稿した。
説明は特に書かなかった。
翌日、陽太が俺の机へ来た。
「昨日のあれ何?」
「曲」
「それは分かる」
陽太が俺の前の席へ座る。
「なんで『昼休み』なの?」
「昼休みに思いついたから」
「何見て?」
「別に何も。教室にいただけ」
「教室にいるだけで曲できんの?」
「できたよ」
「そうじゃなくて」
陽太は何か言いかけて、やめた。
最近、この止まり方をよくする。
俺が質問と違う答えをした時に多い。
「まあいいや。それよりコメント見た?」
「少し」
投稿した曲には、前に上げた陽太用の曲より多くコメントが付いていた。
共同動画で聞いた曲を探してきた人だけではなく、初めて見る人も混ざっているらしい。
「即興なのか」「楽譜はあるのか」「本当に中学生なのか」という質問もあった。
楽譜はない。
即興でもない。
中学生ではある。
必要なら答えてもいいけれど、全部へ返事をするのは面倒だった。
「お前、全然返さないよな」
「全部返した方がいいの?」
「普通はもうちょっと返す人もいるけど……いや、お前はそれでいい気もする」
「じゃあいいや」
「即決すんなよ」
陽太が笑う。
俺も次の授業の準備を始めた。
昨日の動画を上げたことで、何かやらなければならないことが増えた感じはしなかった。
弾きたければ弾く。
撮っていたら、そのまま置く。
それだけだった。
〓〓〓
しばらくして、ピアノ以外の音も使いたくなった。
前からギターの音は知っている。
動画でも曲でも聞いたことがあるし、構造もだいたい分かる。
ただ、実際に弾いたことはほとんどない。
学校には自由に借りられるギターがなかったので、近くの貸しスタジオを調べた。
レンタルできるらしい。
料金を見る。
小遣いで足りる。
父さんに出してもらう必要もなかった。
休日、スタジオへ行って一時間だけ部屋とギターを借りた。
渡されたギターを持つ。
重さを確認して、椅子へ座る。
弦を押さえる。
鳴らす。
音が出る。
もう一度。
さっきより狙った高さへ近づいた。
何本か弾いていると、どこへ指を置けばどう変わるかはすぐに分かった。
右手の動かし方も、欲しい音から逆算すれば迷わない。
問題は指だった。
「痛いな」
左手の指先を見る。
弦を押さえ続けていた場所が赤くなっている。
音が分かっても、指先の皮膚まで勝手に硬くなるわけではない。
もう少し弾けるけれど、このまま続ければ明日は痛そうだった。
そこでやめた。
一時間借りたのに、まだ時間が残っている。
もったいない気もする。
だからギターを置いて、今度はスマートフォンで録音を始めた。
手を叩く。
机を軽く叩く。
靴の裏で床を鳴らす。
スタジオなら家より音を出しても問題にならない。
ギターを借りに来たのに、残り時間はほとんど別の音で遊んだ。
帰ってから、それを重ねて一つの短い曲にした。
編集は普段あまりやりたくない。
でも、音を重ねる作業そのものは面白かった。
一つ目の音を置いて、次を足す。
少しずらす。
消す。
別の場所へ移す。
映像をきれいに見せるための編集とは違う。
これは普通に音で遊んでいるだけだった。
完成したものを投稿する。
タイトルは、スタジオ。
ギターはほとんど入っていない。
別にいい。
数週間後、また同じスタジオへ行った。
今度もギターを借りた。
前回より長く弾ける。
それでも、しばらくすると指先が痛くなった。
さらに何度か借りた。
少しずつ痛くなるまでの時間が伸びる。
頭で分かっている部分は最初からほとんど変わらなかった。
身体の方が追いついてくる。
それはピアノを初めて弾いた時とも少し違っていた。
ピアノなら鍵盤を押せば音が出る。
ギターは弦を押さえる指にも、弾く側の手にも、その楽器用の動きがいる。
面倒ではあるけれど、音が変わっていくのは面白い。
ある日、最初から最後までギターだけで一曲弾いた。
何度も撮り直す必要はなかった。
途中で指が一度ずれたけれど、曲として変ではない。
そのまま投稿した。
次の日、陽太が言った。
「ギターも弾くの?」
「昨日弾いたよ」
「それは見たから聞いてる」
「じゃあ知ってるでしょ」
「そういう意味じゃねえよ」
また笑われた。
コメントにも似たようなことが書かれていた。
ピアノを弾く人だと思っていた、作曲する人だと思っていた、今度はギターなのか。
俺からすると、全部音なので、それほど分ける理由がなかった。
〓〓〓
歌を撮ったのは、その少し後だった。
家で歌うこと自体はできる。
でも、動画に使えるように何度も声を出したり、周囲を気にせず音量を変えたりするなら、マンションよりスタジオの方が楽だった。
