四 一つの変化
模擬戦を経たからか、グロリアとシェリルは以前のようにエリカと接するようになった。
別に仲たがいをしていたわけではないし、何だったら一方的にケンカを売られたようなものだったが、なんだかんだ元の関係に戻れたのは素直に嬉しいことだった。
だが、二人との関係に反比例して一人とは何故か関係性が変化している。
「……フフフ」
唯一の良心だったはずのナタリアが、満面の笑みを浮かべてエリカを見つめることが多くなっていた。
「……えっと、ナタリアさん。何かありましたか?」
「別に。ただ、模擬戦が楽しみだなって」
こんなやり取りが三日前からずっと続いている。どうやら先日のシェリルとエリカの戦いが冒険者一家で育ってきたナタリアの闘争心を掻き立てたらしい。
「私とエリカの戦いも中々だったでしょう?」
期待を込めて尋ねるグロリアにナタリアはただ曖昧に笑い返すだけだった。そのことにグロリアは憤慨したが、そこは一目惚れしやすい性格の影響か、昼食を済ませた後はケロリとした表情に戻っていた。
そんな四人だが、食堂でのひとときだけは変わらなかった。
今日もそれぞれは思い思いの料理を選んで舌鼓を打つ。
「この後は久々の一般戦闘術だね」
グロリアがポトフを食べながら言う。シェリルも同じものを選んでいたが、どうやら猫舌らしく、フーフーと息を吹きかけては慎重に具材を味わっていた。
「そうだねー」
エリカは素っ気なく答えるが、隣に座るナタリアの雰囲気が少し変わったのが嫌でもわかる。
「そろそろ私達かな?」
「……うーん。どうだろうね?シェリルとの再戦もまだだし、まだ先かな?」
「戦う時は一番手が良いよね。その方がお互いに全力で臨めるし」
何とかお茶を濁そうとするエリカだったが、ナタリアは早くも楽しそうな表情を浮かべていた。
それはまるで遊園地に連れて行ってもらえることを知った子供のようで、その無邪気な笑顔にエリカは一瞬、前世のことを思い返す。
自分にはパートナーがいたが、子供はいなかった。
もしかするとあり得たかもしれないもう一つの家族の形が頭の中をよぎったが、エリカはすぐにそれを払いのける。
今は十七歳の学生なのだ。それも大方三十年程の前世での人生経験を持ち合わせているというおまけ付きである。いくらでもやり直しがきくだろう。
強いて言えば貴族の一人娘なので、婚約相手は家同士の話し合いで決まる可能性が高い。だが、この世界の貴族は総じてしっかりした好人物が多いので、余程のことがなければ問題はないだろう。
そして穏やかで笑顔の絶えない家族を作るのだ。前世では掴めなかった小さな幸せをこの世界では手にすることができる。エリカはそんな気がしていた。
「ちょっと、エリカ。どうしたの?そんなにジッと見つめて」
気が付けば、隣に座るナタリアがまじまじとエリカを見ている。慌てて顔を背けると、向かい側に座るグロリアとシェリルが目をぱちくりとさせてエリカを見つめている。
「……ねえ、エリカ。もしかして親友の私達をそんな目で見ていたの?」
「あらやだ、エリカさん。私ったらどうしましょー」
わざとらしくグロリアがしなを作ると、棒読みながらもシェリルがそれに便乗して、色っぽくため息をつく。だが、残念なことに幼さが際立つ顔立ちのせいで、滑稽さが勝ってしまっている。
「うーん。シェリルにはまだ早いよねー」
そう言いながらエリカはシェリルの両頬をぷくりとつまんで横にびよーんと伸ばす。
モチモチした肌触りを楽しみながら、軽く懲らしめてやろうかと思っていると自分の左足に何かがそっと絡みつくのに気付く。
嫌な予感がしてエリカは恐る恐る左隣に座る親友の方を見やる。
ナタリアが妙に頬を上気させてこちらをジッと見つめている。尻尾を絶妙な力加減で巻き付かせてくるのが妙に怖い。
「……もしかしてエリカ。そうだったの……?」
「いやいやいや。ナタリアさん。ちょっとどうしたんですか、熱でもあるんすか」
慌てふためくエリカの表情を見て、ナタリアが噴き出した。それにつられてグロリアとシェリルも噴き出す。
「ちょ、何本気にしてんすか、エリカさん……」
