第十四話 雪の匂い
万延元年。
桜田門外の変
から、
白河の空気は変わった。
侍たちは荒れ。
浪人は増え。
夜道では、
誰も後ろを振り返らなくなった。
雪弥は十になっていた。
朝倉家の庭。
雪の残る朝。
雪弥は黙々と薪を割っている。
細い身体。
でも。
腕の動きは妙に鋭い。
斧が振り下ろされる。
ざんっ。
綺麗に割れた。
縁側で見ていた咲が、
感心したように言う。
「ほんと上手くなったねぇ」
雪弥は答えない。
次の薪を置く。
ざんっ。
また綺麗に割れる。
咲は頬杖をついた。
「無視ですか」
「……聞こえてる」
「じゃあ返事しなよ」
雪弥は少しだけ視線を上げる。
「必要?」
「ある」
即答だった。
雪弥は小さく息を吐く。
それを見て、
咲が笑う。
昔からそうだった。
雪弥は感情が薄い。
でも。
ちゃんと聞いている。
ちゃんと覚えている。
その時。
朝倉源蔵が裏口から戻ってきた。
猟銃を肩へ担いでいる。
でも。
顔は険しかった。
「山に入るな」
咲の笑みが少し消える。
「また?」
源蔵は頷いた。
「鹿が全部逃げてる」
異常だった。
山が静かすぎる。
獣がいない。
鳥も鳴かない。
雪弥は薪を置く。
そして。
風の匂いを嗅いだ。
冷たい。
雪。
血。
それと。
奥に混じる、
腐った臭い。
雪弥の目が細くなる。
「……いる」
源蔵が雪弥を見る。
「分かるのか」
雪弥は頷かない。
ただ。
山を見ていた。
その夜。
白河では、
また人が消えた。
辻斬り。
皆はそう噂した。
でも。
死体は見つからない。
血だけが残る。
町人たちは戸を閉め、
灯りを消すのが早くなった。
咲は囲炉裏の前で、
黙って針仕事をしている。
その横顔を、
雪弥はぼんやり見ていた。
咲は昔と変わらずよく笑う。
でも。
雪の日だけは、
時々眠れなくなる。
雪弥は知っていた。
咲が夜中、
一人で起きていることを。
夢を見ることを。
でも。
何も言わない。
咲も何も言わない。
その距離が、
二人には自然だった。
外で風が鳴る。
その瞬間。
雪弥が顔を上げた。
「……来る」
咲の手が止まる。
源蔵は無言で猟銃を掴んだ。
次の瞬間。
外から、
笑い声が聞こえた。
くつくつくつ――。
人間みたいな声。
でも。
人間じゃない。
雪弥はゆっくり立ち上がる。
その目には、
恐怖が無かった。
まるで。
ずっと待っていたみたいだった。




