↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
彼女は魔術と紅茶を楽しんで  作者: 賀来文彰
学生編 秋~冬のこと
9/323

八 闇の中から

 出発の予定は大幅に遅れている。後から来た護衛の兵士達も少なからず怪我をしているので、その手当てと部隊の再編成が必要だったからだ。

 隊を指揮するマイクは護衛隊を率いてやって来たグレイと撤退経路の確認を行っていた。


「それにしてもデーモンスパイダーがこっちに来ていないのは助かった」

「ああ。負傷者を抱えての戦闘ほど難しいことはないからな」

「それも学生付きだしな」

「グレイ、声が大きいぞ」

「ああ、悪い」


 グレイには学生達が交じっていること、その中の一人がスタンフォード家の一人娘であることを伝えている。


「カービンは大丈夫かな」


 グレイがこぼした言葉にマイクは肩をすくめるだけだった。

 二人ともデーモンスパイダーの戦闘力を身に染みて経験しているだけに、城塞都市とはいえ被害は大きくなるだろうと見ている。


 カービンの暗い未来に思い巡らせながら二人はテントの屋根を打つ雨音をぼんやりと聞いていた。

 夕方から降り出した雨は強まることもなく、しっとりと降り続けている。


 普通の行軍ならこの程度の雨で休憩を取ることはないが、負傷者を連れている以上、それはできない話だった。

 マイクとグレイはここで一泊することを決め、そのことを他の兵士達や負傷者に伝えるよう、伝令を送り出した。


「俺達もそろそろ休むか」

「助かる。正直なところ、ここまで来るのが大変だったんだ」

「それならもう一泊していくか?サンスキンまでそう遠くはないし。エリカ嬢の白魔術のおかげで急いで搬送する必要もなくなった。後は元いた場所に引き返すだけだからな」


 サンスキンは城塞都市ほどの規模ではないが、南西部防衛線を支える各城塞都市に近く、それらへの補給庫となる重要拠点だった。

 それ故に保管物資も多く、医者である白魔術師も多く在籍していることから、今回のように負傷者が出るとそこに運び込まれる手順になっていた。


 マイク達はサンスキンまで後二日もあれば到着するところまで来ていた。

 その申し出をグレイが真剣に考えていると、先程送り出した伝令が慌てた様子で戻ってきた。


「大変です!

「何があった?」

「辺り一帯が白い糸のようなもので囲まれています!」


 その表現が意味するものを察した二人の隊長は急いでテントを飛び出す。その光景を見た彼らは恐怖を覚えた。


 ここ数日、何度も見てきたあの魔物の糸が、周りの木々に張り巡らされていた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 シェリルは中々眠れなかった。


 自分の話をしっかりと聞いて、信じてくれる人に初めて出会えてホッとしたし、自分をなぐさめてくれていた女性兵士と再会できたことに安心したこともある。それでいて数日間にわたって避難していたことで疲れも溜まっていた。


