六 舞踏会への招待
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皆様、有り難うございます!
暗くなっていくにつれ見えなくなるものが多くなる。
でもそれは、今まで見えなかったものがよく見えてくることでもあって。
薄らぼんやりとした明かりの中で、彼女は遠い日々のことを思う。
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その日、王都に激震が走った。
あの武芸一辺倒のウィンストン伯爵が舞踏会を開くと発表したのだ。
この知らせは王都中を駆け巡り、貴族達はウィンストン伯爵の心境の変化に思い巡らせる他なかった。
マクファーソン王国とリーヴェン帝国の国境沿いに位置するクラックス高原を中心とした広大な領地を預かっているウィンストン伯爵は、その地理的条件もあって徹底した軍人気質を持っていた。
また、長らく迫害を受けてきたミノタウロスという種族の暗い歴史をものともせずに自分達を厚遇してくれた初代国王に対する強い忠誠心を持ち合わせており、宿敵である帝国の打倒を胸に刻んでいた。
それ故にウィンストン家は代々、軍事関係の催事には顔を出すことがあっても、お茶会や舞踏会という貴族の交流の場には一切顔を出すことがなかった。
だからこそ、その日は朝からスタンフォード家の全員がそのことを話題に挙げたし、午後の郵便で見るからに重たそうな一通の手紙が届いた時には驚きの声が上がった。
「まあ、ウィンストン伯爵からの招待状ですって!」
ペンナイフで封蠟を切り開き、中身に目を通したアステリアが驚きの声を上げる。もっとも、差出人がウィンストン伯爵になっている時点で察しはついているのでその時以上の驚きはなかった。
「そうなると舞踏会用に服を新調しなければならないね」
アルフレッドが心持ち頬を緩まると、アステリアは照れくさそうに笑う。
クリスマス休暇を過ごしてからというもの、二人は付き合い始めたばかりの学生カップルのような初々しさを取り戻していた。
元々二人とも美男美女の範疇ではあったが、アステリアは四十歳を目前にしてその美貌にますます磨きがかかり、凛としたたたずまいの中に匂い立つような艶めきが見え隠れしている。アルフレッドも肉体がますます引き締まり、四十代とは思えない若々しさに満ちている。
一度、家を訪ねてきたオズワルドが二人の姿を目にした時、一瞬驚いていたのをエリカは見逃さなかった。前世でならアステリアは美魔女、アルフレッドは伊達男と呼ばれていただろう。
「よし、善は急げだ。早速仕立てに行こうじゃないか」
そう言うや否やアルフレッドはカーティスを呼ぶ。
「済まないが馬車を用意するようマックスに伝えてくれ」
「かしこまりました」
エリカはカーティスが退室するのを礼儀正しく待ってから、アルフレッドに視線を向ける。
「お父様。私も行かなきゃならない?」
「何だい、エリカ。まさかドレスが欲しくないというのかな?」
いたずらっぽく笑うアルフレッドにエリカは微笑み返すが、内心はその通りだと大きく首を縦に振っていた。
お茶会や晩餐会は好きだが、どうにも舞踏会は好きになれない。
社交ダンスに対する憧れは前世からあったが、やってみるとどうにも楽しくないのである。
パートナーのリードが下手なだけだと思った時もあったが、この世界で名手とされている相手とダンスを踊ってもしっくりこないものがあった。
それはオズワルドにも共通しており、彼の様々な一面に惚れ抜いている中で唯一ダンスの時だけは心が真顔になる。
そんな訳だから、同世代の貴族の子供なら普通は飛び上がって喜ぶような話でも、エリカは冷静なままだった。
「まあ、気を遣わなくとも良い。何といってもあのウィンストン伯爵の舞踏会だからな」
だが、アルフレッドは娘の冷えた心には一切気付かず、上機嫌なままだった。
