十一 遭遇
チャールズ・ベイトソン特別捜査官は二人の警官と共に王都を巡回していた。だが、仮に街中を歩いている人がいれば、彼らの姿は犯罪者を移送する二人の警官として捉えられていただろう。
ぼさぼさ頭のチャールズはネクタイを外し、シャツも第二ボタンまで開けている。そこから見え隠れする豊かな胸毛は、パートナーが長らくいないジェーン・ヒギンズ巡査部長には刺激が強過ぎるようで、彼女は二人より心持ち前を歩いていた。
彼女のその行動の意味が分かるジョー・スミス巡査は張り合いたかったが、まさか制服を着崩す訳にもいかず、小さな嫉妬の炎をきらめかせるしかなかった。
その光景は非常に奇妙なもので、彼らと出くわした他の巡回中の警官達は全員、もの言いたげな表情でチャールズを見ていた。しかしチャールズはどこ吹く風といった様子で、手櫛で乱暴に髪をすいてばかりだった。
そんな彼にいよいよ我慢できなくなったジェーンが、慎重に言葉を選びながらたしなめる。
「ベイトソン特別捜査官。暑いのは分かりますが、さすがにその格好は周りの目を惹き過ぎます」
「そんなものは放っておけばいい」
チャールズは意に介さなかった。それどころかジャケットを脱ぐと、皺も気にせず自身の左肩にかけた。
言葉を失うジェーンにジョーは呆れ返った様子で目をぐるりと回してみせたが、それに気付いていたのかチャールズは彼をちらりと見やった。
「スミス巡査。君も彼女と同意見のようだ」
「いえ、そんなことは……」
突然の矛先にジョーはうろたえるが、チャールズは快活に笑い飛ばすと二人を交互に見た。
「どうやら二人とも、俺のことをだらしがなく職務に忠実でない男だと勘違いしているようだが、そう見えているなら成功だ」
「え?」
驚いてジェーンが聞き返す。
チャールズは、今度はシャツの袖のボタンを外している。左手首の方は外しにくいらしく、何度も右指がせわしなくボタンの辺りを行き来していた。
「他の警官達もそうだが、あらゆる通りを歩いて建物を片っ端から捜索すれば連中が見つかると思い込んでいる。それは間違いだ。
戒厳令が発令されたことは王都中が知っている。その中には実行犯もいる訳だが、わざわざ警官の目に触れそうなところに隠れていると思うか?」
「いえ」
「その通り。というわけで捜査官に見えない格好をしようと努力している訳だ。さて、俺は今から近くのスラム街を中心に回るから、二人はその外周を頼んだ。もしイタチが飛び出したらすぐに応援を呼べよ」
「ちょっと待ってください。どうしてスラム街に一人で?」
「あそこにいる連中は皆、警官が嫌いで信用もしていないからさ。戒厳令も意味はない。警官達に踏み込ませるくらいなら、自分達の手で何とかしてやろうってのが彼らの気概さ。
それに警官達はスラム街の地理に疎い。どの通りと路地がつながっているかは分かっていても、廃屋とバーの裏手が地下でつながっていることは知らないんだ。中にはスラム街の住人からも忘れられた場所や隠し通路もある」
二人ともチャールズの話を聞くにつれて、軽蔑から尊敬の表情へと変わっていく。その様子が面白い一方で、その素直さにチャールズは感心していた。正しいことを教わっていても反感を抱いていた、跳ね返りの当時の自分とは全然違う。
チャールズは最後にもう一度だけ手はずを確認すると、最初のスラム街へと踏み込んでいく。
スラム街と聞くと汚らしいイメージがあるが、中は意外とそうでもない。石畳の地面とは違うが、長年踏み固められた地面は歩きやすく、ゴミも分別された上で所定の場所に纏められている。
チャールズはスラム街の空気感が好きだった。ここには見栄もなければ理不尽もない。あるのは団結心だけだ。この小さな、それでいて複雑なコミュニティを何が何でも守り抜くという強い意志で住人達は結びついている。
しばらく歩いたチャールズは目に留まったバーへ足を踏み入れる。
