五 小さな違和感
石造りの廊下に靴音が響く。地上から降りてくる水分を石が含むせいで廊下を歩くとジメジメとした湿気に襲われる。
そんな不快な場所をチャールズ・ベイトソン特別捜査官は歩いていく。目指すのは廊下の最奥。そこには彼の獲物がいた。
チャールズはふと足を止める。視線の向こうには大きく頑丈な扉があるが、その前には先客がおり、ジッとその場で佇んでいる。
「パトリシア」
「チャールズ」
挨拶代わりに名前を呼ぶと、向こうも同じく名前だけを呼び返した。
チャールズは目を細める。かつての相棒のことを熟知しているだけに、これから始める尋問は自分一人でできないとすぐさま把握した。
「そっちがやるか?」
「いいわ。あなたに任せる」
会話は普通だが、目線は交わされない。チャールズはそれを気にすることなく、扉の前に立つと自身の魔力を流し込む。
大きな音が扉の中で鳴り響き、ゆっくりと開いていく。扉が完全に開き切るのを待ってから、チャールズはその先に進んでいく。
扉の奥も石造りなのは変わらなかったが、今まで全身をねっとりと包んでいた湿気はきれいさっぱり取り払われており、冷たい空気が吹き抜ける。
先程までとは違う足音の響き方を意識しつつ、チャールズの目は奥に広がる深淵を掴んで離さない。
しばらく歩くとぼんやりとした淡い黄色の明かりが目に映る。それは巨大な立体魔法陣で、天井と床から繰り出された魔法陣が、同じく両壁から繰り出される魔法陣と絡み合って複雑な構造を生み出していた。
ここにもチャールズは自身の魔力を流し込む。魔法陣は一瞬緑色に光るが、チャールズがそこをくぐり抜けると元の淡い黄色に戻る。パトリシアも同じことを行い、彼の後に続いた。
魔法陣の先にも廊下は続くが、行き止まりはそう遠くはなかった。
行き止まりの右側の壁に鉄格子がはめ込まれている。その前にチャールズは立つと、鉄格子の向こう側を睨みつけた。
「よお、元気か?」
言葉自体は柔らかいものの、その殺伐とした雰囲気に鉄格子の奥にいる相手は顔を上げる。
「貴様は……」
苦々し気につぶやいたのは女だった。王都をホムンクルスと共に荒らし回った時の気魄は既になく、毒気のこもった視線を向けることしかできずにいる。
「聞きたいことはシンプルだ。いつからジェファーソンはお前達を創り出していた?」
「……」
「では、質問を変えよう。いつからお前達はこの国に潜伏していた?」
「……」
女は何も答えなかった。ただ、ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべている。
チャールズは真っ向から女を見据えると、鉄格子の細い隙間から風の刃を送り込む。それらは瞬く間に女を切り刻んだ。
「……ッ!」
声にならない悲鳴を上げると女は前に倒れ込む。下半身が失われたせいもあって女は身じろぎすることすらできず、歯を食いしばって全身を襲う痛みに耐えるしかなかった。
その様子を不満げに見続けるものの、パトリシアは何も言わなかった。チャールズが行ったことは、今回は問題ないものだった。
「知らないかもしれないから説明しておくが、お前のしたことは国王陛下への襲撃と同義だ。それによりお前は法によって守られることがない。
お前が帝国に義理立てして何も話さないというなら好きにしろ。俺も好きにする」
そう言うとチャールズは再び風の刃を放つ。多くの生傷の上に新たな傷ができ、女は今度こそ悲鳴を上げた。
だが、チャールズはそれを気にも留めず、続いて水を浴びせかける。それは魔術ですらなくただの魔法だったが、傷だらけの身体には刺激が強過ぎた。先程のような悲鳴こそ上げなかったものの、女は何とか身体を動かして水気を少しでも払おうとする。だが、動く度に水滴が傷に沁み込んで苦悶の呻き声を上げる。
「聞いたところでは、お前はジェファーソンに裏切られたんだろう?なのにどうして庇おうとするんだ?」
尋問しながらチャールズは再び水をかける。女が新たな呻き声を上げると同時にパトリシアが制止する。
「今のはさすがにやり過ぎよ」
「俺に任せると言ったんなら黙って見ていろ」
突き放した言い回しに眉をひそめつつもパトリシアは食い下がる。
「質問したそばからあんなことをしたら、答えるつもりがあっても答えられない。せめて反応を待ちなさいよ」