 それなのに眠れなかった。


 ゆっくりと休みたいのに、眠ろうとすると不安が頭をよぎる。

 どうして不安に思うのか自分でもはっきりとは分からない。ただ、何とも言えないもやもやとした気分がずっと続いていた。

 それはいつからだろうか。一度気になると頭がどんどん冴えてしまい、余計に眠れなくなってしまう。


 しかたないのでシェリルは起き上がることにする。


「眠れないの?」


 隣にいたナタリアが声をかけてきた。

 どうやら起こしてしまったらしい。シェリルは軽く頬をかくと、ナタリアに向き直った。


「うん。なんだか寝れないの」

「そういう時は無理しない方が良いよ」


 小声で答えるナタリアは静かに微笑むと、また枕に頭を置く。

 完全に目が覚めたシェリルは話し相手が欲しかったが、さっきまで話していたはずのナタリアからは寝息が聞こえてくるし、エリカとグロリアも夢の中にいるようだった。

 疲れやストレスが溜まっているのだろう。三人とも夕方の内からテントにこもると、布団を抱きしめてぐっすりと眠り始めた。

 夕食ができたことを知らせに来た兵士が戸惑う程の熟睡ぶりで、シェリルも彼女達を起こすのがためらわれた。


 シェリルは今度こそ誰も起こさないように静かにベッドを出て、テントの外に向かう。

 後ろめたいものを感じながらも一人だけ用意された夕食を食べたのが遠いことのように思える。

 見上げると雨が降っていた。テントに当たる雨音はぱらぱらと鳴っていたが、実際はそれなりの雨だった。

 目に映る雨はどこか綺麗で、見ているだけで気分が落ち着いていく。


 ぼんやりと雨を眺めながら、シェリルは後ろのテントを振り返る。もう眠れそうになかった。

 両手で軽く頭を覆うと、シェリルはすぐ目の前にある別のテントへ向かう。そしてまた別のテントへ移動していく。

 別に何か目的がある訳ではない。ただ、何も考えることなく外の空気を楽しみたかった。


 いくつかテントを巡っていくと、少し先に森が見えるところまでやって来た。


 何も見えないけれど、確かに感じる何かの気配。そんな夜の森はシェリル達エルフにとって不気味で恐ろしい存在だった。

 だが、今は兵士達による結界魔法のおかげで安全だった。柵や壁と違って、目に見えないもので自分達が守られているのは不思議な感覚で、シェリルは飽きることもなく森の方を眺めていた。


 人影が動き回っているのが目に留まったのは、どれくらいの時間が経ってからのことだろうか。


 そこにいたのは兵士の一人だった。月明かりが届かないせいで辺りは薄暗く、顔までは分からなかったが、身に着けている鎧は見間違えようがない。

 その兵士は右手から何か白いものを飛ばしている。それは森の木にくっつくと、そのまま細長い帯のように長くなっていき、隣の木へ、またその隣の木へとくっついていく。

 その光景を見ていたシェリルの中に、少しの間忘れていた恐怖心が蘇ってくる。それはデーモンスパイダーから逃げ続ける中で何度も目にしたものとそっくりだった。


「嘘……。なんで……」


 恐怖で足がすくむシェリルはその場から動けなかった。

 やがてその兵士はかざしていた右手を下ろす。そして振り返ると、こちらに向かって歩き始める。


「あら……」


 その兵士の声には聞き覚えがあった。けれども、頭のどこかでそいつは違うと、強い警告が発せられている。


「どうしたの。こんな時間に出歩いて」


 話しかけながらも歩みは止めない。どうして普通に歩けているのだろう。杖代わりの木の棒がなければ、歩くこともままならなかったはずだ。それなのに目の前の彼女は普通に歩いている。


 やがて月明かりが届く範囲までやって来る。


 それは自分の看病をしてくれた女性兵士だった。

 確かに顔つきはその兵士だったが、その表情はどこか虚ろだった。


 そこでシェリルはふと、自分がずっと抱え込んでいた不安の正体に気付いた。

 昼に彼女と再会した時、彼女はきょとんとした表情を浮かべており、こちらからの話しかけにも反応が少なかった。その時は左足の怪我のせいだとばかり思っていたが、記憶に残っている女性と雰囲気が違っていたことに、無意識の内に気づいていたのだ。


