二 可能性への挑戦
伯爵夫人とのお茶会を期に、エリカは少しずつ以前の自分へと戻っていった。それまでぎこちなかった笑顔もまた自然なものになっていき、ぼんやりと考え込むようなこともなくなっていった。
だが、その一方で変わったこともある。
魔術に対する好奇心が強かったエリカはよく自主練習をしていたが、そのプログラムに体術や剣術なども織り交ぜるようになった。
また、内政や外交などの貴族として必要な事柄も、両親やオズワルドから教わる以上に自身から貪欲に学んでいった。
それは周りから見れば、いっときの気分転換に等しい程の小さな変化に過ぎないかもしれないが、その実エリカは心の底から自分自身を変えようとしていた。
「最近のエリカ様は今まで以上に聡明であられる」
「はい。元々自己研鑽を欠かさない方ですが、より磨きをかけられているとメイド達の間でも噂になっています」
最近も、カーティスとアリスがそのようなことを話しているのをエリカは偶然耳にしたが、かつての彼女なら嬉しそうに顔を覗かせることくらいはしていただろう。だが、今の彼女はそんなことにも頓着せず、足早に図書室へと向かうだけだった。
彼女の変化に気付いたのは身内だけではない。模擬戦の監督・審判をしているマーティン・オリヴァーとヴィクター・ソレンソンは食堂で出くわしたのを良いことに、そのまま向かい合わせに腰掛けて思い思いの昼食をとりながら、模擬戦の感想を語らい合う。それは必然的に優秀な者について話すことを意味しており、その中にはエリカ自身も含まれていた。
「彼女は御前試合に出場できそうかな?」
「このままいけば大丈夫だろう。一時期は調子が悪かったようだが、最近はまた以前の勢いを取り戻している」
「あのまま落ち込んでいたら難しかっただろうね」
「ああ。だがそれもやむを得ない話だ。初陣があんな相手じゃ、心が深く傷付いても仕方ない」
「全くだよ」
「だからこそ、今朝の模擬戦は見事だったと言うほかない」
「え?」
呆気に取られた表情を浮かべるソレンソンに、オリヴァーは心持ち身を乗り出す。
「まさしく彼女の試合があったばかりなのだよ。聞いてみたいかね」
「当然だ。勿体ぶらずに早く話してくれ」
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その日は何もかもが静かだった。
模擬戦の為に用意されたスペースで、二人の女学生が無言で向かい合っている。そんな彼らを見守るクラスメイト達も、いつもと違って口を開くこともなく固唾を飲んでいるだけだった。
「両者、前へ」
ぴんと張り詰めた空気を断ち切るように、オリヴァーの声が辺りに響く。
ほとんど同じタイミングで二人は前に出る。一人は大地を踏みしめるように大きな一歩を。もう一人は尾を自由自在に操って流れるように。
二人が喧嘩したらしいという噂はすぐに広まった。
身分や立場の差はないとする厳格な学院内のルールがあるとはいえ、貴族と平民で種族すら違う二人が、まるで姉妹かおしどり夫婦かのように仲が良いのは非常に珍しいことだった。
だからこそ、二人の間に何があったのかを周りは知りたがった。しかし、同じく仲が良くて、今回の経緯も知っているはずの二人の少女も一様に口を噤み、答えを得られなかった者達はやきもきした気持ちを抱え続けていた。
だが、今日の模擬戦で何らかの答えが分かる。
それを知りたいが為にクラスメイト達は逸る好奇心を何とか抑え込んで、これから始まる模擬戦に全ての意識を集中させていた。
静寂の中で二人の視線は激しくぶつかり合っている。もっとも、一人が相手を探る様な視線を向け、もう一人がそれを静かに受け止めているだけなのだが、幸か不幸か審判として両者の間にいるオリヴァーにはそこまでのことは分からなかった。
「では、始め!」
オリヴァーの号令と共にクラスメイト達は身を乗り出す。しかし、不思議なことに二人はその場から一歩も動かなかった。
苛立たし気に目を細めるラミアの少女は相手の姿を今一度見やる。
魔術師タイプのはずの彼女は、完全に剣士のような構えを取っていた。そのくせに、ところどころに見える所作や呼吸の合わせ方には、魔術師として戦う時の名残があるのだから、どうにもむかむかとした感情を覚えてしまう。
「言ったはずだよ。本気のあなたと戦いたいって」
だが、呼び掛けられた側は無言を貫いていた。ただ、静かに長剣を両手で構えているだけだった。
