八 始まる模擬戦
クリスマス休暇が明けた学院は、例年にはない物々しさに包まれている。
誰もがその顔に淡い期待とかすかな不安をたたえている。その中でも最上級生の気魄は並々ならぬものがあり、御前試合に出られるように鍛錬を欠かさない。
その熱気は親友達にも及んでいる。
「エリカ!忘れてないでしょうね?」
「え、何を?」
「決まってるでしょう!オズワルド様をかけた戦いのことよ!」
「あー。はいはい、覚えてる覚えてる」
「随分と余裕じゃない!でも、その余裕がどこまで続くかしら?」
「別に余裕があるわけじゃないけど」
朝からテンションが高いグロリアをあしらいつつ、エリカは他のクラスメイトをそれとなく見回していく。
模擬戦は学年内での総当たり戦で、単純に勝ち数の多い者が御前試合の参加者に選ばれる。
今までに習っている魔術や体術以上のものは使えない決まりだが、それに従っても尚エリカは非常に有利な状況にいる。
だが、どうせやるなら一番を目指したいという思いがある。それでいくとライバルとなり得るクラスメイトは多くいた。
その中の一人と目が合う。ジョーンズ家の次男であるデイヴィッドだった。
デイヴィッドは小さく微笑むと自然に視線を避けた。だが、微笑んだ時に牙が少しだけ伸びていることにエリカは気付いた。
ジョーンズ家は人狼の一族である。と言ってもゲームや小説で描かれるような人狼ではなく、人間よりも力が強くなり、純粋に狼に変身することができる特性があるといった程度である。
だが、変身した後が凄まじい。
狼の姿になると魔術に対する高い耐性を獲得し、敏捷性や攻撃力が上がる。更に典型的な人狼の姿になると簡単な魔術も扱えるようになる。
裏を返せば人間の姿でないと存分に魔術を扱えないわけだが、そのデメリットを上回るメリットが多いのが人狼という長命種だった。
去年のデイヴィッドは平均より少し上な実力だったが、夏休み期間に人狼化を獲得したらしく、メキメキと実力を伸ばしている。
どちらかと言えば魔術戦向きのエリカにとって相性が良いとはいえない相手だった。
「ちょっと、聞いてるの?」
グロリアがエリカの真正面にやってきて、じろりと顔を覗き込んでくる。
「え、あ、はい。聞いてます」
「絶対に聞いてなかったよね!?」
「まあ、お互い頑張ろうよ。戦うには私達が勝ち残らないといけないんだから」
エリカがそう言うのと同時に中級魔術学担当でもあるソレンソンがやってくる。その表情はまるで月曜一限の授業に出席する大学生のようにうんざりとしていた。
「おはよう、諸君。
さて、知っての通り御前試合に向けた模擬戦が始まる。これから名前を呼ぶので、呼ばれた者は前に出てくるように。
グロリア・ブロードベント。ロバート・サッチャー」
いきなり名前を呼ばれたグロリアはびくりと身体を震わせるが、すぐに前に出る。対するロバートも緊張の表情を浮かべていた。
「ルールは簡単。今までに習ったものだけで戦うこと。特に貴族出身の者は家で独自に習ったものを使わないように。
制限時間は五分。諸君にはこちらで結界魔法をかけるが、くれぐれも油断しないように。
では、始め」
ソレンソンの合図と同時に二人は魔法をかけ合う。偶然にも二人が放ったのは火魔術のファイアボールだった。
二つのファイアボールは大きさもほとんど変わらなかったが、グロリアの方がわずかに纏まりが弱いのか、ロバートの放った方がそれを貫いてグロリアに迫る。
それを躱しながらグロリアは風魔法のウィンドムーブを繰り出す。グロリアの両手から放たれたそれらはそのまま、貫かれたことで小さな二つの火球になってしまった魔術をロバートの方へと押し付けていく。
「チッ!」
ロバートは舌打ちすると水魔法で水を生み出し、迫り来る二つの火球を消火する。その影響で大量の水蒸気が発生し、周辺の視界が真っ白になる。
その時にはグロリアの姿はない。
「それまで!」
未だ視界が不明瞭な中、ソレンソンの声が響いた。
一陣の風が吹き抜けたかと思うと、辺りを覆っていた水蒸気が払われて視界がクリアになる。
そこにはロバートの首元に手刀を突き付けるグロリアの姿があった。
「二人ともよくやった」
ソレンソンの言葉で二人は距離を取る。
親友の堂々とした姿を見てエリカはその認識を改めることとなった。どうやらクリスマス休暇の間も自己鍛錬に勤しんでいたらしい。
それ程までにオズワルドに夢中なのかと思うと腹立たしくもあったが、それ以上にその成長ぶりに感心するものがあった。