「どうせアイツは何も言わないよ。ホムンクルスってやつは主の命令には忠実なゴーレムと全く変わらない。人の皮をかぶってるだけで中身は操り人形でしかないんだ」
冷たく言い放つチャールズに愕然としたパトリシアは言葉を呑み込むしかなかった。良い警官と悪い警官を演じる時はいつもチャールズが悪い方を引き受けていたが、今の彼の様子は演技なのか本心なのか判断がつかなかった。
「チッ……」
女が悔し気に舌打ちする。チャールズはそちらに目を向けると鼻で笑った。
「ゴーレム風情が今更感情を持った振りかよ。どれだけ人の振りをしたところでお前はただの出来損ないだ。そんなんだからジェファーソンに処分されそうになるんだ」
「チャールズ!」
パトリシアがきつくたしなめる。だが、チャールズは軽く肩をすくめるだけだった。
「お前は最初から処分される運命だった。そんなお前には価値がない。だから何も話さなくて良いんだ。俺は今日から毎日ここに来るが、何も話すな。俺ももう何も聞かない。その代わり、お前達が傷付け、苦しめた人達の思いを、ここでずっとその身をもって味わい続けるが良い」
そう言うとチャールズはまた風の刃を放った。そしてそのまま元来た道を引き返していく。
「こんなのは尋問じゃない」
急いで後を追いかけてきたパトリシアがチャールズを非難する。だが、チャールズは無視した。
「確かに彼女が法によって守られることはないけれど、あなたがやっているのは捜査なんかじゃない。ただの憂さ晴らしよ」
何も言い返さないままチャールズは立体魔法陣のところまでやってくる。そして魔法陣に自身の魔力を流し込もうとした時、後ろからか細く、それでいて憎しみに満ちた声が響いた。
「待て!知っていることを話してやるぅ……!戻ってこいぃ……!!」
その声にパトリシアは思わず足を止め、急いで引き返す。女は憎々し気にパトリシアを睨みつけるが、彼女の質問には素直に答えていく。
ただ、詳細は何も聞かされていなかったらしく、判明したことは計画が成功した後は魔物領へ向かうようと指示されていたことだけだった。
女から情報を聞き出したパトリシアは、無言のまま後方でその様子を見ていたチャールズと共に外へ向かう。魔法陣をくぐり抜ける彼の後ろ姿は自分が知っていたはずのチャールズとは違う気がしてパトリシアは不安を覚えた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「そこの木の枝に気を付けろ」
「おっと」
リズの注意にグロリアは足を止める。だが、咄嗟のことにバランスを崩したせいで、結局別の枝を踏んでしまう。
ポキッ。
小気味良い乾いた音と共に、少し先の草むらから何かが飛び去っていく。木々の枝葉に隠れて見にくいが、よく目を凝らすとそれは小さな鳥だった。
「あちゃー」
「まあ、気にすんな」
気落ちするグロリアをリズはフォローする。
「だが、次からは気を付けろ。鳥を逃がしただけだと思ってるだろうが、ああいった予想外の動きに他の動物は敏感だ。警戒心が強い奴ほどこう言ったことが起こる度に姿を隠そうとするってことを忘れんな」
「……はい」
グロリアはシュンとしながらも周りに注意を払う。
気難しい性格に見えたが、リズは親切に分かりやすく説明をしてくれる。森に入ってまだそんなに時間は経ってないが、小石などを蹴飛ばさない歩き方やそこかしこに生えている植物の有用さなどを既に多く教わっている。
しばらく森の中を進んでいくとリズが足を止める。そして自分の前にいるエリカとグロリアの肩にそっと手を置いた。それに合わせて二人もそれぞれ自分の前にいるシェリルとナタリアの肩に手を触れる。
全員がそっと立ち止まったのを確認してから、リズはシェリルに小声で話し掛ける。
「シェリル。あそこにイノシシがいるのが見えてるな?」
「あ、はい!」
「今、アイツは何をしている?」
「えっと……。エサを食べてます」
「良い目だ。その調子だよ」
シェリルを褒めると、リズは小声のままで今からやることを説明し始める。
「さて、アタシ達の獲物はこの茂みの奥にいるイノシシだ。運の良いことにアイツはこっちに気付いちゃいない。更に運の良いことにアイツは腹を満たすのに夢中だ。
アイツの注意を私が惹くから、グロリアが足止めをしろ。動きが止まったらナタリアは首元を狙え。シェリルはナタリアが仕留めそこなった時の為に少し離れていろ。絶対に二人がかりで攻撃しようとするな。同士討ちの危険があるからな」
