十三 裏で糸を引くのは
ふと、目が開く。
視界がぼんやりとしているが、そこは間違いなく王城の中の手洗いの一つだった。
「気が付いたかしら?」
ハッと身体を動かして、反射的に声から距離を取る。だが、その正体がエリカだと気付いてジーナは安心した。
「脅かさないでよ……」
「しっかりして頂戴。そろそろ大広間に戻らないといけないでしょう?」
そこまで聞いたジーナは段々と記憶が呼び起こされるのを感じ取っていた。
「確か、私はあのドラゴンに服従の呪文をかけられて……」
「ドラゴンではなくてエンシェントドラゴンです。先生の前で同じことを言えば今度こそどうなることか分かりませんわ」
その注意にジーナは恐怖する。あの殺気はもう二度と味わいたくなかった。そんな彼女にエリカは事務的に話していく。
「とりあえずあなたは職務に戻れますけど、周りには私達がおります。もしあなたが妙な動きをすればその時は容赦しません」
話しながらもエリカは両手をせわしなく動かして、このやり取りが盗聴されている可能性を告げる。
「ご温情、痛み入ります」
そう答えつつジーナは肩を落とした。
エリカはジーナを気遣うように見やるが、すぐに手を差し出して先に手洗いを出るように促した。
大広間に戻ると、アルフレッドとアステリアが鋭い視線を向けてきた。特にアステリアの表情は扇子越しでも分かるくらいに怒りに満ちており、ジーナは気まずさの余り視線を逸らすしかなかった。
近衛兵の一人が不審そうな表情を浮かべてジーナ達に近付いてくる。
「団長。何かありましたか?所定時間を過ぎておりますが」
「大事ない」
「あら、申し訳ございません。わたくしが臥せっておりましたのをローリー団長はずっと付き添ってくださっていたのです」
そう言われると近衛兵も何も言えない。むしろ顔を赤らめてお詫びを伝えると、そそくさと自身の業務に戻っていった。
その様子に、今のはちょっとぶしつけ過ぎたとエリカは反省する。言ってみれば、トイレにずっとこもっていたと貴族のうら若き乙女が口にしたのである。聞いた方は気まずい思いをするに決まっていた。
エリカは両親のそばに戻る。だが、二人はエリカの方を見ようともしなかった。とはいえ、自分が二人を怒らせることをしたのは事実なのでエリカはしおらしくその場に留まっていた。
「スタンフォード卿。少し宜しいですかな?」
ありがたいことに受勲者の一人がアルフレッドに話し掛けてきたので、エリカは自然とその場を離れることができた。だが、その先にアステリアもついてきたので気まずさは残る。
「早くこの事態が収まると良いですわね」
「……ええ、そうね」
無視されたと思うくらいの間を空けてから、アステリアが静かに答える。だが、それ以上の会話は起こらなかった。
仕方ないのでエリカは意味もなく窓の外をボーっと見つめる。そしてこの気まずさが一瞬でも忘れられるような出来事が起こってくれないかと願うしかなかった。
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コーンウェル伯爵夫人は静まり返った王都の中を一人歩いて行く。聞こえてくる音はほとんどなく、たまにRCISの警官達が対象の捜索に駆けずり回っているのが聞こえるくらいだ。
今も伯爵夫人の左側を警官達が走り抜けていく。だが、彼らには彼女の姿は見えていない。不可視の呪文は遺憾なくその効果を発揮していた。
学院通りの近くに差し掛かった時、彼女の元に一羽のコウモリがどこからともなくやってきた。コウモリは姿が見えない自身の主の居場所を正確に捉えると、差し出されている左腕にぶら下がって羽を休めた。
伯爵夫人は右手の人差し指をコウモリの口元に運ぶ。コウモリは指先に噛みつくと吸血を始めた。
「なるほどね。そんなところに」
血を吸わせる代わりにコウモリがその目で見た景色の記憶を読み取っていく。ジーナが用意した刺客達は旧訓練場に集まっていた。兵士の鍛錬の場だっただけに王城からも程近く、五分も歩けば到達できる距離だった。
