四 港湾都市シーダーライン
夏の海と聞けば学生時代の楽しい思い出が蘇るはずなのだが、シーダーラインの港から見た海はまた別の穏やかさを持っている。
だが、港そのものは活気に溢れており、ドックにはガーネット王国や近隣貴族の交易船が停泊している。
この地にエリカが足を運んだのは今日が初めてだった。
傍らに控えるクレアにエリカは顔を寄せる。
「クレア叔母様。話には聞いていましたが、素晴らしい街並みですね」
「はい。ここはスタンフォード領の経済基盤の大半を占める要地ですし、対外的視点にさらされやすい場所でもありますから」
「問題は少なさそうですか?」
「はい。治安面では酒場での揉め事が起きやすいくらいで、その他の問題は起きておりません」
「船の維持については?」
「五隻中、一隻は現在修繕中ですが、当月内には終了する予定です。資金面では問題ございませんが、修繕に必要な物資の備蓄が少なくなりつつありますので、年内には買い入れも検討すべきかと存じます」
「軍事費の収支と照らし合わせて問題がなさそうであれば、すぐにでも買い入れておいてください」
「承りました」
クレアが満足げに頷いた。ここでもエリカは合格点を獲得できたようだ。
エリカは港の奥に鎮座している自家の船を眺めた。前世のような高層建築物が少ないこの世界では、船そのものの存在感は凄まじいものがある。
エリカはふと気になって、クレアに尋ねる。
「クレア叔母様は乗船したことがありますの?」
「はい。何度となくございます」
「海賊討伐で?」
そう聞くとクレアは伏し目がちに答える。
「いえ。大半は演習の為でして。祖父の代は海賊が跋扈していたので討伐機会も多かったそうですが、今は稀に姿を見せる海棲の魔物を討伐するくらいです」
「そうでしたの。では、近々演習の準備をしましょうか。わたくしも次期当主として経験しておく必要がありますし」
「承知しました」
「ブラッドリーさんは船上での戦闘経験がおありかしら?」
エリカが急に振り向くので、船に見とれていたキャサリンは慌ててエリカの方に向き直る。
「いえ、自分は全く……」
「じゃあ、この夏休み期間に演習を行えば三人とも経験を積むことができますわね」
わざと茶目っ気たっぷりに言うエリカだったが、予想に反してクレアは顔をしかめる。
「エリカ様。お気持ちは分かりますが、船を動かすのにも様々なものが必要になります。せめて冬頃でご検討頂かなければ……」
「叔母様も人が悪いですわ。冬頃となるとクリスマス休暇ですわよね。その時期に有事でもないのに兵士を動かすことなどできませんから」
クレアは自分をなるべく船に乗せたくないのだとエリカは勘づいている。陸上と違い、海上は対応できない危険が大きい。だからこそ、次期当主とはいえまだ学生の身である姪を不必要な危険にさらしたくないという彼女の心配も理解できる。
だが、長時間かけてやって来た港湾都市の一番の目的である船に乗り込むだけでも、色々なしがらみがあると感じたエリカは、水を差された気分を拭えない。別に観光や遊びで来たわけではないが、やはり目玉のものに飛びつけないとあってはもやもやした気分を抱えるのも仕方ない。
「まあ、ドックの方に顔を出しておくくらいのことはしておきたいですわね。今日はあくまで巡察に重きを置いていますから、後日改めて伺うことにしましょうか」
とはいえ、いつまでも駄々をこねても始まらない。エリカは話題を変えつつ、街の方へと引き返していく。
港から街の間には市場が広がっており、様々な物品が取引されている。地面には絨毯のようなものが敷かれており、そこに品々が所狭しと並んでいる。頭上には申し訳程度のひさしが張り巡らされている。
その余りにも簡易的な造りは、小学校などで日曜日に行われるバザーの様子を想起させ、懐かしさを覚えたエリカは、せっかくだからウィンドウショッピングにでも洒落込もうと、クレアとキャサリンを誘って市場へと足を踏み入れる。
本来ならば次期当主としての“お勉強”で各地を回っているわけなので、関係のない事柄にはなるべく時間を割かないようにする必要があるのだが、クレアはそれを黙認した。
何と言っても可愛い姪に甘くなるのは仕方ないことだし、エリカは期待以上に次期当主として必要な知識を深めており、研鑽も怠っていない。少しくらい自由な時間があっても罰は当たらないだろうとクレアは思っている。
