十 ひび割れ始めたのは
学院の図書室の三階は理事長と学院長、そして図書室長と三人の副図書室長全員の許可が下りないと立ち入ることすら許されない。ここまで厳重なのは、この図書室が王室の蔵書室も兼ねており、重要書類や機密書類、禁書などが保管されているからだとエリカは聞いていたが、理由はそれだけではなかったのだと思い知らされた。
ジーナの先導で王城から続く地下道を進んでいったエリカ達は、初めて立ち入るその部屋の景色よりも王室の秘密の一つを知ってしまったことの衝撃が大きかった。
そんな彼らを部屋の主は不機嫌そうに見つめている。
「全く、部外者を引き連れてくるとは一体何事なのかしら?どう責任を取るつもり?」
その突き刺すような視線にどぎまぎしながらもジーナは答える。
「私のしたことを告白し、償う為にです。ジェニファー殿。彼らがいる理由はもうお分かりかと」
図書室長はふんと鼻を鳴らした。その後ろではエミリーとバンクロフトがこわばった表情でエリカ達を見ていた。あの隠し通路を通った際に連絡が入る手段があるのだろう。
だが、もう一人の人物がそこにいたことをエリカは意外に思う。
「おやおや、これは中々どうして面白いことになりそうだ」
オズワルドが剣呑な表情を浮かべていた。誰よりも奥側にいるはずなのに、全身から容赦なく放たれている殺気のせいでジーナの顔色は青かった。
怪しい動きをしていると思われる張本人がエリカ達を引き連れて目の前にいるのだから仕方ないことだが、その影響はジーナだけでなく他の人達にも及んでいた。
その中でも唯一涼しい顔をしているジェニファーが肩をすくめた。
「詳しいことは彼らに聞いてくれ」
「ああ、言われなくとも」
オズワルドは一歩踏み込む。それだけなのにジーナはよろめいた。
「近衛兵団団長よ。これは宣戦布告かね?」
「い、いえ……。決してそのようなことは。ジェニファー殿にもお伝えしたように、私のしたことを告白し、償う為に参りました」
さすがにジーナが気の毒になったエリカは助け舟を出す。
「先生。今回の件はジーナさんの仕業ではありません。黒幕がいます」
オズワルドはじろりとエリカを見た。人の形を保っているが、その瞳は既に人のそれではなかった。
「エリカ嬢。あなたがそのようなことを言うとは理解に苦しみますな」
矛先が自分に向いたので、エリカはジーナとのやり取りを話した。勿論、お互いが転生者であるくだりはすっ飛ばしたが、さすがに服従の呪文のくだりは割愛できず、覚悟を決めてその話もする。
案の定、オズワルドはジーナに文字通りの殺気を放った。そして一瞬のうちに彼女の眼前に移動すると、右手でその顔を鷲づかみにする。
「よくもそのような真似を……。汚らわしい」
オズワルドを誰よりも必死に止めながらも、エリカは内心嬉しかった。家族以外で自分のことをこうして守ってくれる人がいるのは久しぶりだった。
だが、振り返ったオズワルドはエリカにも厳しい視線を投げかける。
「エリカ嬢。デーモンスパイダー如きを倒した程度で、いささか自分を過信しているのではありませんか?思い上がりも大概になされよ」
その言葉はエリカの心を深く傷付けた。だが、黒幕が他にいる以上、あくまで現実的でいなければならない。
「確かに先生の言う通りです。わたくしは思い上がっておりました。ですが、今はそのことに目をつむってくださらない?」
「何故そこまでしてこの者をかばうのですか?もしやすると、まだ服従の呪文の影響下にあるのでは?」
「いいえ、それは決してあり得ませんわ。やり返しましたから」
「仕返しした?あなたは一体何を……」
言いかけてオズワルドはジーナが震えていることに気付く。その青ざめた表情はエリカの話が真実であることを物語っていた。
「何と……」
バンクロフトが息を呑み、エミリーはため息交じりにエリカを見た。
「やっぱりこの子は変わってるわ。いくらオズワルドが家庭教師だったからといって、こんなに危険で高度なものを教えるはずがありませんもの」
エリカは聞こえなかった振りをして、話を元に戻す。
