七 人肌恋しき冬の日は
朝食の後から続く模擬戦には、魔術のみならず体術や剣術なども含まれる。
魔術に関しては前世のイメージも手伝ってエリカが抜きん出て勝利を収めているものの、こと体を動かすとなると中々思い通りにいかない。
剣術ではアルフレッドが群を抜いており、体術はクレアとアルフレッドが残り二人の追随を許さなかった。
どちらかと言えば自分達は同じ魔術師タイプだからとエリカはアステリアにすり寄ろうとするが、彼女に棒術で中々な戦闘スキルを見せつけられたせいで、一人寂しく訓練場の隅で佇むことにした。
「エリカ。次の試合よー」
「……」
「今度は最初の実戦形式だから。魔術を使っても良いから」
アステリアに促され、エリカは渋々前に出る。今となってはアルフレッドとの模擬戦の際に感じた幸福感は掻き消え、体を動かすことへの圧倒的な体力不足という絶望感が押し寄せていた。
「ほら、シャキッとして。これが戦場だったらどうするの?」
「……うん、頑張るよ」
「クレアも手加減してはダメよ?エリカの為にもね」
「……はい」
見るからにどんよりとした表情を見せているエリカと立ち会うことに良心の呵責を覚えているようだったが、姉からの叱責を受けてクレアは表情を引き締めた。
「それでは試合開始!」
クレアが一気に間合いを詰める。
どこにそれだけの体力がまだ残されているのだろうと不思議に思いながら、エリカは地面に沈んでいく。
「!?エリカ様っ!?」
突然のことにクレアは攻撃を取りやめると、剣を放り出してエリカに手を差し伸ばす。
エリカはその手を掴もうともせず、代わりに右手の人差し指だけをクレアに向けた。
「バンッ」
棒読みで言うのと同時に、人差し指から一筋の水流が柔らかく飛び出す。その水流は優しくクレアの眉間に当たった。
「うわっ!何ですか、これは!?」
「ただの水よ。それよりも」
「え?」
「これで私の勝ち」
「……仰っている意味が分からないのですが」
「これが石つぶてや火の玉だったらクレアの顔はなくなっていたし、風の刃でも充分に致命傷になるから」
「いや。しかし、これはいくらなんでも……。私はエリカ様もお助けしようとしただけで……」
その瞬間、エリカは憎たらしい笑みを浮かべる。そこにあった表情は先程までの暗いものではなく、年相応の若い女性が見せる天真爛漫な笑みだった。
「お母様が言ってたように、これが戦場だったら……ね?」
「そ、そんな……。いくらなんでも無理がありますよ。仲間であるエリカ様を助けようとしただけなのに……」
「ふっふっふ。もし私が裏切り者だったらどうするの?」
「はい、それまで。もう屁理屈はなし」
アステリアが自身の手を軽く叩く。その顔は苦笑いを浮かべていた。
「ほら、捕まりなさい」
「ありがとう」
アステリアの助けを借りつつ、エリカは胸の下あたりまで沈んだ自分の体を地面から引き抜いた。
「こんな魔術……。いつの間に仕掛けていたの?」
「お母様に呼ばれた時よ?戦う前から策を練りました」
「胸を張って言うことでもないわ。じゃあ、あの落ち込みようもお芝居だったの?」
「いや、あれは本当だよ……。だってお父様のあんな姿を見たら自信を無くすしかないから……」
「ああ……」
「確かに……」
三人の視線の先には、騎士姿のアルフレッドが片腕だけの腕立て伏せと片足を浮かせた腕立て伏せを交互に行っていた。普通の腕立て伏せですら大変なのに、涼しい顔で難易度の高いものをサクサクと進められると、格の違いを見せつけられた気がして悲しみが押し寄せてくる。
アステリアとの模擬戦で変なスイッチが入ったのか、アルフレッドは先程からずっとこの調子で、自分の番以外ではずっと筋トレに勤しんでいた。それで模擬戦もしっかりとこなすのだから大したものである。
「ね?体力のない私があんな光景を見てしまったら、少しでも魔術の幅を広げて相対するしかないって思うのも当然でしょう?」