ナタリアがお腹を抱えて笑う。
「本当、面白いわ……。エリカのあの慌てた顔……」
「あんな顔をするんだね……」
グロリアとシェリルも賑やかしく笑っている。
一気に現実に引き戻されたエリカは無言でナタリアの両頬をつまむ。
「成敗!」
「ちょ、痛い痛い痛い!痛いっす、痛いっす……。ぷっ」
両頬を引き伸ばされて痛いはずなのにナタリアは笑いを噛み殺している。
「はーん。こうなったら模擬戦でたっぷり痛めつけてやる」
「おっ?言いましたね?エリカさん、言いましたね?」
うっかり口を滑らせたエリカにナタリアがずずっと迫る。攻守が逆転した瞬間だった。
「いや、まあね?お互い悔いのないように頑張りましょう?」
「楽しみだよ」
「……ぐふふ」
ナタリアにまんまと踊らされるエリカを酒の肴に、もといジュースの肴にしながら二人の女はゲスい表情を浮かべていた。
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どこをどう走ったものか、キャサリンはほとんど覚えていなかった。
何となく前に向かって走り続けていたような気がする。だが、自身の足跡や周りの風景を見る限り、少なくとも理性的には走れていなかったようである。
だが、そういったことを振り返られる程にはキャサリンの気持ちも落ち着いている。今、キャサリンは背丈の低い茂みの中でうつ伏せの姿勢を取っていた。
その場所に辿り着いたのは全くの偶然であり幸運だった。見たこともない奇妙な生物から逃げる最中、ぬかるんだ地面に足を取られたことで今いる場所まで転がる羽目になったのだ。
そのおかげでこうして生き永らえているのだから文句はなかった。たとえ全身が泥まみれになり、装備のいくつかに傷がつき、左手を軽く捻ったとしてもだ。
(どうしようかしら……)
キャサリンの胸中に不安がよぎる。こんな状態ではデーモンスパイダーの住処だったところを調査することはおろか、発見することすら叶わないだろう。
一旦冒険者ギルドまで戻るかどうか考えていると、微かな羽音が近付いてくるのを聴覚が捉えた。
そっとキャサリンは剣を手元に引き寄せる。
「……グギ、ガガギギ……」
奇妙な音をカチカチと鳴らしながら、その何かは辺りを調べているようだった。茂みの中にいるキャサリンにはその姿形は分からないが、直感で自分を追いかけてきた存在だと確信した。
「ギガギ……ド…ドコ……」
その時、その何かが言葉のようなものを発したことにキャサリンは驚いた。過酷な環境に身を置いているせいで気が触れてしまったのかと自分を疑ってしまうくらいに、その言葉は明確に聞こえた。
「オ…オンナノ…ヒ……ヒト…………ド…コ……」
聞き間違いなどではなかった。その存在はたどたどしくも明確に言葉を話している。
(喋った!?いや、デーモンスパイダーも人の言葉を話していたって聞いたし……。でも、そうなるとこの存在は一体……)
キャサリンは警戒を強める。だが、その存在は奇妙な行動を取り始めた。
「ウ……ウゥ…………ドコ……グガギ……」
相変わらずカチカチと奇妙な音は鳴り続いているが、どうも泣き始めたらしいことは茂みの中からも窺い知れた。
(私を探している?でも、どうして……)
その時、別の方向から濃密な殺気が急激に迫ってくるのを感じて、キャサリンは身構えた。自分の左横数センチのところを何かが駆けていくのがはっきりと伝わってくる。
(あ……)
殺気を振りまく新たな存在は、泣いているであろう存在に跳びかかった。勢いの凄まじさからそれは予測できたことだが、キャサリンは何もできなかった。
仮に助けに入ることができる状態だったとしても、何もしなかっただろう。弱肉強食の概念が徹底されているこの世界では、同情や憐憫の情は文字通り命取りだ。そもそも自分を探しているだろう見たこともない存在が敵ではない保証すらどこにもないのだ。
跳びかかった存在は、しかしドサリと地面に沈み込む。直接見たわけではないが、それが既に息絶えていることは辺りを包み込む不気味な静寂からも伝わってきた。
