十二 狂気の戦場
ガストン子爵の領主館は臨時の軍事拠点として姿を変えている。
大広間は作戦会議室となっており、嫡男のケヴィン・ガストンが集まった貴族達に自身が目にしたものを報告していた。
「死んでいるはずの魔物が動き回っていたと?」
垂れ目がちで痩せぎすのトラヴィス伯爵は、不信感もあらわにケヴィンをじろりと見やった。
「にわかには信じられんな」
「ええ、トラヴィス卿。わたくしも最初は信じられませんでしたが、実際に確認しました」
ケヴィンの隣に立っているマカリスター子爵が代わりに答えると、トラヴィスは露骨に表情を改めた。
「あなたもご覧になられたのであれば信じるべきなのでしょうな」
だが、すぐに伯爵は表情を元に戻すと、今度はマカリスターを見据える。
「だが、それでも荒唐無稽な話には変わりますまい」
「では、私達が偵察に出向きましょう。それで話の真偽を確かめられますぞ」
ジョーンズ子爵が胸を張って答えると、伯爵は途端に嫌そうな表情を浮かべた。
「いや、その必要はなかろう。極めて信じがたいが、二人がここであからさまな嘘をつく理由もない」
吐き捨てるように言うと、トラヴィスは机の上に広げられた地図を指し示していく。
「通常の武器が利かないと仮定するならば、魔術師を全面に押し出す必要がある。
屋外であることから広範囲攻撃で一気に殲滅し、ギルドを救出する。他の兵士達は追撃に備えて準備させておこう。
ここの守りは彼だけでは不安だ。マカリスター卿とジョーンズ卿にもお願いしよう。
スタンフォード卿とケラー卿は左側面から城壁に沿って進軍してもらいたい。正面は私が引き受けよう。
諸君、この内容に疑問があるかね?」
最後の言葉は問い掛けではなく、事実上の承認の強制だった。誰もが、伯爵に一番旨みのある内容だと把握していたが、抗議の声を上げることはなかった。
それは彼がこの中で最高の爵位を持っているからではなく、報告を軽視することの危険性をわざわざ自分本位のうぬぼれ屋に教えることで目を付けられたくなかったからだった。
軍議を終えた貴族達は無言でそれぞれの準備に出向いていく。それまでの様子を黙って見守っていたデイヴィッドとエリカは、屋敷を出るや否やため息交じりに空を見上げた。
「初陣が拠点の防衛か……」
「それだって大切なことよ」
「最初の戦いでデーモンスパイダーを倒した君に言われてもね……」
デイヴィッドが苦笑する。その横顔にエリカは不思議とドキドキしていた。その感覚は随分と昔に経験したことのある、どこか懐かしいものだった。
「あれは運の巡り合わせよ。あなたも見ていたでしょう?転移魔法陣で飛ばされていくところをね」
「ああ、あれには驚いたよ」
和やかに話す二人だったが、戦いは目前に迫っていた。スタンフォード家の兵士がエリカを迎えにやってくる。
「エリカ様。アルフレッド様がお待ちです」
「ええ。すぐに向かいます」
そう言うとエリカは振り向く。
「デイヴィッド。気を付けてね。絶対に油断したらダメよ」
「分かっているさ。君も気を付けて」
互いを気遣うと、二人はそれぞれの持ち場へと向かう。
アルフレッドの元に辿り着いたエリカは、父の思案顔を窺った。
「お父様?何か気になることでもありまして?」
「エリカ。今回の戦いに連れて来たことを済まなく思う」
「まあ、気になさらないで」
突然の言葉にエリカは驚く。
エリカ自身は現実主義者で、前世でも子供を持ったことがなかったので、貴族に生まれたからにはこうして戦いに臨むのは当然のことだと思っていたが、子を思う親の気持ちを真には理解していなかった。