「そもそもジーナさんはやり方こそ強引なだけで、この国を蒸気機関によって豊かにしようとされていました。飛行船などは物資の輸送に用いることが目的です。
ただ、その計画を利用し、悪事を企てた者がいます。皆様がジーナさんを疑い始めたそもそものきっかけは、エミリー第三王女に彼女を告発する手紙が渡されたことにあります。どうして捜査機関に渡そうとしなかったのでしょうか。それは彼らの手に渡ると正式な調査が行われてしまうからです」
エリカの言葉に誰も動きを見せなかった。ただ、視線を彼女に向けるだけだった。
エリカは内心舌打ちしたい気分だった。一筋縄ではいかないと思っていたが、こうも無反応だとこちらも困る。こうしている間にも時間は過ぎていき、ジーナとエリカの懸念は深まるばかりだ。
話をどう続けようかと考えていると、ジーナがおずおずと口を開いた。
「エリカ嬢。感謝致しますが、これ以上お話になるとあなたにも疑惑の目が向けられてしまいます。ここからは私がお話致します」
話すと言ったところでそう簡単にオズワルドは手を放さないが、鷲づかみにされた状態のままでも毅然とした態度で、ジーナは自分のしてきたことや想いを話していく。
一度話を聞いているエリカはじれったい思いで彼女や他の皆の様子を見ていたが、少なくとも自分が話していたよりは反応がある。
「身から出た錆ではないか」
「いかなる理由があれ、国王陛下に刺客を差し向けるなど言語道断」
もっとも厳しい意見ばかりだが、そう言われても仕方ない。ジーナは黙ってそれらを受け止めていた。
批判の言葉が収まり始めた時、エミリーがジーナの元に歩み寄った。
「ジーナ。あなたはお母様に手を出していないと言いましたね」
「誓って」
「よくもまあ、いけしゃあしゃあと嘘を吐けますこと。最近のお母様の様子は余りにも不自然です。バンクロフト卿を何の前触れもなく相談役から外したり、わたくしと顔を合わせようともしなかったり。あなたが服従の呪文で操っているのか、何かを吹き込んだのかだとしか思えません」
「恐れながらエミリー第三王女。それらのことに関しては国王陛下ご自身で決められたことでございます。私は最後まで国王陛下に思い直すようお願い申し上げておりました。
国王陛下のご学友にして、重要な事柄には二人三脚で向かい合ってきたバンクロフト卿が相談役を解任されると、そのきっかけとされる飛行船の造船計画に必ず支障をきたしますので」
「仮にそうだとして、わたくしとのことはどう説明なさるおつもり?それもお母様が勝手に決めたことだとでも?」
「大変失礼ではございますが、その通りでございます」
「あり得ませんわ!」
エミリーが絶叫する。その言葉はかなり堪えたようだ。
ジェニファーがエミリーの元に歩み寄ると、そっと肩を抱き寄せる。そしてオズワルドを見た。
「オズワルド。事の真偽を見定めましょう」
「ああ」
言葉の意味に気付いたエリカが制止するよりも前に、オズワルドが服従の呪文をかけた。ジーナの光を失った瞳を見て、彼女が既に術中にあることをエリカは悟った。
「どう?」
ジェニファーが声をかけるが、オズワルドは答えない。その間がエリカはたまらなく恐ろしかった。自分が転生者であることを知られたら、彼とどう向き合っていけば良いか分からない。
オズワルドが手を放す。鷲づかみ状態からようやく解放されたジーナはその場に崩れ落ちた。
「確かに彼女が言った通りだ。今まで我々に告げたことに関して噓偽りは一つもない」
その言葉に全員が衝撃を受けていた。中でもエミリーのショックは相当なもので、彼女も崩れ落ちそうになるところをジェニファーに支えられていた。
エリカが硬い声で告げる。彼女の心は少しささくれ立っていた。
「これで信じて頂けたかと」
「ああ、そのようだ」
バンクロフトは頷くと、オズワルドを見やる。
「まずは彼女が言うように、ローリーが仕向けた刺客達を見つけよう。彼らの顔を私達にも共有できそうか?」
「造作もないことだ」