「そうよ、エリカ。この舞踏会は普段とはまた違った意味を持つことになるわ。わたくし達もしっかりと備えないと、かえって失礼になるの」
アステリアもたしなめてくる。子供の立場からすると両親から贅沢するように言われるのはとても嬉しいことなのだが、エリカはそうとは見えない愛想笑いを浮かべるしかなかった。
だが、舞い上がっている二人にはエリカの本心は見えておらず、そのせいでエリカは家族と一緒に馬車に揺られて洋品店に向かうことが確定した。
馬車を降り立った三人は店へと入り、出迎えた店主と挨拶を交わす。
「やあ、こんにちは」
「これはこれは、アルフレッド様。いつもありがとうございます」
二十代前半にしか見えないエルフの女性はにこやかに頭を下げる。
「お久しぶり」
「アステリア様もいつもありがとうございます」
「ごきげんよう」
「エリカ様。少しお見かけしない間に背丈が伸びられたようで」
「さて、マーガレット。今日は全員の舞踏会用の服を新調したいのだが」
「お任せください。では、まずはアステリア様から」
そう言うとマーガレットは大胆にもアステリアの手を取って店の奥へと誘っていく。
普通ならこの様な振る舞いは極めて無礼であるが、長命種のエルフの中でも特に長命とされるマーガレットは多くの者から畏敬の念を抱かれていた。
あくまで噂に過ぎないが、マクファーソン王国が建国される前から生きていたとも囁かれる程の相手に礼を欠く者はいなかった。
だが、それ以上に相手が何も言わないのは、マーガレットが長命なだけで天真爛漫に振る舞う無害なエルフだからという訳ではなく、それ程の年齢でありながら今もなお若々しい姿を保っていられることへの恐れもあった。
マーガレットがアステリアの世話をしている間、アルフレッドは売り子の一人から話しかけられ、雑談に応じている。その内容はとても自然だが、さりげなく商品に関心を持たせる話術は見事なものだった。
そんなことを思いながら自分に合った生地を探していくエリカだったが、どうもピンとくるものがない。
そもそも舞踏会に出るというだけでテンションが急降下している状態では、普通なら心をときめかせるドレス達や数多ある生地も、全てただの布切れにしか見えない。
いたずらに時間を消費していると、マーガレットがアステリアに連れられて二人の前に姿を現す。その姿にアルフレッドは息を呑んだ。
「綺麗だ……」
ストレートに相手を褒め称えられるのが父の良さだとエリカは常日頃から思うが、今日この瞬間だけはそれを控えて欲しい思いだった。
妻を見つめるアルフレッドの表情は、この前のクリスマス休暇の際にも目にしたものだった。
稽古服代わりに乗馬服を身に包んだ妻の姿にアルフレッドの心は青年の頃に戻っていたのをエリカは見逃さなかった。
夫からの真っすぐな称賛に顔を赤らめるアステリアは扇子で顔を急ぎ仰ぎながら、わざとらしくマーガレットに話を振る。
「私はこれで。次は娘をお願いできます?」
「ええ、かしこまりました」
そう言うや否やマーガレットはアステリアの手を取ると、再び店の奥へと消えていく。
その後ろ姿を見ながらアルフレッドがぼんやりとした表情でつぶやいた。
「舞踏会に出席しても良いものか……」
どうやら愛しい妻に悪い虫が付かないか心配しているらしい。その一途な気持ちは立派だが、それをもう少し娘に向けても良いんじゃないかとエリカは思う。
そもそも自分は未婚なのだ。この舞踏会で未来の夫と出会う可能性があるだけに、慎重な視線をしっかりと自分に向けて欲しいものである。
そんな風に一人でこっそりと拗ねていたエリカだったが、三十分後に新しいドレスに身を包んだら、それまでの不満は一気に吹き飛んだ。
エリカの新しい舞踏会用ドレスは、一言で言えば洗練されていた。
よこしまな視線を無駄にひくことのないように慎み深くありながら、意中の相手との距離を詰めやすくする心配りが随所に散りばめられている。
