↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鳴海楽は努力しない  作者: 悪癖


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
13/56

第13話 勝ち続ける子供

次の秋も、俺はコンクールに出た。


地方予選。


長野県大会。


全国大会。


去年と同じ順番だった。


会場へ行く。


知らないピアノを触る。


曲を弾く。


結果を待つ。


一度やったことだから、去年より分からないことは少ない。


お辞儀の仕方も覚えている。


受付で何をするかも知っている。


待つ時間が長いことも知っている。


変わったのは、弾く曲と、俺の身体と、周りの人だった。


一年経ったから、手も少し大きくなった。


前は届かなかったところに届く。


「ここ、届くようになった」


水原先生の教室で言うと、先生が俺の手を見る。


「本当ね」


「去年は無理だった」


「身体が大きくなったもの」


「練習してないのに」


「手の大きさは練習で伸ばすものじゃないでしょう?」


「そうだった」


先生が笑う。


「だから、去年選べなかった曲も少しずつ使えるようになるわ」


できることが勝手に増えるのは便利だった。


ただ、指が届くようになったからといって、毎日長く練習するようにはならなかった。


水原先生に言われたことはやる。


必要な指使いを覚える。


楽譜の決まりも覚える。


身体に慣らす必要があるものなら、その分はやる。


終わったら終わりだった。


同じところを、できているのに何十回も続ける理由はない。


「今日、もう終わり?」


俺が聞く。


「楽くんとしては?」


「できた」


「私もそう思う」


「じゃあ終わり」


「待って。次の曲を見ましょう」


「まだあるの?」


「コンクールに出るんでしょう?」


「出るよ」


「なら必要」


それならやる。


水原先生は、もう俺の扱いにかなり慣れていた。


全国大会へ行くと、九条もいた。


俺は二年生。


九条は三年生。


去年より髪が少し長くなっていた。


俺を見つけると、すぐ来る。


「鳴海くん」


「九条」


「今年も来たわね」


「出るって言ったよ」


「覚えてる」


九条の音も覚えている。


声。


歩き方。


県大会の演奏。


全国大会の演奏。


去年の最後に悔しがっていた時の音。


でも、今年は少し違った。


立っているだけでも分かる。


前より落ち着いている。


「九条、去年より上手くなった?」


俺が聞く。


「まだ弾いてないでしょう?」


「違う。今」


「今?」


「身体の使い方」


九条が自分の手を見る。


「……先生にも言われた」


「じゃあ合ってた」


「何なの、それ」


嫌そうに言うけれど、少し嬉しい。


九条はすぐ表情を戻した。


「今年は勝つから」


「うん」


「またそれ」


「何て言えばいいの?」


「私も勝つ、とか」


「まだ弾いてないのに?」


「もういい」


去年も似た話をした気がする。


九条は変わった。


でも、この辺は変わっていなかった。


九条の演奏を聞く。


一年でかなり違った。


去年より音が増えたわけじゃない。


指が急に何本も増えたわけでもない。


でも、一つ一つの音に余裕がある。


前は良くしようとする力が少し前に出ていた。


今年はそれが減っている。


必要なところでは強い。


要らないところでは力を抜いている。


曲もよく見えている。


「上手くなってる」


俺が言うと、水原先生が頷いた。


「そうね。九条さん、またかなり伸びたわ」


「去年の九条だったら今年の九条に負けるね」


水原先生が俺を見る。


「そういう言い方する?」


「違う?」


「違わないと思うけど」


ならいい。


九条は最後まで崩れなかった。


拍手も大きい。


ほかの子も上手い。


でも九条は、その中でも分かりやすく違った。


そのあと俺も弾いた。


初めて触るピアノだった。


最初の音を出す。


響きを聞く。


客席を聞く。


その日の手の動きも分かる。


それに合わせて弾く。


去年と同じことだった。


曲は違う。


会場の空気も違う。


だから出す音も違う。


結果は、


第1位、鳴海楽。


第2位、九条綾音。


去年と同じだった。


「また2位」


九条が言った。


「うん」


「分かってるわよ」


「九条、去年より上手かったよ」


「それで負けてるのが嫌なの」


「でも上手くなったのは変わらないでしょ」


「そうだけど」


九条は賞状を見る。


悔しさは大きい。


でも、去年みたいに何が起きたのか分からないだけではなかった。


もう次に直すところを考えている。


「来年はもっと上手くなる?」


俺が聞く。


九条が顔を上げる。


「なる」


「じゃあまた聞く」


「……あなた、本当にそれだけね」


「何が?」


「何でもない」


九条は悔しそうなのに、少し笑っていた。


 