しかし、不思議なことにそこには飛行船もあった。その数は四隻で、その内の一隻に負傷者達が運ばれていく。彼らを運んでいるのは、臨時医療拠点となっている王立バンクロフト学院内の医療センターのスタッフと一部のRCISの警官達、そしてボランティア達だった。その中に交じって刺客達もあくせくと負傷者達の搬送を手伝っている。
この奇妙な光景に、伯爵夫人は一瞬ジーナが嘘をついていたと怪しんだが、オズワルドが彼女の話を調べたことを思い出してすぐにその疑念を打ち消した。だが、それにしては飛行船計画と刺客達の存在が余りにも綺麗に噛み合っていた。
伯爵夫人は偶然を信じない。そして余りにも整合性がとれたものも信じなかった。
更に多くの血を分け与え、コウモリが見てきた記憶をもっと深く辿っていく。しばらくすると、流れてくる記憶の中に見覚えのある男の顔が現れた。
男の顔をどこで見たか思い出せないのを歯痒く思いながらも、彼女はその光景を眺めていく。男は刺客達と何か話していたが、得られる記憶は視覚情報のみなのでその内容までは判別がつかない。ただ、話が終わった後に負傷者の搬送が始まったことに伯爵夫人は言いようのない危機感を覚えた。
どうやら予想以上に事態は切迫しているようだ。搬送の手伝いとして飛行船を利用し、何かを企んでいるのかも知れない。
伯爵夫人は周辺を飛んでいた他のコウモリ達を呼び寄せると、オズワルド達に伝令として向かわせる準備に入る。それと同時に今、血を吸わせているコウモリを再び放つと、旧訓練場の偵察に向かわせた。
「それにしてもあの男。どこかで見たことがあるんだけど……」
そう呟きながらも伯爵夫人は伝令役のコウモリ達を空へと放った。コウモリ達は途中まで一緒に飛んでいくが、しばらくすると思い思いの場所へと向かっていく。
その光景を眺めつつ伯爵夫人も旧訓練場へと向かおうとするが、西の空に赤い光が上がるのを見て足を止めた。
「こっちの事態はようやく落ち着きそうね」
馬車かと思う程のスピードで現場へと向かう特殊戦術部隊の姿を後ろ手に見やりつつも、伯爵夫人は再び歩き始める。
カギを握っているのはその男であることは間違いない。問題は、その男のことをどうしても思い出せないことだった。
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旧訓練場の出入口は負傷者と医療スタッフ達でごった返している。
彼らの邪魔にならないように、少し離れたところにある路地の一つに伯爵夫人は身を潜めていた。だが、コウモリ達による監視は続いており、間断なく内部の状況が届けられている。
しばらくすると風がふわりと舞い起こり、自分の背後に一つの気配が現れたのを伯爵夫人は察した。不可視の呪文をいとも容易く見破るのは一人しか思い浮かばない。
「お疲れ様。大変だったろう」
オズワルドの声が耳元で聞こえてくる。久々の感触に昔を思い出し、つい彼女は頬を赤らめてしまう。
「これを食べると良い。大したものじゃないが、足しにはなるだろう」
オズワルドが差し出した包みを受け取る。中身は生ハムをマスタードソースに絡めたサンドウィッチと非常にシンプルなものだったが、それが彼女の大好物であることを知っているのは、今ではほんの一握りしかいなかった。
「ありがとう。遠慮なく頂くわ」
そう言うと彼女はかぶりついた。およそ貴族には似つかわしくない一口の大きさだが、オズワルドは何も言わなかった。貴族の地位を得る前の彼女のことを知る身としては、ルーシー・コーンウェル伯爵夫人の姿ではなく、小さな村のうら若き少女の一人に過ぎなかったルーシーの姿が馴染み深い。
「リチャードは来るかしら?」
「さあ、どうだろうか。王女が気落ちしている今、彼女のそばを離れないんじゃないか?」
ルーシーの問いかけにオズワルドは苦笑いを浮かべる。そう答えながらも、まず間違いなくバンクロフトはこの場に現れないという確信があったからだ。
それはルーシーも同じらしく、あっという間にサンドウィッチを食べ終えると軽く両手を擦り合わせてパンくずを払い落した。
「なら、久し振りに二人で行きましょうか」
「良いね。リードはお願いしようか」
