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六 学年決勝戦

 エリカは客室の一つで紅茶を飲みながら静かに過ごしている。


 さすがに王国内での最高建築物ということもあって、客室一つとっても豪勢なものである。

 ソファー一つとっても座り心地が素晴らしく、そのまま横向きになって眠れるくらいの大きさがある。


 今、エリカが飲んでいる紅茶も最高級のものだ。建国の英雄であるコーンウェル家が出す紅茶ですら、目の前の琥珀色の液体に比べると少し物足りなく感じる。

 もっとも、前世の記憶を持つエリカとしては「美味しいものは美味しい」という感想でひとくくりにしてしまうところがあるのだが。


 今頃、ナタリアはこのお茶にも驚いているのかもしれないと思えば、緊張もじんわりとほぐれていく。


 紅茶をグイと飲み干す。そんなはしたない真似を久々に行ったエリカは、自分の心が冷静さを取り戻しているのを実感していた。

 その影響にはこの客室を独り占めできる特権も大きく左右している。


 一泊で十万円以上もするような最高級のスイートルームもかすむような客室を、メイドの目もなく自由気ままに使いこなせるのだ。それも無料である。

 扉の前には護衛がいるので大きな物音は立てられないが、もとより一人しかいない部屋で騒がしくするようなこともない。完全な自由がここにはあった。


 今日一日の試合の疲れをすっかり忘れたエリカは、鼻歌交じりに着ている衣服を脱いでいく。さすがに脱ぎ捨てたままにするとシワが付いてしまうので、それだけは綺麗に整える。

 そのまま上機嫌に浴室へと向かい、これまた上等な湯船に身を沈めて身体を洗う。


 湯けむりの中で、エリカは明日の学年決勝戦を早くも楽しみにしていた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 前世の記憶や考え方があったおかげでエリカは最高の夜を過ごすことができたが、他の出場者達はそういう訳にもいかなかったようである。

 貴族も平民も関係なく、客室の豪勢さに圧倒されたのだろう。その顔色は心なしか青かった。

 特に貴族達は、王国の最高権威がどのようなものかをまざまざと直視したわけで、昨日にはなかった別の緊張感を身にまといながら、この日を迎えている様子である。


 それだけに、王室に対する畏怖の念で緊張が強まっているはずの出場者の中で、最高の快適さを満喫した気分でいるエリカは必然的にその余裕を周りから見て取られた。

 この一件で、反スタンフォード家の一派についている貴族の何人かが、その考えを修正しようと思い始めたのだから政治力学は面白い。だが、そのような揺れ動きが彼らの中で起こっていることをエリカはまだ知らない。


