五 上に立つ者の務め
可愛らしさが残るものの美しさが際立ち始めた女性が、程よい筋肉質の女性を叱りつけている様子は実に奇妙だった。まして叱られている方は反抗する素振りも見せず、居心地悪そうに項垂れているのだから、余計に目のやり場に困る。
これが普段のエリカだったら、ゆっくりと眺めてみせてからかうくらいの余裕を見せるところだが、今は昼食を前にしている状況である。
エリカが買ったシーフードと野菜の炒め物からは既に湯気が消えている。王都に住んでいる身としては、その土地のものを出来立ての状態で食べるのは想像以上に難しい。特に、おいそれと市井に繰り出せない身であるからこそ、こういう機会は大きな楽しみの一つでもある。
そんなわけだからエリカは、礼節を後回しにして近くのテーブルで食事をとり始める。それに驚いたのはクレアだった。慌ててエリカの元に向かうと、小声とはいえ彼女をたしなめる。
「エリカ様。お話の途中ですよ!」
「先に礼儀をないがしろにしたのはあちらです。それにせっかくのお料理が冷えてしまいます」
「本音が出ていますよ」
「ええ。元よりそのつもりですわ。さあ、叔母様もブラッドリーさんもこちらにお座りになって。一人で食べるよりみんなで食べる方がより美味しいんですから」
そう言うとエリカは料理に舌鼓を打つ。だが、間が良いのか悪いのか、アンを叱っている女性がエリカ達の元へと走り寄ってくる。
「だからお諫めしたのです」
立ち上がりながらクレアがぼそりと言った小言を聞き流しながら、エリカはわざと時間をかけて食器を手元から遠ざける。
「すみません、クレア様。うちのアンがまたご迷惑をおかけしたみたいで……」
「ニコル。少なくとも今回に関してはアンが何か迷惑をかけたことはない……」
「うぇっへん!」
その瞬間、エリカが大きく咳き込む。キャサリンが慌てて彼女の背中を撫でようとするが、エリカはそっと左手を挙げて制止すると、申し訳なさそうにクレア達の方を見上げる。
「あら、お恥ずかしいですわ。気管に入ってしまったようでむせてしまいました」
咳き込みに反して、スラスラと話し始めるエリカにキャサリンはようやく先程のことが芝居だったことに気付いて拍子抜けする。そして、その芝居を打つ意味を悟って、心の中で苦笑いを浮かべた。
要は、食事の邪魔をされたと言いたいのだ。その気持ちは分かるものの、まるで貴族らしく慎み深さを気にしないところに、キャサリンは何とも言えない気分だった。
「えと……、クレア様のご友人の方でしょうか?」
「あー、そっち……じゃない、そちらはエリカ様。ここの次期当主だとよ……だってさ」
アンが慣れない言葉遣いに苦戦しながらもニコルに紹介する。エリカは立ち上がると微笑んだ。
「あら、自己紹介しようと思っておりましたのに。お名前をお聞きするなら自分からですものね」
エリカがいたずらっぽく笑うと、アンは気まずそうに左頬をかく。
「勘弁してくださいよ、エリカ様。もうかなりニッキーに絞られたんですって。これ以上は……」
「アン。一体あなたは他に何をやらかしたの?」
「い、いや。別にそんなことは……」
また楽しいやり取りが繰り広げられそうだったので、エリカはそれとなく間に入るとニコルの方へと顔を向ける。
「それで、あなたは?」
「ああ!も、申し遅れました!私、ニコルと言います!次期当主様とは知らずし、失礼しました!」
ニコルが慌てて頭を下げる。そしてそのまま動かなくなった。きっと、自分達の粗相で萎縮しているのだろうとエリカは思うものの、アンへの態度とはあまりにも真逆の様子に戸惑いを隠せないでいる。
そんな二人を見かねたクレアが助け舟を出す。
「エリカ様。ニコルはシーダーラインのドックを管理する責任者の次女にあたります」
「ああ、確かトーヴィーさんでしたわね。ドックの皆様には一度ご挨拶したかったのです。シーダーラインを支えてくれてありがとうございます」
「そ、そんな!滅相もないです!」
ニコルは飛び上がらんばかりに恐縮するが、その表情は明るい。家族の仕事を褒められて嬉しいのだろう。
アンとはまた違う雰囲気だが、人の良さは共通している。エリカは二人に対する興味が深まるのを実感していた。
「もし良かったら、あなた達もご一緒しませんこと?色々なお話を聞きたいですわ」
「い、いえ!私もアンも礼儀作法に詳しくありませんので!」
「そんなこと、別に気にしなくて良いんですよ。あなた達にとっては次期当主かもしれませんが、わたくしはまだ学院に通う身ですから。ざっくばらんにいきましょう」
「んじゃ、お言葉に甘えて」
その言葉にアンが真っ先に反応し、元々いたテーブルから自分の分をいそいそと持ってくる。ニコルはアンを咎めようとしたが、直に自分自身も料理を注文しにいく。
大きめの丸テーブルとはいえ、そこに五人が顔を並べるのだから机上はそれぞれの食事で賑やかしくなる。なので、一人がガツガツと食事をすると両隣に被害が生じる。
「アン!もっと綺麗に食べなさいよ。こっちにまでソースが飛んできてるから!」
「おお、悪いな!」
「そう言うなら気を付けて!ブラッドリーさんにまで迷惑をかけちゃダメだからね」
「分かってるって!」
キャサリンはあまり迷惑そうではない様子だ。一瞬、ニコルを気遣っているのかとエリカは考えたが、彼女の表情がどこか懐かし気なのを見て取ってそっと視線を元に戻し、アン達に話を振る。
