第三十一話 壬生長屋
刻議衆の男に教えられた長屋は、
壬生の外れにあった。
古い建物だった。
壁は薄く、
隙間風も入る。
でも。
今の雪弥と咲には、
十分だった。
部屋へ入ると、
咲がぼんやり辺りを見回す。
小さな火鉢。
畳。
古い障子。
何もない部屋。
それでも。
咲は少しだけ笑った。
「……ここ?」
雪弥は荷物を置く。
「……ん」
背中から降ろされた咲は、
布団へ座り込んだ。
その背には、
源蔵の猟銃。
ずっと手放さなかったもの。
雪弥は火鉢へ炭を入れる。
火が小さく揺れる。
外では、
京の喧騒が遠く聞こえていた。
怒鳴り声。
笑い声。
下駄の音。
白河とは違う。
でも。
この部屋だけは、
少し静かだった。
夕方。
雪弥は井戸から水を運び、
米を炊いていた。
咲は布団へ座ったまま、
その姿をぼんやり見ている。
雪弥は黙って動く。
慣れていた。
白河でも、
源蔵の手伝いはしていたから。
湯気が立つ。
味噌の匂い。
咲が小さく呟く。
「……いいにおい」
雪弥は振り向かない。
「……腹減っただけ」
咲が少し笑った。
昔みたいな笑い方だった。
雪弥は茶碗を咲へ渡す。
咲は片手で、
ぎこちなく受け取った。
少しこぼす。
雪弥は何も言わず、
黙って拭いた。
咲はその手を見ている。
「……雪弥」
「なに」
咲は少しだけ黙った。
それから。
「……大きくなったね」
雪弥の手が止まる。
火鉢の火が揺れた。
でも。
次の瞬間。
咲はもう、
ぼんやり火を見ていた。
戻ってしまった。
雪弥は静かに目を伏せる。
夜。
外ではまた、
誰かが騒いでいた。
「人斬りだ!!」
遠くで怒鳴り声が響く。
でも。
長屋の人間は、
誰も外へ出ない。
慣れている。
京では、
人が死ぬのが日常だった。
咲は少し怯えたみたいに、
雪弥へ身体を寄せる。
雪弥は火鉢へ炭を足した。
その時。
赤い火へ、
指先が触れる。
普通なら火傷する熱さ。
でも。
雪弥は何も感じなかった。
咲が小さく目を瞬く。
「……熱くないの?」
雪弥は火鉢を見る。
それから。
自分の指先を見る。
「……分かんない」
火が揺れる。
ほんの一瞬だけ。
火鉢の奥で、
白い火が混じった気がした。
でも。
すぐに消えた。
雪弥は黙って火鉢を見る。
外では、
京の夜が騒いでいた。
でも。
この小さな部屋だけは、
少しだけ温かかった。