さすがスラム街で、戒厳令が発令されているにも関わらず、バーの中には数人の客がいた。彼らが飲んでいるのは中々お目にかかれないくらいの粗悪品だが、停職処分を受けてすぐの頃は驚くほど安い酒を愛していたので、妙な懐かしさを覚えてしまう。
カウンター席に座ったチャールズは先客達と同じものを注文する。バーテンダーはうろんな目付きでチャールズを見ていたが、料金をカウンターに置くとしっかりと酒を出してくれた。
「……」
喉を流れていく液体の熱さにチャールズは顔をしかめるが、すぐに身体の芯から温まっていくものを感じて、思わず笑みをこぼす。
その様子を見ていた客の一人は無遠慮にチャールズを見続ける。その視線をあえて無視してチャールズはもう一口、度数だけ高い安酒を味わった。
「なあ、あんた。この辺りのじゃねえだろ?何の用だ?」
「ちょっと探し物があってな」
話しかけてきた客を初めとして店内にいる全員に、チャールズはRCISのバッジを見せつけた。
「ふん。警官か」
さっき声をかけてきたのとはまた別の客があざけるように言う。
「警官じゃない。特別捜査官だ」
チャールズはギロリとその客を睨みつけた。その勢いに圧倒されて大人しくなったのを見たチャールズは、グラスの残りを飲み干すと席を立つ。
「今逃げている連中はかなり危険だ。もし見かけたら自分達で何とかしようとせず、すぐに俺たちを呼んでくれ」
それだけ言うとチャールズは店を出ていこうとする。その背中を誰かが呼び止めた。
「なあ、あんた。昔、教会の炊き出しにいただろ?あんたと相棒の嬢ちゃんのおかげでこの辺りの子供達が悪さをしなくなった。礼を言うぜ」
懐かしい話だとチャールズは目を細める。パトリシアとコンビを組むようになって約二ヵ月が経った頃、彼女が取り組んでいた慈善活動に自分も参加するようになった。その時の温かく楽しい時間をつかの間思い出す。
「嬢ちゃんは元気にしてるのかい?」
「さあ」
男の声にチャールズは振り返らず、ただ一言だけ告げた。
その後も三人は王都に点在するスラム街を回っていったが、有力な目撃情報もないままに時間が過ぎていく。
日差しは真上からかなり動いていたものの、まだまだ地上を暖めることに精力的で、警官達の体力を容赦なく奪っていった。
「暑いですね……」
思わず弱音を吐いたジョーは急いで口をつぐむが、隣にいるジェーンの表情も苦悶に満ちていた。
担当エリアの中で最後のスラム街が眼前に迫る。といっても、その一つ一つが小さな規模で位置関係も余り離れておらず、さっきまで回っていたスラム街と目と鼻の先の距離だった。
「ベイトソン特別捜査官。万が一、あそこも空振りだったら次はどちらへ?」
「その時はどこかで赤い光が上がるのを待つだけさ」
そう答えるチャールズの首周りは大量の汗で濡れている。それを乱暴に腕で拭くと、チャールズは苛立たし気に舌打ちした。
戒厳令が出ている状況下で彼らが隠れるとすれば、警官の目が行き届かないスラム街しかない。どこかの家に押し入って立てこもっている可能性も捨てきれないが、誰にも気付かれないままこれ程の事態を引き起こした相手がそのような破れかぶれの手段を取るとは思えなかった。
だからこそ苛立ちを隠せない。恐らく、他のエリアではスラム街の捜索まで行っている捜査官や警官はいないだろう。
パトリシアがいればと思いかけて、チャールズは首を振ってその雑念を追い払う。彼女が優秀だったのは昔のことだ。
三人は最後のスラム街の入口にたどり着く。そこでチャールズは足を止めた。
二人には無気力に答えたが、最後のスラム街も空振りだった時は他のエリアもあたってみるつもりだった。ただ、最初のスラム街で飲んだ安酒の酔いも相まって喉が無性に渇いている。
先ずは喉を潤そうと水を出す為に杖を取り出した時、背後に急激に迫ってくる何か大きなものを察知して、とっさに他の二人を突き飛ばした。その勢いのまま、自分も倒れるように地面に伏せると、その上を人の頭ほどある大きさの土の塊が通り過ぎた。
「あ、アイツです!」
ジェーンが叫んだ。いきなり突き飛ばされたというのに何が起きたのかを瞬時に把握して、脅威を確認したことをチャールズは心の中で称賛した。
