十 死霊術の恐怖
あれだけ嫌だった暗闇も、沈み込んでしまえば心地良かった。
そこでは何者でもない。
何者かである必要もない。
それはどんなに幸せなことだろう。
この喜びと希望が多くに広まらんことを。
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「やったか!?」
冒険者の一人が声を上げる。だが、炎はいまだに消えず、メラメラと燃えたぎっている。
「倒れたのは見たぞ!」
「この炎じゃあ生きていられないな」
口々に安堵の声を上げる冒険者達を尻目に、ギルドマスターは冷静に声をかける。
「油断するな!まだ、倒したと決まったわけではない。炎が収まり次第、確認に向かう。続く者はいるか?」
「ついてくぜ」
「俺もだ、ギルマス」
「エリックの仇だ。見届けなくちゃならねえ」
数人の冒険者達が早くもギルドマスターの元に集まる。その時、冒険者ギルドの方から一人の女性が職員と共に走り寄ってくる。
余りにも冒険者らしからぬ服装の女性はギルドマスターに一礼する。
「RCISのパトリシア・テイラー特別捜査官です。話は彼から伺いました。何かお手伝いできることはありますか?」
「いえ、何とか討伐できたようです。あの火炎が鎮火したら確認に向かうだけですので、お気持ちだけ受け取らせて頂きます。
それよりご用件は何でしょうか?」
「共同墓地の掘り起こしを許可して頂きたいのです。
先日、行方不明になっていた冒険者達の遺骸を発見、回収されたとのことですが、その中に王都の爆破事件の関係者がいたと分かり、調査したいのです」
「むう……。事件のことを鑑みれば全面的に協力したいのですが、この戦いでも戦死者が出たばかりです。埋葬する前から仲間を掘り起こしたくないのが正直なところです」
「お気持ちは分かります。だからこそ、その関係者のところだけでもお願いできませんか?
万が一の場合、勇敢な方々が反逆者と一緒に土の下で眠り続けることにもなりかねないのです。どうかお願いします」
「お話は分かりました。この件が片付いたら手続きを進めます。ただ、時間は頂きたい。何しろ新種の魔物が好き勝手なことをしてくれたせいで、やらないといけないことが多いのです」
「そちらで何かお手伝い致しましょうか?」
ギルドマスターは疲れた笑みを浮かべる。
「では、負傷者の手当てをお願いしても?既にご覧になられたと思いますが、圧倒的に人手が足りていないのです」
「ええ。お任せください」
パトリシアがギルドの方へと引き返していくのを見送ると、ギルドマスターは深いため息をついた。
「全く、間の悪い話だ」
「まあ、彼女も仕事をしに来ただけですから」
ローレンスの慰めにハッとした表情を浮かべると、ギルドマスターは頭を下げる。
「申し訳ございません。王室のことに関わる話ですのに」
「気にしないでください。自分はここの副ギルドマスターなのですから」
「恐縮です」
小声でやり取りする二人の元に冒険者が報告にやってくる。
「ギルマス!そろそろ炎が消えるぞ!」
「随分と早いですね」
「血気にはやる連中が水魔法を使って消火してるんだ。まあ、リズとカーラのあれを長時間喰らっちゃ、動く死体だかなんだか知らんがアイツも今度こそくたばっただろうよ」
「むう……」
「心配なのは分かるけどよ、万が一に備えてリズ達も控えてくれているんだ。それに、アイツが生きていたとしても俺達がとどめを刺せば良いだけだろ?」
「……分かりました。ですが、くれぐれも注意してください」
諦めたように答えるギルドマスターに満面の笑みでサムズアップすると、その冒険者は仲間の元に走っていく。
「どうやらみんな、頭に血が上っているらしい」
「ええ。そのようです」
二人はゆるりと城門の方へと向かう。大きな扉の前では早くも冒険者達が今か今かと確認の時を待ち望んでいた。