それも気に食わない。長剣はそのリーチの長さと重みを存分に活かし、振るうことで真価を発揮するものである。必要以上に腕力を必要とするその武器は男性が使うものであり、ましてや魔術師寄りの戦い方を好む、年若い女学生が持ち出してくるものではなかった。
「使い慣れないものを引っ張り出さずに、得意な魔術を使いなさいよ。お互いの得意なもので戦わないと意味がないの」
「……」
あくまで何も答えようとしない親友に怒りの念が巻き起こる。
彼女は一気に間合いを詰める。
足にして十歩の距離を、その身体的特徴を活かして瞬く間に進み切ると、左手に持った片手剣を斜め上から振り下ろす。
その速さは学院に通う学生のそれではなく、ある程度の経験を積んだ冒険者の一撃に充分匹敵するものだった。
それを長剣で受け止めようとして、しかしそれは空を切る。
迫る長剣を器用に躱しながら更に間合いを詰めて、片手剣を前方に突き出す。文句のない一撃だった。
「くっ……」
本来ならば胸元に迫っていた片手剣を、長剣の柄頭で上から何とか押さえ込む。必殺の一撃を防がれた彼女は舌打ちしつつ、追撃として横薙ぎに振るわれた長剣を大きく後退して躱した。
今、二人は試合開始前の位置に戻っている。
「エリカ。今ので分かったでしょう?よく防いだけど、まぐれに過ぎないのよ」
「……言われなくても分かってるわよ。ナタリア」
初めて言葉が交わされる。
だが、その内容にナタリアは不満を爆発させる。
「それだったら、さっさと得意な魔術に切り替えなよ。手加減されたって嬉しくないし、そんなあなたを倒しても空しいだけ」
「誰が手加減なんてするもんですか!」
エリカが前に駆け出す。それに一瞬、気を取られるナタリアだったが、呼吸がまだ完全には整っていないエリカの一撃はひどくのろのろとしているようにしか見えなかった。
落ち着いた動きでその突きを躱すと、尾の先でピシャリとエリカの腹を打つ。思わずたたらを踏んだエリカに更に尾の一撃を与えて、吹き飛ばす。
「……もう良いでしょう。これじゃ話にもならない」
ともすれば煽りにしか聞こえないナタリアの言葉も、親友には本心から伝えようとしているのが分かる。
だからこそ、エリカも本心から伝える。
「まだまだ小手調べ!」
地面から身を起こすエリカを待つこともなく、ナタリアの片手剣が再び斜め上から襲いかかる。それをエリカは半身になることで躱した。
だが、ナタリアもそれに動じず、躱された振り下ろしをそのまま横真一文字に振り抜く。
エリカはその攻撃を長剣で受け止めた。地面に剣先が向けられていることで、彼女の身体の前に一本の細長く、それでいて重厚な盾があるような形だ。そこにナタリアの片手剣が吸い込まれるように飛び込んだ。
二つの剣が打ち合わされる音が響く。
この横一文字を防がれると思っていなかったのか、かすかに両目に狼狽の色を湛えるナタリアに、エリカの反撃が始まった。
持っているのが長剣とは思えない程の軽い斬撃をナタリアは慎重に、しかし余裕なく捌いていく。
左上から振り下ろされたとみるや、それは逆転して右下からの振り上げに変わる。突きを繰り出すように身を引いたかと思えば、頭を狙った攻撃が飛んでくる。左右から隙を見ようとしても横薙ぎに振るわれることで容易に手出しができない。尾を駆使して意表を突いても長剣の柄頭で弾かれてしまう。
エリカのここまでの変容にナタリアは必死に食らいつきながらも、ふと一つの推論に辿り着く。そして大きく間合いを取るやすっきりとした表情を浮かべた。
「やっと魔法を使ったのね」
「……」
エリカはそれ以上追撃しようとせず剣を下段に構えたまま動かない。
「すごいスピードだった。風魔法で剣を軽くしたの?」
エリカは首を横に振る。何を今更という表情でナタリアが笑みを浮かべた。
「それは嘘よ。あなたのその細腕で長剣をあんな風に振るえるはずがないもの」
「いや、魔法は使ってないわ」
その言葉にナタリアは顔をしかめる。
よく見ればエリカは確かに肩で息をしていた。気付かれないように細心の注意を払っているようだが、呼気もまだまだ荒い。
ナタリアはようやく確信する。そして頑なに魔法や魔術を使おうとしない親友に、再び怒りの念を覚え始める。
「あくまで私をコケにするつもり?」
「いえ」
そう言うとエリカは一度だけ大きく深呼吸する。そして長剣を正眼に構える。
「チッ」
