五 クリスマス休暇
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この前の夏休みに来た時は豊かな緑が広がっていたというのに、目の前に広がる景色はすっかり雪一面となっている。
その中を一本だけ土でできた道路が貫いており、エリカ達が乗る馬車はそこをゆっくりと進んでいく。
しばらくすると馬車がスピードを緩め始める。そういえばあの時もそうだったと思いつつ、エリカは軽く身支度を整えた。
馬車がゆっくりと停まり、扉がノックされた。
「アルフレッド・スタンフォード卿。代官のクレア・エヴァンスです。半年も経たないうちにこうしてまたお会いできまして嬉しく存じます!」
以前と変わらぬ快活な声が響き渡る。その声の主を出迎える為に馬車の扉が開かれた。
「さあ、屋敷までお送り致し……」
声と同じくらい明るいクレアの表情が面白いほど速く様変わりする。その呆然とした面持ちを楽し気に眺めつつ、クレアの前に降り立ったのはアステリアだった。
「あ、姉上……」
「お久し振り、クレア」
クレアはしばらくの間固まっていたが、みるみるうちに満面の笑みをたたえるとクレアに飛びついた。
「懐かしゅうございます……。姉上も来てくださったのですね……。もうお加減は宜しいのですか?」
「ちょっと大げさよ。この前のは夏バテみたいなものだから、もうすっかり元通りよ」
「良かったです!」
暑苦しさは突き抜けていると思っていたが、更に上があったらしい。姉との再会に全身で喜ぶクレアを尻目に、エリカはアルフレッドと顔を見合わせた。
しかし慣れたもので、アルフレッドは義妹の突飛な振る舞いに動じることもなく、開け放たれたままの扉から吹き込んでくる冷たい風から身を守るようにマフラーをしっかりと首元に巻き付け直しただけだった。
「さあ、クレア。立ち話もなんだから屋敷まで送って頂戴」
「はっ!これは失礼致しました!このようなところでお待たせして申し訳ございません。すぐにお送り致します!」
そう言うや否やクレアは前方に駆け出し、大人しく待っていた馬に飛び乗った。その光景を呆れ返った様子で見送りつつ、アステリアは馬車に戻る。
「アステリアがいると他に何も見えなくなるのは相変わらずだな」
「気持ちは嬉しいのだけれど、あんまり熱心過ぎるのも困ったものだわ」
口で言う程には困っていなさそうにアステリアは微笑む。その様子を見ていたエリカは、シスコンなのは姉妹共にらしいと心の中で呟いた。
屋敷に着いた一行は食堂へと向かう。といっても食事の時間には少し早いので、テーブルの上には小ぶりなクッキーと紅茶が用意されている。
「それにしてもエリカ様までこうして会いに来てくださったのが、クレアは嬉しゅうございます」
「わたくしもクレア叔母様とまたお会いできて嬉しいですわ」
「叔母様……。クレアと呼んではくださっていたのに……」
「馬車の中にいたわたくしとお父様を放置してお母様の相手ばかりしていたのですから、当分は名前では呼びません」
エリカはムスッとした表情を見せる。その表情を真正面から見てしまったクレアは悲しげにうなだれてしまう。
アルフレッドとアステリアも、エリカが誰かに対してそんな風に返す姿を見るのは初めてのことだったので、驚きに満ちた表情で彼女を見つめていた。
だが、よく見るとエリカの瞳がキラキラと輝いている。それに真っ先に気付いたアステリアは先程とは違う種類の驚きの念を抱く。
「フフッ。冗談ですわ、クレア。でも正直に言えば、お母様ばかり見ていたことに軽い嫉妬の念を覚えたのも事実ですからね」
そう言うとエリカはまた忍び笑いをもらした。
こんな風に相手をからかうのは久々のことだったが、周りからすれば度肝を抜かれることだったらしい。
唖然とした表情を浮かべる両親にエリカはいたずらっぽく微笑みかけると、良い具合に飲みやすくなった紅茶をゆっくりと味わった。
「エリカ様、ありがとうございます……」
だが、クレアだけは平常運転で、改めてこの姉妹の対照的な性格がエリカには面白く映った。
ティーポットの中身がなくなる頃には夜の帳が下り始め、そのまま夕食の流れとなる。
