九 嵐の前の静けさ
昨日から始まった模擬戦は総当たり戦形式ということもあり、春先まで行われる見通しだった。それにより学院全体が冬とは思えない熱気に包まれている。
放課後の運動場は自主練習に励む学生が増え、テストの時期以外は閑古鳥が鳴いている図書室も今やほとんどが満席状態だった。
その熱気に包まれているのはエリカも同様で、自分の番が来るのを今か今かと待ちわびている。
そのきっかけとなったのは昨日のグロリアの試合だった。自分もあんな試合をしてみたいという気持ちが強まっている。
三組目が終わった後、一般戦闘術担当のマーティン・オリヴァーが遂にエリカの名前を呼ぶ。
「いよいよエリカだね。頑張って」
「ありがとう、ナタリア」
親友達の中で唯一オズワルドにうつつを抜かしていないナタリアの声援に答えると、エリカは所定の位置に向かう。
「続いてデイヴィッド・ジョーンズ。前へ」
思いがけない組み合わせにエリカは心の中で喜んだ。
決して相性が良い相手ではないからこそ、得られるものも多いはず。そこにエリカはワクワクしていた。
「それでは、試合開始」
オリヴァーの号令と共に、デイヴィッドは一気に駆け出す。だが、その速度は凄まじく、まばたきした瞬間には手を少し伸ばすだけで相手を掴める位置にまで来ていた。
「今のを避けられるとは思わなかったよ。さすがだね」
「随分と余裕じゃない!」
伸ばしてくる腕をギリギリのところで躱しながら、エリカはお返しとばかりに肘鉄をみぞおち目掛けて放つ。
だが、デイヴィッドは華麗なバックステップで避けると、まるで身体をほぐすようにその場で軽くジャンプした。
そこを狙ってエリカは水魔術を放つ。本来であればクレアに披露したように地面を沈めることで動きを止めたいところだが、授業で触れていないものを遣うのは禁止されているので我慢するしかない。
放たれた水球を軽く打ち払うとデイヴィッドはまた駆け出して、飛び膝蹴りを繰り出す。その攻撃にはエリカのみならず見守っていた他のクラスメイト達の度肝を抜いた。
エリカは腕をクロスさせることでそれを何とか防いだが、まるで硬いものにぶつけたかのような痛みが両腕を襲う。
いくら結界魔法で守られているとはいえ、このような攻撃はうら若き乙女に対して繰り出すものではない。実際、クラスメイトの何人かがブーイングする。
だが、エリカはそれを好ましく思う。模擬戦とはいえ、一つの純粋な戦いに卑怯などという概念は存在しない。勝利を掴む為には手段を選ばない姿勢にエリカは非常に共感していた。
ガードが崩れたエリカに追撃を加えようとするデイヴィッドだったが、突如吹き荒れた風に思わず目をつむってしまう。その隙にエリカは距離を取った。
「人狼の魔術耐性を破ってくるなんて。君が恐ろしいよ」
「飛び膝蹴りしてきた人が言う台詞じゃないと思うけど」
そう言いながらも強風をデイヴィッドの顔面目掛けてぶつけていく。絶え間なく吹きつける強風にほとんど目を開けられない状態だったが、それでもデイヴィッドはエリカに向かって距離を縮めていく。
だがエリカもその時には左側に向かって駆け出している。コンパスで円を描くように走りながら、その中心にいるデイヴィッドに向かって様々な魔術を連発する。
この攻撃に今度は別のクラスメイト達がざわつく。
基本的に魔術を扱う時はその場に留まることが多い。その方が命中率も上がるし、後方から前線をサポートすることが多いからだ。
勿論、縦横無尽に駆け回っても良いのだが、走りながら狙った相手に魔術を放つのは非常に難しい。いくら戦闘センスに優れているとしても学院に通う程度の実力でそこまでの魔力調整を行うのは無謀ともいえることだった。
事実、エリカの放つ魔術はどれもでたらめで、それらの大半がデイヴィッドにかすることもなく、地面や空中へ消えていく。
だが、それこそがエリカの狙いだった。
対してデイヴィッドは敢えて中心に立ち続けた。目くらましの強風は既に収まっているので反撃に移れないこともなかったが、でたらめに飛んでくるからこそまぐれ当たりの危険もあって迂闊に飛び込めなかった。それよりはこの場で相手の魔力切れを待つ方が最善だと考える。
そしてそれがデイヴィッドの命取りとなった。
エリカは右手で魔術を放ちながら、左手で自分の左足付近に強風をぶつける。その勢いでエリカの体は宙を飛び、そのままデイヴィッドの方へと向かっていく。
様々な魔術が止んだことで体勢を立て直したデイヴィッドが目にしたのは、自分に向かって迫ってくるエリカの全身だった。
「うわっ!」
驚き声と共にデイヴィッドは地面に倒れ込む。風力の助けを借りて飛んできたエリカは重力にも身を委ねて、デイヴィッドにそのままのしかかって馬乗りになる。
そして瞬時に手刀の指先を頸動脈の手前に向けた。
「それまで!」
オリヴァーが号令をかけるが、エリカはそのまま動かなかった。
「もしかしてさっきの飛び膝蹴りに怒ってるのか?」