また部屋を借りる。
今度は楽器を借りなかった。
マイクの前へ立つ。
最初に一度声を出して、部屋の返りを聞く。
もう一度。
高さを変える。
声も身体から出る音だから、楽器と同じように好きなところへ置けるわけではない。
出しやすい高さもあれば、無理をすれば喉に負担がかかる高さもある。
その範囲で使えばいい。
短い曲を作って歌った。
一回録る。
聞き直す。
もう一回だけ録る。
二つ目の方を使った。
そのまま投稿する。
数日後には、自分の声を何本か重ねた。
主旋律を歌って、その上へ別の音を置く。
さらに下へ一つ。
同じ声なのに、重なると別のものになる。
面白かったので増やした。
増やしすぎて邪魔になったので減らした。
その作業をしていたら、予約した時間が終わった。
「もう終わりか」
時計を見る。
続きは次でもいい。
保存して帰った。
完成した動画を上げた時には、コメント欄に「今度は歌い始めた」と書かれていた。
その次には「このチャンネルは何のチャンネルなんだ」というコメントもあった。
音楽のチャンネルだと思う。
でも、わざわざ返事をするほどでもない。
次に学校のピアノを借りた時はクラシックを弾いた。
その次は何も決めずに弾き始めて、途中から曲になった。
スタジオでギターを借りた日に、ギターを使わず声だけ録ったこともある。
机を叩く音だけで短いものを作ったこともあった。
投稿する内容に統一感はなかった。
統一する必要も感じなかった。
季節が変わっても、それは続いた。
学校へ行く。
授業を受ける。
陽太と話す。
帰る。
暇な時に音が浮かべば、使える場所を探して鳴らす。
学校のピアノを借りることもあれば、小遣いでスタジオを借りることもある。ギターが必要ならレンタルするし、歌いたければマイクのある部屋を使う。
撮っていれば、後で投稿する。
撮っていなければ、それで終わることもある。
全部を残したいわけではなかった。
チャンネルの動画は少しずつ増えた。
それにつれて、見る人も増えた。
陽太のチャンネルから来た人だけではなくなっていった。
新しい動画を出すと、前の動画を知らない人が見に来る。
ピアノの動画から来た人がギターを見て驚き、ギターから来た人が歌を見て、歌から来た人が即興を見つける。
コメント欄では、俺が結局何をする人なのか分からないと言われることが増えた。
一方で、何をやっても普通にうまい、と書かれることも増えた。
自分でも、だいたいできていると思う。
できないものは、できるようになるまで身体に時間がかかる。
ギターの指先みたいなものは仕方がない。
でも身体が使えるようになれば、後は鳴らしたい音を出せばいい。
登録している人の数も、動画を見る人の数も、チャンネルを作った頃よりずっと増えたらしい。
陽太は時々それを確認していた。
「楽、また増えてるぞ」
放課後、一緒に帰っている時に言われる。
「そうなんだ」
「見ろよ、自分のだろ」
「陽太が見てるからいいじゃん」
「よくねえよ。なんで俺がお前の数字確認してんだよ」
「気になるからでしょ」
「そうだけど」
陽太はスマートフォンをしまった。
その音には、前みたいな引っかかりはなかった。
俺の数字は俺の場所にある。
陽太の数字は陽太の場所にある。
分けてしまえば単純だった。
「次、何上げんの?」
「決めてない」
「ピアノ?」
「分かんない」
「ギター?」
「それも分かんない」
「歌は?」
「やりたくなったら」
陽太が呆れたように笑う。
「ほんと好き勝手だな」
「自分のチャンネルだし」
「まあ、そうだけど」
駅へ向かう道で、車が横を通った。
少し遅れて、自転車のベルが鳴る。
信号が変わり、人が歩き始める。
足音が重なる。
その向こうで、工事現場から一定の間隔で金属音が聞こえた。
歩きながら、それを頭の中で並べ替える。
金属音をそのまま使う必要はない。
もっと低くしてもいい。
足音の間隔を残して、その上へ声を置くのも面白そうだった。
「楽?」
「なに?」
「今なんか作ってるだろ」
「まだ作ってないよ」
「じゃあ考えてる」
「うん」
陽太が笑った。
「次それ?」
「たぶん」
家に着いても、そこで録るつもりはない。
音だけ覚えておけばいい。
今度スタジオへ行った時でも、学校でピアノを借りた時でも、その時に使いたい音へ変えればいい。
何を投稿する場所なのかと聞かれれば、俺にも一言では説明できなかった。
ピアノの場所でもない。
ギターの場所でもない。
歌の場所でもない。
作った曲だけを置く場所でもない。
その時に面白かった音を、好きに出して置いておく。
たぶん、それで十分だった。




