九 光の中へ
最悪の事態だった。
コーナー男爵は門の前で立ち尽くしていた。
そんな彼の肩にオリヴァーが手を置く。
「気落ちしていても仕方ない。ヤツがどこに向かったのか今すぐ探さねばならない」
「分かっている。だが、まさかこんなことになるとは……」
決死の思いで進軍していたコーナー男爵は、デーモンスパイダーと出会うことなく城塞都市カービンにたどり着いた。
先にカービンへ到着していたオリヴァーとジェラルドからも、あの忌々しい魔物がカービンやその周辺に姿を見せていないことを聞いたばかりだった。
自分が引き連れている兵士達が犠牲にならなかったのは幸いだが、デーモンスパイダーが見当たらない事実は、ただでさえひどくなっている事態を更に悪化させるだけだった。
「カービンに来なかったということは、サンスキンを当たるべきか」
ジェラルドがコーナー男爵の目を見る。長命な種族であるエルフの中でもジェラルドは長老と言って良いくらい長い時間を生きている。それだけに爵位持ちとはいえコーナー男爵は彼に頭が上がらない。
「ですが、我々はサンスキンを経由して村に到着し、そこからここまでやって来たのです。すれ違わないことはあり得ません」
「だが相手はあのデーモンスパイダーだ。男爵達がカービンに向かうのを待って、サンスキンへ向かったとしても不思議ではない」
ジェラルドはオリヴァーを見る。オリヴァーは頷くとコーナー男爵に向き直った。
「マーク。私がサンスキンの様子を見てこよう。もしヤツと出くわしたら、すぐに伝令を出すさ」
「マーティン。それは危険すぎる。援軍に来てくれただけでもかなり危ない橋を渡らせているのに、これ以上君に危険な役目を背負わせるわけにはいかない」
コーナー男爵は古くからの友人を案じていた。
「大丈夫だよ、マーク。サンスキンにはアイリーンが派遣されているから」
「おお、あの錬金術師がか」
王都の伝令から学院も増援を派遣したことは聞いていたが、錬金術師として名高い彼女が味方にいるのはとても心強かった。
「それに私にはジェラルドがいる。心配するようなことは何もないさ。だから安心してここにいてくれ」
それでもコーナー男爵は不安を感じていたが、彼は困難な道を選ぶ、生まれながらの騎士であることも充分すぎるほど理解していた。
「では、よろしく頼む」
コーナー男爵に見送られてオリヴァー率いる軍隊はサンスキンへ向かい始めた。
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マイクとグレイは内側からこみ上げてくる恐怖心と闘うのに必死だった。
敵襲の合図を告げたのに誰もテントから出てこなかった。嫌な予感がして、すぐ隣のテントに入るが、兵士達は無事だった。だが、何か毒を盛られたのか強力な魔法をかけられているのか、彼らは微動だにせず眠り続けている。
マイクとグレイは事態を知らせた伝令と共に、他に動ける者がいないか探していく。そしてどこかに潜んでいるであろうデーモンスパイダーに見つからないように祈り続けていた。
四つ目のテントを出た時だった。少し離れたところから誰かの話し声が聞こえてきて、三人は顔を見合わせた。
そして何か争う物音が聞こえた。
三人は瞬時に視線を交わすと、その方向へ駆け出した。恐怖心がないと言えば嘘になる。デーモンスパイダーがそこにいるかもしれないのだ。だが、誰かが戦っているのに見捨てて逃げ出すことは兵士としての誇りが許さない。
共に戦うのが兵士だ。一人だけで戦わせるなどあり得なかった。
「必ず助けを呼んできます!」
そんな声が聞こえてくる。しばらくしてこちらに誰かが走ってきた。
「君は……」
「良かった……」
そこにいたのはエルフの女性だった。三人を見るとホッとしたのか、へなへなとそこに座り込んでしまう。
「大丈夫か!」
「私は大丈夫です。それよりもエリカさんが!」
マイクは全身から血の気が引いていくのが分かった。よりによって戦っているのがエリカ嬢とは。この時点でコーナー家は政治的にかなりマズい立場に置かれてしまった。
それだけならまだいい。もしも万が一のことがあれば。
マイクは伝令に彼女の手当てと避難を命ずると、グレイと共に戦場へ向かう。
「ああ……」
そこで二人が見たのは、デーモンスパイダーがエリカを見下ろしている場面だった。
急いで二人は戦いに参加しようとするが、目に見えない何かが張り巡らされていてその先に進むことができなかった。
「結界魔法か!」
悔しそうにグレイが言う。結界魔法はむりやり突破することもできるが、それにはかなりの魔力を必要とする。いくら兵を指揮する隊長クラスの兵士が二人いるとはいえ、必要な魔力量には遠く及ばなかった。