夏に来た時と同じく、大皿に盛りつけられたローストポークがテーブルの中心に置かれる。牛より豚が安いのはいつの時代も変わらないが、豚肉も大好きなエリカにとっては充分なご馳走だった。
あくまで品よく、それでいて大胆にローストポークを多めに取り皿へと盛りつけていく。一瞬、アステリアと目が合った気がしたが、どうやらギリギリのラインで許されたようである。
だが、何となく気まずさを覚えたエリカはわざとらしく話を振る。
「それにしてもクレアの体はよく鍛えられていますわね」
「ありがとうございます!日々の訓練の賜物です」
「わたくしも鍛えてみたいのですけれど、色々と教えてくれません?」
「なっ!宜しいのですか?」
エリカの言葉にクレアは驚きの視線を彼女だけでなくアステリアにも向けた。
「実は御前試合がありまして。自分で言うのも何ですけど魔術には自信がありますの。ただ、戦闘術となると少し不安でして……」
「なるほど……。私でよければお手伝いさせて戴きます。早速明朝から始めたいのですが、それでも宜しいでしょうか?」
「喜んで」
「ちょっと、エリカ。その気持ちは立派だけど考え直した方が良いわ。あまり妹のことを言いたくないけれど、クレアの日々の訓練はかなり大変な内容よ?」
「三日間だけでも難しい?」
「一日が限界でしょうね」
「じゃあ、その一日だけでも頑張ってみるよ」
アステリアの忠告に真摯に耳を傾けつつ、エリカはローストポークを頬張った。
ふと視線を感じたのでそちらに目を向けると、クレアが羨ましそうにこちらを見ていた。
「ど、どうしましたの?」
「エリカ様は姉上とそんなにくだけた口調でお話されているのですか?」
しまったとエリカは思う。自分らしくあろうとしているが、それはあくまで両親の前だけでのことだった。クレアも身内には違いないが、仲違いとはまた違う微妙な時期を両親と共に乗り越えたことを思うと、王都の家と同じように振る舞うのは宜しくなかった。
「い、いえ。これはつい学院での口調が表に出てしまっただけのことで……。わたくしったらみっともない姿をお見せしてしまいましたわ……」
「エリカ様!私にも同じようにお願い致します!」
「……」
ああ、この人はこういう人だったなとエリカは思う。アルフレッドとアステリアも忍び笑いをもらしていた。
「どうして何も言ってくださらないのですか!」
「い、いや……」
「ま、まさか……。アルフレッド様にも同じように?」
「ああ、そうだが?」
「ちょっと、お父様!」
「良いじゃないか。実際そうなのだから」
「……エリカ様。クレアは悲しゅうございます……」
雨に濡れそぼった仔犬のようにシュンとした表情を浮かべるクレアだが、エリカはわざと気付かない振りをしてサラダの食感を楽しんだ。
そんなエリカの様子にクレアは雷に打たれたような表情を見せるが、さすがに気の毒になったのかアステリアが助け舟を出す。
「エリカ。クレアにもくだけた口調で話してあげなさいな」
「お母様がそう言ってくれるのを待ってたんだけどね。いきなりくだけた口調というのも気が引けるから」
「私達にはいきなりだったじゃないの……」
アステリアが不満げにつぶやくが、それもクレアの歓声に掻き消される。
「エリカ様!!良いのですか!?嬉しゅうございます!」
「そう言ってもらえるのは嬉しいけれど、一つだけ条件がありますわ」
「え、条件ですか……」
「クレアもくだけた口調で話してくれないと。そもそもずっと堅苦しいのはクレアの方なんだから」
「え、いや……。それはさすがに……」
「私に気を遣うことはない。エリカがそうと望んでいるのだからその通りにしてやって欲しい」
少し居心地悪そうにしていたクレアにアルフレッドが優しく語りかける。それでもクレアは緊張気味ではあったが、おずおずとエリカを見やると不器用に笑いかける。
「え、えっと……。よ、宜しく。エリカ様……」
「様もいらないよ」
「あう……。で、では……。改めて宜しく。エ、エリカ……」
「ええ、宜しくお願い致しますわ。クレア叔母様」
「ちょっとーー!!」
クレアの叫びが食堂にこだまし、室内は暖かい笑いに包まれた。
