第26話 鳴海楽
家に帰ってから、俺は自分の部屋でパソコンを開いた。
昨日までと何かが変わったわけではない。学校では陽太と普通に話したし、帰りも途中まで一緒だった。共同動画をやめたからといって、会わなくなる理由もない。
変わったのは、動画を出す場所だけだ。
画面を開いて、新しいチャンネルを作る。
名前を入力する欄で少し止まった。
鳴海楽。
そのままでもいいけれど、陽太が名字と名前の間を空けた方が見やすいと言っていた。
鳴海 楽。
入力してみる。
別にどちらでも俺は困らない。ただ、見比べると確かにこっちの方が名前だと分かりやすかった。
そのまま決定した。
画面が切り替わる。
俺のチャンネルができた。
「できた」
誰に言うでもなく声に出してから、少し考える。
昨日、陽太に作ったら教えろと言われていた。
まだ何もない場所を教えても仕方がない気もする。
何か置いてからでいい。
保存してあるファイルを開いた。
陽太と動画を作っていた時の曲は何曲もある。踊るための曲として作ったものだから、陽太の動きが入る前提になっているけれど、音だけでも曲としては成立している。
一つ目を再生する。
最初に作った、陽太の曲1。
陽太がまだ今ほど動けることの多くなかった頃に作った曲だ。止まった後に次へ移る時間を少し長く取ってある。途中にも、身体を立て直しやすい場所を残していた。
今の陽太なら、その空間はもういらない。
でも当時の陽太には必要だった。
だからこれはこれでいい。
最後まで聞いてから、動画に使った音源とは別に保存してあったファイルを投稿画面へ入れた。
タイトルを書く欄がある。
少し考える。
陽太の曲1。
そのまま入れた。
動画に使われた曲を探している人には分かりにくいかもしれない。
でも俺の中ではそれが名前だった。
説明を書く欄もある。
何を書けばいいのかよく分からないので、以前、陽太の動画で使った曲だとだけ書いた。
映像は必要なのだろうか。
曲だけなら、ずっと同じ画像でもいい。
適当なものにすると後で陽太に何か言われそうだったので、共同動画から切り出すのはやめた。陽太が映れば、また陽太の動画になる。
机の上を見た。
何もない。
壁を見る。
もっと何もない。
結局、曲名を文字で置いただけの画面を作った。
凝ったものを作る理由もなかった。
投稿する。
少し待つと、画面に表示された。
俺の名前の下に、動画が一本ある。
再生してみる。
当然、同じ音が流れた。
アップロードしたからといって音が変わるわけではない。
途中で止める。
一つだけだと、すぐ終わったような気がした。
別の曲も開いた。
陽太の曲2。
これは二本目の共同動画で使ったものだ。
続けて三つ目も見る。
そこまでやったところで、部屋の外から父さんの足音が聞こえた。
廊下を通って、リビングへ向かう。
仕事が終わったらしい。
俺も部屋を出た。
父さんは冷蔵庫を開けていた。
「父さん」
「何だ」
「チャンネル作った」
父さんがこっちを見る。
俺が動画を出していることも、陽太と一緒にやっていたことも知っているから、驚いた音はしなかった。
「自分のか」
「うん」
「名前は」
「鳴海 楽」
「そうか」
冷蔵庫から麦茶を出して、父さんはコップへ注ぐ。
それから一口飲んだ。
「学校は出すなよ」
「出さないよ」
「住所も」
「うん」
「よく行く場所も、わざわざ載せるな」
前にも似たことを言われている。
顔を出した動画を撮った時も、学校が分かるものは映さないようにしていた。
「分かってる」
「ならいい」
話は終わったらしい。
父さんは麦茶をしまった。
「何か上げたのか」
「陽太の曲」
「相沢の動画で使ってたやつか」
「うん。曲だけ聞きたいって人がいたから」
父さんの音が少し変わる。
考えている。
『需要があるなら、分けた方が合理的か』
そんな感じだった。
「そうか」
口から出たのはそれだけだった。
俺もそれ以上説明することはない。
「飯、もう少し待て」
「分かった」
部屋へ戻った。
〓〓〓
三本目を投稿している途中で、陽太にメッセージを送った。
作った。
その下にチャンネルの場所を送る。
返事はすぐ来た。
『はや』
続いて、
『もう動画あるじゃん』
と来る。
俺は三本目の処理が終わるのを見ながら返した。
曲あるから。
少し間が空いた。
『陽太の曲1ってそのまま出したのかよ』
何か問題があるのだろうか。
前からそういう名前だった。
『知ってるけどさ』
また少し待つ。
『まあお前だしな』
それで終わるかと思ったら、すぐもう一つ来た。
『てかサムネ地味すぎ』
サムネ。
表示されている画像を見る。
曲名の文字しかない。
困る?