「俺達は黙って見ていることしかできないのか……」
二人はこれから起こる暗い未来に震えるしかなかった。そして目の前で一人の少女が魔物と対峙しているのに何もできない事実が悔しくてならなかった。
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「コノカワヲキニイッテイタノニ……」
そう言いながらもデーモンスパイダーは転がっている女性兵士の頭を脚の一つで踏みつぶした。
それが目の前の十六歳の少女を怖がらせる為だけに行われたことにエリカは気づいていたが、あいにく中身はそれなりに経験を積んできた二十代後半の女性である。なので恐怖心よりも目の前の魔物に対する嫌悪感と怒りを覚えるだけだった。
エリカは怒りを噛み殺しつつ、あくまで平常心を装う。
「へえ。シェリルを見つけた時もそうだけど、人に化けるのが好きなんだね。でも、そうやって皮を被らないと人になれないなんて結構レベルが低いんだ」
この露骨な煽りはかなり効果があったようだ。デーモンスパイダーは何か叫ぶと糸で作った球をエリカに向かって乱発する。
それらを水のヴェールで防ぎ、水球で撃ち落としながらエリカは予想が当たったと喜んでいた。
相手を下に見たがるタイプは同じことをされると我を失いやすいのだ。エリカはそういうタイプを一度真正面からひねりつぶしたかった。
前世では、そんな嫌な上司の下で働いたことがあったが、小説やドラマと違って正義は果たされなかった。幸いなことに転職先には恵まれたので結果的には良かったことの方が多い人生になったが、そのことはずっと胸の奥に引っかかっていた。まじめにやっている人が泣き、人としての基本がなっていないクズが高笑いする。それが現実だった。
だからこそ、エリカは目の前の蜘蛛に前世での怒りをぶつけられることを喜んでいた。
エリカは隙を見て水球を眼の部分に撃ち込む。それは脚の一つに防がれたが、その間にエリカは仕込みを入れる。
「コロシテヤル……」
苛立ちを抑えられないデーモンスパイダーは、鋭くとがった脚をエリカに振り下ろす。
エリカはそれをかわすが、相手は複数ある脚を器用に使いこなし、エリカを追い詰めていく。
その中で余裕を取り戻したのか、デーモンスパイダーは楽しそうに笑い始める。
「ニゲマワルダケカ?」
近距離になると脚で突き刺そうとし、薙ぎ払う。距離が離れると糸で作り上げた球を撃ち込んでくる。
それらの攻撃をエリカは何とか防いでいたが、放たれた糸の球の一つが彼女の腹部を貫いた。
その瞬間、デーモンスパイダーは歓喜の叫び声をあげる。ようやく獲物を捕らえたのが嬉しかったのだろう。
だが、そのままデーモンスパイダーは動きを止める。致命傷を受けたはずの少女は倒れることも立ち尽くすこともなく、その場で大量の水になってしまったからだ。
まるでバケツをひっくり返したかのような勢いで現れた大量の水に戸惑いを隠せないでいると、後ろの方から声が聞こえた。
「そっちは偽物」
次の瞬間、思わず目を覆うほどの強烈な光が胸と腹を刺し貫いた。全身を焼き切るような鋭い痛みが襲いかかってきて、思わずデーモンスパイダーは仰向けにひっくり返る。
「それ、結構効くでしょう?」
エリカが放ったのは電撃だった。だが、電気の概念がないこの世界では、何が起きたか理解されることはない。
体のほとんどにダメージを受けながらもデーモンスパイダーは怒りに狂った目をエリカに向ける。
「キサマ……。ヨクモワガコタチヲ……」
エリカは首をかしげる。
「何を言ってるの?あなたがもてあそんできた犠牲者達も同じ思いをしたの。自分がやってきたことの報いを受けているだけじゃない」
そしてエリカはゆっくりとデーモンスパイダーに近づいていく。一歩ずつ近づくにつれ、エリカの全身から濃密な魔力があふれ出てくる。
「コンナコムスメノマジュツニ……」
悔しそうにつぶやくデーモンスパイダーにエリカは冷たい笑みを浮かべる。
「さっきから気になってるんだけどさ。私が使ってたのは全部魔法だよ?」
「バカナ!」
「嘘なんて言ったってしょうがないでしょうよ」
確かにエリカは魔法しか使っていなかった。水のヴェールは魔法で出した水に結界魔法を付与しただけだし、水球は風魔法で威力を付けただけにすぎない。自分の偽物に関しては、水を透き通らせて鏡のようにしただけだった。こんな子供だましが通用するのも、鏡がこの世界では王族くらいしか持っていない希少品で、普通は鏡という言葉すら知らない人が多いからこそだった。
