一 戻る日常、戻らない心
エリカの気持ちはいまだに晴れない。
デイヴィッドがまだ登校できる状態ではないこともその理由の一つだが、先日のベアトリスの言葉が重くのしかかっている。
(教えて。あの時私が見たのは誰だったの?)
そう言われた時、エリカは結局何も答えられなかった。とはいえ、決して正体を知らなかったわけではない。
あの日、エリカは確かにキャサリンと顔を合わせていた。だが、自身の無力さや不甲斐なさに気を取られる余り、言葉を交わすことができなかったのだ。
そのせいでエリカは、あの日見た彼女のことを口に出せずにいる。
しかし、幸いにして気がまぎれることはあった。
エリカが冒険者ギルドでの一件に従軍している間も、学院では模擬戦が進んでいた。それ故に、総当たり戦のせいでエリカだけが連戦状態になっている。
「それまで!」
三度目の号令を聞いて、さすがにエリカは大きく肩で息をした。
「そんなに辛そうなのに勝てないなんてね」
向かい側にいるモニカ・ブレットが苦笑いを浮かべる。モニカは王都の老舗の一つであるブレット書店の三女だが、錬金術師や白魔術師を代々輩出してきた血筋の中で唯一と言って良い程、肉体派な戦い方を好んでいる。
数多ある模擬戦の中で、エリカが近接攻撃に弱いことを見抜いていたモニカは意気揚々と戦いに臨んだが、踏んでいる場数ではまだまだ劣るようで、エリカに指一本触れることもできずに敗退した。
「まぐれよ……」
息が上がっているエリカは言葉少なく答える。
相手に指一本触れさせることなく勝ちを掴んだというのは聞こえが良いが、実際はギリギリの戦いを強いられていた。
それは先日のメアリーとの戦いが未だ尾を引いているからで、ここ数日の模擬戦は負けが込んでいたくらいだった。
さすがにそれは悔しさを駆り立てるものだったのでエリカも今日は奮闘したが、それでも模擬戦初期の頃の精細さや大胆さは既になく、文字通り辛勝と呼ぶしかない状況だった。
それを自身でも気付いているからこそ、エリカの心は少しずつふさぎ込んでいた。
「最近、元気ないね」
そんな状態だから、食堂で思い思いの昼食をとっている時にナタリアがふと呟いたことも、エリカは自分のことだと夢にも思わず、ぼんやりと外の景色を眺めながらフォークでサラダをつついてばかりいた。
「ダメだ。全く声が届いていない」
「大丈夫?」
ナタリアに同調するようにグロリアとシェリルが話し始めて、エリカはようやく彼女達の会話が自分を指していることに気付いた。
「え、何?もしかして私のこと?」
「うん、そうだよ」
グロリアは答えながら、しれっとエリカの目の前にあるプレートからカットされたステーキを二切れ奪い取る。
だが、白昼堂々の犯行にもエリカは何の抵抗も示さず、ただ、ぽかんとした表情を浮かべてグロリアを見つめるだけだった。
「ちょっと、エリカ。本当に大丈夫!?」
親友のただならぬ様子にさすがのグロリアも驚きを隠せず、素っ頓狂な声を上げてまじまじと彼女の顔を見やる。
「え?何が?」
「何がって、いつものエリカらしくないじゃん」
「そうだよ。ちょっとおかしい気がする」
「いや、そんなことはないって……」
余計な心配をかけまいと笑顔を浮かべるエリカだったが、口元ばかりが柔らかく両頬や目の辺りは強張っている。無理をしているのは明らかだった。
そんなエリカをジッと見つめるばかりのナタリアだったが、おもむろに口を開く。
「ねえ、エリカ。しっかりしてよ。そんなあなたと戦いたくない」
その言葉にエリカは思わず顔をしかめる。ナタリアが言っているのが模擬戦のことだとは分かっているが、それでも戦いという言葉に嫌悪感を覚えてしまう。
だが、そんな気持ちを押し殺してエリカは無理に笑う。
「やめてよ、ナタリア。模擬戦でそんなにムキにならないでよ」
「ムキにもなるわよ。二人だけ本気のエリカを知っているなんてズルいじゃん」
そう言うとナタリアはグッとエリカの方に顔を近付ける。その勢いにエリカは思わず息を呑んだ。
「本気のあなたを倒して私は御前試合に出る」
ナタリアの唐突な告白に親友達は驚いていたが、エリカは腑に落ちた。