それは決して上から目線のものではない。無意識とはいえ膨大な負の感情を根源にしてきたエリカには余りにもまぶしく、キラキラとしているからこそ掴み取ってみたいという憧れの念から来るものだった。
「お疲れ様。あの動きは凄かったよ」
「ナタリアに戦場の心構えを教わったからね」
ねぎらうナタリアにグロリアがはにかむ。
「うん。尊い」
「え、何?」
「いや、別に……」
思わず漏らしたつぶやきにシェリルが反応するが、エリカはお茶を濁した。
「では、次に移るぞ。
デイジー・ピール。ヘンリー・ターナー。二人とも前へ」
ソレンソンが試合を進めていく。
制限時間は五分と定められているが、時間ぎりぎりまで決着がつかないことはほとんどなかった。そこにはどうしても埋められない、場数を踏んでいるかどうかという大きな壁がある。
例えば、いくら武で鳴らしている貴族出身の学生でも自身が戦いを知らぬ温室育ちだと、冒険者家系の学生に勝つ見込みは少ない。
扱う魔術や技量が同じだからこそ、最後に物を言うのは戦いのセンスだった。
「うん。今日はここまで。
今回、名前を呼ばれなかった者は次回以降だ。じゃあ、授業に入るぞ」
ソレンソンが疲れ気味に言う。安全の為、ずっと学生達に結界魔法を張り続けていた状態で、授業もこなさないといけないのでそうなるのも当然だった。
本来であれば模擬戦専用の時間を取るべきなのだが、そもそも御前試合が頻繁に行われるものではない。その年だけ特別にカリキュラムを組み直すよりは普段の授業時間に組み込む方がまだマシということで、その慣例がずっと続いている。
しかも模擬戦が行われるのは決まって戦闘に特化した授業だけと相場が決まっているので、魔法史学や薬草学といった知識寄りの授業は模擬戦どこ吹く風といった様子で通常運転を続けている。
そんな訳で次の授業である蒸気機関学に向かうクラスメイト達のやる気は、いつにも増してゼロに近い状態だった。
しかし教室に入った彼らは黒板に大きく書かれた文章に困惑する。
「今日の蒸気機関学は終日自習。課題は、蒸気機関を用いて発明したいものをレポートに纏めること。字数は問わないが、それを発明することのメリットは必ず盛り込むこと」
思いがけない事態にクラスメイト達は戸惑いを見せるものの、すぐに雑談を始めていく。特に模擬戦が今日から始まったことで話題には事欠かない。
そんな中でエリカだけは何故蒸気機関学が休講状態になっているのか思いを巡らせていた。
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魔物領に近い冒険者ギルドはいつも喧騒に溢れている。
受付の前は食堂も兼ねており、冒険者達が酒をかっ食らいながらそれぞれの武勇伝を聞かせ合っている。
依頼ボードの前では、新人と思しき冒険者のパーティーがギルド職員のアドバイスを受けながら依頼選択を進めている。
その様子を部屋の奥から静かに見つめているのは、副ギルドマスターの一人であるローレンス・マクファーソンだった。
長年の戦闘経験と出自を明らかにしない為の細心の注意によってローレンスの気配は見事に消えており、ギルド職員を含め誰一人として彼に視線を向ける者はいなかった。
いや、正確には一人だけいる。
ローレンスは視線を合わせてくるその相手を見ると、わざとらしく溜息をつく。そして視線で合図を送ると二階を通り過ぎ、秘密裏に増築された三階にある自分だけの部屋へと向かう。
部屋に入ってしばらくすると扉がノックされる。
「どうぞ」
「失礼します」
入って来たのは視線を合わせてきた冒険者だった。いや、厳密には冒険者の姿をした者だった。
「あなたから接触してくるということは、何かあったと考えるべきなんですね」
「はい、殿下」
「スペンサー本部長。僕は既に王位継承権を放棄しています。もう殿下とは呼ばないでください」
「失礼しました」
RCISの最高責任者であるゾーイ・スペンサーが深々と頭を下げる。その様子にローレンスは一瞬天を仰いだが、ゾーイが頭を上げる前に姿勢を元に戻す。
「それで?何があったんですか?」
「王都の事件に進展がありました」
「そう。まあ、立ち話も何ですから」
ローレンスは椅子を勧めると、自分も向かいの椅子に腰掛ける。
「単刀直入に申し上げると、帝国が魔物領で不穏な動きを見せているようです」
「どういうことですか?」
「実行犯の供述を基に調査を進めたところ、魔物を強制的に従わせて操る計画が判明しました」
「そんなことが可能なのですか!?」