「そりゃあ仕方ないよな。あれはいくらなんでもやり過ぎだろ」
「うん。ひどいよね」
クラスメイト達が同情するようにひそひそ話をする。
「エリカ・スタンフォード。早くジョーンズから離れるんだ」
オリヴァーもあの攻撃には思うところがあるようで、少し警戒しながらエリカに呼び掛ける。
だが、エリカは怒ってなどいなかった。
「すみません、先生。手を貸してもらいたいのですが……。今の衝撃でどうやら骨を折っちゃったみたいで……」
苦笑いを浮かべてオリヴァーを見やるエリカの右足首は少し傾いている。
「……ああ、分かった。ナタリア・コンクリン。ホイットニー・ヤング。手を貸してやってくれ」
二人の手を借りてそろりと立ち上がったエリカだが、右足に奔る激痛に思わず顔をしかめた。
「失礼するぞ」
オリヴァーが右足首を慎重に見ていく。どうやら骨は折れていなかったようだが、重度の捻挫には違いなかった。
「医療センターに連れて行ってやってくれ」
「いや、自分は大丈夫です」
「二人に支えられているのに強がるんじゃない」
オリヴァーに促されてエリカはこの場を後にしようとする。だが、その前にデイヴィッドの方へと向き直る。
デイヴィッドは先程まで見せていた好戦的な笑顔から一転、真剣な表情でエリカを見つめている。その先のことが分かったエリカはそれを止める為に声を掛ける。
「ねえ、デイヴィッド」
「さっきのことは正式に謝罪する。申し訳なかった」
「……謝ったら怒るよって言うつもりだったんだけど」
「……えーと。知らなかったとはいえ済まなかった」
エリカの言葉にデイヴィッドだけでなく周りも驚きを隠せないでいたが、オリヴァーだけはエリカの言わんとすることに気付いたようで、感慨深げに頷いていた。
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扉がノックされる。
「学院長、キャッスルです。お聞きしたいことがあります」
その問い掛けに少しの間を置いてから、バンクロフトは扉を開いて答える。
「失礼しま……」
勢い込んで中に入ったキャッスルだが、そこに先客がいたことに気付き驚きの表情を浮かべる。
「こんにちは。キャッスル先生」
エミリー・マクファーソンがすまし顔で答えるが、その表情はどこか冷たい。その原因が自分にあるのか、それとも彼女の向かいに座る人物にあるのかキャッスルには分からなかった。
「どうも」
その立場からは余りにも想像が付かない程の気楽さで、トレヴァー・マクファーソン第一王子が挨拶する。
「殿下……」
キャッスルは慌てて深く頭を下げる。エミリーが不機嫌そうに鼻を鳴らすのが聞こえてくる。
「だから言ったでしょう。こうやって皆が気を遣うことになるから、せめて事前に連絡してから来て頂戴って」
「よく分かったよ。次から気を付ける。だからそう目くじらを立てずにね?」
言葉とは裏腹にトレヴァーは楽しそうな表情を浮かべていた。
「お話し中とは知らず申し訳ございません。出直します」
「ああ、僕のことは気にしないでください。そもそもここにいるはずのない人物なので」
そう言われて「はい、そうですか」とはならないが、学院長と理事長もトレヴァーの言う通りに振る舞っているので、キャッスルは仕方なく用件を伝える。
「学院長。蒸気機関学ですが、昨日から急な休講が続いています。朝食の席でも姿を見かけませんでしたが、マッコード先生に何かあったのですか?」
「キャッスル先生が心配されているようなことは何も起こっていないので、安心してもらいたい」
「……かしこまりました」
キャッスルは一礼すると学院長室を後にする。
再び三人になったところで、トレヴァーは表情を改める。そこに先程までの飄々とした面影はなかった。
「事は急を要するとはいえ、やっぱり少し無理がありましたか。もう勘ぐる人がいるとは」
「やはり先生方にだけでも事の次第を説明しておく必要があるのでは?」
「エミリーの言うように進めたいんだけど、今はまだできる限り情報を囲っておきたいんだ。スパイがどこまで国内に潜り込んでいるのか、依然として判然としないからね」
「ですが、未だに信じられません。魔物を操るなど……」
バンクロフトが大きく肩を落とす。ここ最近、自分達の理解の範疇を超える出来事が多く起きている。
「だが、幸運でもあります。ゾーイのチームのおかげでそのことを我々は知ることができたのですから」
「ええ。確かに。ですが、知った上でどのように対応すれば良いのやら……」
「まあ、その為にマッコード先生に授業から外れてもらったわけですから。彼女の研究に期待しましょう」
「間に合うと良いのだけれど……」
「大丈夫。あのジーナの元で蒸気機関の研究に力を注いでいたんだ。期待に応えてくれると信じているよ」
エミリーを励ますように言うが、その気持ちはトレヴァーも痛いほど分かる。だが、信じるしかないとは口が裂けても言えなかった。