『俺は困らん』
ならいい。
返事を送る。
今度は少し長く返ってこなかった。
三本目の投稿が終わる。
ページを更新すると、動画が三つ並んだ。
陽太の曲1。
陽太の曲2。
陽太の曲3。
見た目はほとんど同じだった。
分かりやすい。
通知が来る。
『いやお前がいいならいいけど』
その後に、
『登録した』
と続いた。
登録というのは、陽太が俺のチャンネルを登録したという意味らしい。
見ると言っていたから、その通りだった。
文字だけなので内側の音は分からない。
でも陽太なら、本当に嫌なら登録しないだろう。
俺は、
ありがとう。
と返した。
すぐに、
『なんかお前にそう言われると変だな』
と来た。
何が変なのかはよく分からない。
放っておいた。
四本目を上げようとして、手を止める。
全部一度に出す必要もない気がした。
別に減るものでもないけれど、今は三本ある。
画面の右側に数字が表示されていた。
再生された回数。
登録した人の数。
まだ作ったばかりなのに、少しずつ動いている。
陽太が見た分だけではない。
ページを更新すると、また数字が増えた。
たぶん、陽太の動画から来た人だろう。
共同動画の説明欄には俺の名前が書いてあったし、曲だけ聞きたいというコメントもあった。
探せば見つかる。
だからゼロから始まった感じはしなかった。
コメントも付いた。
『本人?』
その下に別の人が、
『チャンネル名まんまだからそうじゃない?』
と書いている。
さらに少しすると、
『陽太の動画の曲きた』
『曲だけ欲しかったから助かる』
『これ1本目のやつだよね』
という文字が増えた。
読めば意味は分かる。
でも文字だけでは、その人がどんな顔で書いたのかも、どんな声なのかも分からない。
だから書いてあること以上は分からない。
一つずつ返事をする必要も感じなかった。
質問されている最初のコメントだけ少し考える。
本人?
本人だ。
そう書けばいい。
『本人です』
送った。
しばらくしてから見ると、その下に返信が増えていた。
『本人だった』
『急に雑な本人確認きた』
『もっと何かあるだろ』
何が必要なのだろう。
俺は画面を見たまま少し考えたけれど、分からなかった。
本人か聞かれたから、本人だと答えただけだ。
また通知が来る。
今度は陽太だった。
『コメント見た』
『お前ほんとそのままだな』
そのままなのは、たぶん悪い意味ではない。
陽太の文章も、いつも通りだった。
〓〓〓
翌日の昼休み、陽太が俺の机の横へ来た。
「お前さ」
「なに?」
「昨日、何本上げた?」
「三本」
「そのあと増やしてない?」
「増やしてないよ」
「じゃあいいけど」
陽太が前の席の椅子を借りて、反対向きに座る。
教室には他の生徒もいる。
何人かがこっちを見ていた。
俺のチャンネルのことを知った人もいるらしい。
そのうち一人が近づいてきた。
「鳴海、あれお前のチャンネル?」
「そうだよ」
「昨日できたやつ?」
「うん」
「ほんとに本人だったんだ」
昨日も似たコメントを見た。
俺の名前なのだから俺だと思うのだけれど、同じ名前の人が作る可能性もあるらしい。
「顔出てた人と同じだよ」
俺が言うと、その子は少し笑った。
「それは見れば分かる」
「じゃあなんで聞いたの?」
「確認だよ、確認」
なるほど。
その子は自分の席へ戻った。
陽太が机に肘をつく。
「もう学校でも見つかってんじゃん」
「名前同じだから」
「まあな」
嫌そうではない。
むしろ少し面白がっている。
「で、今日も上げんの?」
「まだ分からない」
「曲いっぱいあるだろ」
「あるよ」
「じゃあ上げれば?」
「全部?」
「いや、別に全部今日じゃなくていいだろ」
その方が普通なのかもしれない。
俺にはどちらでもいい。
「じゃあ、暇だったら」
「お前そればっかだな」
陽太が笑う。
俺も別に否定しなかった。
昼休みが終わるまで、まだ時間がある。
陽太はスマートフォンを見ている。
俺は窓の外を見る。
風が木を揺らしていた。
葉の緑が動く音と、ガラス越しの光の音が少しずつ変わる。廊下からは人の足音が何本も通って、教室では椅子が引かれ、紙が擦れ、誰かが笑っている。
それを聞いているうちに、一つ音が浮かんだ。
昨日までの陽太の曲とは関係ない。
窓の外の風と、教室の中の音を合わせたらどうなるだろう。
頭の中で少し組み替える。
悪くない。
「陽太」
「ん?」
「今日、別の作るかも」
「何を?」
「曲」
陽太が俺を見る。
「もう?」
「今思いついた」
「……そっか」
少し呆れた音が混ざって、それから笑った。
「じゃあ、それも自分のとこに上げればいいじゃん」
「そうする」
共同動画のためじゃない。
誰かが踊るためでもない。
思いついた音を作って、置いておく。
それなら確かに、自分の場所があるのは便利だった。