愛娘の新たな一面に両親は揃いも揃って親バカを発揮し、特別にもう一着仕立ててもらえば良いと盛んにエリカを説得したが、娘とはいえさすがにそれは固辞した。
すっかり気を良くしたアルフレッドは自分の分を急いで仕立てさせると、今日の分の配送や支払いの手続きもテキパキと済ませる。
そして店を出るや否や馬車に乗り込み、御者のマックスに肉屋へ向かうよう伝える。
滅多に寄り道をしないアルフレッドが進んでそうしていることにアステリアとエリカは驚きを隠せなかったが、一抱えもある肉の塊をマックスが繰り返し運んでいるのを見た時にアルフレッドの考えていることがよく分かった。
「お帰りなさいませ」
「アリス。済まないが何人か連れてマックスを手伝ってやってくれ。それと今日の献立にステーキを追加するよう伝えておいてくれ」
「かしこまりました」
「私達の分は既に小分けしてもらっている。残りは皆で分けてくれ」
「ありがとうございます」
さすがはメイド長という立場なだけあってアリスの表情は変わらなかった。だが、他のメイドを呼びに行く時の足取りはいつもより軽やかだった。
スタンフォード家の全員が思いがけないサプライズを心ゆくまで楽しんだ翌日、家庭教師のオズワルドがふらりと屋敷を訪ねてきた。
カーティスの案内で庭園にやって来たオズワルドは、心持ちベルトを緩めて、一人腰掛けているアルフレッドの姿に目を細めた。
「おや?少し恰幅が良くなったように見えるね」
「夕べ、ほんの少しだけ食べ過ぎてしまってね」
どう見てもほんの少しでは済まされないお腹周りの様子に苦笑しつつ、オズワルドはそれ以上何も言わなかった。
決してアルフレッドが風船体形になったわけではないが、服の上からでも引き締まった肉体であることが分かるだけに、胃の辺りの外への飛び出し方が嫌でも目に付いてしまう。
オズワルドは視線をさまよわせながら紅茶に口をつける。
「ウィンストン伯爵が舞踏会を開くことは知っているかね?」
「勿論。昨日仕立てたばかりだよ」
「ああ、なるほど。それで昨日の夕食は特に美味しかったというわけか」
「まあ、それは良いじゃないか」
アルフレッドは頬をかく。
「それでアステリアとエリカは?」
「二人なら今、仕立てたばかりのドレスを身に着けて、当日のおさらいをしている頃だよ」
「ほう。君は余程あのマーガレットを急がせたようだね」
「ああ。かなり勇気がいったが、その価値はあったよ。あの二人の笑顔を見る度にそう思うね」
年甲斐もなくにへらと相好を崩すアルフレッドにオズワルドは肩をすくめた。
「高くついたんじゃないかい?」
「ああー、まあ。その辺りはちゃっかりしていたよ」
「君は家族のことになると甘くなるからね。気を付けないとマーガレットのように足元を見てくる者が出てくるよ?」
「誰が足元を見てるんですって?」
顔に薄い笑みをたたえながらマーガレットが二人のいるテーブルへと近付いてくる。
オズワルドは声には出さずに抗議の表情を旧友に向けると、振り返ってマーガレットを礼儀正しく迎えた。
「これはこれは、お久し振りだね。マーガレット」
「ご無沙汰ね、オズワルド。全然姿を見せてくれないから寂しかったわ。てっきり嫌われたんだと思ってた」
「そんなことはないさ」
「そう?その割には悪評のようなものが聞こえてきたんだけれど?」
「言葉のあやというものだ。だが、気分を害したなら謝罪しよう」
「まあ、良いわ」
そう言うとマーガレットはゆるりとオズワルドに歩み寄り、そっと耳元に唇を近付ける。
「あんまりいじめるとお姉さんに何て言われるか分からないしね」
途端に不機嫌な表情を露わにするオズワルドを楽しげに見やりつつ、マーガレットは勝手にオズワルドがいた席に座る。
「……それでどうして君がここに?」
「決まってるじゃない。スタンフォード家の麗しき貴婦人達に新しいドレスをお届けしてたの」
そう言うとマーガレットはいたずらな笑みを浮かべる。