ナタリアは苛立たし気に舌打ちすると、片手剣を構えてエリカに向かう。
ナタリアの片手剣が右から横に振り抜かれる。エリカはそれを敢えて剣では受けず、後ろに一歩下がることで躱した。
だが、エリカは片足を少しだけ残している。それによって反動をつけた彼女は一気にナタリアへ肉薄する。
その間に下段に構えられた長剣を逆袈裟懸けに振り上げる。今度はナタリアがそれを何とか身をよじって躱そうとする。
その瞬間、エリカは躱された長剣を元に戻そうとせず、そのまま柄から手を放した。
制御を失った長剣は重力に従って落下する。それがへその下あたりまで落ちたところで、エリカは柄を両手で握り締める。
重みが加わった長剣はエリカの両腕にかなりの負担を強いたが、対峙するナタリアの度肝を抜くことに成功する。
「はっ!」
ナタリアが息を吞む音と、エリカが短くも大きな気合を叫んだのが交差する。
エリカの長剣はナタリアの下半身、人間でいうところの両膝辺りを見事に打ち据えた。
しかしナタリアにも意地がある。
右手に持ち替えた片手剣をエリカの頭上に振り下ろそうとする。長剣を拾い上げるかのように上半身を前のめりにしているエリカは文字通り隙だらけだった。
だが、エリカは今度こそ長剣を手放し、そのまま前に進む。まるで頭突きをするかのような行動になったが、それによりナタリアの片手剣はエリカの左肩甲骨辺りを打ち据えるにとどまった。
その時にはエリカも身をひねり、動かせる右手でナタリアの右手首を掴む。
「放せっ!」
ナタリアが自由な左手でエリカの右手を逆にきつく締め上げる。そしてそのまま彼女を叩き付けるように地面へと引きずり倒した。
今のエリカはナタリアを仰ぎ見るように倒れている。彼女の視線の先にはナタリアが片手剣でとどめを刺そうとする瞬間の姿があった。
それを見て取ったオリヴァーが試合終了と勝利宣言の号令をかける寸前、エリカは両足を勢いよく右側に蹴り出し、身体をスピンさせる。
綺麗に半回転するまでの勢いはなかったものの、エリカの右手は地面に転がっている長剣の柄の部分を確かに掴んだ。
エリカの意図を察したナタリアも、慌てて片手剣を振り下ろす。
それぞれの剣先が宙を踊った。
「……」
誰も何も言わなかった。それは審判役のオリヴァーですら同様で、固唾を飲んでその場を見つめている。
ナタリアの剣先はエリカの胸元に突き付けられている。対して、エリカの剣先は宙を向いているものの、その刃はナタリアの首元に迫っていた。
だが、体勢の有利さが働いたのはナタリアの方だった。
エリカは自分の剣先がわずかな首の反らしだけで躱されるのを見て取ると、一気に右腕の力を抜いて剣を下ろした。
地面に当たった長剣が、小気味良い金属音を立てる。
その音は静寂の世界を打ち破るに充分過ぎた。
「それまで!勝者、ナタリア・コンクリン!」
止まっていた時が再び動き始めたかのように、オリヴァーが号令する。
その瞬間、固唾を飲んで見守っていたクラスメイト達が爆発的な歓声を上げた。その姿に、かつて流れた噂の真相を邪推しようとする様子はもはや見受けられなかった。
負けたはずの戦いなのに、エリカの心の中は晴れやかだった。
魔術師としてではなく、剣士として戦うこともできる自身の可能性を見ることができたのは勿論だが、ナタリアの言う本気で戦いに臨めたことが嬉しかった。
もっとも、彼女の本気をナタリアが把握できているかまでは分からない。
タイミングの悪いことに、エリカの今の体勢だと天井からの明かりが逆光になって、ナタリアの表情を窺い知ることができない。
どう思っているのかが分からないからこそ、エリカは腹を括って声をかける。
「おめでとう、ナタリア」
ナタリアは何も答えなかった。しかし、しばらくすると何か暖かいものがエリカの顔にぽたりと落ちてくる。
それだけで充分だった。
程なくしてナタリアが返事する。その声は心底嬉しそうだった。
「ありがとう。エリカ」
そう言って彼女が差し出した手をエリカは掴む。
クラスメイト達の歓声がより一層大きくなったのを耳にしながら、エリカは微笑んだ。
柄にもなく体調を崩してしまいました。
師走という時期もあり、また世間でもまだまだ猛威を振るうコロナのこともあるので、
大事を取って一週間は療養に充てます。
次回投稿は12月14日の予定です。
勿論、体調が早く戻ればそれより前に投稿しますので宜しくお願い致します。