 姿形は同じなのに、中身は違う。

 優しく背中をさすってくれた女性は、そこにはいない。


 心のどこかで気づいていた事実が不安の正体だった。


 女性兵士はゆっくりと近づいている。シェリルは後ろに下がろうとするが、足が言うことを聞かない。


「やっと会えたわ」


 そう言って彼女は口元を歪める。


「ずっと探していたのよ。あの後、すぐにあなたは逃げちゃったから、どこに行ったのかと気にしてたのよ」


 彼女が話す内容は理解できるのに、意味が違うように聞こえるのはなぜだろう。


「でも、もう大丈夫。これであなたは私のもの」


 そう言ったかと思うと、女性兵士は右手をシェリルに向け、白い糸を放った。

 それはシェリルに向かってまっすぐ飛んでいく。シェリルの体を白い糸が包み込もうとする寸前、何か見えないものがその糸をはじいた。


「……私の邪魔をするとはいい度胸だ」


 女性兵士が憎々しげにつぶやく。その視線の先をシェリルは追いかける。


「エリカさん?」


 暗がりの向こうからエリカが歩いてくる。雨の中を歩いているはずなのに不思議と彼女の全身は濡れていなかった。


「シェリル。こんな時間まで起きてると明日が大変だよ」


 そう言いながらエリカは近づいてくる。まるで今の状況が見えていないかのように、ぶらぶらとした足取りだった。


「それに、こんな雨の中にいたら風邪引くよ?ほら、テントに戻るよ」


 エリカがシェリルの腕をつかむと、そのまま引き返そうとする。


 その瞬間、女性兵士が跳びかかった。

 その動きはもはや人間のものではなかった。それなのにエリカは面倒くさそうに右手を払うだけだった。


 コバエや小さな羽虫を払いのけるようなしぐさだったのに、その女性兵士は後ろに大きく吹き飛んだ。

 エリカはそちらに目を向けることもなく、シェリルを引っぱっていく。


 シェリルは自分の目に映るものが信じられなかった。まだ学生の少女が右手一つで敵を吹き飛ばしたのだ。だが、それ以上に信じられなかったのは、相手が空中で体勢を立て直したことだった。