「本当は安全な王都で過ごさせたかったんだ。だが、帝国との戦いが始まれば、遅かれ早かれ従軍することになる。今から兵を率いることを真に学ぶように」
「はい、お父様」
「くれぐれも私の指示に従うように。兵士達の為にも勝手はならん」
「はい、お父様」
しおらしく答えるエリカにアルフレッドは眉をひそめたが、気を取り直すとアルフレッドは兵士達に指示を出す。それに従い、ケラー男爵も兵士達を指揮する。
「先陣はお任せあれ」
ケラーはアルフレッドに短くそう伝えると、答えも聞かずに飛び出していく。トラヴィス伯爵の腰巾着でもある男爵は、この戦いで伯爵に次ぐ武勲を立てようと張り切っていた。
「やれやれ。では私達はケラー卿をサポートしようか」
アルフレッドはつぶやくと、自身もゆるりと馬を進める。
程なくしてアルフレッド達は所定の位置に辿り着く。そこで遠見の魔法を使ったトラヴィスは不服そうに顔をしかめた。
「勘違いだと思っていたが……」
そこには魔物達がうごめいていた。彼らは皆、身体を腐らせながらも平然と動き回りつつ、城門を通ろうとしているのか、頑丈な扉に突進することをひたすら繰り返していた。
その中にはガストン家の兵士だったものの姿もあり、それを見て初めてトラヴィスは事の重大さを認識する。
「ここは私にお任せあれ」
だが、ケラーだけはいつも通りの調子だった。もっとも、戦いにおいては獅子奮迅の働きをすることで有名な男爵なので、未曾有の事態においても先陣切って戦いに臨むと自ら名乗り出るのは伯爵にとって非常に都合が良かった。
「では、任せる。我らもそなたに続くぞ」
「はっ!」
そう言うや否やケラーは勢い込んで馬を走らせる。
城壁沿いに進んだ男爵達は、伯爵とアルフレッド達が接近してくるのを見ると、かけ声を上げて一気に城門前へとなだれ込んだ。
本来であれば見事な急襲で、相手が魔物であっても通用する虚をついた攻撃だった。だが、その相手が既に死んでいる状態だとさすがに効果は見込めない。
「うわぁぁぁぁ!!」
一人、また一人と男爵の兵士達が命を落としていく。
「むぅぅぅ!?」
挟撃を期待していた伯爵率いる兵士達も、予想だにしていない抵抗になすすべもなく倒れていく。
「うろたえるな!所詮は魔物ぞ!」
トラヴィスが唾を飛ばしながら指示を出すが、統率を失った兵には何も届かない。
「魔術師は土魔法で壁を築け。弓兵は敵の足元を狙え。機動力を削ぐことに集中しろ」
瞬く間に総崩れとなった戦場の中で、アルフレッドだけは冷静に対処していた。彼の適切な指示で、兵士達は目を疑うような光景の中でも落ち着いて行動することができていた。
「決して剣で戦おうとするな。拙くても良いから魔術を使え。とどめを刺すなら最低限でも槍を使うように」
最初に襲われた男爵の兵士達が動く死体へと姿を変えるのを見て、アルフレッドは新たに指示を出す。剣を構えていた兵士達はすぐに納刀すると魔術師のサポートに回る。
エリカはアルフレッドの隣で無惨な戦場の姿を目の当たりにしていた。
グロテスクな光景が視界に飛び込んでくるのはギリギリ堪えられたものの、鼻をつく程の凄まじい腐臭と、傷付き、恐怖におびえる兵士達から漂ってくる汗と血の臭いが入り混じったものには吐き気をこらえきれず、胃の中のものが喉の辺りまで逆流してくる。
それを強靭な精神力で抑え、無理やり飲み込むと、口の中に広がる臭気に涙目になりながらもエリカは毅然と前を向き続ける。
「無理はするなよ」
強がっているのが分かったのか、アルフレッドが小声でエリカを気遣う。答えることができないエリカは力強く頷くことで父の顔を見た。
「おーい!」
その時、頭上から声が響き、アルフレッド達は視線を上に向ける。