「気持ちは分からなくもないけど、それにしても随分と思い切った形で水魔術を使ったわね……。地面の下に水をぶつけて柔らかくし、自分の体重で沈んでいったってところかしら?」
「まあね」
この状況でサラリと魔術の種類を見抜いた母に脱帽しつつ、エリカは自分の制服の下半身を見る。これは後でしっかりと洗濯しなければならないだろう。
「でも、代償は大きいわね。また着るには随分と時間がかかりそうよ、その制服」
「そんなにひどい?じゃあ、ちょっと洗濯してくるわ」
そう言うとエリカは屋敷の方へと向かおうとする。実はこれこそがエリカの真の狙いだった。
自身の体力のなさと他三人の魔術以外の戦闘スキルの高さに絶望したエリカは、この訓練日に対して既に心が折れている。
今ならば模擬戦前のアルフレッドの嫌そうな表情の意味がよく分かるが、当の本人は今や一番この時間を楽しんでいる。
そこでエリカは一計を案じることにした。
訓練用の制服がひどく汚れたとあれば、年明けの学院の授業に間に合わせる為にそれを綺麗にしなければならない。それに魔法が身近にある世界とはいえ、汚れを落とすのが面倒であるのは変わらない。
自分の制服を犠牲にすることで、エリカはこの時間から抜け出そうと画策していた。
「そうね。私達もこの辺りにしておきましょうか。これ以上汚れると後が大変になるわ」
だが、その様な策を弄する必要はなかったらしい。アステリアはそう言うと、あっさりと訓練の終了を告げた。
「姉上がすんなりと終了を告げられるなど珍しい……。やはり丸くなられたのか……?」
クレアがぶつぶつと何やらつぶやいているが、アステリアがチラリと妹を見たのをエリカは見逃さなかった。
「そうか!訓練は終わりなんだな!」
脳筋モードに入っていたアルフレッドがすくっと立ち上がる。そしてにこやかにアステリアの元まで向かうと、その手を柔らかく取る。
「すっかり疲れただろう。私が屋敷まで連れて行くよ」
「え、いや。大丈夫よ、あなた」
「そう遠慮するな。私の肩に預けると良い」
「……ありがとう」
クスリと笑うとアステリアは首をそっと隣のアルフレッドの肩辺りに預けた。
「あの様子だと姉上は最初から訓練を早めに切り上げるつもりでしたね」
「うん。お父様が筋肉バカになっていた理由も何となく想像できたよ」
しっかりと手を繋ぎ合う二人の背中はどこか神々しい光を放っている。
その背中を追いかけながらエリカは先程まで味わっていたものとはまた別の絶望感に包まれていた。
それは屋敷に戻ってからも収まらなかった。
真っ先に着替えるべきなのに、どういうわけか二人は同じ部屋に入る。それがどちらの部屋だったかエリカは思い出さないように気を付けつつ自分の部屋に戻る。
とはいえ、年相応の女性であるので、何があの部屋で行われているのか想像するのに難くない。というよりは要らぬ想像が頭の中を勝手に駆け巡っていく。
早く夕食の時間になって欲しいと思うが、それはそれで顔を合わせた時に気まずいものがある。
こういう時、スマホがあればゲームをするなり動画を見るなりしていくらでも気を紛らわせることができるが、そんなものは当然ないのでどうしようもない。
仕方ないのでエリカは制服の洗濯と手入れに集中することにする。
だがそれも、並々ならぬ集中力と前世での高圧洗浄やアイロンのイメージによって瞬く間に決着がついてしまう。
泥だらけだった制服はものの十五分で新品に近い状態へと蘇っていた。
この時ばかりは前世の知識を保有していることに悪態をつきそうになったが、何とか冷静さを取り戻すとベッドにダイブし、フカフカの枕を顔に押し付けて声を上げずに思いっきり叫んだ。
くぐもった声でストレスを発散すると、エリカはいそいそと着替え始める。周りに配慮したとはいえ声を出したことで、頭の中に忍び寄る雑念を一旦は振り払うことができた。