チャールズ達とは充分に離れていたが、それでも相手の顔を識別できる距離、すなわち、つい先程まで捜索していたスラム街の出入口に彼らはいた。
男の方は確かにホムンクルスの特徴そのままだったが、知性は伝承通りとはいかなかったのだろう。隣にいる女に厳しく注意を受けている。どうやらチャールズが杖を出したことを早とちりして攻撃してきたらしい。
「RCISだ!降伏しろ!」
無意味だと自分でも思いつつ、チャールズは降伏を呼び掛ける。当然のことながら、返事の内容は魔法攻撃だった。
「ジョー。応援を呼べ!ジェーンは俺を援護しろ!」
迫り来る魔法を撃ち落としながら、チャールズは指示を飛ばす。背後でジョーが赤い光を打ち上げるのを感じながら、こうなる前に一杯だけでも水を飲めたら良かったのにとチャールズは嘆いた。
それと同時に、自分の勘は外れていなかったことに満足もしていた。停職期間があってもブランクはない自信はあったが、目に見えた結果が出る方が良いに決まっている。
チャールズは反撃しつつ、自分の中に溢れ出てくる高揚感に身を委ねていた。
男はあらゆる種類の呪文を放ってくる。複雑な動きを見せる炎の帯が飛んできたかと思えば、小さく圧縮された水球が逃げ道を防いでくる。それらをチャールズは余裕を持って捌き、隙を見ては反撃に転じていた。
その一方で援護を命じられたジェーンは自分の身を守るので精一杯だった。応援を呼んだジョーもジェーンのサポートに回ったが、敵との実力差は明らかだった。
「くっくっく……」
女は不気味な笑い声をあげると、自身も呪文を放った。真っ先に倒せるはずの二人に対してではなく、チャールズに対して。
「舐めやがって……」
あからさまな無視による挑発にジョーが引っかかり、攻撃しようとした瞬間、女がくるりとジョーを見た。
「逃げろ!」
チャールズが叫ぶと同時に、今までとは違う赤い閃光がジョーを襲う。本能的に横へと飛び込んだことでジョーは難を逃れたが、彼を襲った赤い閃光は背後の壁をドロドロに溶かしていく。
「何なんだよ……」
「こんなの見たことがない」
余りにも衝撃的な光景に二人は言葉を失う。
「二人は今すぐここから逃げろ」
「何を!」
「いても足手まといなだけだ」
厳しい言葉に二人は顔をしかめるが、事実なだけに何も言い返せない。
チャールズとしてはこの二人を死なせたくないだけなのだが、言葉を選んでいる余裕がないほどに目の前の敵の脅威度は跳ね上がっていた。
「ジョー、特別捜査官の指示に従いましょう」
「いや、そんな訳には……」
「早く!」
ジェーンの強い言葉に気圧されて、ようやくジョーもこの場を離れる決意を固めた。
「どうかご無事で」
自分の非力さを悔やみながらもジョーはジェーンと共にこの場を離脱しようとする。そんな彼らを敵達は逃がそうとしなかった。
「そうはさせん」
チャールズが風魔術で相手を足止めする。街中で特別捜査官が使うとは思えない程の威力に相手もさすがにたじろいだ。
職務に熱心で若く有望な警官達が無事に退避したことを確認したチャールズは深呼吸すると改めて敵と対峙する。
向こうもチャールズが今までの警官達とは少し違うことをこの僅かな時間の中で実感していた。
「ぐぉぉ……」
男が鋭い牙を見せつけながらチャールズを威嚇する。それを真正面から受け止めながらも、その牙がオーガの特徴であることをチャールズは冷静に分析していた。
先程の閃光はドラゴンのような長命種がごく稀に用いる古代魔法の一種だが、それを使えるとなると長命種もこのホムンクルスを生み出す際の犠牲になっていると考えられた。
チャールズは水球を放つ。それは男に向かってまっすぐ進んでいく。男は醜悪な笑みを浮かべるとその水球に食らいつき、文字通り噛み砕いた。
「ぐぉぐぉぐぉ!」
楽しそうに男は笑う。種族の特徴としてオーガは水魔術に対する抵抗値が高い。そこに様々な種族の能力が相まって恐るべき身体能力を発揮していた。