ざっと見て回る中でエリカは商品の値段が総じて安いことに気付く。地域性故のものかと別段気にも留めようとしなかったが、クレアが何かを言いたげな目線でこちらを見ていたのに気付き、思わぬところで次期当主としての”試験問題”を引き当ててしまったと内心後悔する。
クレアからのこれ以上の関心を逸らす為、エリカはさりげなさを装いつつアクセサリーを売っているお店を覗いた。
敷物の上に並べられたアクセサリーは貝殻や石を加工した造りで、どのデザインもシンプルだが、よく見れば一つ一つに丁寧な細工が込められているのが分かる。
店主を見れば普通の男性だが、堂々とした振る舞いや自然な笑みの奥に確かな自信を覗かせている。
「いらっしゃい……って、これは代官様!今日も見回りですか?」
「いや、今日は別件でな。店主、こちらは……」
「クレア叔母様。堅苦しいのは抜きにしましょう。今はこちらの素敵な装飾品を楽しませてもらいませんと」
今は立場などを忘れてのんびりと過ごしたい。それはエリカの本心だったが、先のやり取りだけで彼女が何者なのかは、スタンフォード家の領民であれば容易に想像がつくことだった。
「お嬢様とは思わず失礼しました!」
「いえ、気になさらないでくださいな。今のわたくしはただの学生なのですから、普通に接してくださると嬉しいですわ」
「エリカ様と分かって普通に接し続けられる者はまずおりませんよ」
キャサリンが小声でつっこむが、エリカは聞こえないふりをしつつも品物を吟味していく。一目見た時からこの店でアクセサリーを買うと心に決める程に、彼女の好みのものばかりがそこには並んでいる。
前世では憧れだが決して手に届かない宝石なども、貴族の娘として生まれてからは身近なものの一つに過ぎなかった。転生したばかりの頃は、長年の夢が遂に叶ったと心の中で大騒ぎしていたエリカだったが、一ヶ月も経たないうちにそういった豪華なものが肌に合わないことを思い知っている。
自分でも気付かないうちに鼻歌を歌いながら、エリカは時間をかけてアクセサリーの一つ一つに目を凝らし、それを身に着けている自分の姿を夢想した。
とはいえあまり時間をかける訳にもいかず、散々悩んだ末にエリカは一つのブレスレットを手に取った。
小さいがよく磨かれた緑の石がある以外は代わり映えのしないものだが、そのシンプルさと身軽さに心を惹かれた自分がいる。
だが、それ以上に購入の決め手となったのは、色違いが多かったことだ。
「こちらのブレスレットを。それと同じもので赤と青のものもお願いします」
代金を差し出すと店主は恐縮しながらも受け取り、三つのブレスレットをエリカに渡した。
「はい、どうぞ。クレア叔母様には赤色、ブラッドリーさんには青色が似合うと思いまして」
「エリカ様……」
「ありがとうございます……」
感極まった様子でそれぞれの贈り物を見つめる二人の様子に、急に照れくささを覚えたエリカはいそいそと店を後にする。だが、その間にエリカはさっそく左手首に緑のブレスレットを着けた。
誰かとお揃いのものを身に着けたことは一度もなかったが、だからなのか何だか眩しい気持ちを覚えて嬉しくなっている自分がいることを、エリカは確かに実感していた。
それに、お揃いのものを相手が身に着けてくれているのを目にするのは心が弾む。エリカは終始ご機嫌だった。
二人はそんなエリカの様子に暖かな気持ちを覚える。年不相応な程の聡明さと大胆さによって忘れがちになるが、彼女は紛れもなく未だ学生の身なのだ。次期当主としての務めや貴族間の政治的駆け引きも大切だが、せめて少しの安らぎの時間があっても良いのではないかと思うのが人情だった。
市場を抜けると大きな酒場がある。一階の海側には壁がなく、ビアガーデンのように屋外の飲食スペースと地続きになっている。
にわかに空腹を覚えたエリカはそこで昼食をとることにした。
思い思いの料理を注文し、席を探す。エリカが屋外の方へと向かおうとした時、クレアがそっと彼女を制止した。
「どうしたんですの、クレア叔母様?」
「いえ、少し面倒な者がいるのに気付きまして」
その言葉にキャサリンが警戒を強める。そこでその者をじろじろと見ようとするようなことはせずに、手元の料理に視線を固定しながらエリカはクレアに尋ねる。
「犯罪者ですか?」
