第18話 怒っても友達
相沢にダンスを教わるようになってから、放課後に多目的室へ行く回数が増えた。
毎日ではない。
相沢にも予定があるし、俺も毎日やりたいわけではない。
それでも何度か続けているうちに、最初より分かることが増えた。
「鳴海、そこ重い」
相沢が言う。
俺は動きを止める。
「どこ?」
「右に乗ったまま次行ってる」
「でも次は左だよ」
「だから、左に行く前にこっち抜くんだって」
相沢がやって見せる。
右足へ体重が乗る。
次の瞬間、身体が軽くなる。
それから左。
見た目ではほんの少ししか違わない。
でも、一度意味が分かると全然違った。
「こう?」
真似する。
「そう。それ」
「さっきより動きやすい」
「だろ?」
相沢が嬉しそうに笑う。
俺はもう一度やる。
右。
抜く。
左。
音楽の拍に合わせる。
足だけではない。
膝。
腰。
背中。
肩。
腕。
身体の全部が別々の場所にあるのに、一つの流れで動く。
最初は、それぞれを見て真似していた。
今は少し違う。
音が来る。
その音に対して、身体をどこへ置きたいか考える。
そこへ行くために、今どこを動かせばいいのかが分かる。
「相沢」
「ん?」
「ちょっと音変えて」
「何で?」
「同じだと分かったから」
「何が?」
説明するよりやった方が早い。
俺はスマートフォンの曲を別のものにしてもらった。
速さが違う。
拍の感じも違う。
「これで?」
「うん」
相沢が再生する。
最初は聞く。
一つ。
二つ。
三つ。
動く。
前に教わった振りをそのまま使う必要はない。
音に合わせて足を置く。
身体をずらす。
肩を入れる。
止める。
次の音で抜く。
「お」
相沢の声がした。
俺は続ける。
音が強くなる。
なら、身体も少し大きく使う。
細かくなる。
足を小さく。
上半身を遅らせる。
完璧に踊れているわけではない。
相沢なら、もっときれいにできる。
動きの種類も俺よりたくさん知っている。
俺が知らないつなぎ方もある。
でも、前みたいに一つずつ教わらなくても、音に合わせて自分の身体を動かすことはできる。
曲が止まった。
相沢がこっちを見る。
「今の、教えてねえよな?」
「うん」
「即興?」
「たぶん」
「たぶんって」
相沢は少し考えてから、自分でも同じ曲を流した。
「ちょっと俺やる」
「うん」
相沢が踊る。
やっぱり俺より上手い。
身体の抜き方が自然。
動きの種類も多い。
俺なら次に何をすればいいか少し考える場所でも、そのままつながる。
見ていて面白い。
終わる。
「どう?」
相沢が聞く。
「相沢の方が上手い」
「当たり前だろ」
「うん」
「そこ即答すんなよ」
でも嬉しそうだった。
俺はさっき自分が動いた時の感じを思い出す。
最初に相沢へ教わった時とは違う。
音に身体を合わせる。
音が変わったら身体も変える。
欲しい場所へ、欲しい速さで、欲しい強さで動かす。
ピアノでも身体は使う。
指だけで弾いていたわけではない。
姿勢も、肩も、腕も使っていた。
でも、ダンスでは全身そのものを音に合わせる。
相沢に教わって、そこがちゃんとつながった。
「相沢」
「何?」
「俺、もうダンス教わるの終わりでいい」
相沢が止まった。
「は?」
「ある程度できたから」
「……できたって、お前」
少しだけ空気が変わる。
怒るというより、驚いている。
俺は続ける。
「相沢ほど上手くないよ」
「そりゃそうだ」
「知らない動きもいっぱいある」
「あるな」
「でも、俺が知りたかったのは分かった」
相沢が眉を寄せる。
「何を?」
「音に合わせて身体を動かす感じ」
俺は自分の腕を少し動かす。
「どこをどう動かしたら、思った場所に身体が行くか。音が変わったらどう変えるか」
「……ダンスそのものじゃなくて?」
「ダンスも面白かったよ」
「過去形じゃん」
「でも相沢みたいに上手くなりたいわけじゃない」
相沢はしばらく黙った。
その中に少し寂しい音はあった。
せっかく一緒にやっていたものが一つ減る。
それは嫌らしい。
でも、怒ってはいない。
『まあ、鳴海がやりたいこと分かったならいいか』
