四 第一試合
祝い事であるはずの御前試合だが、その装いは余りにも質素で簡潔だ。ともすれば寂しさすら覚える。
広大な練兵場の中心に大きな円が描かれ、その周りを大人二人分の背丈がある土壁がぐるりと囲んでいるが、それも試合場所からかなりの間隔を開けられている。
土壁に設けられた出入口は北と南の二ヵ所で、そこを各選手が利用するようになっている。
闘技場と違ってしっかりとした観客席がないのは、最近あった王都での事件と冒険者ギルドの一件を踏まえてのことで、土壁の更に奥の方へ盛り上げられた土の上に、王族の為に用意された椅子が並んでいるだけの光景も寂しさに拍車をかけている。
だが、土壁の外側にいる選手達は対照的だった。王城内部という普通なら立ち入ることができない場所に対する畏怖の念こそあるものの、各々が燃え滾らんばかりの闘志を発散している。
そして、その闘志に紛れ込ませるように、エリカに対して敵意と侮蔑の視線を向けてくる者もいた。
彼らは学年もばらばらだが、共通しているのはスタンフォード家に対して否定的な見方をしている者ばかりである。
エリカは黙ってそれらの視線を受け流すと、自分の名前が呼ばれるのをひたすら待った。
しばらくすると、国王を初めとした王族と学院長が近衛兵達に護衛されながら姿を現す。
全員が臣下の礼をとる中、国王が開会の挨拶を行うが、その内容は会場の装いと同じくらいに簡素なものだった。
それが終わると、学院長であるバンクロフトが規則の説明を行い、そのまま最初の一組の名前を読み上げる。
御前試合は各学年と、去年卒業した者達からそれぞれ十名が参加している。最終的に各学年の代表者同士で雌雄を決することもあり、御前試合後の晩餐会も含めると数日がかりの行事となる見通しだ。
そんな中、エリカの名前が呼ばれたのは同学年の中では四組目、太陽が真上に来るまでもうしばらくという頃合いだった。
エリカは奥の出入口から現れるであろう対戦相手をじっと待ち構える。模擬戦の中で手こずった相手の一人であるモニカ・ブレットがゆっくりと姿を見せた。
お互いの姿を認めた両者は、それぞれ出入口の近くに用意された武具置き場に向かう。そこには様々な武器と盾が並んでおり、そこから好きなものを手に取って戦う。
エリカは迷わずに一本の細身の剣を手に取ると、所定の位置まで進む。対してモニカが手に取ったのは同じ細身の剣だが、右腰にも提げているところを見ると二刀流にするらしい。
盾の一つでも持てば良かったかなとエリカは一瞬、後悔するが、既に戦いの場に出ている以上、武具置き場に引き返すなどという無様な真似はできなかった。
モニカも所定の位置に進んだのを見るや、審判長が二人の副審に目を向ける。彼らは全員近衛兵だった。
副審からの返答があったのだろう。審判長は軽く頷くと、斜め後ろに控えるもう一人の近衛兵に目配せする。彼女は手にした釣鐘を鳴らした。
かーん、という小気味良い音が辺りに鳴り響く。
それと同時にモニカは右手に剣を取り、エリカの方へと走り寄ってくる。だが、その途中で左手がそれとなく右腰の辺りを意識しているのが目に留まった。
彼女のパワーを知っているエリカは、上から迫ってくる攻撃、それも二刀流を振るう為の陽動を受け止めようとはせずに、身体を半身にすることで受け流していく。
機先を削がれたモニカは一瞬、不愉快そうに眉をひそめたもののすぐに体勢を立て直して、エリカの横薙ぎを今まさに抜き放ったもう一本の剣の腹で受け止めた。
いくら刃をつぶしてあるとはいえ、勢いよく振り抜かれた金属の塊が身体のどこかに直撃すればひとたまりもない。それ故にモニカは防御を優先した。
その選択は正しい。だが、エリカの前ではそれが仇となる。
エリカは、身体の左側を自分に向けたままのモニカに対し、先程と同じように半身になることで、背後を取る。ちょうど彼女の左斜め後ろを取るような形だ。
その体勢から相手の左膝の裏辺りを蹴りつける。その衝撃で片膝をついたモニカの首筋にエリカは自身の細剣をピタリと押し当てた。
「エリカ・スタンフォード殿。一本!」
