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第十話 代償

白河の夜は、

異様な静けさに包まれていた。


雪だけが降っている。


町から人の気配は消え、

戸という戸は固く閉ざされていた。


久世家の囲炉裏も、

今夜は妙に寒かった。


高志は刀を腰へ差している。


由美は雪弥を抱き、

不安そうに戸の方を見ていた。


「……今日中に出よう」


高志が低く言う。


由美が顔を上げる。


「白河を?」


「あぁ」


理由は説明できない。


でも。


ここにいてはいけない。


そんな感覚だけが、

頭の奥で叫び続けていた。


その時。


こん、こん。


戸を叩く音。


全員が固まる。


静かな夜。


雪の音しか聞こえない。


もう一度。


こん、こん。


高志が刀へ手をかける。


「……誰だ」


返事は無い。


代わりに。


戸の向こうから、

くすくす笑う声がした。


高志の背筋が凍る。


ゆっくり戸を開ける。


そこにいたのは、

朝倉咲だった。


顔面蒼白。


涙でぐしゃぐしゃだ。


「高志さん……

 父ちゃんが……」


震えている。


その瞬間。


高志は理解した。


遅かった。


ぞわり。


空気が歪む。


屋根の上。


黒い影。


長い腕。


白い顔。


裂けた口。


そして。


それは笑っていた。


「見ィつけた」


低い声。


人間みたいに喋った。


咲が凍りつく。


高志が叫ぶ。


「下がれ!!」


化け物――界骸は、

ぬるりと屋根から降りる。


異様に長い身体。


細い。


なのに、

腕だけが異常に太い。


裂けた口が、

楽しそうに歪む。


「今回のお前、

 弱くねぇ?」


高志の呼吸が止まる。


“今回”。


そいつも知っている。


高志が刀を抜く。


身体が勝手に動いた。


踏み込み。


斬撃。


速い。


界骸の腕が飛ぶ。


でも。


界骸は笑った。


「うわ、

 やっぱ覚えてんじゃん」


飛んだ腕が、

雪の上で蠢く。


再生する。


咲が悲鳴を漏らす。


「やっ……」


界骸は、

その声へ反応した。


ゆっくり咲を見る。


にたり。


「お。

 見物人いた」


嫌な笑い方だった。


人を怖がらせることを、

理解している笑い。


高志が前へ出る。


「見るな」


界骸は首を傾げる。


「なんで?」


次の瞬間。


ぐしゃっ。


由美の右脚が、

膝から消えた。


「あぁぁぁぁぁぁっ!!」


絶叫。


血が雪へ散る。


雪弥が泣く。


咲も叫ぶ。


界骸は笑っていた。


「いいねぇその顔」


由美は倒れながらも、

雪弥を抱き締める。


涙。


血。


震える身体。


高志が怒鳴る。


「由美ィ!!」


突っ込む。


刀が界骸の肩を裂く。


だが。


界骸は避けない。


むしろ楽しそうだった。


「怒った怒った」


次の瞬間。


高志の左腕が飛んだ。


遅れて血が噴き出す。


「がぁっ!!」


咲の顔から血の気が引く。


界骸は笑いながら、

転がった高志の腕を拾う。


そして。


ぐちゃり。


目の前で噛み潰した。


咲が震える。


涙が止まらない。


界骸はわざと、

咲へ見せつけていた。


「ほら見ろよ。

 お前の好きな大人、

 中身こんなんだぞ?」


最低だった。


クソ野郎だった。


高志は血を吐きながら、

立ち上がろうとする。


界骸がその頭を踏みつける。


ぐりっ。


雪へ顔が沈む。


「なぁ刻守。

 今回も守れねぇ気分どう?」


高志の瞳が揺れる。


赤い雪。


燃える町。


過去の断片が流れ込む。


界骸は笑う。


「思い出してきた?」


その時。


由美が最後の力で、

雪弥を咲へ押し出した。


「……逃げ、て……!」


咲が雪弥を抱く。


怖い。


脚が震える。


でも。


逃げなきゃいけない。


界骸はその様子を見て、

嬉しそうに笑った。


「いいねぇ。

 その顔覚えとけよ」


そして。


高志の首を掴む。


ゆっくり。


本当にゆっくり。


咲へ見せつけるように。


めきっ。


嫌な音。


高志の首が、

不自然に曲がった。


咲の喉から、

声にならない悲鳴が漏れる。


由美は泣いていた。


でも。


次の瞬間。


界骸の腕が、

由美の胸を貫いた。


血。


静寂。


雪だけが降っている。


咲は動けなかった。


雪弥を抱えたまま。


涙を流しながら、

その光景を見ていることしかできなかった。


その少し離れた場所。


紫苑が立っていた。


黒い着物。


長い黒髪。


白い肌。


静かに、

その光景を見ている。


表情は変わらない。


でも。


紫の瞳だけが、

ほんの少しだけ沈んでいた。


界骸が笑う。


「見てるだけかよ」


紫苑は何も答えない。


界骸は鼻で笑った。


「ほんと性格悪ィな、お前」


紫苑はゆっくり目を伏せる。


そして。


踵を返した。


雪の中へ消えていく。


何も言わずに。


残されたのは。


血。


死体。


泣き続ける雪弥。


そして。


涙を流しながら、

雪弥を強く抱き締める咲だけだった。


――数日後。


朝倉家。


囲炉裏の火が静かに揺れている。


雪弥は眠っていた。


朝倉源蔵は煙管を咥え、

黙って座っている。


その隣。


咲は雪弥を抱いていた。


「ほら雪弥、

 またそんな顔してる」


無理やりみたいに笑う。


でも。


その手だけは、

ずっと震えていた。


外では雪が降っている。


白河は静かだった。


まるで。


何も無かったみたいに。

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