冒険者ギルドの事件により、冒険者の募集は急務だった。だからといって誰でも冒険者になれるわけではない。それは冒険者一族のコンクリン家の一員であるナタリアも例外ではなかった。
しかし、御前試合に出る者は一定の実力があると認められる。ナタリアはそれを欲しているのだ。
そこまで読み切ったエリカはナタリアと戦う際は勝ちを譲ろうと考えた。なので、表情を改めると強い眼差しをナタリアに向ける。
「分かった」
少しの間、にらみ合いのような時間が続いたが、ナタリアは急に肩をすぼめるとうつむいてしまう。
それが気になったエリカは声をかけようとするが、ナタリアは無言で立ち上がると食べかけ状態のプレートを持って立ち去っていく。
「え、ちょっと!」
グロリアが慌てて声をかけるが、ナタリアは振り向くことなくプレートを返却棚に置くと、そのまま食堂を出ていった。
「結構気合い入ってるのかな……」
シェリルが何とかフォローしようとするが、ナタリアが怒りと失望の念から席を立ったのは誰の目から見ても明らかだった。
グロリアはもの言いたげな視線をエリカに向けるが、冒険者ギルドの一件以降から彼女の様子がすぐれないことにも気付いているので、すぐに視線を逸らした。
きまり悪そうにエリカから掠め取ったステーキをフォークでつついているグロリアに、エリカは自分のプレートをそのまま押し出す。
「何だかお腹がいっぱいになっちゃった。良かったら二人で食べて」
「あ……」
グロリアが何か言う前にエリカも席を素早く立つと、足早に食堂から去っていく。
行くあてもなく急ぎ足で廊下を歩くうちに、エリカの心の中は悲しみとはまた違う感情で満たされていった。
その時、後ろの方から駆け足で近付いて来る足音が聞こえてくる。振り向くエリカの視界に映ったのはシェリルだった。
「どうしたの、そんなに急いで」
精一杯、平常心を装ってエリカは呼び掛ける。だが、シェリルは珍しく口をすぼめたまま、何も答えない。
その間に耐え切れなくなって、エリカは口を開く。
「ねえ、シェリルまでどうしたの?」
「……エリカこそ、どうしたの?」
その問いにエリカは何も答えなかった。いや、答えられなかった。
そんなエリカにシェリルは何かを言おうとしたが、グッと口を固く結ぶと大きく深呼吸する。そして少しだけ間を置くと話し始める。
「お母様からの伝言。この後、家まで来て欲しいって。エリカのお父様とお母様にも伝えておくからって」
「そ、そうなの?お招きありがたいわ。喜んで伺います」
随分と根回しの良い話に本当は断りたかったが、いくら親しい関係性とはいえ、目上からのお誘いを目下が断るのはマナー違反である。エリカは了承するしかなかった。
「じゃあ、放課後にね」
そう言うとシェリルはくるりと踵を返して立ち去っていく。その後ろ姿がナタリアと重なってエリカは苛立ちと悲しさが織り交ざったため息を吐いた。
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久々に見たコーンウェル伯爵夫人の邸宅はすっかり元の状態へと戻っている。
王都で起きた事件のせいで壊滅的な被害を受けた中庭も、今は緑豊かなかつての景色を取り戻している。
その中庭の中心に置かれたテーブル席で、伯爵夫人とエリカは向かい合っている。
「突然のお誘いなのによく来てくれたわね。改めて感謝するわ」
「いえいえ、こちらこそお招きくださいましてありがとうございます」
フフと軽く笑う伯爵夫人は紅茶をゆっくりと飲むと、中庭に目を向ける。
「どう?ここまで元通りになったのよ」
「ええ、お見事です」
「ありがとう。もう少し長くかかりそうだったんだけど、シェリルが手伝ってくれたおかげでこんなに早く立て直すことができたの」
「さすがですね」
やはりエルフは植物関連のことには詳しいのだろうか。そんなことをぼんやりと考えているエリカだったが、視線を感じてそちらに目を向けると伯爵夫人が何とも言えない表情を浮かべていた。
「心ここにあらずって感じじゃなくて?」
「え?いや、そんなことは決して……」
「いいえ。やっぱり本調子ではないでしょうに。紅茶も進んでいない様子だし」
そう言うと伯爵夫人はチラリとエリカの席に置かれたティーカップに目を向ける。意匠の凝らされた白いカップの中身は琥珀色の液体で満たされたままである。