そしてエリカは冷静になった自分を自身で褒めながら、屋敷の外へと繰り出すことにした。
領主館とも言うべきこの屋敷は四方を小さな村に囲まれている。いずれも五分程歩いたところにあるのは、これらの村が兵士の詰所としての役割も果たしているからだ。
その内の一つにエリカは向かう。
馬小屋では女性が馬の毛をブラッシングしている。その様子をぼんやりと見ていたエリカに気付いた女性がサッと気を付けの姿勢を取る。
「お嬢様!」
「ああ、気を遣わせてしまってごめんなさい。ちょっと散歩したい気分だったから」
「すぐにお供の者を呼びます!」
「その必要はないから!お気持ちだけ受け取るわ」
「ですが、しかし……」
「それならあなたがこの村を案内してくれるかしら?お仕事が終わるまで待つから」
そう言うとエリカは近くにあった椅子代わりの手頃な切り株に腰掛ける。
一人で散策したいのはやまやまだが、どうしても護衛役が必要ならば目の前の女性が良かった。
彼女は覚えていないだろうが、以前ここに来た時にクレアと共に自分達を迎えてくれた兵士の一人だとエリカは気付いていた。
ブラッシングを終えた女性は急いでエリカの元にやってくる。
「お嬢様、お待たせしてしまい申し訳ございません」
「気にしないで。ケイト」
試しに名前を呼んでみると案の定、相手は驚いた顔を見せる。
「覚えていてくださったのですか……?」
「ええ。アリーと一緒に出迎えてくれたのが昨日のことのように思い出されるわ」
その言葉にケイトはいたく感激していた。
エリカはケイトの案内で村を散策する。まだ年端もいかない子供達が楽しそうに訓練用の木剣を持って走り回っており、大人達は水を飲んだり各々の仕事をしたりと思い思いのことをしている。
牧歌的な風景は王都での日常と違い、よく目になじむ。よく都会に住む人間が田舎に憧れるというが、それとは違う根源的な心持ちがエリカの中にある。
心地良い空間。それがすんなりと腑に落ちる。
辺りの空気を目一杯吸い込むと、冬の香りが胸の中に広がる。王都では味わえないすがすがしさを満喫していると、一人の女性と目が合った。
「ああ、アリーだ」
エリカが軽く手を振ると、アリーが急いで走り寄ってくる。この辺りはケイトと同じだなと思うと何だかほのぼのとした気持ちになる。
「お嬢様。ご無沙汰しております」
アリーとも再会したエリカは三人で連れ立って村の散策を続けるが、時間が過ぎるのは早いものでもう日が傾き始めている。
「お嬢様。そろそろお屋敷に戻られませんと」
「あら、もうこんな時間なの?何だかあっという間」
名残惜しくはあるが、いくら目と鼻の先とはいえ長く屋敷を空けるのは心配をかけることになる。
エリカは二人に連れられて屋敷へと戻った。
屋敷に着いたエリカをクレアが出迎える。
「エリカ様。お迎えに上がりましたのに」
「もう、敬語はなしって言っているでしょう?」
「申し訳ございません。つい……」
苦笑いを浮かべるクレアに微笑み返すとエリカは室内着に着替えに行く。
部屋に向かう途中、アルフレッドと廊下ですれ違う。心なしか顔つきがキリッとしているように見えるのは気のせいかも知れない。
程なくして夕食の時間となる。そこでアステリアとも顔を合わせたが、意外なことに頬を上気させている。
「どうしたの、お母様?もしかして熱っぽいの?」
「い、いえ。そんなことはないわよ?」
少しだけからかってみようと思ったが、思いのほか純情な反応にかえってエリカは恥ずかしさを覚える。
「無理はするんじゃないぞ、アステリア。君に何かがあっては耐えられないからね」
「全く誰のせいなのよ……」
聞いているだけで恥ずかしいことをサラッと言ってのけるちょい悪オヤジになってしまったアルフレッドをジト目で見ているエリカの耳は、ほとんど聞こえない程の小さなそのつぶやきをしっかりと捉えていた。
スタンフォード領の冬は暖かさに包まれている。




