七 風雲急を告げる舞踏会
手探りの中で見つけたのは眩しい光。
後少しで手が届きそうなのに、闇はまだまだ濃くて。
彼女はもどかしさに恋焦がれる。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ウィンストン伯爵は、長年鎧を纏ってきた身体にテールコートを羽織っている。その左手にはシルクハットがあるが、種族の特徴から盛装の為に用意しただけなのは明らかだった。
伯爵はそれとなく寄り集った人々の顔を一つ一つ見回していく。皆、テールコートとイブニングドレスという盛装に身を包んでいるが、気骨溢れる者は一目で分かった。
舞踏会での作法を丁寧になぞりながらも、伯爵は時間を見つけては押さえておきたい人物との会話を大切にする。
帝国への宣戦布告が間近に迫っていると、国王陛下から直接聞いたのがつい昨日のことのように思われる。その知らせに伯爵は歓喜に打ち震えた。
ようやく長年王国を虐げてきた帝国に反撃し、打倒することができる。
だが、思いを同じくする者がどれだけいるかを伯爵は確かめたかった。貴族は非常時に王国の剣となり盾となるからこそ、その階級を認められている。とはいえ、戦いを避けたいと思う者も少なからずいるのは無理からぬことだった。
戦場で背中を預けられる者がどれだけいるかで、戦いの様相は変わってくる。
「もしよろしかったら、お相手をして頂けませんか?」
「こんばんは、ご機嫌いかが?」
色々なところで若い男女がパートナーを探している。お見合いの場を兼ねた舞踏会は誰にとっても気合が入る空間だ。
だが、長命種が多いこの王国では、将来の伴侶を必死になって探しているのは人間くらいなもので、大半の貴族は純粋にダンスを楽しんでいた。
その中で伯爵は一人の女性に目を留める。
彼女もダンスを楽しんでいるようで、次々とパートナーを変えては上機嫌に、それでいて優雅に語り合っている。
伯爵はじっくりと彼女を観察した後、曲が終わるのを待って彼女の元へと歩み寄る。
「こんばんは。一曲いかがですかな?」
「あら。嬉しいですわ。伯爵にお声掛け頂けるなんて」
伯爵は彼女の手を取ると、曲に合わせてリードする。
「確かあなたはスタンフォード家のご令嬢でしたな」
「はい。エリカ・スタンフォードでございます」
その答えを聞いて伯爵は少しだけ失望する。彼女の体つきは引き締まっているが、どう考えても戦闘向きではない。デーモンスパイダーを倒した実力は本物だろうが、魔術の腕だけでは敵味方入り乱れる戦場では生き残ることができない。
これでは特記戦力に数えることはできなかった。
無難に一曲を踊り終えると、伯爵は礼儀正しく挨拶して彼女の元を離れるが、その時に一瞬見せた彼女の寂し気な様子が少しだけ気になった。
だが、彼女もまた、将来のパートナーに選ばれなかったことを嘆いたのだろうと伯爵は思う。そして次の将来有望な戦場の兵士を追い求めた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
(やっぱりだ……)
エリカは心の中でため息をつく。
色々な人がエリカにダンスを申し込んできたが、誰一人として彼女を満足させることはできなかった。
ただ、一緒に踊った人の大半が再び声を掛けてくれたので、エリカ自身は人気の的なのだろう。
それだけにエリカの心は空虚だった。自分でも踊ることがこんなにも楽しくないとは思わなかった。
ウィンストン伯爵とのダンスが終わり、エリカへの注目度は更に高まる。
誰かが次にダンスを申し込んでくるのは明らかだったので、エリカは自然な仕草で壁際へ下がり、そのまま軽食が用意されている別室へと向かった。
「あれ、デイヴィッドじゃん」
「……こんばんは。エリカ嬢」
サンドウィッチを今まさに食べようとしていたデイヴィッドと目が合ったエリカはいつものノリで声を掛ける。だが、デイヴィッドの挨拶でこの場が学院ではないことを思い出し、慌てて表情をとりつくろった。
「……こんばんは。デイヴィッド様」
自分でも顔が赤くなっていくのが分かり、エリカは急いで紅茶を探した。こういう時にワインが飲めたら顔のほてりをごまかせるのに。
幸いにしてここにいるのはデイヴィッドとエリカの二人だけだった。他の人に醜態を見せずに済んだだけ良かったと思うことにして、エリカは何事もなかったかのようにデイヴィッドに話し掛ける。
「舞踏会を楽しまれていますの?」
「ええ、まあ。でもどうにもダンスは苦手でして」
「あら、いくら学友だからといって、そんなことを話してしまって大丈夫ですの?」
デイヴィッドは苦笑いしつつ答える。
「隠したところで一緒に踊ればすぐに分かることですから。それだったら最初から正直に話しておく方が良い」
そういえば今までデイヴィッドを見かけなかった。きっとここでずっと時間を過ごしていたのだろう。
「それは奇遇ですわ。わたくしもダンスはどうも苦手で」
「ご冗談を。あなたのことはちょっとした噂になっていましたよ。まだまだ社交界に出てきたばかりの年齢とは思えないほど、物腰が柔らかく落ち着いているとね」
「そのように話題に挙がっているのでしたら、とても嬉しいことですわ。でも、それは結局のところ噂に過ぎませんから」
当の本人が楽しんでいないのにそういう風に見てもらえているとは、全く不思議なものである。だが、悪い話でもないのでエリカは困ったように笑うしかなかった。
「謙遜は美徳ですが、度が過ぎるのも良くないですよ」
「あら、それはご自身に向けられた言葉ですの?」
苦笑いを浮かべるデイヴィッドにエリカは反撃する。