「我らはガストン家の兵です!すぐにここから撤退されよ!」
城壁の上から何人かの兵士が顔を覗かせている。その表情は絶望に染まっている。
「ガストン卿は!?如何なされた?」
「ガストン様は第二層へ向かわれています!」
「我らも援軍に向かおう!」
「ここは地獄です!来てはなりません!」
アルフレッドは目を細める。
「それはできん。我らは魔物共を討伐せねばならん」
アルフレッドは戦場に向き直る。トラヴィス伯爵の軍は小さなグループの集まりといった状態になっており、それぞれが孤軍奮闘していた。伯爵の姿は既になく、どこかへ逃走したらしい。
混迷極まる戦場でケラー男爵の軍は何とか態勢を立て直していた。男爵は必死に剣を振るって魔物や兵士の死体達の頭部を宙へと飛ばしていた。
「ケラー卿を援護するぞ」
周りの魔物達を掃討したアルフレッド達は、慎重に進軍していく。
「ケラー卿!」
「手出しは無用です!トラヴィス卿を!」
「伯爵は既に戦場を離脱されている!ケラー卿も早く!」
「ならばそなたも離脱されよ」
返り血を浴びたことで全身が赤黒く染まったケラーは、まるで鬼のような形相で立ち尽くしつつアルフレッドをギロリとにらみつける。
「こやつらは全て私が頂く!」
アルフレッドは眉をひそめるものの何も言い返すことなく、自身の兵士達にこの場を離れるように指示を出した。
「お父様?」
「ここは何かがおかしい。ケラー卿は戦いにおいてはもう少しまともなのだが……」
その時、第一層の城壁の上から兵士達が続々と飛び降りた。
「なっ!?」
「嘘……」
これにはさすがのアルフレッドも動揺を隠せなかった。
「早く逃げろ!!!」
地面にぶつかる寸前まで兵士達は必死に叫んでいた。
その後、ぐしゃりという何かがつぶれる音が響いた。
「……一旦、退くぞ」
アルフレッドは静かに撤退の指示を出すと、自身も馬を走らせた。
撤退していく中でエリカは、第一層の全体に漂う不穏な気配のようなものを本能的に感じ取っていた。
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冒険者ギルドの一階にある食堂は臨時の処置室となっており、本来ならば、運ばれた負傷者達がそこで白魔術師の手当てを受けているはずだった。
だが、そこにいるはずの負傷者も白魔術師も見渡す限りおらず、窓から差し込む西日が室内に薄い影を差し込んでいるばかりだった。
うす暗い室内を、足まで届くほどの長いローブに身を包んだメアリーがゆったりとした歩調で巡りゆく。複数ある彼女の眼はあらゆる方向に向けられており、どこも見つめてはいなかった。
「フフフ……」
相変わらず普通の発声は難しそうだが、それでも以前よりは滑らかな口調でメアリーは笑う。
メアリーはまるでオーケストラを指揮するかのように、せわしなく両手を動かし続けては、鼻歌とは到底言えない不快音を辺りに響かせながら上機嫌でうろうろしている。
「タノシイ……ウレシイ」
もはや誰もいなくなった冒険者ギルドを自由に散策するメアリーからは、よく見ると無数の細い糸があらゆる方向に伸びている。
それらの糸を操るわけでもなく、ともすれば糸に身体を引っぱられつつも、メアリーは一切抵抗することなくそれらの動きに身を委ねるだけだった。
そして糸が一本、また一本と増えていく。
「ククク……アハハ」
糸が増える度に、メアリーはその容姿から想像が付かないほど、人間らしい声を取り戻していく。だが、それは元の声とは全く異なるものだけでなく、多くの人間の声が入り混じった、何とも言えない不気味な声だった。




