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第九話 夜明け前

朝の白河は、

異様な静けさに包まれていた。


昨夜の見回り隊。


戻ってきたのは、

二人だけだった。


しかも一人は、

半狂乱だった。


「いたんだ……!

 雪の中に……!」


男は震えながら叫ぶ。


「笑ってた……

 あれ、人じゃねぇ……!」


町人たちは顔を青くした。


侍たちですら、

まともに相手にならない。


そんな噂が、

白河中へ一気に広がっていく。


久世家でも、

空気は重かった。


由美は雪弥を抱きながら、

不安そうに外を見る。


「最近、

 物騒すぎるわ……」


高志は黙っていた。


昨夜の悲鳴。


あれは自分にも聞こえた。


そして。


頭の奥で、

何かがずっと警鐘を鳴らしている。


逃げろ。


まだ間に合う。


そんな感覚。


でも。


どこへ逃げればいいのか分からない。


その時。


「高志いるかー!」


大きな声。


障子が開く。


入ってきたのは、

朝倉源蔵だった。


咲の父親。


大柄な男で、

猟師をしている。


髭面。


声もでかい。


でも面倒見は良かった。


「源蔵さん」


高志が立ち上がる。


源蔵は難しい顔をしていた。


「昨夜の件、

 山の獣じゃねぇ」


低い声。


いつもの豪快さが無い。


由美が不安そうに聞く。


「……何か分かったんですか」


源蔵は少し黙った。


それから。


「死体にな。

 噛み跡みてぇなのがあった」


部屋の空気が冷える。


高志の背筋へ、

嫌な寒気が走る。


源蔵は続けた。


「熊でも狼でもねぇ。

 あんなの見たことがねぇ」


雪弥は由美の腕の中で、

静かに源蔵を見ていた。


獣の匂い。


雪の匂い。


煙草の匂い。


嫌いじゃなかった。


その時。


「雪弥ー!」


また元気な声。


咲だった。


咲は雪だらけのまま、

勢いよく入ってくる。


「父ちゃん、

 置いてかないでよ!」


源蔵が呆れる。


「危ねぇから来んなって言っただろ」


「だって暇なんだもん」


咲はそう言いながら、

雪弥の前へ座った。


近い。


でも。


雪弥は泣かない。


咲の匂いは落ち着いた。


陽だまりみたいな、

柔らかい匂い。


雪弥は小さく手を伸ばす。


咲が笑う。


「また掴んだ!」


由美も少し笑った。


その瞬間だけ。


久世家の空気が、

少し柔らかくなる。


でも。


高志だけは笑えなかった。


窓の外を見る。


白河の空。


重たい雲。


嫌な予感が消えない。


夜。


高志は一人、

縁側に座っていた。


刀が隣に置いてある。


なぜ持ち出したのか、

自分でも分からない。


でも。


必要になる気がした。


雪が降っている。


静かな夜。


その時。


後ろから、

小さな笑い声。


振り向く。


由美に抱かれた雪弥が、

笑っていた。


初めて見る笑顔だった。


高志の胸が少しだけ緩む。


でも。


次の瞬間。


遠くの山が赤く染まった。


ぼうっ。


炎みたいな赤い光。


高志の顔から、

血の気が引く。


頭の奥で。


何かが叫んだ。


知っている。


あれを知っている。


赤い雪。


燃える白河。


絶叫。


高志は無意識に、

刀を強く握っていた。

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