「すみません。私はどうすれば良いですか?」
「エリカには周りの警戒を頼むよ。いざという時はアタシがアイツを仕留めるが、その間に新手が出てくるかもしれないからな」
リズの信頼は嬉しいが、メインディッシュをお預けになった気分がしてエリカはこっそりと頬を膨らませる。
リズは足元にある小石を手に取ると、軽く握りしめる。そして何かをブツブツと唱えると真正面の茂みに向かって放り投げた。
「ブモッ!!」
大きな鳴き声が聞こえたと思うと、目の前の茂みがガサガサと音を立てる。そしてそこからイノシシが飛び出してきた。
「今だ!」
「サンドウォール!」
リズの合図と共にグロリアが土魔術を発動する。怒り狂うイノシシの前方に大きな土壁が現れ、イノシシはそこに衝突する。
その衝撃でひるんだイノシシの首元にナタリアがショートソードを突き付ける。血が噴き出すものの思いのほか肉が硬いのか、その刃先は首を貫き通すことができなかった。
「ナタリア、剣を手放せ!シェリルも一旦下がれ!」
リズの注意に従ってナタリアは剣から手を離す。攻撃しようとしていたシェリルも後ろに下がった。痛みに荒れ狂うイノシシは先程まで二人がいたところも含めて暴れ回り、地面のそこかしこがへこみ、木々がえぐれた。
その様子を見ながらもエリカは、イノシシの血の匂いにつられてやって来た動物達に風で作った壁を放って牽制する。
「ウィンドカッター」
リズが冷静に風の刃を放ち、イノシシの首を地面に落とす。大きな音と共にイノシシの巨体が地面に沈むが、その身体はしばらくの間痙攣していた。
「うひゃー」
ナタリアがショートソードを拾い上げる。その刀身は血に濡れていた。
「ナタリア。そいつを洗い流せ。他の連中が寄ってくる」
「あ、はい」
ナタリアはすぐに魔法で水を生み出し、刀身を清めた。
リズは魔法で地面を軽くえぐると、別の魔法でイノシシの身体を宙に浮かせる。くぼみにイノシシの血が溜まっていくのを見ながらリズは話す。
「この血抜きを怠るんじゃない。こうしないと他の動物を引き寄せちまうし、持ちも悪くなる。
後、獲物はこうやって風魔法で運ぶのが基本だからその間は魔術師の手がふさがることを忘れんな」
段々と立ち込める独特の臭いにグロリアの顔色が悪くなる。ナタリアがそっと彼女の近くに進み、その背中を優しくなでる。
「ナタリア。ちょっとそこら辺にくぼみを作ってやんな」
先程のリズのようにナタリアが地面にくぼみを作ると、いよいよ耐え切れなくなったグロリアがそこに胃の中身をぶちまけた。
「無理すんな。それで当たり前なんだから」
なおも胃の中身を空にし続けるグロリアにリズは苦笑いを浮かべているが、その表情は優し気だった。
「ナタリアは分かるが、シェリルも平気なんだな」
「小さい頃から狩りをしてたんで……」
「そうか」
言葉少なく答えるシェリルの表情から何かを察したのか、リズはそれ以上何も聞かなかった。
代わりにリズはエリカを見やる。
「それにしても無詠唱かよ。エリカ。アンタの魔術は大したもんだ」
「ありがとうございます」
「え、何かあったんですか?」
「コイツの血の匂いにつられて他の動物達が忍び寄って来ていたのさ。それをエリカが風魔術で遠ざけていたんだ」
「道理で静かだったわけだ」
「うん」
リズの説明にナタリアとシェリルは頷いた。狩りの経験があるからこそ、他の動物達が寄ってこないことに違和感を覚えていたらしい。
「さて、そろそろだな」
リズがつぶやく。しばらくするとイノシシの身体から血が垂れなくなったので、リズは血だまりを埋め戻した。その後で風を起こし、辺りの空気を換気する。血生臭さが少しずつ薄れていくのを確認すると、リズはグロリアを見やった。
「どうだい、グロリア。少しは楽になったかい?」
「はい……。すみません……」
「謝るな。そんな必要はないよ。こういうのは慣れるまでちょいとばかり時間がかかるもんなんだ」
そう言うとリズはグロリアの前に広がるくぼみも埋め戻した。
エリカ達が村に戻ると、グロリアのように顔色の悪いクラスメイトが多かった。中には、光景を思い出したのか、口元を手で押さえながら慌てて少し離れたところにある茂みへ駆け出す者もいる。
でも、この反応が普通なのだろうとエリカはぼんやりと考える。だからこそ、自分が余りショックを受けていなかった事実がじんわりとのしかかってきていた。




