十六 近衛兵としての誇り
大広間で落ち着かない時間を過ごしていたエリカは、扉の外が慌ただしいことに気付いた。
周りにいた数人と共に、何事かと警戒していると扉が大きく開け放たれた。
「国王陛下……」
その場にいた全員が最上級の礼を取る。だが、国王は気にも留めず大広間を進んでいく。国王の傍らには副団長のウォレスがいるが、彼の指揮する近衛兵達がいつになく多いことにエリカは嫌な予感を覚えた。
「ローリー団長はどこにいる?」
国王の静かな問い掛けに、番をしていた近衛兵がびくりと身体を震わせる。
「はっ。今は休息を取られているので詰所か向かいの待機場所かと」
国王が頷くと、二人の近衛兵が駆けだした。恐らく確認に向かったのだろう。
「何事だろうか?」
「どうしたのかしらね……」
大広間のあちらこちらでそのような小声のやり取りが交わされる。その中でエリカは何となく伯爵夫人の仕業だと考えていた。先程見かけた、貴族らしからぬ乱れた服装に薄汚れた状態のまま王城内を進む姿が今回のこの件と無関係だとは思えない。
その時、大広間の外がにわかに騒がしくなり始め、近衛兵達が国王を守るように取り囲んだ。
次の瞬間、扉が勢いよく開け放たれたかと思うと、外を固めていたであろう近衛兵がなだれ込むように倒れてきた。しかし、彼らと共に入ってきたその女性だけは倒れることなく踏みとどまると、あらん限りの大声で叫んだ。
「お逃げください、国王陛下!!」
ジーナだった。彼女が着こんでいる鎧には大きなへこみや深い切り傷がそこかしこに見受けられる。右手に握り締めた剣は先端が欠け、ひびが入っている箇所もあった。鎧だけでなく身体にもダメージを負っているのか、左腕は不自然に垂れ下がっており、左足も引きずっていた。
一目見ただけで激しい戦闘から辛くも生き延びたことが分かる状態なのに、近衛兵達は誰一人としてジーナの手当てに向かわなかった。痛々しい姿のまま、ジーナは国王の元へ一歩ずつ向かう。
思わず彼女の元に向かおうとするエリカだったが、その肩を掴んで引き留める者がいた。
「ダメよ、エリカさん。彼女は反逆者なんですから」
伯爵夫人がいつになく厳しい顔つきで背後に立っていた。両親も自分の元にやってくるのが分かったので、エリカは一切抵抗せずその場を動こうとしなかった。
その代わりに、ジーナにこれ程の怪我を負わせた存在が近くにいないか注視することにした。ジーナが必死に警告したのだ。危機は目前に迫っている。
近衛兵達に守られながら国王がジーナに歩み寄る。大広間の細長いテーブルの真ん中辺りで合流できそうなのに、ジーナとの距離は遠いように目に映る。
「逃げる?それはそなたからか?」
国王の鋭いまなざしを真正面から受け止めながらもジーナは歩みを止めなかった。そして国王の周りにいる近衛兵達を見やる。
「いえ、彼らからです」
そう言うや否やジーナは、ぼろぼろの身体とは思えない程の速さで一気に距離を詰めると、護衛する近衛兵達に剣を振るう。
「なっ……!」
しかしその剣先は彼らに届かなかった。ジーナの隣から突如現れた女性が彼女の右腕をしっかりと掴んでいた。そしてそのまま負傷している左足の膝の後ろに蹴りを繰り出し、地面にひざまずかせた。
「ジーナ・ローリー。国王陛下への反逆罪で逮捕する」
ジーナの手から剣を離させ、腹ばいにさせる女性に国王が声を掛けた。
「さすがだ、スペンサー本部長」
ゾーイ・スペンサーRCIS本部長はジーナに杖を振るう。複数の植物のツタが現れ、彼女は瞬く間に簀巻きの状態にされる。
「国王陛下。これよりこの者を営倉へ移送します」
「ああ、頼んだ」
「国王陛下。念の為、こちらへお下がりください」
ウォレス副団長が国王を後ろ手にかばいながら、ジーナから遠ざける。その時、ジーナと国王の間にいた近衛兵が剣に手を伸ばした。
それは実に自然な仕草だったが、ウォレスの警戒心を上昇させるには充分だった。
「注意しろ、ゾーイ!」
ウォレスは素早く抜刀すると油断なく構える。この異常事態に大広間の中は騒然とした空気に包まれたが、エリカは近衛兵達の動きを注視していた。
一部の近衛兵達はまるで示し合わせたかのように剣を抜くと、突然のことに驚き、動けずにいる他の近衛兵達を斬り伏せ、国王に襲いかかった。
「どういうこと!?」
戸惑いを隠せずにいるものの、自分に一番近いところにいる近衛兵に杖を振るいながらゾーイが叫ぶ。