そこで伯爵夫人はニヤリと笑みを浮かべて茶目っ気たっぷりに言う。
「当家のお茶はお口に合いませんこと?」
「いえいえ、滅相もございません……」
いつもと違って余裕なく、必死に言葉を探そうとするエリカを見て、伯爵夫人は内心で溜息をついた。
伯爵夫人は冒険者ギルドでの一件がどのようなものであったかを知らなかった。使い魔であるコウモリ達がメアリーの死霊術の前に無力化されてしまったので、詳細を見届けるのは叶わなかったのだ。
ただ、性格に難ありとはいえ有力な貴族が二人命を落とし、奮戦した他の家も手ひどい損害を被っているのは把握している。それはスタンフォード家も同様で、一時的とはいえ当主のアルフレッドが戦闘不能状態に追い込まれたショックは大きかった。
そのことでエリカは自分を責めているのだと伯爵夫人は看破している。
だが、貴族として生きる以上、多くの死に触れることが多くなるのは避けて通れないことだった。ましてそれが自家の兵士であったとしても。
ここで踏ん張れるかどうかで、エリカの将来が決まる。その瀬戸際で彼女を繋ぎとめられるのは自分しかいないと伯爵夫人は決心する。
「ねえ、エリカさん。ちょっと昔話に付き合ってくださらない?」
伯爵夫人は向かいに座るエリカの手をそっと自分の両手で包んだ。
「そもそもどうしてわたくしが伯爵夫人と名乗っているのかご存じ?」
「……言われてみれば」
エリカはこの世界で読んだ歴史書の内容を思い返す。
建国の英雄の一人である彼女が陞爵されるのは当然のことだが、その場合だとコーンウェル伯爵となるはずである。だが、彼女は最初から伯爵夫人を名乗り続けている。
「クーデターによってリーヴェン王国を追われた初代国王がこの地へ命からがら逃げ延びた時、私は護衛の一人だった。今で言えば近衛兵みたいなものだけど、実際は義勇兵とは名ばかりの出世欲にまみれた農民の一人に過ぎなかった」
そのような話は今までに聞いたことがなく、この話が表の歴史で語られるものではないとエリカは直感で理解する。
「でも初代国王と接していくうちに、功名心などではなくて本心から守ろうと思うようになった。けれど、それには力も経験も全くと言って良い程足りていなかった。
そんな私に声をかけてくれたのが一人の吸血鬼だった」
伯爵夫人は無意識のうちに左手首の内側を右手で撫でる。
「彼は初代国王と何かの縁があったみたいで、逃亡の旅にも同行していた。そんな彼は私のような農民兵の教育係だった。私達は多くを教わったわ。文字通り、武器の持ち方や魔力の練り方という基礎の基礎からね。
訓練は苛烈だった。何度も逃げ出したくなるくらいにね。実際、逃げだした仲間も何人かいたわ。五十人ほどいた仲間が最終的には私を含めて半分程度しか残らなかった。
でも、その半分の兵士達はよく戦ったわ。度重なる帝国の襲撃をことごとく防いだのはいつも私達だった」
そこで伯爵夫人はふと口を閉ざす。何かを思い出すように遠くを見つめた後、おもむろにまた口を開いた。
「ある日、帝国が大々的な攻勢を仕掛けてきた。その時にはこちらも辛うじて国と呼べるような体制を築き上げていたわ。けれど、所詮は多勢に無勢。多くの仲間が命を落としていった。彼も深手を負ってね。最期は私の腕の中で息絶えたわ。
何とか戦いに勝った後、私は爵位を授けられることになったけれど、最初は辞退したの。でもそれは許されなかった。
だから彼に敬意を表して、私は彼の名字で爵位を受けることにしたの。救えなかった師へのせめてもの手向けとしてね」
そこまで話すと伯爵夫人は椅子の背もたれに深く身を預けた。その表情は心なしか暗い。だが、辛い記憶を引っ張り出してまでそれを聞かせた理由がある。エリカはそれを汲み取らねばならなかった。
結局のところ、十字架を肩から降ろすことはできない。背負ったまま歩き続けるしかないのだ。自分がしなければならないのは、今後も背負うであろう十字架を少しでも減らすこと。
そう思い至ったエリカの目に映ったのは、深い悲しみと自責の念を湛えた一人の年若い女性の姿だった。
彼女はニコリと微笑むと、またエリカの手を両手で包み込む。その手の温もりがエリカの心にそっと沁み込んだ。