やがて、城壁の上から偵察している斥候役から炎が完全に消えたという報告が寄せられる。
ギルドマスターはすらりと大剣を抜き放つと、開門するように命じた。
開かれた門の先で、真っ黒な塊が地面に小さな山を築いていた。その姿形は原形を留めておらず、万が一生きていたとしても、瀕死の状態であることは容易に想像できた。
「気を抜くな」
ギルドマスターの呼び掛けに、冒険者達は固唾を飲む。相手は死体を蘇らせる存在なのだ。油断は決して許されなかった。
「ボブ、トニー。左右に散開。フレディは魔術支援の準備を」
ギルドマスターの指示通りに冒険者達がテキパキと動く。それを見たローレンスが城壁の上に控えている魔術師達に指示を出そうとした時だった。
突然、小山のような塊が爆発する。その衝撃でローレンス達は皆、後方に吹き飛ばされる。
黒い肉片が雨のように降り注ぎ、あらゆる方向に向かって散らばっていく。
「いてて……」
彼らの内、最も魔物に近いところにいたボブが苦しげな顔でうめく。彼はほぼ全身に魔物の残骸を浴びており、中には身体を貫いているものもあった。
「大丈夫……か、ボブ?」
「何とか……なって言いたいが、かなりマズい……。太もも…と肩をやられた………」
「動け…そうか?」
「這ってなら……」
「じゃあ、こっちに来て…手を貸してくれ。俺は胸に何かが刺さった……」
「足が……動くだけ…マシだろ」
爆発の余波は彼ら以外にも及んでいた。倒れ込んでいるギルドマスターの左半身の上に残骸がのしかかっているせいで、身動きが取れずにいる。フレディは吹き飛ばされた拍子に頭を打ったのか、ピクリとも動かずその生死は確認できない状態だった。
ローレンス自身も右手首の辺りに飛んできた残骸が突き刺さったせいで、利き腕を使えなくなっている。
城壁の上からも呻き声がいくつか聞こえてくる。どうやら爆発の被害は広範囲に及んでいるらしい。
ボブがひときわ大きな呻き声をあげる。それに気付いたトニーが何とか彼の元までやってくる。
「大丈夫……かよ?」
「うぅぅ……。あぁ……」
余程の痛みなのか、ボブは歯を食いしばるようにして身を縮こまらせている。何とか痛みを和らげてやりたかったが、トニー自身も傷による痛みのせいで意識が朦朧とし始めていた。
「動ける者は救出活動に回れ!」
遠くの方から副ギルドマスターの一人が指示を出すのが聞こえてくる。そのことをトニーはボブに伝えようとする。
「おい、助けが……もう少しでくる……。頑張れ……」
だが、ボブは返事をしなかった。先程まで縮こまっていた身体が、いつの間にかだらりと脱力している。
「ボブ?」
その意味に気付いたトニーは必死に声をかけるが、とうとうボブは動かなかった。
「トニー!ボブは?」
残骸の下敷きになりながらも、ギルドマスターは声を上げる。
「ダメだ…ギルマス……。アイツは逝っちまったよ……」
トニーの沈んだ声が返ってくるが、ギルドマスターは心を鬼にして指示を出す。
「トニー。フレディの様子を見てくれ。私は動けん」
しばらくの間、トニーは動かなかったが、やがて何とか立ち上がると、ゆっくりとフレディの元へと歩き出す。
その様子を見つめるギルドマスターの元にローレンスがやってくる。
「今、これをどけますよ」
「いや、このままでお願いします。どうやら脚だか何だかが私を貫いているようで、簡単には動かせそうにないんです」
「まさか……」
「あなたこそ右手首の処置を急がないと。直に応援が来ますから、私達に構わず処置を受けに行ってください」
「あなた達を置いてはいけないですよ。一緒に処置を受けましょう」
そこまで言ったローレンスの目は不思議なものを捉える。
死んだはずのボブの身体が痙攣し始めたのだ。
「ボブ?」
ローレンスが声をかけた瞬間、痙攣は収まり、また静かになる。だが、突然身体を起こすと、虚ろな目をローレンスに向けた。