「私に分かる訳がないだろう!だが、団長は正しかった!」
一人で三人の近衛兵を相手にしながらウォレスも叫び返す。
「国王陛下をお守りするぞ!」
この状況に真っ先に反応したのはアルフレッドだった。その声にコーナー男爵を初め、叙勲者やその家族達が援護しようと動き出す。
「おっと、邪魔立てしないように」
悠然と大広間に入ってきた二人の男がアルフレッド達を襲撃する。彼らの背後では薄緑色の煙が立ち込めていた。
「ジェファーソンとマディソン!」
伯爵夫人は吐き捨てるように言うと、風魔術を放つ。無数の風の刃が二人に襲いかかるが、マディソンが杖を軽く振ると途端にそれらは掻き消えた。
「ほう。少しは使える奴がいるのか。中々面白いではないか」
マディソンがニヤリと笑みを浮かべる。そして高威力の水魔術を上空に放った。途端に大広間へ叩きつけるような大きな水滴が降り注いだ。
「いかん!」
コーナー男爵が結界魔法で大広間を包み込む。間一髪、水滴が人々に直撃することはまぬがれたが、防ぎきれなかったところでは水滴がテーブルや椅子に大きな穴を空けていた。
「何なんだ、この威力は……」
呆然とする人々を尻目に伯爵夫人が前に躍り出る。
「ほう、一人で私達を相手取ろうとするか。全く傲慢な。これだから長命種は好きになれん」
「別にあなたに好かれたくないので」
やれやれと肩をすくめるジェファーソンに伯爵夫人が槍を放つ。動じることなく盾を生み出してそれを防ぐと愉快そうに笑い飛ばす。
「錬金術も使えるとは!面白いやつだ」
「それに一人じゃないわ」
「ん?」
次の瞬間、何もないところから腕だけが現れ、ジェファーソンを殴りつけた。その威力はすさまじく、結界を貫いて壁に激突させる程のものだった。
「チッ。貴様か……」
マディソンが睨みつける。その先にはオズワルドが立っていた。
「また相手になろう」
一気に戦況が優勢になったことを悟ったコーナー男爵が国王の救援に向かう。副団長とゾーイはよく国王を守り抜いていたが二人とも満身創痍で、国王自身も剣を振るっていた。
「援護します!」
コーナー男爵が振り抜いた剣は、しかし近衛兵達に届かない。
「結界!?」
近衛兵達は自身に結界魔法をかけていた。攻撃をものともせず国王に襲いかかるその目に理性はもはやない。
「貴様ら、それでも近衛兵か!」
拘束されているジーナが足元から叫ぶが、その声は決して届かない。だが、このまま戦闘が続けば国王を含めた四人はジリ貧で倒れてしまう。向こうではジェファーソンが復帰しており、これ以上の増援は見込めそうにない。
ジーナは意を決すると簀巻き状態のまま転がり始めた。
「ぐっ!」
近衛兵が転がってくるジーナを乱暴に蹴りつける。そのダメージは傷付いた体には響いたが、ウォレス達の反撃の隙を作ることに成功した。
「感謝します、団長!」
ウォレスがその近衛兵を剣の腹で昏倒させながら言う。だが、近衛兵の数は多く、そのいずれもが何らかの強化を受けているのか、戦況は依然として襲撃者達に傾いている。
ジーナが再び近衛兵に決死の一撃を加えようと身をよじった時、彼女の両足を掴む手が現れ、テーブルの下へ引きずり込んだ。
「な、何!?」
「私よ」
驚くジーナは必死に抵抗しようとするが、優しくなだめるエリカの声に動きを止める。
エリカはジーナの拘束魔法を何とか解除する。オズワルドとの訓練程ではないが、かなり骨の折れる作業だった。
「ここからなら背後をつけるわ。ありがとう」
「私もできるだけ援護する」
そう言い残すとエリカは左側に這い進んでいく。それを見送るとジーナは深呼吸をしてテーブルから飛び出した。
「目を覚ませ、大馬鹿者!」
叫びながらジーナは目の前の近衛兵に低い姿勢でタックルを仕掛ける。倒れた近衛兵から剣を奪い取ると、すぐに他の近衛兵へ攻撃する。
鍔迫り合いになると勝ち目はない。彼女の身体は地下道での攻防でズタボロになっていた。鎧に仕込んである魔法陣の内、機能するものはほとんどなかったが、それをフル活用してジーナはようやく立って、剣を振るうことができている。
「あなた!」
「罰なら後で受けます!」
驚くゾーイに怒鳴り返すと、ジーナは二人目に当て身を喰らわせて倒した。