「えー。全然紳士らしくない」
くっくっくっと忍び笑いをもらすと、オズワルドは肩をすくめる。
「そうしたいのはやまやまなんだが、あの中の情報に詳しいのは君だからね」
オズワルドの透き通った瞳の中を覗き込みながら、ルーシーは自分が吸血鬼になることを決めた日のことを思い返していた。
オズワルドが左手を差し出す。その手を取りたい思いに後ろ髪を引かれながらもルーシーは旧訓練場へ向かう。
多くの人々の間をすり抜けながら、ルーシーはコウモリ達から得ている情報と照らし合わせて旧訓練場内部の地図を頭の中に浮かべていく。
「搬送が終わるまで後どれくらいかかる?」
「誰か手を貸してくれ!」
「本当に速く着くのか?」
「押さないで!落ち着いて、順番を守ってください!」
様々なやり取りを敢えて聞き流し、ルーシーは男がいたところへと少しずつ、だが確実に近付いていく。
「さあ、もう大丈夫だ。安心して」
手を尽くす医療スタッフ達から更に離れたところにその男はいた。彼は居並ぶ飛行船の一つをいつくしむように撫でながら、うっとりとした表情を浮かべていた。
その男に近付こうとしたルーシーのすぐ後ろから別の男の声がした。
「おい、ジェファーソン。いつまでそこで油を売っているんだ?早く飛行船を飛ばせ」
ルーシーはできるだけ静かに、それでいて迅速に、右側にある荷物の数々に身を寄せて男をやり過ごした。
幸いなことに、男は目の前でルーシーが慌てて隠れたことに一切気付いておらず、のんびりとした足取りで飛行船の方へと歩いて行く。だが、その男に対するルーシーの脅威評価は最高レベルに達した。
不思議なことに、ルーシーは男が声を上げるまでその存在に気付かなかった。それ程までに気配を殺せる存在をルーシーは知らなかった。
「全く……。君には情緒というものがないのか?今からこの子達を送り出すというのに」
ジェファーソンと呼ばれた男が不機嫌さを隠しもしないで答える。
「では、君には知性というものがないのだろう。飛行船は子供ではない。所詮はモノに過ぎないのだよ」
「地獄に落ちるがいい、マディソン」
「それはお互い様というものだよ、ジェファーソン」
剣呑なやり取りを聞きながらも、ルーシーは中々思い出せなかった男の正体をようやく思い出す。
「クリス・ジェファーソン……。どうしてここに……」
ルーシーは愕然とする。彼は隣国のガーネット王国の優秀な錬金術師だったが、人の心を理解することを極度に嫌い、ともすればもてあそぼうとする為、人望も名声も得られることなく、事実上の隠遁生活を送っているはずだった。
だが、それは百年前の話である。吸血鬼でもドラゴンでも他の長命種ですらない、普通のヒトが何故、当時からそれ程姿を変えることもないままにこの時代にいるのだろうか。
「ここにいたんだね。刺客達だが……」
不可視の呪文で姿をくらませたオズワルドがルーシーの元にやって来て、状況を整理しようとするが彼女が無言なことに気付き、二人の男に注意を払う。
「おやおや。どうして悪名高き錬金術師と愚かな魔術師が揃いも揃ってこんなところにいるのかな?」
「え、二人を知ってるの!?」
「ああ。以前、ジェファーソンの研究結果を聞く機会があったが、始まって数分で席を立ったよ。とにかく傲慢だが、それ以上に自分以外の存在を何とも思っていない。あれは人を不快にさせる天才だね。
もう一人はブライアン・マディソン。私がエンシェントドラゴンと分かるや否や杖を振るってきた大馬鹿者だ。それも自身の魔術の腕を試してみたいという身勝手な理由でね。懲らしめたつもりだったんだが、どうやら充分ではなかったらしい」
姿こそ見えないものの、その声からオズワルドが怒りを覚えているのは充分過ぎるほどに理解できた。
「でもね。もう一人は知らないけどジェファーソンはとっくに死んでるはずなのよ。だって私が彼を見かけたのは百年前のことなのよ?」
「それはおかしい。我々でもないのにそれ程の年月を生きられるはずがない」
「何だか嫌な予感がするわ。今回の件はかなり根深そう」
ルーシーの呟きにオズワルドは無言で答える他なかった。