「うぅぅぅぁぁぁぁぁ……」
そのうなり声はそれまでに聞いていたものとは全く違っていた。瞬時にギルドマスターが叫ぶように指示を出す。
「トニー!フレディを連れて城壁の中まで戻るんだ!」
だが、トニーはそれに答えず、フレディに何かを話しかけているのかしゃがんだまま動かない。
「おい、トニー!聞こえているのか!?」
ローレンスが叫ぶと、トニーはゆっくりと振り向く。彼の口は何か赤く、ヌメヌメしたものをくわえており、そこからどす黒いものがポタポタと垂れている。
その奥ではフレディの首元が赤黒く染まっていた。
その光景を見たギルドマスターは何とか身体をよじると、ローレンスに向き直った。
「お許しください、殿下」
そう言うと、渾身の力を込めてギルドマスターはローレンスの右ひじの辺りを大剣で切り落とす。
「うぐっ!」
ローレンスは右腕から血しぶきを飛ばしながら後ろへとよろける。だが、耐えがたい痛みの中でも、切り落とされた右腕から何とも言えない色の血が流れ出て、地面をゆっくりと染め上げていくのは把握できた。
「あなたを失う訳にはいきません……」
そう言うギルドマスターの両目は黄色くにごり始めている。その意味に恐れおののくことはなく、ローレンスはただ深い悲しみと無力感に苛まされる他なかった。
「申し訳ございません」
冒険者になってからずっと自身の身を案じてくれていたギルドマスターに一言だけ詫びると、ローレンスはありったけの大声で指示を出す。
「魔物の破片を浴びた者を直ちに隔離しろ!限定的な被害の場合はその箇所より上の部分を今すぐ切り落とせ!」
そしてローレンスは城門へと走り出す。救助に出てこようと今まさに城門をくぐり抜けてきた冒険者達に怒鳴り声を上げる。
「さっさと中に戻れ!」
城門をくぐり抜けると、ローレンスは扉を閉めるように指示を出す。だが、扉が閉まる気配はなかった。
門番はフレディのように、別の冒険者に食らいつかれていた。その冒険者の身体には魔物の残骸が突き刺さっている。
ローレンスは即座に決断した。
「このエリアは捨てる!無事な者は二つ目の城壁まで下がれ!」
そこまで言うとローレンスは不意に崩れ落ちる。右腕の血止めを後回しにしたツケが回ってきたのだった。
気を失ったローレンスの右腕をテキパキと止血し、肩に担いだのはジェイだった。ジェイは副ギルドマスターの一人の指示で救助活動に出向こうとしていた冒険者の一人だった。
「カーラ!リズ!動けるか!?」
「ああ、安心しな!この馬鹿はアタシが無事に連れ帰るよ!」
「それはこっちのセリフよ!」
二人は城壁の上で、動く死体と化したかつての戦友達の魔の手から、仲間を救おうと奮闘していた。
だが、元々狭いスペースしかない城壁の上では彼女達の魔術が届く前に、逃げ遅れた仲間が次々と変わり果てた友によって襲われ、食われていく。
「二人とも俺達ごと焼きつくせ!」
「お前らもさっさと逃げろ!」
動く死体に襲われながらも冒険者達はリズとカーラを逃がそうと声を上げた。
「……カーラ。行くぞ」
「……ええ」
二人は暗い表情で頷き合うと、それぞれファイアボールを放つ。
何とか二人分通れるほどの狭いスペースを炎の球が一直線に突き進んでいく。それは生きている者も死んでいる者も関係なく、平等に燃やしていった。
「行くよ」
「ええ……」
二人は踵を返すと、二つ目の城壁の方へと走り出す。
その様子を見届けていたジェイも同じ方向へ向かって走り出した。
「うぅぅぅぁぁぁぁぁ……」
後ろの方から大勢の呻き声が聞こえてくる。それらは全て、かつての戦友のものだった。
ほんの数分で自分の知っている世界が変わってしまったことに絶望しながらも、今わの際に託された想いを胸に、ジェイを初めとした生きている者達は懸命に走り抜いた。