 

 

〓〓〓

 

 

 


次の年も同じだった。


俺は三年生。


九条は四年生。


地方予選を通る。


県大会を通る。


東京へ行く。


九条がいる。


去年より上手い。


俺も弾く。


第1位。


九条が第2位。


また次の年。


俺は四年生。


九条は五年生。


九条はもっと上手くなっていた。


前の年にできていたことを、そのまま繰り返しているわけではない。


音が変わる。


身体も大きくなる。


使える曲も増える。


考え方も変わっている。


聞けばすぐ分かった。


「去年よりいいね」


全国大会の後、俺が言う。


九条は賞状を持ったまま俺を見る。


「毎年言うわね」


「毎年違うから」


「どこが?」


「いっぱい」


「それじゃ分からない」


「去年より無理に音を作ってない。あと、弱いところが前よりちゃんと聞こえる」


九条の顔が少し変わる。


「ほかは?」


「終わり方もいい」


「ほか」


「まだいる?」


「いる」


俺は少し考える。


九条は本気だった。


「左の音、前より邪魔しない」


「……それ、黒川先生にも言われた」


「じゃあやっぱり合ってる」


九条が黙る。


少しして、


「あなた、私の演奏はちゃんと聞いてるのね」


と言った。


「聞いてるよ」


「なんで?」


「上手いから」


ほかの子より聞くものが多い。


それだけだった。


九条はなぜか少し困った顔をした。


「それで、今年もあなたが1位」


「そうだね」


「私、去年より上手いのよ」


「うん」


「あなたもそう思うんでしょう?」


「思う」


「でも負けた」


「結果はそうだね」


九条の眉が寄る。


「腹立つ」


「俺に?」


「半分くらい」


「残りは?」


「自分」


そう言ってから、九条は自分で頷いた。


「まだ足りないってことだから」


俺には、そうは思えなかった。


九条は十分上手い。


一位じゃないと上手くないわけではない。


でも九条にとっては、俺に勝てないところがまだあるなら、そこを探すらしい。


「大変だね」


「誰のせいだと思ってるの?」


「九条がやりたいからでしょ」


九条が止まった。


「……そうよ」


今度は怒らなかった。


「私が勝ちたいからやってるの」


「じゃあ俺関係ないじゃん」


「あるわよ!」


やっぱり怒った。


 

 

 

〓〓〓

 

 

 