何が起きたのか見てみたい。だが、ほんの好奇心に負けて茂みから顔を出せば、自分もその存在と同じ運命を辿ることになるだろう。
重苦しい沈黙が続く。
吹き込む風によって茂みや枝葉が揺れ、死体となった存在から溢れ出る臭いをばら撒く。
その時、キャサリンは気付いた。
今までは魔物が倒れるや否や、他の魔物がこぞってその死骸に貪りつこうと迫っていた。手負いの魔物を奪い合う光景も何度となく見てきている。
それなのに、周りには不思議と獲物を狙う気配がない。
気付きたくなかったこの事実に戦慄を覚えながらも、キャサリンは何とかこの窮地を脱する方法を必死に考えようとした。
「……グギ、ガガギギ……」
謎の多いその存在は何かをつぶやくと、ようやく動き始める。その場に残っていた唯一の気配が段々と遠ざかっていくのを感じ取ったキャサリンは、それでもしばらくの間その場を動けなかった。
残された死骸を狙う魔物がいないことを気配から読み取ったキャサリンは、ようやく茂みから抜け出す。
「ヒッ……」
目の前に広がる光景に思わず息を呑む。
まるでトラのような、それでいて全く別の魔物が横たわっているが、奇妙なことに頭らしきものはどこにも見当たらなかった。
恐らくそれがあったであろう場所から、血がゆっくりぽたぽたと地面に垂れている。
恐らくあの存在は、この魔物の頭部だけを消し去ったのだろう。それが腕力によるものなのか、魔力によるものなのかは見当がつかないが、それを自分が喰らった時のことを考えると背中に悪寒が走る。
「……」
それは一瞬のことだった。
いつの間にか背後にただならぬ気配を感じ取ったキャサリンは身動きできなくなる。振り向くまでもなく、そこに何かが立っている。
(騙された……)
きっとこの何かは自分が近くにいることを知っていたのだろう。そして確実に捕らえる為にわざと姿を消していたのだ。
カチカチという奇妙な音と共に、相手の息が自分の首元に掛かる。それ程までに接近されていたことにキャサリンは全く気付けなかった。
「……ガギ、ギグギ……」
その存在は震えるばかりで動くこともできないキャサリンの左肩に手らしきものを置く。
キャサリンはこれから我が身を襲う出来事を想像し、目を閉じる他なかった。
「オ…ンナノヒ……ヒト…………ヒト…イ…イタ……」
確かにそう聞こえる何かを話した存在は、先程魔物を一撃で葬ったとは思えない程の優しい力加減で左肩を掴むと、そっと振り向かせる。
なすがままの状態にあるキャサリンは、心底震えながらもその誘導に従って振り向く。
(ヒッ……!)
至近距離でその姿を見たキャサリンは喉元まで出かかった悲鳴をすんでのところで飲み込む。
相手はつい先程自分が目撃した未知の存在で間違いなかった。だが、暗い森の中とはいえこれほど間近に見れば、その顔がヒトのものではないことは嫌でもわかった。
例えて言うならばそれは蜘蛛の顔だった。この場にエリカがいれば、モスマンの頭が蜘蛛になったバージョンとでも評するだろうが、モスマンのことを知る前に転生してきたキャサリンにとってそれは、夜中のテレビで流れていた古いB級映画に出てくるグロテスクなモンスターにしか見えなかった。
「ギギ、ググ……」
カチカチと鳴り響く奇妙な音の正体は、鋏角をこすり合わせている音だった。その奥に広がる真っ黒な口の奥から、言葉らしきものが聞こえてくる。
「コ…コンニ…チ…………ワ……オンナノ…ヒ……ヒト」
それは決して死を目前にしたことによる精神の錯乱ではなかった。魔物とも呼べない謎のモンスターは確かに挨拶をした。
どうせ既に手放した命だ。そう意を決したキャサリンは自身も挨拶を返す。
「こ……こんにち…は……」
恐怖による震えで上手く話せなかったキャサリンだが、それでも相手は満足したのか鋏角をカチカチと打ち鳴らす。
そして更にキャサリンを驚かせる。
「オネガ…………イ……タス…………ケテ…………」
それは間違いなく助けを求める声だった。何とかその言葉を発した後、その蟲人間とも言うべき相手は、六つある眼から確かに涙をはらはらとこぼしていた。