背後をつかれた近衛兵達だが、すぐに三人が飛び出しジーナに襲いかかる。三方向からの異なる斬撃に対処する余裕は今の自分にはない。それでも致命傷だけは何とか避けて最後まで食らいつこうと決心する。
その時、彼らが両膝をついた。
「こっちよ!」
エリカが大声で叫びながら、土魔術で生み出した大きな石くれを膝の裏側にぶつけていた。
ジーナはすぐに体勢を立て直すと、膝をつく近衛兵達の首元に一撃を喰らわせて昏倒させる。
そしてジーナは倒れた。
エリカの援護は充分だったが、それでもわずかに足りなかった。致命傷でなかったはずの右胸への斬撃がジーナの身体に届いていた。
崩れ落ちながらジーナは、自身の鎧の耐久力が落ちていたことに思い至った。地下道での攻防だけでなくゾーイの拘束魔法にもよって、彼女の鎧はもはやその役割を十分に果たし切れない状態にまで陥っていた。
薄れゆく意識の中、ジーナの心の中にあったのは後悔の念とほんの少しの贖罪の念だった。
「ジーナ!」
誰よりも早く叫んだのは国王だった。思わず駆け出そうとする国王のその隙を狙った一撃が左側から繰り出される。剣で防ぐことはまず不可能な見事な一撃だった。
「邪魔立てするな!」
だが、国王はその剣を左手の籠手で受け止めると、そこに仕込んである魔法陣を起動して文字通り相手を吹き飛ばした。
「国王陛下!今は危険です!」
ゾーイが国王を必死の思いで呼び止める。確かに近衛兵はまだ四人残っている。今やゾーイもウォレスも肩で大きく息をしており、満足に身体を動かせない状態になっていた。
それも仕方ないことである。ウォレスは自分とジーナが鍛え上げた精鋭達と戦わねばならず、ゾーイもコーナー男爵も国王がすぐそばにいる状況で高威力の魔術を振るうことはできなかった。加えて、今襲いかかっている近衛兵達は服従の呪文で操られているだけに過ぎない。本人の意思でもないのにむやみやたらに斬り捨てる訳にはいかなかった。
そのような状況下でも国王はジーナの元に駆け寄った。そして彼女の身体を抱きかかえると叫ぶように言う。
「死んではなりません!あなたがいなければこの国はどうなるのですか!」
だが、ジーナは何の反応も示さなかった。
「蒸気機関を共に広めるのではなかったのですか?あなたが見つけたものはこの国を飛躍させます。それを共に見届けてくれるのではなかったのですか!?」
その時、ウォレスとゾーイの防御態勢をくぐり抜けて、近衛兵の剣先が国王に迫る。それは相手を殺すことをいとわない、勢いのある刺突だった。
「国王陛下!」
ウォレスが叫ぶ。その瞬間、ジーナが国王を右腕で払いのけた。その刺突は対象を失ったまま、しかしその直線上にいたジーナの腹部を刺し貫いた。
「ぐあっ!」
苦痛に顔を歪ませるジーナだったが、もはや満足に動かない左手も使ってその剣を掴み、決して離そうとしなかった。
剣を抜こうとするがジーナの強固な意志に阻まれていた。そこに追い着いたのはウォレスでもなくゾーイでもなく、エリカだった。
エリカは水球を生み出すと、近衛兵の頭にかぶせる。息ができなくなってもがき苦しむ近衛兵はたまらずその手を剣から離した。その瞬間、エリカは風魔術を放つ。圧縮された空気の塊が腹に直撃し、近衛兵は昏倒した。
「団長!」
残る三人を何とか制圧したウォレス達が走り寄る。だが、ジーナは口から血を吐きつつも、国王の方を見る。
「国王陛下は……、ご、ご無事?」
「ええ。ご無事よ」
国王の様子を見ていたゾーイが頷く。するとジーナはホッとした表情を浮かべてそのまま後ろに倒れ込んだ。
「ジーナ!」
エリカは急いで処置にあたる。といってもテレビやネットで気軽に調べられる程度の医療知識しかないエリカにとって、目の前の深く傷付いた彼女を助けることはかなりの困難を伴うものだった。
(治れ!)
エリカは強く念じながら治癒魔法をかけていく。デーモンスパイダーと戦った兵士達はこれ以上の傷を負っていることもあったが無事に治療できた。なので、できなくないはずなのに、緊張は強まるばかりだった。
何とか治癒魔法をかけ終えたエリカが顔を上げると、マディソンと呼ばれていた魔術師が高威力の魔術をこちらに放ってくるのが目に見えた。
コーナー男爵が急いで結界魔法を唱えるが、できたばかりの結界を軽く突き破るとエリカ達に襲いかかる。
伯爵夫人やオズワルド、両親達が絶望の悲鳴を上げたのをエリカは耳にする、その瞬間、大きな爆発が起きた。