そう言うとオズワルドは空中に四角形を描く。そこから薄い木の板が複数枚現れた。それを手に取ると、一枚一枚に襲撃者達の顔を刻み込んでいく。
「魔法陣の応用か」
感心したようにバンクロフトが頷く。
すぐに襲撃者達の手配板が完成し、それらが机の上に並べられた。
「この者達は確か……」
「ああ、重犯罪者だな。確か帝国からのスパイだったはずだ。近衛兵達でも充分に対応できるだろうが、万が一のことを考えねば」
「しかし、どうやって探す?」
「RCISに知らせるのは?」
「いや、今は爆発を起こした連中を探すので精一杯だ。とてもじゃないが手が回らないだろう」
思案顔で話し合う彼らからエリカは距離を取る。未だ倒れているジーナを気遣おうとしたが、両親によって行く手を阻まれた。
「エリカ。いい加減になさい」
「そうだ。爆破の件は無関係かも知れないが、それでも彼女は罪人だ。恐れ多くも国王陛下に襲撃者をけしかけようとしたのだからね」
「……」
エリカは返す言葉がなかった。だが、自分と同じ転生者である彼女には情が移り過ぎている。
この事態をどうにか切り抜けられないものかと考えたいが、両親はかつてない程に怒り、失望している。今は荒れ狂う波が一刻も早く収まることを願うばかりだった。
仕方なくエリカは机の方へ戻る。話し合いは膠着しているようで、未だ愕然としたままのエミリーを除くそれぞれが物思いに耽っていた。
ふと、手配板の近くに小さな影が差した。違和感を抱いたエリカは天井の方を見やる。
そこにいたのはコウモリだった。
「あれ?」
思わず声を出したエリカにジェニファーが尋ねる。
「どうしましたの?」
「いや、コウモリがそこに……」
言い終わらぬうちにコウモリは天井から飛び降りると優雅に滑空し、誰もいない空間へ向かう。高度を下げた先で目まぐるしく姿形が変わり、一人の女性が姿を現した。
「あなた……」
ジェニファーが嫌そうな表情を向ける。そんな彼女に笑みを返したのはコーンウェル伯爵夫人だった。
「ノックくらいしなさいよ」
「ノックしたら入れてくれた?」
「入れないに決まってるでしょう?」
伯爵夫人は、仕方ないわねといった表情で肩をすくめると、その場にいる人達へ簡単に挨拶する。
そんな彼女を見ながらオズワルドはアルフレッドに耳打ちする。
「ほらね?言った通り、ルーシーは勝手にたどり着くのさ」
「随分なご挨拶じゃない、先生?」
伯爵夫人がわざとらしく甘ったるい声を上げてオズワルドに近付く。
「それで、いつからここにいたんだい?」
「最初から」
その言葉に、ジェニファーは呆れたように目をぐるりと回した。伯爵夫人は彼女に軽くウィンクすると机の方へ向き直る。
「それでだけど、わたくしのコウモリ達を使えば彼らを早く見つけられると思うわ」
「ありがたい申し出だが、彼らは夜行性なのだろう?それでは時間がかかり過ぎる」
「バンクロフト卿。この子達は少々太陽の光を浴びたところで平気よ。それに連中も日が差すところを堂々と歩いていないでしょうしね」
「それも一理あるな」
バンクロフトは早くも安心した表情を見せている。余程伯爵夫人のことを信頼しているらしい。
伯爵夫人もまんざらでもない表情を浮かべているが、それをジェニファーがたしなめる。
「油断してはダメよ。今回の敵は相当頭が切れる。襲撃者達が見つかることを想定している可能性も充分に考えられるわ」
「まあ、そうでしょうね。
本当だったらわたくしもあの子の頭の中を覗いて必要な情報や裏で糸を引いている者の手がかりになりそうなものを取り出したいところだけど、先生の呪文が強力過ぎて当分は目覚めそうにない様子だしね」
「ルーシー。それは嫌味かな?」
オズワルドが軽く笑みを浮かべる。その表情は普段のものに戻っていた。
伯爵夫人は慌てたように取り繕う。
「そんなことないですよ、先生。わたくしがやっていても同じ結果になっていたでしょうから」
「よく、そこで自慢にもっていけるわね……」
ジェニファーが呆れ返るそばで、伯爵夫人はもう一度手配板をじっくりと眺める。そしてコウモリに姿を変えると、そのまま部屋を出ていった。