「それでお二人はどういう関係なのかしら?」
「ああ、ニコルとあたしは幼馴染ってやつなのさ」
そこからのアンの話は、彼女の溌剌さに反して暗い内容が続いた。
元々、アンとその家族はこの土地の人間ではなかった。スタンフォード領内には住んでいたものの、山あいの小さな村の出身だった。
その村は森林火災の影響で今は残っていない。アンは故郷を見たことがなかった。
そして両親の顔も覚えていない。
アンの両親はこのシーダーラインでやり直そうと頑張ったが、母親はアンを出産した際に死亡し、父親も彼女が三歳の頃に海上の遭難事故に巻き込まれて命を落としている。
物心がつく前に孤児となったアンを引き取ったのがニコルの父親だった。彼とアンの父親はドックで働く者同士、仲が良かったらしい。
そこから二人は一緒に育っていったが、アンも成長するにつれ自分が実の子ではないことに否応なく気付いていく。
ニコルの両親はアンのこともよく可愛がっていたが、二人からの愛情を感じれば感じる程、アンの自立心は強まっていった。
少しでもニコルの両親に負担をかけない為にアンは街の人の雑用を引き受けるようになっていた。その内容はアンが成長するにつれて多岐にわたっていき、それに応じて報酬も大きくなっていった。
「まあ、そんなこと言ったって、いまだにニコルんとこに住まわせてもらってるんだけどさ」
そう言うとアンはカカカッと大笑いする。そんな彼女の背中をビシッと叩くのはニコルだった。
「だから、そんな風に思わなくて良いんだって何度も言ってるでしょう!」
「悪い悪い」
そう言いながら頬をかくアンだが、彼女が一種の責任を感じていることはエリカの目には明らかだった。そしてニコルもアンの気持ちに気付いている。だからアンには過敏に反応するのだ。まるで実の姉のように。
エリカはさりげなくクレアの方を見るが、あまり驚いている様子はない。恐らく、代官として巡察してきた中で話を聞く機会があったのだろう。或いはアンが頑張っている様子を実際に目の当たりにしたのかもしれない。
そう考えると合点がいくことがある。最初、クレアはエリカをアンから遠ざけようとしたが危険性は訴えなかった。礼儀作法の観点から見れば純粋に「少し面倒な者がいる」と思っただけで、彼女自身のことは正当に評価しているのだろう。
キャサリンに関しては無表情を装っているが、その瞳はうるんでいる。思わずもらい泣きしそうになったエリカは慌ててニコルに話を振る。
「ニコルさんはお父様のお手伝いを?」
「はい!でも、今はまだ積み荷の仕分けや運搬しかやったことがなくて。船造りの勉強もしているんですが、覚えることが一杯で……」
造船と言ってもやることは多岐にわたる。まずどのような船を造るのかという設計もその一つで、ニコルは今その段階を必死に学んでいるところだった。
「二つ上の姉はもう修理にも携わっているのに、私はまだまだで……。早く一人前になりたいんですが」
そう言うニコルの表情は一見すると明るいが、どこか切ないものが見え隠れしている。
「焦っても仕方ないって。ニコルはニコルらしくいけば良いんだよ」
「ありがとう、アン。分かってはいるんだけどね……」
「ニコルは真面目だからなー。クレア様もそうだけど、もっと肩の力を抜けば良いのに」
「クレア様に失礼でしょう!それに、アンはもっとしっかりしなさいな。この前だって、猫を捕まえるだけでちょっとした騒動になったでしょう!?」
「あれは猫が悪いんだって。色んなところにちょこまかと逃げるからさ」
エリカはアンとニコルを見ながら物思いに耽る。自分より二歳年上の二人は、この世界で言うところの社会人一年目だ。だが、実際はそれ以上の人生経験を積んでいる。そして、思春期なんて言葉を使うのが申し訳なくなるくらいに、彼女達は真剣に今を悩んでいる。
同い年の頃、果たして自分はこれ程一生懸命に生きることができていただろうか。将来を真剣に考えておらず、明確な目標もないままに漠然と生きていた前世の自分が猛烈に恥ずかしくなる。
それと同時に、十年程度とはいえ二人よりも長く生きた先達として、彼女達に少しでも何かを残せたらとも思う。
二人と別れた後、エリカ達は街を歩く。だが、その足取りはどこか重たい。その理由は先頭を歩く次期当主にあった。
「クレア叔母様」
「はい」
「巡察をしていて心が揺り動かされる時、どのように整理をされているのでしょうか」
彼女の後ろを歩く忠臣は、その背中に向かって答える。
「酷な言い方になりますが、心は閉ざすべきです」
エリカの足がピタリと止まる。
「相手が多くなればなるほど、一人ひとりの思いに答えることは難しくなります。心が動いて誰か一人にのめり込むならば、それを他の全員にもしなければなりません。
ですが、そういった葛藤は当主が持つべきものではありません。領地全てを采配する当主は、自らの行動をもって彼らの思いを導かなければならないのです。それが務めです」
クレアの言葉をじっくりと反芻するエリカに、キャサリンは優しく語りかける。
「エリカ様の領民を思う気持ちは素晴らしいです。その気持ちを持ち続けていることこそが上に立つ者としての務めだと自分は思いますよ」
「ええ。ブラッドリー殿のおっしゃる通り。そういった葛藤は我らにお預けください」
エリカはゆっくりと振り返ると二人を見る。そして軽く頷くと、再び前に向き直って歩き出す。その足取りは少し軽くなっている。