「いえ、その逆です。有志として迷子を捜したり盗人を捕まえたりしています。ただ、手っ取り早く片をつけて欲しい人達から依頼を受けて行動することが多いようです」
「まるで傭兵みたいですが、それでもありがたいことでしょうに。ということは、素直にそう思えない難点をお持ちなのですか?」
「はい。直に実感されるかと思います。向こうがこちらに気付いたようですので」
そう言われてエリカが視線を向けると、屋外の飲食スペースから一人の女性が獲物を見つけた肉食獣のように瞳をギラギラさせながら、こちらへと歩いてくるところだった。
ざっと見たところ、身体はよく鍛えられている。肌は日に焼けてほんのりと小麦色をしているが、まだ幼さが見え隠れする顔つきから自分と同じか、少し年上だとエリカは見当をつけた。
「よお、クレア様!お仕事の合間に休憩ってやつかい?」
「ああ」
「そうかい!代官様も大変だな!でも、もっと部下にも仕事を振ってやらねえと退屈しちまうんじゃねえか?」
「私はあくまで領地を預かる身。自分も動くのは当然のことだ」
「本当に真面目だね。まあ、威張り腐って机の前でふんぞり返ってるだけの連中に比べりゃ大したもんか。それにしたって、もっと肩の力を抜いても良いんじゃねえか?」
どういう関係かは知らないが、初対面の相手がいる前で馴れ馴れしい口調を続ける者はどうも慣れない。そしてこういう手合いは距離の詰め方が大胆過ぎるとエリカは経験則から学んでいる。
エリカはわざとらしくクレアの方を見ながら尋ねる。
「叔母様。こちらの方は?」
「ああ、お客さん付きってかい。邪魔しちゃって悪かったねえ。でも、相手に名前を尋ねる時はまず自分からって教わらなかったかい?お嬢ちゃん」
その言葉にキャサリンが目を細める。クレアも非礼を注意しようとしていたが、エリカは二人を軽く制止すると一歩前に出て自己紹介する。
「これは申し遅れました。わたくし、エリカ・スタンフォードと申します。改めてお名前をお聞かせ頂いても?」
「おっと、こいつは失礼しました。まさか次期当主の方がいらっしゃるとは思いませんものでね。
あたしはアン。この街の何でも屋みたいなもんですのでよろしくです」
そう言うとアンはわざとらしく右手を差し出す。だが、そのニヤニヤとした表情からはエリカが握手に応じないだろうと決め込んでいるのが容易に窺えた。
仮に握手に応じたとしても、不必要に力を込めて驚かせてやろうという魂胆も見え隠れしている。エリカはこういう面倒くさいタイプがあまり得意ではなかった。
「あら、そうですのね。少々お待ちくださいな」
そう言うとエリカは近くのテーブルに自分の料理を一旦おいて、彼女の手を取った。差し出された右手を見て、アンはニヤリと笑みを浮かべそうになるが、すぐにハッとした表情を浮かべた。
「領民の皆さんを守るのもわたくし達の務めですが、アンさんのような有志にご協力頂けるのは嬉しいことです。感謝しますわ」
そう言いながらエリカは両手で彼女の右手を軽く振る。だが、彼女の左手の親指がそれとなく人差し指と親指の付け根部分にある急所を押さえていることにアンはすぐ気付いた。
それでいて、自分のような最底辺の身分の者の手を自然と手に取ったことにも驚いている。目の前の少女はあまりにも自分が知っている貴族とはかけ離れた存在だということに、アンは今更ながらに思い至る。
「い、いえ……。そんな、まあ……」
猛烈に気まずさを覚えたアンはしどろもどろになりながらも何とか返事する。そんな彼女の姿に驚いたのはクレアで、目の前に本人がいるというのに、信じられないといった表情でまじまじとアンを見つめている。
キャサリンは依然としてアンに対する不快感を隠そうともしていなかったが、それでも先程よりは剣呑な雰囲気がいくらか和らいでいる。
そんな二人の様子を察知したエリカは、アンの角ばった手をそっと離すとにこやかな笑みを彼女に向ける。
確かに面倒くさい女性だが、人は悪くなさそうだ。それならばとりあえずは問題ないだろうとエリカは判断する。
「ちょっと、アン!また、誰かに迷惑をかけてるんじゃないでしょうね!」
突如響いた怒声の方へと向き直ると、そこには年若い女性が立っていた。
彼女の姿を見たエリカは、昼食を味わうのにはもう少し時間がかかりそうだと早くも諦め始めている。