 女性は両手と両足を地面につけて着地する。その姿勢は本来ならおかしくて笑いそうになるが、冗談とは思えないくらいのまがまがしいものが彼女の全身からにじみ出ている。


「やっぱり偽物だったんだね」


 エリカがため息をつく。女性兵士はニヤリと笑うと、そのまま口から糸を吐き出した。


「危ない!」


 シェリルがエリカを突き飛ばす。その拍子にシェリルの右腕を糸がかすめた。


「痛っ!」


 何とかこけずに済んだエリカは振り返ってシェリルを見る。彼女の服は右腕の部分が切り裂かれていて、うっすらと血がにじんでいた。

 エリカは女性兵士の方に先程と同じ魔法を放つと、シェリルの元に向かう。


「大丈夫?」

「エリカさんこそ大丈夫ですか?」

「ああ、私は平気だよ。シェリルがかばってくれたからね」


 そう言いながらエリカはシェリルの右腕に治癒魔法をかける。すぐに切り傷が癒えて、傷跡一つない白い肌が蘇る。

 それを見届けるとエリカはシェリルの目をジッと見つめた。


「それじゃ、テントに戻ってて」

「ダメです!エリカさんを置いて逃げるなんてできません!」

「悪いけど議論の余地はないの」


 またエリカは魔法を放った。だが、そこに女性兵士の姿はなかった。

 手応えを感じられず、エリカはそちらを見やる。その瞬間、頭上から白い糸が降り注いだ。


「きゃっ」


 シェリルが頭を押さえてうずくまる。だが、何も起こらなかった。

 見ると、白い糸は二人に蓋をするように空中に浮かんでいるだけだった。正確には、二人の周りに薄い何かがあって、それが白い糸から二人を守っている。


「ほう。水魔術も使うのか」


 女性兵士がニヤリと笑う。そしてそのまま左側に平行移動した。

 人の形をしたものが四足歩行しているだけで気味が悪いが、その状態のまま平行移動するのは更に気持ちが悪くなるものだった。


「だが、その程度か」


 エリカは目を細める。そしてすぐに、うずくまったままのシェリルを押さえつけると自分もその場にかがみ込んだ。


 二人の頭上を何かが通り過ぎていく。それと同時に水のヴェールが裂けて、二人に水しぶきがかかる。


「ピアノ線じゃん」


 思わずエリカはつぶやく。

 相手は目に見えないくらいに薄くした糸を横に伸ばして放ったのだった。平行移動を見ていなかったら危なかったかもしれない。


 エリカは立ち上がるや否や、お返しとばかりに水でできた小さな球を複数作り出し、それらをぶつける。

 それらは全て顔を狙ったもので、手でガードしながらも相手は不機嫌そうな唸り声を上げている。


 相手に水球を打ち込み続けながらエリカは言う。


「ちょっとキツい言い方になるけど、ここに残られても邪魔なだけなの。あなたをかばいながら戦えるほど経験もないしね」


 その言葉にシェリルはショックを受けたが、エリカの言うことは事実だった。

 唇を強く噛み締めると、シェリルは立ち上がって走り出した。


「必ず助けを呼んできます!」


 シェリルの悲痛な叫び声を聞きながら、エリカは安堵する。相手は今も水球をガードするのに精一杯のようだった。

 だが、それでも相手はいやらしい笑みを浮かべる。


「ふん。助けなどと甘いことを。誰も来ないというのに」

「確かに違和感があったんだよね。何したの?」


 これほどの騒ぎになっているのに、誰も出て来ないのが不思議だった。自分達の近くにあるテントのほとんどは怪我人専用になっているので、まだ分からなくもないが、兵士が詰めているテントも動きがないのはおかしかった。


「眠らせた。夕食に仕込んだのだよ」

「へえ。毒は仕込まなかったんだ。何だかマヌケだね」

「愚弄するなよ、小娘が。毒は自らの手で相手に注ぎ込んでこそ意味があるのだ」


 女性兵士は恍惚の表情を浮かべる。


「口の中でゆっくりと弱っていく獲物は極上の美味だ。毒を注ぎながら肉を食べるとな、味がどんどん変わっていくんだ。肉も柔らかくなっていく。絶望に震えた声を聞くのも良いぞ。最高のスパイスになる」

「毒を仕込まなかった理由は分かったけれど、なんで眠らせる必要があったの?あんたほどの力があるなら、これくらいの数の兵士達を相手にできるでしょう」

「当然のことだ。だが、もうすぐ生まれてくる我が子達はまだまだ力がない。だから私がエサを用意してやらないといけない」

「ふーん。結構、子供思いなんだね」


 そう言うとエリカは打ち出していた水球を瞬時に氷に変えた。


「こしゃくな!」


 相手が苛立たしげに叫び、跳んでその場から離れようとする。だが、彼女の両足は地面から離れず、ぶざまな格好で倒れ込む。

 見ると、両足が完全に凍り付いている。それを見てエリカはニヤリと笑った。


 聞いているだけでむかむかする話を精一杯引き伸ばしていたのは、このためだった。

 度重なる水球の攻撃をはじくことで、相手の周りの地面は軽い水溜りになっていた。話を聞いているふりをして、エリカは気づかれないようにその水溜りを少しずつ凍らせていた。水球も撃ち続けていたので中々に骨の折れる作業だったが、作戦は成功した。


「すぐに残りの部分も凍らせるから」


 そう告げるエリカに向かって、倒れ込んだままの相手は不敵な笑みを浮かべていた。

 エリカは氷で作った矢を顔に向かって打ち込む。それは見事に額を貫いただけでなく、勢いによって相手を後方へ吹き飛ばす。


 この衝撃によって、相手の頭は胴体から完全に離れた。凍り付いていた両足も砕け散っている。

 それでもエリカは油断することなく、次の氷の矢を作る。そしてそれを残った胴体に放とうとする。


 その瞬間、胴体の背中側が急に盛り上がり、そのまま皮膚を突き破って何か細長く黒いものが出てくる。とっさの判断でエリカは後ろに飛び去る。

 今までエリカがいたところに、その何かがフルスイングで襲いかかった。


「イマノヲヨケタカ」


 それはまるで機械音声のような不気味な声色だった。やけに耳に残るのがうっとうしくて、エリカは顔をゆがめた。


 今やその全身が胴体から現れていた。折り畳まれていた脚を一本一本伸ばしていくと、災害級の蜘蛛はエリカを見下ろす。


「正体を現したね」


 エリカはデーモンスパイダーと向かい合っていた。


デーモンスパイダーとの戦いに入りました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。