審判長が右手を上げた。副審二人も同じく右手を上げる。
「やるじゃない」
モニカが悔し気につぶやく。だが、エリカは何も答えず、静かに剣を収めると所定の位置へと戻る。
それが気に食わなかったのか、モニカは聞こえよがしに鼻を鳴らした。
だが、国王を初めとして王族が観戦している御前試合。それ以上の出過ぎた振る舞いはすることなく、自身も所定の位置へと戻る。
試合は三本勝負。二本先取した方が勝利となる。
その大事な一本を「膝カックン」で先取されたのだから、モニカが憤慨するのも頷ける話だった。
当然、他の選手達からの視線も冷たさが勝っていたが、エリカはどこ吹く風だった。
御前試合は模擬戦同様、基本的には何でもありのルールである。飛び道具を使っても良いし、魔法や魔術を織り交ぜても良い。これはマクファーソン王国の建国背景からずっと戦いの影がつきまとっているからで、それ故に勝つ為なら手段を選ばないことが美徳とされていた。
とはいえ、魔物領やリーヴェン帝国との国境沿いに身を置く貴族と違い、王都に近いところで代々暮らしてきた貴族達は、長年にわたり戦乱からは一歩身を引いた形になることが多かった。
それ故に、常在戦場の心意気とはまた違う振る舞いが少しずつ形式化され、今では格式や作法にばかりこだわるようになってしまっている。
いわゆる、宮廷貴族である。
そんな戦場を知らない彼らからすれば、正々堂々と真正面から戦わない者など貴族の風上にも置けないと憤りを覚えるらしい。
特にスタンフォード家は自分達と同じ「王都組」という感覚があった為、内政や外交などではなく軍事で評判を上げつつあることに、裏切られた感覚を持つ者が増えつつあった。
だが、エリカからすればそんな感覚は余りにもくだらないものだった。
生きるか死ぬかの二択しかない戦場で、正々堂々と振る舞おうとするのは命を自ら差し出すのと同義である。そのように無駄に命を散らすことこそが国王に対する不忠だとエリカは常々考えていた。
その辺りはモニカもわきまえているのか、所定の位置に戻った際の彼女の表情からは憤りや悔しさが消えている。もっとも、上手く隠しているだけではらわたは煮えくり返っているかもしれないが。
準備が整った二人を見て、審判長がまた副審達に目配せする。しばらくして後ろを振り返り、軽く頷いた。
試合開始の合図と同時に、またモニカが動いた。だが、その両手は既に剣を手に取っている。今回は最初から二刀流で挑むらしい。
対してエリカはまた動かなかった。だが、モニカが後もう少しで剣の間合いに入るところで、ぱっと右横に駆け出した。
「チッ!」
モニカが舌打ちする。エリカが予想していたように、モニカは突きを繰り出そうとしていた。しかし、それを躱す動きをエリカが取ったことで再び出鼻をくじかれることとなった。
「このっ!」
それでもモニカは左手の剣を横に振るう。それは突きを躱された時の効果的な二撃目で、範囲内に逃げ込んだ相手を追撃できるだけでなく、剣の届かない範囲に相手がいたとしても牽制にはなる。
事実、一歩踏み込もうとするエリカを思いとどまらせるだけの効果があった。
「もうそんな姑息な手は通じないよ?」
モニカがニヤリと笑みを浮かべるが、エリカは顔色一つ変えることなく、慎重に間合いを図るばかりだった。
挑発に乗らなかったのが気に食わなかったのか、モニカは表情を戻すと眼光鋭くエリカの動きを見定める。
そのまま二人は動きを止めたかのように見えたが、突如モニカが後ろに下がり始める。その動きを思わず目で追ってしまったエリカだったが、すぐにそれがモニカの策だったことに気付く。
「ふんっ!」
だが、その時にはモニカの右手から剣が投げ放たれている。エリカはそれを半身になって躱そうとするが、躱し切れずに左わき腹の辺りを剣がかすめる。
「痛っ!」
エリカは思わずうめき声をあげる。刃をつぶしていても、ある程度の速度を持ったものが接触しかけたのだ。摩擦熱と打撃が相まって、じんわりと痛みが広がる。
模擬戦とは違って御前試合では選手自身への結界魔法は張られていない。万が一、反旗を翻した者が現れた時、結界魔法を盾にされる危険がある為だ。
