六 家族との時間
訓練場ではアステリアとクレアが向かい合っている。
アステリアは片手で持てる程の小さな杖を右手に、クレアは片手剣を左逆手に構えていた。
不思議なことにアステリアは乗馬服に身を包んでいる。その姿を初めて見たエリカはその美しさに思わず息を呑む。
だが、豊かな胸を抑え込むのは難しいらしく、それが男装の麗人としての美しさをも際立たせていた。
そんなアステリアだが、本来はアルフレッドとまずは模擬戦を繰り広げるはずだった。しかし、妻の普段とはまた違う姿に心奪われたのか模擬戦どころではなくなってしまい、急遽姉妹対決という形になった。
向き合う二人を眺めながらエリカは思わずため息をつく。アステリアも中々なプロポーションだが、クレアもスレンダーな身体に莫大なエネルギーを宿していることが分かる。
「どうしたの、エリカ。そんな顔して」
「いや、二人の姿に見惚れていたというか……」
「あら、嬉しいことを言ってくれるわね」
アステリアは本当に嬉しそうな表情を見せていた。対照的にクレアは余裕がないのか、一切口を開くことなく姉をひたと見据えている。
「ああ、確かに綺麗だ」
振り返ると騎士の格好に身を包んだアルフレッドが感慨深げに立ち尽くしていた。
「我が愛しき妻よ。訓練も大切だが、休養に努めることも肝要だと私は思う」
「あなた……」
夫のド直球な言葉にアステリアは顔を赤らめる。そんな両親の様子にエリカは目のやり場に困った。
「はーい。今から模擬戦ですからねー。集中してくださーい」
甘い雰囲気を断ち切るようにエリカは手を叩くと、わざと大声で呼び掛ける。その声に我を取り戻したアステリアは苦笑いを浮かべた。
「では……。試合開始!」
エリカの合図と共に、クレアがジグザグに駆け出す。
一気にアステリアの懐に入ると片手剣を振るおうとするが、アステリアは一歩後ろに下がって躱すと、二撃目に移ろうとするクレアの腹部に杖の先を向けた。
途端にクレアが後方へ吹き飛ばされるが、空中で体勢を立て直すや否や、またアステリアに向かって駆け出す。そのスピードは先程よりも速く、エリカの目にはアステリアが少し顔をしかめたように映った。
クレアは再びアステリアに向かって片手剣を振るうがそれと同時に、いつの間にか右手に握り締めていた杖を向けた。
先程と同じく一歩後ろに下がろうとしていたアステリアだったが、クレアの杖がこちらに向いていることに気付いた瞬間、自身の杖をぶつけて軌道をずらす。
放たれた魔法がアステリアの左わき腹をかすめるが、クレアの杖をずらしたアステリアの杖自体はそのまま滑るように動き続け、クレアのみぞおちを的確に突いた。
「うぐっ!」
クレアが声にならない悲鳴を上げて杖を取り落とすが、それでも片手剣を振るおうとする。だが、それもアステリアが軽く右腕を上げることで動きを止めてしまい、対照的に突かれた状態のままみぞおちを抉られる形になったクレアは呻き声を上げて片手剣も落としてしまった。
そこまで見届けたエリカは大声で号令をかける。
「それまで!」
その一言を合図にアステリアは、目の前で跪く体勢であえいでいるクレアの背中を優しくさすり始めた。
「強くなったわね、クレア」
「まだまだです……」
言葉以上のやり取りを二人は目で交わす。きっとこの姉妹にしか分からない何かがあるのだろう。
エリカの隣にアルフレッドが立つ。さすがにその瞳はデレデレしたものではなくなっていた。
「ううむ。いつの間にアステリアは更に強くなったのか……。うかうかしていられんな」
「え?」
「エリカには余り実感がないかも知れんが、アステリアとクレアの姉妹はエヴァンス家の中でも随一の猛将だったんだよ。
文官寄りの家だったから彼女達が余程珍しかったようでね。見合い話は多かったと聞いている。まあ、そういった話がある度に決闘を繰り広げてはその相手の鼻っ柱を叩き折っていたそうだ」
「へえ、じゃあお父様が初めてお母様に勝った人だったんだね」
「ま、まあね。そうなるな」
その時のことを思い出しているのか、アルフレッドの頬はまた緩み始めている。のろけ話はごめんだが、そんな二人の再戦を見てみたい自分がいる。
「あなた。それにエリカ。次はあなた達の番よ」
自分の話になっていたとはつゆ知らず、アステリアがこちらに呼び掛けてくる。エリカとアルフレッドはチラリと視線を交わすとにっこりと微笑んだ。