「にわかには信じがたいのですが……。帝国の力は予想以上に増長しているようです」
「すぐに冒険者達に知らせなければ」
「お待ちください、殿下。この件はまだ内密に願います」
ゾーイの言葉にローレンスは眉をひそめたが、彼女は構わずに続ける。
「計画が判明したとはいえ、全容が明らかになったわけではありません。計画が露見したことを帝国に悟られては、かえってこちらが不利になります」
「しかし……」
「お気持ちは分かりますが、王都の一件を繰り返すわけにはいかないのです。それに、冒険者達に警告するにしても何を警戒すれば良いかもまだ把握できていません。
どうか、ここは今しばらくお待ちください」
「それも分かります。だが、僕はここの副ギルドマスターだ。冒険者達に危険が迫っていると知った以上、何も手を打たないわけにはいかないんです」
「そのことですが、殿下にお願いしたいことが」
「……何ですか」
「ジーナ・ローリーにこの一件を任せたいのです」
「ジーナ……。厄介事には厄介者をぶつけるという腹づもりですか?」
ローレンスは皮肉たっぷりにゾーイを見やるが、彼女は一切動じなかった。その表情の変わらなさにローレンスは少しの苛立ちを覚える。
「彼女は罪を許されたのでしょう?だからここにいるのだと思っていましたが」
「死罪を免れただけです。それに許されたからといって、その罪が消えるわけではない」
「だからここでその罪を贖えと?些か、ご無体が過ぎるのではありませんか?」
「彼女がしたことを思えば寛大すぎる処分だと思いますが」
そう言うとゾーイは立ち上がる。その瞬間、ローレンスは気付く。彼女の瞳に苦悩が見え隠れしていることに。
何と言っても二人は思いを同じくする戦友だった。ジーナが陽の面で国王を守るのならば、ゾーイは陰の面から国王を守っていた。
きっと自分自身でも辛い決断なのだろうと察したローレンスは、だからこそ毅然とした態度を崩さずにゾーイを見据える。
「今の彼女は冒険者です。周辺の村や都市、ひいては王国を魔物達から守る為に身を粉にしてくれています。
そんな冒険者達を守り抜くのが僕らの使命です。たとえ本人が望もうとも決して無茶なことはさせません」
その言葉にゾーイは初めて意表を突かれた表情を見せた。そして、そっと頭を下げる。
しばらくして頭を上げたゾーイの表情に先程、一瞬見せた友を思う様子はなく、元の冷徹な意志を秘めた顔つきに戻っていた。
そしてゾーイは懐から二つの羊皮紙を取り出し、その内の一つをローレンスに差し出した。
「これは?」
「彼女への指示書です。この内容を知るのはこれを書いた方、殿下と私だけです。彼女はそれを知ることになるただ一人の存在となります。
殿下には彼女の直接的な指示役となって戴きます」
「監視役も兼ねているんでしょう?随分と物々しいね」
ゾーイは何も答えなかったが、その沈黙こそが答えだった。
「それで、もう一つの方は?」
ローレンスは赤い糸できつく縛られたもう一つの羊皮紙を指差す。
再びゾーイは答えなかったが、先程とは違い、ためらう様子が見て取れた。
「そんなに焦らされると、何だか聞くのが怖くなってきたよ」
わざと茶化してみるが、ゾーイの表情は少しずつ暗くなるばかりだった。
「ゾーイ?」
彼女を名前で呼ぶのは、まだ王室にいた時以来だった。子供だったローレンスにとって、六歳年上の彼女は姉のような存在でもあり初恋の相手でもあった。
そんな彼女が初めて見せる表情にローレンスはゾッとするものを覚えた。
「……最悪の事態が訪れた時にのみ、それを開くことになっています」
「それ程危険なことを?一体、君達は何をしようとしている?」
ローレンスは最初に渡された指示書を開くと、内容に目を通す。読み進めていくにつれ、その表情は険しいものへと変化していく。
「断言しよう。この指示通りに彼女が動けば間違いなく最悪の事態が訪れる。そんなことは認められない」
そう言うとローレンスはもう一つの方へ手を伸ばす。その手をゾーイはしっかりと掴んだ。
「……殿下と言うのであれば、今何をしているか分かっていますね?都合よく態度を変えられてはこちらとしても看過できない」
だがゾーイは決してその手を離さなかった。二人だけの時ですら見せたことのない表情で、懇願するように言う。
「どうかそれを開けないで。それを開かなければならない時が来ないことを私は願うしかない」
ここで出てくるデイヴィッド・ジョーンズは、『学生編 秋~冬のこと』の「四 忍び寄る暗い影」に出てきた生徒と同一人物です。