近い音に変わる。
「もう踊らねえの?」
「気が向いたらやる」
「教えるのはいらない?」
「分かんないことあったら聞く」
「それ終わってなくね?」
「毎回練習するのは終わり」
「ああ、そういうことか」
相沢が息を吐く。
「なら別にいいや」
「いいの?」
「嫌って言って続けさせても意味ねえだろ」
その通りだった。
「ありがと」
「おう」
相沢は少し笑う。
それから俺を見る。
「でも鳴海」
「なに?」
「お前、ダンスできるって言う時は、俺くらいできるみたいな言い方すんなよ」
「してないよ」
「今の『ある程度できた』も、人によってはそう聞こえるからな」
「相沢の方が上手いって言ったじゃん」
「俺にはな」
「じゃあいいじゃん」
「よくはないけど……まあいい」
相沢は床に置いていたスマートフォンを拾った。
「じゃ、俺は練習する」
「俺ピアノ弾く?」
「弾いて」
「一定?」
「今日は一定」
「分かった」
俺は古いアップライトピアノの前へ座る。
相沢が中央へ戻る。
鍵盤へ手を置く。
音を出す。
相沢が動く。
前より、相沢の身体がどうやって音を使っているのかよく分かった。
同時に、自分の身体も前より分かる。
鍵盤を押す指。
手首。
腕。
肩。
背中。
ペダルへ置いた足。
欲しい音に合わせて、それぞれを動かす。
今までもやっていた。
でも、前より輪郭がはっきりした。
楽器が変わっても、たぶん同じだ。
どこを動かせば音が出るのか分かれば、その動きを身体へつなげればいい。
もちろん身体そのものにない力は出せない。
届かないものには届かない。
長く続けるための体力まで急に増えるわけでもない。
でも、どう動けばいいか分かっているなら、最初からそこへ身体を合わせればいい。
相沢が一つ動く。
俺も音を一つ置く。
それは、かなり使えそうだった。
〓〓〓
ダンスを毎回一緒にやらなくなっても、相沢とは普通に話した。
昼休み。
放課後。
帰り道。
多目的室へ行けば、俺がピアノを弾いて相沢が踊ることもある。
相沢だけ練習して、俺が横で見ていることもある。
俺が先に帰る日もある。
それで何か変わるわけではなかった。
ある日の放課後。
相沢がスマートフォンを俺へ見せた。
「鳴海、これ見て」
「動画?」
「昨日撮ったやつ」
相沢が投稿しているダンス動画だった。
最近覚えた振りらしい。
見る。
最初。
足。
上半身。
ターン。
止まる。
前に見た時より良くなっている。
ただ、一か所だけ変だった。
途中で難しい動きが入る。
そこで少し遅れる。
遅れたのを次で戻している。
「どう?」
相沢が聞く。
「前より上手い」
「だろ?」
嬉しそうだった。
「ここだけ遅いけど」
画面を戻す。
「ここ?」
「うん」
「やっぱ分かる?」
「分かるよ」
相沢は少し悔しそうに見る。
「そこ、結構練習したんだけどな」
「何回くらい?」
「知らねえよ。昨日だけでもずっとやってた」
「へえ」
もう一度見る。
確かに、前よりはできている。
でも完成してはいない。
「相沢って、結構練習してるのに、できないこと多いね」
言った瞬間、相沢の音が変わった。
「あ?」
顔もすぐ変わった。
怒っている。
「あれ?」
「いや、『あれ?』じゃねえよ」
「何?」
「それ普通にムカつくからな」
声もいつもより強い。
でも、隠していない。
そのまま怒っている。
「どれ?」
「結構練習してるのにできないこと多い、ってやつ」
「でも本当じゃん」
「本当でも言い方あるだろ!」
教室の前を通った上級生が一瞬こっちを見る。
相沢は少し声を落とした。
でも怒りは消えていない。
「俺だって自分がそんな上手くないの分かってるから」
「うん」
「同じ年でも俺より上手いやついっぱいいるし」
「前に言ってたね」
「だから練習してんだよ」
「うん」
「そこで『やってる割にできてないね』みたいに言われたら普通に腹立つだろ」
そこまで聞いて、分かった。
俺は事実を言った。
相沢は、それを知らなかったわけではない。
自分でも分かっているところを、俺がわざわざ外から言った。