「これより、学年決勝戦を行う」


 トレヴァー・マクファーソン第一王子が一歩前に進み出て、本日の御前試合の内容を告げる。

 今回の学年決勝戦では、前日の第二試合を勝ち抜いた二人と、くじの結果で不戦勝になっていた一人の三つどもえの戦いとなる。

 この形式になったのは、不戦勝による不公平さをなくす為と言われているが、メキシカン・スタンドオフという言葉が示すような決勝戦の形式にエリカは複雑な気持ちになる。


「第一学年の上位三名」


 トレヴァーから場を引き継いだバンクロフトが三人を誘導する。緊張に震える後輩達の中に見覚えのある顔があって、エリカは彼女に注目する。


 その後輩は、始業式の際にナタリアへ声をかけてきたラミアだった。少しの懐かしさを覚えつつ、エリカはそれとなく親友の方へと視線を向ける。

 ナタリアはまるで妹を見送る姉のように彼女の姿を追い続けている。

 エリカはそっと視線を逸らすと、これから始まる戦いに意識を集中した。


 合図は昨日と同じだった。


 三人は所定の位置からほとんど同時に後退すると、それぞれの出方を窺う。

 普通なら、こういった時はリーチの長い武器を手に取っている者が有利だが、魔術の使用が認められているので、武器の選択で優劣がつくことはまずない。

 かといって、魔術の行使には魔力を消費するので乱発もできない。


 それに輪をかけるのが御前試合独自のルールである。

 結界魔法が出場者に付与されないのは勿論だが、使う魔術にも学年制限が設けられていない。早い話が、多くの魔術を知っていればいるほど戦いに有利になる。


 だが、まだ学院に通う身分の者は、知識量で差をつけられても魔力量は似たり寄ったりである。必然的に、手持ちの魔術を如何に効率よく駆使するのかが鍵となる。


 だが、それが器用にできる程の経験値を持っている新入生はまずいない。結局のところ、勝利を収めたのはもっとも長いリーチを持つ槍を選んだ選手だった。


「おめでとう、ケイト」

「ありがとうございます!」


 戻ってきた彼女を迎えたのはナタリアだった。後輩であり同族でもある彼女が槍を選んだのは、やはり前日のナタリアの影響が強いのかも知れない。


「第二学年の上位三名」


 呼ばれたエリカは親友をそのままに、一足先に武具置き場へと向かう。ナタリアも上位三名の一人だが、今から戦うというのに並んで歩くのもおかしな話である。


 エリカが手に取ったのは細剣だが、第一試合と同じく一本だけにしてある。二刀流も手になじんだが、この決勝戦では魔術を存分に振るおうと思い定めている。その為にも一本だけの方が何かと都合が良かった。


 準備を終えたエリカが所定の位置についた時、ナタリアが槍を持って移動しているところだった。その後に、ナタリアとは反対方向へもう一人が続く。


 エリカはその相手を注視した。狙ってなのかエリカと同じく細剣を手に取った彼は、スタンフォード家を敵視している宮廷貴族の中でも厄介な人物だった。

 外務系貴族を束ねる勢力の中でも影響力が大きく、婚姻関係を結びたがる貴族が多いと評判のホーキンス伯爵の嫡男、ダニエル・ホーキンスが挑戦的な瞳をエリカに向ける。


 ダニエルに対して自身の実力を見せつけることができるかどうかが、スタンフォード家の今後の趨勢に関わってくると言っても過言ではなかった。


 だが、ダニエルは元々魔術に対する造詣が深く、いくつかの魔術ではエリカを凌駕することもある実力の持ち主である。それ故に、エリカは彼と戦うまで魔術を敢えて振るわなかった。戦いの中での魔術発動の癖や得意なものを見抜かれないようにする為である。