「コノワタシヲサイゴマデオコラセルカ……」
仰向けのまま、デーモンスパイダーはエリカに糸を吐き出す。それをエリカは風魔法で止めると、槍のような形にして相手に放つ。
それは相手の口を貫いた。
エリカは無表情で災害級の魔物と呼ばれた存在を見下ろしていた。その目には怒りもあざけりもなく、一切の興味が失われている。
「蜘蛛さん。魔術ってのはね、こういうものなんだよ」
そう言いながらエリカは左手に小さな炎を生み出した。その炎にエリカの魔力が交じり、どす黒い色に変わっていく。
その小さな炎を相手にまとわせると、刃を通さず、火の魔術すら防いだ外殻がじりじりと焼かれていく。
「アツイ……」
口を貫かれていなかったら、そんなことを言っていただろう。だが、実際は苦痛に満ちた声を上げるしかない。
その様子をジッと見つめるエリカに細長い脚が襲いかかった。それが苦しまぎれに放った攻撃なのか、苦痛に耐えかねてジタバタしている反動なのかは分からない。
エリカはその脚を見ることもせずに風魔法で押し返すと、自分の周りにある土を盛り立てて、一つの大きな土壁を作り出す。それを目の前で転がっている魔物に押し付けた。
土壁に押さえつけられたデーモンスパイダーは脚を一本も動かすことができない。弱々しく身じろぎするだけだった。
「後はじっくりと焼かれていってね」
土壁に全身を押さえつけられているにも関わらず、エリカが放った黒い炎はデーモンスパイダーをくまなく焼き続けている。
どれくらいの時間が流れただろうか。
まだ周囲は薄暗いが、森の奥の方が少しずつ明るくなり始めている。
重い音と共に土壁が地面に沈んで崩れ落ちる。その衝撃で地面から消し炭が交じった土煙が巻き起こる。エリカはすぐに水魔法で生み出した水のヴェールをからめた風魔法でそれらを巻き上げると、近くの森の方へ放った。
デーモンスパイダーがいたところには黒い影が残っているだけだった。しばらくの間、エリカはそれを見つめている。
「ご無事ですか!」
後ろの方から大声が聞こえたかと思うと、二人の兵士がこちらに駆け寄ってくるところだった。
一人はテントで挨拶を交わした隊長だった。もう一人も見かけている。エリカは無表情のまま、無事であることを告げるとその場を去ろうとする。
「お待ちください、エリカ様。一応、念の為に医療班の診断を受けて頂けませんか」
「わたくしなら大丈夫ですわ。それにまだ皆さんは眠っていらっしゃるのでしょう?どうしてもということでしたら、目覚められてからにしてくださいな」
しどろもどろな表情を浮かべる二人の隊長をその場に残したまま、自分のベッドを目指す。
不思議なことに心の中は空っぽだった。決して、復讐しても心が晴れないなんて使い古された作り話の影響を受けている訳ではない。やはり復讐心が満たされるのはとても気持ちが良かった。
だが、いくら同情しようのないデーモンスパイダーに怒りなどを投影しても、結局のところそれは八つ当たりにすぎなかった。復讐したい連中に直接手を下した訳ではないからこそ、心の整理はついていない。
テントに戻ると、出入口のところに兵士が一人立っていた。何事だろうかといぶかしむエリカだったが、彼女に気付いた兵士はすぐに敬礼する。
「お戻りになられましたか!」
その声が最後まで言い終わらないうちに、シェリルがテントから飛び出してくる。そしてエリカを見ると、急いで駆け寄っていく。
「エリカさん!無事なんですね……」
「うん。大丈夫だよ」
そんなエリカをシェリルは強く抱きしめると、大粒の涙をこぼした。
「良かった……。本当に良かった……」
見れば兵士も顔を涙で濡らしている。
その時、初めてエリカは自分の体がポカポカと暖かいものに包まれていることに気付いた。そして、それは内側をじんわりと満たしていくと、両目に向かって進んでいく。
ああ、別に空っぽだった訳じゃないんだ。
エリカは自分の頬がゆるむのを感じると、自分を抱きしめているシェリルの頭をそっとなでる。
今やシェリルは人目もはばからず大声で泣き叫んでいる。そんな彼女の背中をぽんぽんと優しく叩くエリカの右頬を一筋の涙が流れていく。
「もう……。何事なの?」
「んにゃ、まだおねむなの……」
グロリアとナタリアが目をこすりながらテントの外に出てくる。
「え、シェリル?どうしたの?」
「もしかしてエリカに夜這いでもされた?」
「ばか。エリカに限ってそんなはずないでしょうよ……。ないよね?」
相変わらずくだらないことを言い合う二人を眺めながら、エリカはシェリルをそっと抱き寄せた。
柔らかな光が辺りを包み込んでいる。