「その前にクレアとお手合わせ願いたいものだよ」
「ダメよ。クレアは戦ったばかりだし、あなた達はまだ戦っていないでしょう」
「確かにそうだが、戦場では万全の状態で臨めることなどまずないからね。良い機会だと思うが」
「うーん。もっともらしいことを言っているけど、何か他にも理由がありそうな気がする……」
「白状すると、万全の状態にある君とまた一戦交えたくなったんだ」
「あなた……?」
「エリカと思い出話に花を咲かせていると、あの時の興奮と歓喜が蘇ってきてね。勇猛果敢にしてとんだじゃじゃ馬だったアステリア・エヴァンスとの再戦を強く望む自分がいるんだ」
アルフレッドの口調はいつもと違っていた。いや、これこそが本来の口調なのだろう。
元々四十代に見えない壮健な肉体と甘いマスクの持ち主ではあるが、今や二十代前半のような大胆さがそこに宿っている。
そんなアルフレッドにアステリアは目を輝かせ、頬を上気させる。だが、それはのろけによるものというよりは好敵手と相まみえた時のような静かな興奮によるものだった。
アステリアは訓練場の中心に戻ると、凛とした表情でアルフレッドを見据えた。
「では、このわたくしが直々にお相手して差し上げますわ」
「いや、君は今戦ったばかりじゃないか。それでは不公平だよ」
「わたくしを舐めてかかると痛い目に遭いますわよ?寧ろこの方が良いハンデになるわ」
「よかろう。では」
アルフレッドも訓練場の中心に向かう。その際、アルフレッドは腰に提げた大剣を鞘から引き抜く。
「あの時と同じく、お互いの得物でというのは?」
「問題ないわ。でも、魔術を使っても良いわよ?」
「君も剣を使っても良いよ」
二人はフッと不敵な笑みを交わした。
先程からのやり取りを呆然と見つめていたエリカとクレアだったが、二人がすっかりその気になっているので審判役を買って出ることにした。
クレアはまだ少しダメージが残っていたので、号令はエリカがかける。
「では……。試合開始!」
エリカの号令と同時にアルフレッドは駆け出す。クレアと違って一直線に向かう姿はあまりにも無防備なものとして目に映るが、奇妙なことにアステリアも前方に駆け出す。
瞬時に間合いを詰め合う二人だが、アステリアは走りながら杖を下から上に向かって振るっていた。
次の瞬間、足元からヴェールのようなものが現れ、二人の間に広がっていく。アルフレッドはそれを気にも留めず、大剣を横に薙ぎ払う。
裂かれたヴェールは水で織られたように見えたが、実際はそうでなかった。高度に圧縮された風の重層だったらしく、薙ぎ払われたことで一気に風向きに変化が生じ、風の奔流がアルフレッドを襲撃する。
さすがにそれにはアルフレッドも攻撃の手を緩め、防御に転じる他なくなる。その隙をついてアステリアは杖を振るい、魔術による攻撃を重ねる。
火の壁を生み出すと、アステリアはそれをアルフレッドに向けて放つ。それをアルフレッドは斬り払おうとするが、先程から続く風の奔流によって火の勢いは増すばかりだった。
アステリアが指揮者のように杖を振るうと、火の壁は瞬く間にアルフレッドを包囲する。そのまま火の壁は一つのドームへと形を変えていく。
「姉上、さすがにそれは!」
思わずクレアが声を上げるが、その彼女をエリカは止める。ドームの中の気配が変わった気がしたからだ。
突如、火のドームに大きな揺らぎが起きる。それを視覚が捉えた瞬間、大きな黒い影がドームから飛び出してきた。
その影は瞬く間にアステリアの元へ辿り着くと、ピタリと大剣を首筋に添える。
「そ、それまで!」
我に返ったエリカが宣言しても、二人は尚も動かなかった。
「姉上?アルフレッド様?」
おずおずとクレアが呼び掛ける。しばらくしてから大きな溜息と共にアルフレッドが大剣を下ろした。
「引き分けか……」
「え?」
驚くエリカとクレアだったが、よく見るとアステリアの杖の先はアルフレッドの喉仏の目の前に向けられていた。力を込めて突けば充分に致命傷となるものだった。
「わたくしも腕を上げたでしょう?」
囁くように言うアステリアの声はいつになく甘い。
「ああ、そうだね。ハンデがなかったら負けていたかもしれないよ」
「ふふ。負けていたんじゃなくて?」