 それに近い考えはダニエルにもあったようで、昨日の試合では魔術を封印して勝ち抜いている。

 そんな貴族達の暗闘が今この瞬間も起きていることなどつゆ知らず、ナタリアは一人、手に取った槍の感触を確かめている。


 試合開始の合図が待ち遠しく感じる。


 中々鳴らない合図が気になって、わざと焦らしているのではないかという疑念が高まってくる。じれったくなって審判長の方へ視線を向けかけた時、合図が鳴った。


 真っ先に動いたのはダニエルだった。後ろへ下がりながらウォーターアローを打ち出す。

 水でできた矢だけに、斬り払ったところで手応えはない。その癖に矢の形になるまで魔力で圧縮されているので、水しぶきだけでもそれなりの威力がある。


 自分に向けられたそれを直感的に左側へ跳んで躱す。エリカのその勘は正しく、彼女がいた場所にナタリアの槍が振り下ろされるところだった。


 思わずエリカは親友を一睨みする。勝つ為には手段を選ばないつもりだが、自分がそうされると文句の一つも言いたくなるのが人情である。


「サンドウォール」


 右手側にいるナタリアへの牽制として、地面からせりあげたその土壁に軽い魔法を仕込む。

 だが、そのわずかな対応の時間を狙ってダニエルがエリカへ斬りかかる。人間離れしたスピードを見るに、どうやら自身に風魔法を使っているようである。


「ふんっ!」


 短い気合と共に振り下ろされた剣をエリカは必死で受け止めるが、その勢いに押されて片膝をついてしまう。

 その瞬間、ダニエルは剣を少しだけ浮かせる。重たいものを受け止める体勢になっていたエリカは急に軽くなった両手の先に重心を奪われて、前のめりになりそうになる。


 そこまでがダニエルの筋書きだったのだろう。狙いすましたように首元へ繰り出す横薙ぎの一撃の向こうで、彼は憎々しい程に分かりやすい嘲笑を浮かべていた。


 しかし、すぐにその笑みはかき消える。


 首元に剣が届くその瞬間、そこにいたはずのエリカがばしゃりと音を立てて崩れ去る。今までに幾度となくエリカの窮地を救ってきた子供だましがこの場面でも効果を発揮した。


 この魔術はエリカのオリジナルである。この世界では王族くらいしか持っていない希少品である鏡やその性質までも知っているからこそ、生み出せたものである。


「ほう……」


 だが、ダニエルの胆力も中々なものである。初めて目にするものであるはずなのに、動揺した様子を見せない。


 彼の家が外務系であることから、その情報収集能力は高い。それ故に去年のデーモンスパイダー討伐の一件もほぼ真実に近い情報を収集できている。

 だが、一介の学生が災害級の魔物を討伐するといった、三文芝居の台本にすらならないような奇想天外な出来事が土台にあるせいで、エリカの実力に纏わる噂話の大半が根も葉もない内容として流布していた。


 普通ならそれらを精度の低い情報として処理してもおかしくないのだが、それらにも全て気を配った上で万が一を考えていたのはダニエルの慧眼というべきだろう。


 ダニエルは瞬時に身体を反転させると、剣を袈裟懸けに構える。そこへ胴を狙った一撃が迫ってくる。


 剣と剣がぶつかる音が響く。


 意表を突いたと思っていただけに、一撃を防がれたエリカのその表情は苦々しい。だが、ダニエル自身はエリカに関する数々の話が、誇張されたものや与太話の類ではないと認識を改めている。

 だからこそ、先の冒険者ギルドの一件で何故その力を振るわなかったのが気にかかった。


 しかし、心の中に湧き起こった疑念に答えてくれる者はいない。代わりに、土壁を貫く威力のままに槍が貫き出される。


「え!?」


 しかし驚きの声を上げたのはエリカでもダニエルでもなく、当のナタリアだった。

 エリカの魔力で練られた土壁である。生半可な力では崩せないと思った彼女は全力で槍を押し込んだ。それなのにいとも容易く壁が崩れ去ったのだから、驚くのも無理はない。


 その穂先はエリカの方へと向いていたが、彼女はすぐに後退して致命傷を避ける。

 親友の命を危険にさらした自身の一撃に慌てたナタリアが、急いで突き出した槍を手元に戻そうとする。だが、エリカはその柄の部分を掴むと、そのままダニエルの方へと突き出した。


「小癪な!」


 穂先ならいざ知らず、何の変哲もない柄の部分が自分の方へとやってくるだけの、挑発とも受け取れる攻撃にダニエルは不快感を露わにする。

 その柄をグイと掴むと、力任せに振り回してエリカ達を地面に引きずり倒そうとする。


「ファイア!」


 その瞬間、エリカが叫んだ。いくら実戦形式とはいえ、このような至近距離で魔術を放てば相手に確実に死をもたらす。暗黙の了解で寸止めにすることが徹底されている中でこのような凶行に及ぶ者はいなかっただけに、エリカの至近距離からの詠唱にさすがのダニエルも肝をつぶした。


 だが、ダニエルの予想とは違って炎は姿を見せなかった。まさか一杯食わされたかと思うが、エリカは既に地面に転がっている。槍の持ち主であるナタリアも体勢を崩して片手だけで掴んでいるような状態だった。


 ここまでくれば力勝負で負けることはない。

 ダニエルは右手で槍を押さえ込みつつ、最後に子供だましのような真似をしたエリカを憐れんだ。

 魔術に対して独創性はあるようだが、勝負事に耐え得るだけの精神力は持ち合わせていないのだろう。デーモンスパイダーの討伐も幸運が重なっただけで、彼女の真の実力は所詮、先日の戦いでの評判通りなのだ。


 運だけでここまで来た彼女を気の毒に思いながらも、ダニエルは左手にある剣でエリカに引導を渡そうとする。


 その時、エリカがくるりと首を動かしてダニエルを見る。そして心底不思議そうな表情で尋ねた。


「ねえ、さっきから熱くないの?」

「ん?」


 余りにも脈絡のない言葉にダニエルはきょとんとするが、すぐに彼女の言葉の意味を知ることになる。

 いつの間にか彼の右手は尋常ではない痛みに襲われていた。しっかりと握り込められた拳の指の間から白い湯気がいくつも立ち昇っている。その周りの柄の部分は、真っ赤な色へと変色している。慌てて槍から手を放そうとするが、剥がそうとする度に新たな激痛が走った。


