第三十三話 世話焼き
澪は、翌朝も来た。
「起きてはる?」
返事を待たずに障子が開く。
雪弥は火鉢の前で座っていた。
咲は布団の中で、
雪弥の羽織を握ったまま眠っている。
澪は眉をひそめた。
「また寝てへんやろ」
「……寝た」
「嘘や」
澪は勝手に部屋へ入り、
包みを置いた。
握り飯。
干し魚。
味噌汁。
「食べ。
戦うにも、
生きるにも、
腹が空いてたら話にならへん」
雪弥は少し黙る。
「……なんで毎日来る」
澪は当然みたいに言った。
「隣やから」
「……理由になってない」
「なってる」
即答だった。
咲がゆっくり目を開ける。
「……澪」
澪の顔が柔らかくなる。
「おはよう、咲さん」
咲はぼんやり笑った。
澪は咲の髪を梳く。
片手で乱れた髪を整え、
器用に結んでいく。
咲は嫌がらない。
むしろ、
少しだけ落ち着いていた。
雪弥はその様子を見ていた。
澪は普通の娘に見えた。
よく喋る。
世話を焼く。
少し強引。
でも。
時々、
匂いが薄くなる。
そこにいるのに、
いないみたいになる。
昼。
長屋の外が騒がしくなった。
「また出たぞ!」
「裏の井戸だ!」
人の声。
悲鳴。
澪の手が止まる。
さっきまでの柔らかい顔が、
すっと消えた。
「雪弥」
初めて、
呼び捨てだった。
雪弥が見る。
澪は咲をそっと布団へ寝かせる。
「咲さんから離れんといて」
「……お前は」
澪は襷を結び直す。
薄藍の着物。
白い前掛け。
ただの長屋娘。
なのに。
空気が変わっていた。
「ちょっと見てくるだけや」
外へ出る。
雪弥も障子の隙間から見る。
井戸のそば。
黒い影がうずくまっていた。
界骸。
まだ小さい。
でも、
確かに人ではない。
長屋の人間たちは腰を抜かしている。
澪はその前に立った。
手には包丁も刀もない。
ただ。
懐から一枚の紙を出す。
札だった。
澪が低く呟く。
京言葉ではない。
古い響き。
札が白く光る。
次の瞬間。
界骸の身体が、
地面へ縫い付けられた。
ぎゃああああっ!!
黒い影が暴れる。
澪は眉一つ動かさない。
「声、大きいわ」
札をもう一枚投げる。
界骸は黒い煙になって崩れた。
でも。
消えきってはいない。
黒い煤のようなものが、
井戸の周りに残る。
澪はそれを見て、
小さく息を吐いた。
「……白炎やないと、
やっぱり無理か」
雪弥の目が細くなる。
澪は振り返った。
いつもの柔らかい笑顔に戻っている。
「見てたん?」
雪弥は黙っている。
澪は少し困ったように笑った。
「内緒にしといてな」
雪弥は静かに聞いた。
「……何者」
澪は答えない。
ただ、
白い襷をほどきながら言った。
「ご飯、
冷めるえ」
長屋の朝は、
何事もなかったみたいに戻っていく。
でも雪弥だけは、
澪から目を離せなかった。