「いや、それでも引き分けに持ち込んでいたさ」
「勝っていたって言わないんだ」
「自分の実力は自分自身が知っているからね」
「相変わらず謙虚な人」
「君の優しさも変わらないね。あのドームも耐えられるギリギリのところにしてくれた」
「そんなつもりはなかったかもよ?」
「うぇっへっん!!」
エリカがひときわ大きく、あからさまな咳払いをする。
自分達の世界に行っていた二人は慌てて帰ってくるが、それでも交わし続ける視線の意味ありげさに、エリカはどことなく恥ずかしい気持ちになった。それはクレアも同じようで、わざとらしくそっぽを向いて、何かに釘付けになっているかのように視線を一点に固定していた。
さすがに自分達も恥ずかしさを思い出したのか、二人は照れくさそうに頬をかきながらエリカ達のところへやってくる。
そして何事もなかったかのように居ずまいを正すと、アルフレッドがエリカを見た。
「じゃあ、次はエリカだな」
「では準備に移ります」
「いや、クレアはまだ休んでいなさい。まずは私がエリカの相手を務める」
「はっ!」
あっさりとクレアは引き下がると、また視線を一点に固定させた。そんな妹の反応に苦笑いしつつ、アルフレッドとエリカが向き合ったのを確認すると、アステリアが声高に告げる。
「二人とも準備は良いわね?それでは、試合開始!」
先程までの試合と違い、二人はその場から一歩も動かなかった。その代わりに互いとも様々な魔法を撃ち合う。
アルフレッドが火の玉を放てば、エリカはそれを水球で撃ち落とす。エリカが石つぶてをぶつけにかかると、アルフレッドはそれらを風で払いのける。
魔術のぶつけ合いになると、本来であれば魔力量の多い者が有利となる。
アルフレッドは娘が非常に特異的な存在であることをもう理解していたので、このままいけばいずれは自分の魔力量が先に尽きると踏んでいた。だが、不思議なことに魔術のぶつけ合いが進むにつれて、エリカの放つ魔術にムラが見え隠れするようになってきた。
一瞬、アルフレッドはエリカが手加減している可能性を考えたが、当の本人もそのことに戸惑いを隠せない様子だった。
だが、エリカ自身にとっては戸惑い以上に嬉しさが強い。今まではこんな風に魔力量が減っていくのを感じることはなかった。
辛い思いをして過去と向き合ってきた効果が出始めたのかもしれない。
ふとそう思った途端、エリカは自身の心がかつてない程にワクワクしていることに気付いた。それと同時に様々なことを楽しんでみたい気持ちも生まれてくる。
エリカは流れるような自然な仕草で、二つの魔術を繰り出す。
生み出した水流を風で操るという、理屈だけで言えばシンプルなものだったが、エリカはそれを時には鞭のように、時には盾のように自在に操っていく。
その魔術にアルフレッドは舌を巻いたが、冷静に強風を巻き起こすとエリカの風魔法ごと絡め取ってしまった。
強風を纏った大きな水球が二人の間で浮かんでいる。腰の辺りまでの高さに浮かんでいるそれをお互いが風魔法で操ろうとしていた。
この奇妙な魔術合戦は唐突に終わりを告げる。エリカの風魔法にムラが現れたことで、それまで保たれてきた均衡が大きく崩れる。
一方向からの風の制御を失った水球はそのまま水流に形を変え、地面に墜落する。水しぶきが舞い、地面に水溜りができた。
「それまで!」
アステリアが試合終了を告げる。その途端、エリカは膝から崩れ落ちた。
「だ、大丈夫か!?」
「エリカ!大丈夫?」
「エリカ様!」
三人が急いで駆け寄ってくるが、エリカはすぐに何の異常も怪我もないことを身振りで示す。
エリカは嬉しかった。初めて「普通」らしい状態を味わえたことがこんなにも心揺り動かすことが。
そう思えた時、身体の中にある重さのようなものがフッと軽くなった気がして、気付けば脱力していたのだった。
「魔術って楽しいんだね」
エリカがそっとつぶやいた言葉は誰の耳にも届いていなかったが、エリカの心境の変化のようなものはしっかりと伝わっていた。
何故なら三人が優し気な表情を見せていたからだ。その表情を呼び起こしているのは自分自身の表情が優しくなっているからだろうとエリカはすぐに気付いた。
自分の頬がこんなにも緩んでいるのだから。
アステリアが乗馬服に身を包んでいるのは、いわゆる運動服がないからです。