「ダンスが苦手なのは噂でなく事実ですから……」
「そんなことは一緒に踊った相手が判断することですわ。そうでしょう?」
「……弱りましたね。あなたの言葉に揺り動かされる自分がいます」
そう言うとデイヴィッドは小さく笑った。
その姿を見た瞬間、エリカは直感めいたものを覚えた。彼とならダンスを楽しめるかもしれない。
「そう仰るなら、わたくしを広間へ連れ出してくださいな。そうしてくださらないのなら、今のお言葉はわたくしの心をえぐるだけです」
いたずらっぽく笑うが、デイヴィッドは真に受けたようだった。みるみるうちに緊張した面持ちとなり、視線がさまようようになる。だが、それでもデイヴィッドはしっかりと言葉にする。
「ではエリカ嬢。私と一緒にワルツを踊ってくださいませんか?」
「喜んで」
デイヴィッドがエリカの手を引いて広間に出ると、ちょうど曲が終わるところだった。すぐに次の曲が始まり、二人は流れるような足取りで広間の中心に向かう。
ヴァイオリンの美しい調べに合わせて、デイヴィッドはエリカのドレスの腰をからめとる。そして優雅に踊り始めた。
それは不思議な感覚だった。あれほど楽しさを覚えなかったダンスがこんなにも心躍るものであったことにエリカは驚きを隠せなかった。
デイヴィッドのリードは優雅で心地良いが、洗練さはやや劣る。顔には余裕よりも緊張の色の方が出ている。だが、その不器用な誠実さが心の琴線に触れた。
「お世辞抜きにお上手ですわよ」
「いえ、粗相がないようにするので必死ですよ」
確かにデイヴィッドの額にはうっすらと汗がにじんでいる。
エリカは曲に合わせてそっと顔を近付けると、小声でデイヴィッドに告げる。
「もっと気楽に。私は大丈夫だから」
「やっぱり苦手じゃなかったね」
「人並みには踊れるだけ。でも、楽しめたことは一度もなかったよ」
二人の影が重なっては離れ、また重なる。
「でも、今は本当に楽しいよ」
「こっちは必死だけどね」
「ほら、その調子よ」
広間では多くの人々がゆっくりと、上品に踊りのひと時を過ごしている。だが、その中で心の底からこの時間を堪能しているのは自分だけだろうとエリカはぼんやりと考える。
ふと、視線を感じる。
何気なくそちらに目を向けると、両親が少し離れたところで優雅に舞い踊っていた。その二人のダンスは他の参加者からの耳目を集めている。
その二人が一瞬意味ありげに目配せしてきたのをエリカは見逃さなかった。
その視線の意味に気付いてエリカは思わず顔を赤らめる。別にそんなつもりはなかったのに、どうも両親はデイヴィッドとの関係を後押ししたいらしい。
「あれ、どうしたんだい?顔が赤いけど」
「別に。お父様とお母様が近くにいただけだから」
「その気持ちは分かるよ。自分もさっきから視線を感じてる」
子を思う親はいつの時代も変わらないようである。
「何だか肩の力が抜けたような気がするよ」
「ええ、私も」
「じゃあ、気を取り直してもう一曲どうかな?」
「そうしましょう」
二人ははにかむと、その曲の最後まで踊り切る。その頃にはお互いの心境に変化が訪れていた。
曲が終わり、引き続いてもう一曲が始まろうとする時、最大限の礼節を保ちながら、それでいて急ぎ足で執事がやって来て、壁際で談笑していたウィンストン伯爵に耳打ちする。
その様子を何気なしに見ていたエリカは、伯爵の顔色がサッと変わったのを見逃さなかった。
伯爵は演奏家達に合図を送り、新しい曲が始まらないようにする。そして大声で参加者達に告げた。
「お集まり頂いた皆様に申し上げる。今、報せが入ったのだが、魔物領で小規模とはいえ多数の魔物群が侵攻を始めたことが確認された。
申し訳ないが、舞踏会はここでお開きとさせてもらう」
ウィンストン伯爵を責める者は誰一人としていなかった。参加者の多くは急いで広間を後にする。
そもそもこの舞踏会は、帝国との戦争に備えて顔合わせしておきたいという伯爵の隠された意図に基づいて開かれたものである。こういう非常事態に迅速に対応しようとする者が多いのは当然のことだった。
「どうやら続きはまた今度らしい」
「ええ。私も行かないといけないみたい」
二人の元にそれぞれの両親が近付いてくる。長身の男がアルフレッドに挨拶する。
「済まないな、アルフレッド。息子が声を掛けたというのに」
「気にしないでくれ。何か手伝えることはあるか?」
「いや、大丈夫だ。配慮に感謝する」
そう言うとジョーンズ家の当主はデイヴィッドを伴って伯爵家を後にする。
その姿を見送るエリカの両肩をアステリアがそっと両手で包んだ。
「さあ、わたくし達も行きましょう」
「ええ、お母様」
それでも見送り続けるエリカの後ろ姿をアルフレッドとアステリアは心配そうに見つめていた。
全員の脳裏に浮かんでいるのはかつてのスタンピードの再来である。あの時も最初の報せは小規模な魔物群の発生だった。
だが、それを討伐しに行った者達は報告をはるかに超える魔物群と対峙することになった。
今回も、先程届いたばかりの報せより既に規模が大きくなっている可能性は充分に考えられた。
前回と違って王国には準備ができている。かつてとは違い、いたずらに蹂躙されるようなことはあり得なかった。
だが、それでも被害はゼロにはならない。
エリカは、魔物領に程近いところに領地を持つジョーンズ家のことが今から心配になっていた。
特に素敵なワルツを踊ってくれたデイヴィッドのことが気になっていることに、エリカはまだ気が付いていない。
良いところに邪魔が入るのはよくある話。
中々ままならないですね。
次回よりいよいよ動乱が始まります。