俺が五年生になる秋。


九条は六年生だった。


今年で、同じ小学生部門に出るのは最後らしい。


「来年から私は中学生部門だから」


県大会の待ち時間に九条が言った。


「そうなんだ」


「知ってるでしょう?」


「今知った」


「……水原先生から聞いてないの?」


「たぶん聞いたかも」


「どっち?」


覚えていない。


コンクールの部門の決まりは、必要になれば確認すればいい。


九条は額に手を当てた。


「五年も一緒に出てるのに」


「毎年出るのは覚えてるよ」


「そこじゃないのよ」


九条は長く息を吐いた。


もう前ほど、俺の答えで本気で怒らなくなった。


慣れたらしい。


その年の全国大会では、俺と九条が同じ課題曲を選んだ。


バッハ《平均律クラヴィーア曲集》第1巻の前奏曲とフーガ。


同じ楽譜。


同じ会場。


同じピアノ。


俺より先に九条が弾く。


五年前、初めて聞いた九条とは全然違った。


身体が大きくなった。


手も大きい。


使える音の幅が増えている。


でも一番違うのは、そこじゃない。


前奏曲が始まる。


音が流れる。


九条は急がない。


同じ形が続いても、ただ並べない。


どこへ向かっているか分かっている。


フーガへ入る。


一つの声。


次の声。


また増える。


それぞれを残したまま進む。


昔なら、全部をはっきり見せようとして少し力が入っていたかもしれない。


今は違う。


出すものと引くものを選んでいる。


客席もよく聞いている。


九条の音だけに集まっている。


最後まで崩れない。


終わる。


拍手。


俺は普通に拍手した。


「すごかったね」


隣の水原先生へ言う。


「ええ」


先生もかなり真剣に聞いていた。


「本当に上手くなったわ」


「最初の九条と全然違う」


「何年も積み重ねてきたもの」


何年も。


俺は九条がどれだけ練習したか全部は知らない。


でも毎年聞けば、変わったことは分かる。


一年前の九条なら、今の九条には勝てない。


たぶん二年前ならもっと無理だ。


九条は毎年、自分を前の年より上へ持ってきていた。


すごいと思う。


俺は同じことをしようとは思わないけれど。


俺の番になる。


舞台へ出る。


同じピアノ。


さっき九条が弾いた音も、そのまま覚えている。


でも真似する理由はない。


九条の演奏は九条には良かった。


俺が今弾くなら、別だ。


座る。


客席を聞く。


九条の演奏のあとだから、空気が少し違う。


良い演奏を聞いた後の集中が残っている。


期待もある。


比較しようとしている人もいる。


ピアノも、九条が弾いた直後の状態。


鍵盤へ指を置く。


最初の音。


鳴らす。


分かる。


今日はこれ。


前奏曲を始める。


同じ楽譜に書いてある音。


でも、九条と同じにはならない。


一つ置く。


次。


会場の残り方に合わせる。


音を重ねる。


少し前へ。


ここは待つ。


客席が静かになる。


なら、もっと小さくできる。


小さくしても消えない。


そのまま進む。


フーガ。


一つ目の声。


二つ目。


増える。


全部を同じ大きさにする必要はない。


今、聞かせたいものを前へ出す。


次は入れ替える。


ピアノが返してくる音に合わせる。


その瞬間ごとに、一番いいと思う方を選ぶ。


俺にとっては、それだけだった。


終わる。


響きが消える。


拍手。


立つ。


お辞儀。


戻る。


舞台袖に九条がいた。


「鳴海くん」


「なに?」


「今年の私、どうだった?」


いきなり聞かれた。


「今までで一番上手かった」


九条が少し笑う。


「当然」


「最初に会った時と全然違う」


「何年経ったと思ってるの」


「五年?」


「そこは覚えてるのね」


「たぶん」


「たぶんなの?」


九条は笑った。


前なら怒っていたところだ。


「鳴海くん」


「なに?」


「あなたは、今年の私なら勝てるかもって思わなかった?」


「弾く前?」


「そう」


「思わない」


九条の笑顔が消える。


「……やっぱり?」


「勝つかどうかより、九条の音聞いてた」


「私はずっとあなたに勝とうとしてたのよ」


「知ってる」


「知ってて、それ?」


「だって俺まで九条に勝つことばっかり考える必要ないでしょ」


九条は黙った。


怒るかと思った。


でも怒らなかった。


「本当に、最後までそれなのね」


「最後?」


「同じ部門は今年まで」


「ああ」


「来年、私は中学生」


「うん」


九条は少しだけ寂しそうだった。


それより、まだ勝ちたい音の方が強い。


「じゃあ、今日勝てるといいね」


俺が言うと、


「演奏終わってから言わないで」


と返された。


 

 

 

〓〓〓

 

 

 


結果は変わらなかった。


第1位。


鳴海楽。


第2位。


九条綾音。


名前が呼ばれる。


前へ行く。


賞を受け取る。


何年も同じことをしている。


戻ると、水原先生が笑っていた。


父さんも結果の紙を見ている。


「また一番か」


「うん」


「そうか」


父さんはそれだけだった。


九条も賞を受け取って戻ってくる。


悔しい。


五年前と同じ。


でも、悔しさの中身は少し違った。


何が違うのか分からなくて困っているだけじゃない。


自分がどれだけ上手くなったかも分かっている。


それでも届かなかったことが悔しい。


「九条」


俺から呼ぶ。


「何?」


「やっぱり今年が一番上手かったよ」


「2位だけどね」


「2位でも変わらないでしょ」


「あなたはそう言うと思った」


九条が賞状を見る。


「来年は部門が違う」


「うん」


「でも、その次はまた同じになるから」


「そうなの?」


「あなたが中学生になればね」


そういう順番らしい。


「じゃあまたその時聞く」


九条が俺を見る。


「その時は勝つから」


「うん」


今度は怒らなかった。


「もう、その返事にも慣れた」


「よかったね」


「よくない」


そう言いながら、九条は笑っていた。


五年間。


九条は毎年上手くなった。


俺も身体が大きくなって、弾ける曲が増えた。


会場へ行くたび、違うピアノがあった。


違う客席があった。


違う音があった。


結果だけを見ると、ずっと同じだった。


俺が一位。


九条がその次。


でも、音まで同じだった年は一度もない。


だから俺は、毎年それなりに面白かった。


来年は九条が同じ部門にはいない。


それで何か困るわけではない。


また別の音を聞けばいい。


俺は賞状を父さんに渡して、会場の外へ出た。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。