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翌朝、エリカは制服に着替えると屋敷の隣にある訓練場へと向かう。
まだ朝もやがかかっている時間だというのに、既にクレアは刃をつぶしてある鉄剣を熱心に振るっていた。
邪魔にならないようしばらくその後ろ姿を見つめていたエリカだが、クレアは鉄剣を鞘に納めると振り返った。
「おはようございます、エリカ様。朝早くから熱心ですね」
「……」
「あの……。エリカ様?」
「くだけた口調でって話だったよね?」
「あう……。申し訳ございません。まだ慣れなくて……」
「まあ、おいおい慣れていこうよ。さあ、始めましょう」
「はっ!」
クレアは壁に掛けられている訓練用の鉄剣をもう一振り持ってくると、エリカに差し出す。
「では、まずはこちらを素振りしましょう」
「分かったけれど、何回振れば良いの?」
「数は気にせず、ただ無心に振るのみですよ」
クレアはまた鉄剣を抜刀すると、先程と同じく素振りを始める。エリカもそれに習って素振りをするが、まずその重さに驚いた。
学院の剣の重さも実戦用の武器と変わらないが、今手にしている剣はそれ以上に重かった。
エリカはそれでも食らいついたが、三十回を超えた辺りでペースが乱れ始め、五十回に到達する前に剣を握るので精一杯の状態になってしまった。
「初めてこの剣を握ってそこまで振れたら上等!お見事!」
そう言うクレア自身は余裕たっぷりの表情で剣を振るい続けていた。その様子をエリカは眺めているだけだったが、ある程度腕に力が入るようになってくると再び素振りを始める。
その姿をクレアはチラリと横目で見ただけだったが、その表情はどこか嬉しそうだった。
素振りが終わってからは基礎的な体力作りが始まる。訓練場をランニングで十周した後は、柔軟運動を行う。
身体が温まり始めたところで、メイド達がタオルと水筒を持ってやってくる。
「エリカ様。クレア様。もうすぐ朝食の準備ができます。既にアルフレッド様もアステリア様もお待ちになられています」
「む。もうそんな時間か。すぐに向かおう」
クレアとエリカは訓練用の剣を元の場所に戻すと、服を着替えて食堂へ向かう。
食堂ではアルフレッドとアステリアが席に着いて二人を待っていた。
「おはよう、二人とも」
「おはよう、お父様、お母様」
「おはようございます」
朝の挨拶を交わすと、早速アステリアが目をキラキラとさせてエリカを見やる。
「どうだった?大変そう?」
「まだ分からないかな。これからが本番って感じ」
「え?そうなの?」
「ええ。素振りとランニング。それと柔軟」
「あらあらまあまあ。あのクレアが随分と丸くなったものね」
「いや、その、姉上……。いきなり無理はさせられませんから」
「ふーん。小さい頃はよく私に無理させていたくせに」
「そ、それは……。姉上が全く身体を動かそうとしなかったからで……」
姉妹がそんなやり取りを繰り広げている間に、朝食の準備ができていく。アルフレッドとエリカはそちらに全集中し、姉妹の不毛なやり取りに関わらないように注意を払った。
とはいえ、アステリアは今朝の訓練内容に少し不服だったらしく、朝食の最中に爆弾を放り込んだ。
「この後は家族全員で身体を動かしましょうか。せっかくの訓練がその程度ではお互いの為にならないもの」
「あー。今日は別に良いんじゃないか?クリスマス休暇とはいえ、領地を見て回る必要があるからな」
「あなた。一日くらいは余裕があるでしょう?それに領民達の気持ちも考えないと。クリスマス休暇なのに領主がじっくり見て回っていたら落ち着かないでしょう」
「まあ、それはそうだが……」
「姉上。身体を動かすのですよね?それ以外はないですよね?」
「何言ってるの。模擬戦形式なんだから魔術の訓練もするわよ」
「そう……ですよね……」
二人の顔色が段々と悪くなっていくのが手に取るように分かるが、オズワルドから様々なことを習ったことはあっても、両親とこういう機会を持つことはほとんどなかったのでエリカとしては新鮮な感覚を覚えた。