「お二人とも美しいけど、とりわけエリカ様は素晴らしいわね。食べちゃいたいくらい。さすが二人の子供といったところかしら?」
「全く遠慮というものがないのかね。目の前にこの家の主人がいるというのに、彼の家族の話をするとは」
オズワルドはマーガレットの下世話さをたしなめるが、当の本人はどこ吹く風といった様子だった。
「さてと、そろそろ戻るわ。ああ、オズワルド。あなたの用事が済んだらエリカ様のダンスの練習に付き合ってあげなさい。アステリア様のダンスも中々だけど、やっぱり相手は男性じゃないと難しいこともあるわ」
マーガレットは無遠慮にオズワルドの紅茶を飲み干すと、わざとらしく優雅な挨拶をして去っていく。
オズワルドは席に着くと、空になったカップを水魔法でしっかりと洗った。
「……彼女が来ているならそうと教えてくれても良いじゃないか」
「オズワルド。そう上手くはいかないよ。彼女の地獄耳は想像をはるかに超えている」
「まあ、それは否めないな」
「ところで、彼女が言っていた用事とは?」
「ああ。そのことだが、まさしくウィンストン伯爵の舞踏会についてでね」
オズワルドはポットから新たな紅茶を注ぐ。
「どうも伯爵の目当ては君達らしい」
「ほう……」
アルフレッドの表情が険しくなる。貴族社会に生きる者はことのほか対人関係に注意を払う。そんなつもりはなくても、招待された晩餐会などに一度顔を出しただけで、その派閥の一員と見なされることも往々にしてあった。
「となるとコーンウェル伯爵夫人への対抗心か?」
アルフレッドの読みは的を捉えている。建国の英雄の一人という肩書と、吸血鬼であることを活かして、コーンウェル伯爵夫人が一種の情報屋のような立ち位置を築き上げているのは公然の秘密だった。
実際のところは王国を守る為の一大防諜網を張り巡らしているのだが、それを知るのはほんの一握りで、長命種の貴族の一部は彼女のことを、ゴシップや貴族間交流にかまけて平和を謳歌しているのんびり屋と邪推している。
その中でもウィンストン家は、彼女のことを不忠者と見なしていると噂されている。それが事実だったとしても、それは無理からぬ話ではある。代々、最前線で帝国との衝突を繰り返し、武力で王国を守り抜いてきた者からすれば、比較的安全な王都で優雅に暮らしている長命種に対して不満を覚えるのも当然のことではあった。
「それは間違いないだろうね。だが、話はもう少し根深そうだ」
「というと?」
「帝国への攻勢にあたり、援軍を求められる可能性が高い」
「ちょっと待ってくれ。国王陛下は既にその決断を?」
オズワルドは肯定も否定もしなかったが、それだけにアルフレッドは王国が戦争へと舵を切ろうとしているのが否応なしに分かった。
「今回の舞踏会は十中八九スカウトだ。招待客の顔触れはそつがないが、よく見れば軍事的観点からの評価が高い者が多い。さしずめ、武勇が期待される者達同士の顔合わせというところだな」
「だが、当家はそこまでの……」
途中まで言いかけてアルフレッドは押し黙る。オズワルドは肩をすくめて旧友の表情を見やる。
「ああ。伯爵はエリカ嬢に注目している」
「いくらなんでもそれはダメだ。あの子はまだ成人すらしていない。エリカが戦場に出ることは決してない」
「ここだけの話だが、彼女は特記戦力に加えられているという話だ」
「そんな……」
アルフレッドの顔に絶望の色が浮かぶ。その表情がオズワルドはたまらなく辛かった。
「私も驚いているが、エリカ嬢は充分過ぎる程の戦果を挙げている。さすがに王城の件は緘口令が敷かれているが、デーモンスパイダー討伐は周知の事実だ。一介の学生にしておくのは惜しいと判断した者がいるのだろうね」
「……ようやくあの子も普通を楽しめ始めたというのに」
「ああ。分かるよ」
二人は黙って屋敷の方を見る。ここからは姿こそ見えないが、新しく仕立てたドレスに身を包んで、舞踏会の予行演習を楽しんでいる彼女の姿が容易に想像できた。