しかも、練習していることまで一緒に。
「そっか」
「そっかじゃねえ」
「ごめん」
相沢が止まる。
怒りの音が少し変わった。
「……分かってんの?」
「相沢ができないのを馬鹿にしたつもりはないよ」
「それは分かるけど」
「でも、そう聞こえる言い方だった」
「そう」
「じゃあごめん」
相沢はまだ怒っている。
でも、
『謝ったなら、もういい』
という音も混ざり始めた。
「次から気をつけろよ」
「分かった」
「マジでな」
「うん」
「鳴海、たまにそういうとこあるから」
「ある?」
「ある」
即答だった。
「具体的にどこ?」
「今それ聞く?」
「直すなら知った方がいい」
「……そうだけど」
相沢は少し呆れた。
それでも教えてくれる。
「思ったことそのまま言いすぎ。悪気ないのは分かるけど」
父さんにも、小学校に入る前から似たことを教わっている。
言っていないことへ返事をしない。
言ったことでも、わざわざ全部直さない。
余計な面倒を増やさない。
今度は少し違う。
相沢は、面倒だから怒っているわけではない。
普通に傷ついたから怒っている。
「分かった」
俺が言う。
相沢は息を吐いた。
「ならいい」
まだ少し機嫌が悪い。
でも陰で別のことを考えている音はない。
その場で怒って、その場で言いたいことを言った。
俺に分かってほしいことも、そのまま言った。
「今日、多目的室行く?」
聞いてみる。
相沢が俺を見る。
「今日は行かねえ」
まだ怒っているからかと思ったら違った。
「家帰って、さっきのとこ練習する」
本当にそっちだった。
「そっか」
「明日は行くかも」
「分かった」
「じゃあな」
「また明日」
相沢は普通に帰った。
怒ったまま。
でも、嫌いになったわけではない。
そこも分かりやすかった。
〓〓〓
次の日。
朝、教室へ入る。
相沢はもう来ていた。
昨日怒っていた音はない。
完全に消えている。
俺を見つける。
「鳴海」
「おはよう」
「おはよ。昨日のやつできた」
「動画の?」
「そう」
スマートフォンを出そうとして、先生が来るのを見てやめる。
「昼休み見せる」
「分かった」
それだけだった。
昨日のことを蒸し返さない。
わざと冷たくもしない。
でも昨日怒ったこと自体を、なかったことにしているわけでもない。
俺が同じ言い方をしたら、たぶんまた怒る。
その感じも分かる。
「相沢」
「ん?」
「昨日、まだ怒ってる?」
聞くと、相沢は変な顔をした。
「今?」
「うん」
「別に」
本当に別にだった。
「昨日は怒ってたよ」
「昨日はな」
「今日は?」
「もう謝ったじゃん、お前」
「うん」
「じゃあ終わりだろ」
終わり。
短い。
分かりやすい。
「嫌いになったりしないの?」
相沢がさらに変な顔になる。
「そのくらいで?」
「怒ってたから」
「ムカついたのと、もうお前と喋りたくないのは別だろ」
相沢は机へ鞄を置く。
「ていうか、俺が怒ったくらいで何でそんな気にしてんの?」
「他の人は違う時あるから」
「何が?」
「怒ってないって言って怒ってたり。大丈夫って言って大丈夫じゃなかったり」
相沢が少し考える。
「まあ、あるけど」
「相沢はそのままだから楽」
「またそれ言うな」
入学初日に似たことを言った。
聞いていて楽。
あの時より、今はもう少し意味が分かる。
相沢は嬉しければ嬉しい。
嫌なら嫌。
腹が立てば怒る。
その場で言う。
終われば終わる。
俺が聞こえているものと、本人が出す言葉の差が小さい。
だから、信じる時に確認するものが少なくていい。
「褒めてるよ」
俺が言う。
「今回はたぶん付けねえの?」
「付けない」
相沢が笑った。
「ならいいや」
チャイムが鳴る。
相沢が自分の席へ戻っていく。
昨日、俺は相沢を怒らせた。
今日、相沢は普通に話しかけてきた。
それだけのことだった。
でも俺には、その二つがちゃんとつながっていることの方が大事だった。
怒っても、関係を終わらせたいわけじゃない。
嫌なことは嫌だと言う。
明日になれば、また普通に話す。
相沢は、本当に分かりやすかった。