勿論、負傷すれば王室お抱えの白魔術師達から治療を受けることはできるが、それでも模擬戦では感じなかった痛みに調子を狂わせる者は少なからずいる。
モニカはそれを狙って、剣を投げるという突飛な攻撃に出た。その作戦は非常に効果的で、エリカは片膝をつく。
「もらったわ!」
そこにモニカが駆け寄り、残ったもう一本の剣を上から振り下ろす。惚れ惚れするような狙いすました一撃。
だが、その攻撃はエリカを捉えることがなかった。
片膝をついたエリカは、モニカが接近してくるタイミングを見計らってクラウチングスタートのような体勢を取ると、そのまま前方に飛び出していた。
その瞬間に剣を振るって、モニカの背中をしたたかに打ち据えた。
「ぎゃっ!」
モニカが悲鳴を上げる。それを見て取った審判長が右手を上げる。
「エリカ・スタンフォード殿。一本!」
だが、副審達は手を挙げなかった。審判長は眉を吊り上げると、副審達と協議を始める。
どうやら、モニカの剣がエリカの左わき腹をかすめた時点で一本とすべきではないかと、副審の一人が物言いをつけているらしい。
審判長ともう一人はそれをはねのけて、エリカの勝利を宣言するようだった。二対一である時点でそれは全く問題のないことだったが、審判長が改めて宣言する前にエリカは彼を呼び止める。
「副審の方が仰ることも分かります。今の戦いを無効とし、再戦として頂いて構いませんわ」
「しかし……」
「これがもし毒を塗ってある剣だったら、わたくしの命はなかったかもしれません。勿論、目の前の敵一人くらいは道連れに致しますが」
勝者にそこまで言われれば審判長も口を噤むしかない。だが、それに納得できないのはモニカだった。
「随分と余裕じゃない?」
その声に込められた苛立ちを真正面から受け止めつつ、エリカは涼やかな瞳を向ける。
モニカには気の毒だが、エリカとしてはここで退くわけにはいかなかった。
この近衛兵はただ単に杓子定規に物事を考えるタイプなだけだろうが、物言いがついた事実は変わらない。それをそのままにしておけば、エリカの最終的な結果にかかわらず、意地汚い貴族連中は示し合わせたかのようにその点を高らかに吹聴するだろう。
エリカが望むのはただ一つ。誰の目から見ても明らかである完全な勝利だった。
静かに所定の位置に戻ると、モニカも渋々ながらそれに従う。だが、その歩みはひどくのろのろとしている。
「モニカ・ブレット殿。いたずらに時を稼ぐのは止められよ。国王陛下をお待たせするおつもりか」
審判長がたしなめると、モニカは急にきびきびとした動きで所定の位置につく。これが御前試合であることをすっかり忘れていたようである。
二人の準備が整った。
試合開始の合図と同時に仕掛けたのは、意外なことにエリカだった。これには心機一転、試合に臨もうと闘気を養って準備万端だったモニカも意表を突かれる。
エリカは真っ直ぐにモニカの方へと走り寄る。剣先は下を向いていた。
その構えから、右下から斜め上への袈裟斬りだと剣筋を読んだモニカは、虚を突いてきたエリカの行動で一拍遅れた初動を取り戻すかのような速さで剣を二本とも抜くと、一本を防御、もう一本を攻撃への構えとする。
この対策を取ったのと、エリカが間合いに入ったのは同時のことだった。
順当にいけば勝機はモニカにあった。意表を突いたはずの攻撃に動揺しながらも最善手を示せた一方で、攻め手のエリカはそれに対応する余裕がない。対応しようにも既にお互いが間合いに入っているからだ。
だが、エリカはそれをくつがえす。
エリカがくるりと回転する。その動きにモニカは目を見開いた。
身体の回転に合わせて剣筋を変えたエリカは、カウンターを狙う二本の剣の間をかいくぐり、綺麗に横一文字にモニカの胸部を打ち据えた。
それと同時に審判長が右手を上げる。副審達もすぐに右手を上げた。
「エリカ・スタンフォード殿。一本!」
静まり返った会場に響く審判長の声を聞きながら、エリカは冷静に心の中で自分がスタートラインに立ったことを自覚した。
完全な勝利を掴む道のりは始まったばかりだった。