「アドレナリンって怖いな……」


 意味不明な言葉をつぶやきながらエリカがゆっくりと立ち上がるのを、ダニエルは涙目になりながら見つめる他なかった。

 エリカはちらりとナタリアの方へと視線を向ける。彼女はすぐに槍から手を放していたようだが、それでも火傷したらしく右手を忌々し気に振っていた。


 エリカは火魔法を槍の柄の内部に発動していた。その為に、一気に高熱の炎が内部で広がっていき、今や槍は一本の危険な熱の塊となっている。


 エリカはダニエルの左手から剣をかすめ取ると、その剣でダニエルの首元辺りを、自身の剣でナタリアの胸元辺りを狙いすまして、審判長の方へと視線を送る。


「エリカ・スタンフォード殿。一本!」


 心なしか上ずった声で審判長が宣言する。副審達も信じられないものを見たという表情で彼に続いた。

 すぐに白魔術師達が呼びこまれるが、彼らが到着する前にエリカは一計を案じる。


「ダニエル様。色々と誤解やすれ違いがあったようですけど、友の危機を救うのは他ならぬ友の務め。微力ながらお手伝い致しましょう」

「何だって良いから助けてくれ!」

「分かりました。少し痛みますのでご覚悟を」


 もはやダニエルは悲痛な叫び声を上げるのみだった。

 エリカはしれっとした表情のまま空中に水球を創り出すと、それで彼の右手を包み込んだ。

 少し大きめの水球は、右手だけでなく槍の柄の部分からも熱を奪っていく。水球に包まれていない部分の柄も素手で持てるくらいの熱さに落ち着いたのを見ると、エリカはダニエルの拳を一気にほどいた。


「うああああああ!」


 ダニエルの絶叫がこだまする。


「もう大丈夫ですわ!これでようやく治療ができますのよ!」


 案じる声をわざとらしく上げつつ、白魔術師がもうすぐ辿り着くのをエリカは見て取った。そしてタイミングを見計らって、ダニエルの右手を治療する。


 皮膚が焼けただれてしまい、見るも無残な状態となっている右手がみるみるうちに治療されていく。

 今回、エリカがイメージしたのは元の手の状態だった。火傷の痕すらない、健康的な色の右手。傷付いた筋肉や骨、神経も元通りになった右手。


 ようやく到着した白魔術師達が治癒魔法をかけようとした時には、ダニエルの右手はすっかり元の状態へと戻っていた。それだけに白魔術師達は首をかしげる。


「何ともなっておらんの」

「ああ、普通の手だ」


 ダニエル自身、恐る恐る右手を動かすが何の異常もない。違和感すらないのだから、逆にそれが不気味で仕方なかった。

 そんな彼にエリカはニコリと微笑む。


「治癒魔法の効果があって何よりでしたわ」


 あくまで柔和な笑みを浮かべるエリカは、周りから見れば慈愛に満ちた存在のように見えただろう。戦いとあらば一切の容赦は見せないが、それが終われば自ら率先して相手をいたわる。さすがはデーモンスパイダーを討伐した神童だとあからさまに褒めそやす者もいた。

 だが、真正面からエリカの表情を見ているダニエルだけは、彼女の瞳が一切笑っていない事実を受け止めていた。その無言のメッセージの意味を完全に把握しなければ何をされるか分からない。

 現に、彼女の治癒魔法は群を抜いていた。もはや剣も握れぬと絶望させる程の右手の損傷を、何事もなかったかのように元通りにしたエリカの能力は、既に同級生のそれではない。


 ダニエルは御前試合から解放されたらすぐに、スタンフォード家との速やかな関係性改善を両親に直訴することを心に固く誓った。

 それと同時に、今後はエリカ・スタンフォード一個人の動向を最大限把握しておく必要性も説かねばならないと決心する。


 今やダニエルの心の中でエリカの認識は、失態を犯して旗色が悪くなった貴族の一人娘ではなく、決して敵に回してはならない純粋な脅威へと変化していた。


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