十 その後に起こるのは
サンスキンに到着したエリカ達は、初めて見るその都市に圧倒されていた。
建物の造りは王都と余り変わらないが、路地や行き止まりが多い。だが、そういったところは都市に住む人達の憩いの場になっているらしく、子供達が遊びまわっていたり、奥様方がのんびりと話し合っていたりする。
王都は賑やかで華やかだが、サンスキンは程よい人の多さで居心地が良い。
しばらくの間、エリカ達はここで待機することとなった。デーモンスパイダーの件について詳細を知りたい者もいたし、王都からの迎えも到着することになっていた。
思いがけず時間ができたエリカ達は、サンスキンを散策するのが日課となっていた。だが、日々新たな発見があるこの都市は王都の生活に慣れた者にとって、観光以上の魅力を持っていた。
「ねえ、グロリア。あの小さな乗り物は何?」
ナタリアが指さす方を見ると、屋台があった。
「ああ、屋台だよ」
「屋台?何それ」
グロリアが答える。それをきっかけに皆で屋台をのぞくことになった。
「うわ、美味しそう!」
そこではホットドッグが売られていた。ただ、前世と違って、ソーセージをはさんでいるパンが細長いものではなく食パンだったし、ケチャップがない代わりにトマトソースをかけて食べる形式だった。
エリカ達はホットドッグを買うと、手頃なスペースを見つけてそこに腰を下ろす。
「美味しいね」
「初めて食べたよ」
ホットドッグを美味しそうに頬張っている二人の横で、エリカは隣を見た。
「ねえ、早く食べないと冷めていくよ?」
「そうですよね……」
そう言いながらもシェリルは中々ホットドッグを食べようとしない。ナタリアが声を掛ける。
「シェリル、私も初めて食べたけどすごく美味しいよ!チャレンジしてみなよ」
「いや、ホットドッグは食べたことあるんです。ただ……」
「ただ?」
「こうしてまたホットドッグを食べられると思ってなかったんで」
シェリルは一口かじる。その一口はあまりにも小さく、噛み締めるようだった。
「分かる。私達も同じだったから」
グロリアが微笑みかける。
確かに、魔法陣の暴発に巻き込まれただけでも大変な出来事だったのに、転移先がよりにもよってデーモンスパイダーとの戦いの最前線になるとは誰も思いもしなかった。
ナタリアもうんうんと相づちを打ちながら、ホットドッグを頬張っている。
「何だかしんみりさせちゃってごめんなさい」
困り笑いを浮かべながらシェリルは頬をかく。その様子を見たエリカは、彼女がよく笑うようになったことに気付いた。
まだ心の傷は癒えていないだろう。それでも確かに一歩目を踏み出している。
ホットドッグはほんのりと甘い味がする。
散策を終えたエリカ達は迎賓館へ戻る。エリカの立場もあり、彼女達はここに通されていた。
すっかり顔なじみになった使用人達に挨拶を交わしつつ、自分達の部屋に戻ろうとするエリカ達だったが、背の高い執事に呼び止められる。
「皆様。王都の方々が食堂でお待ちになられています。係の者が皆様の身支度をお手伝い致します」
先程まで元気いっぱいの表情だった学生達は途端に元気をなくす。そしてシェリルも自分はどうすればいいのか分からないという表情を浮かべている。
執事はシェリルに目を向ける。
「シェリル様もご準備をお願い致します」
執事が一歩下がる。近くに控えていたメイド達がエリカ達を控室へ誘導する。
しばらくして正装に着替えたエリカ達は戸惑いを隠せない表情でお互いを見やる。
「ナタリア、裾を踏みそうになってるよ」
「しかたないでしょう。ラミア向けに作られてないんだから」
「ドレスってこんなに動きにくいんですね……」
いつもの二人がはしゃぐ隣でシェリルはドレスに戸惑っていた。初めて着たという話だが、その割には頑張って着こなしている。
「すぐに慣れるから大丈夫。それよりも……」
エリカは視線を上下させる。薄い金髪に合わせられた淡い黄色のドレスはシェリルの魅力を存分に引き出していた。
「すごく似合ってるよ」
思ったことを正直に伝えただけなのにシェリルは顔を真っ赤にしてうつむいてしまう。その初々しさにエリカは尊い気分を覚えた。外見は十六歳の少女だが中身は二十代後半の女性である。母性とはまた違う、姉性とでもいうべき本能をくすぐられていた。
そんなエリカをナタリアは眺めると、ため息をついた。
「エリカって、女心をくすぐる時があるよね」
「そうだね」
ナタリアがしきりにうなずいた。
先程の執事が軽く咳払いをする。
「それでは皆様、こちらへどうぞ」
執事に案内されて食堂へ向かうと、出入り口の両脇に兵士ではなく騎士が立っていた。その物々しさにエリカは眉をひそめる。安全な室内でさえ警護がつくことはまずあり得ないが、何事にも例外はある。
「皆様をお連れしました」
「お待ちしておりました」
聞き覚えのある声にエリカの疑念は確信に変わる。だからこそ何故彼女がそこにいるのかが分からない。
食堂に入った学生達はそこにいる面々に圧倒された。
まずコーナー男爵が落ち着きなさそうに食堂の隅に立っている。その隣にいるのはアルフレッド。エリカの父親である。
テーブルの下座にはオリヴァーを初めとした学院の教授達と、ナタリアとグロリアの家族が座っている。そして上座の一つ手前の席左側には、この場に何故いるのか分からないコーンウェル伯爵夫人が座っていて、エリカに向かって軽く手を振っていた。
だが、一番の衝撃は上座に座る人物だった。
「どうして理事長がここに……」
ナタリアがつぶやくが、グロリアが小声でツッコミを入れる。
「ばか。状況を考えなさい。今は理事長と呼んじゃダメ」
二人のやり取りが聞こえていたのか、その人物はにこやかに笑いかける。
「まあまあ、そんな風に気を遣わなくても大丈夫ですよ。ブロードベントさん。コンクリンさんが言うようにここでは理事長で結構です」
王立というだけあって、学院の理事長は王室の第三王女であるエミリーが務めている。だが、表舞台に出てくることは滅多になかった。
「さて。まずは皆さん、よくご無事でしたね。学院に関わる者としてあなた達のことを誇りに思います」
そこまで言うとエミリーは目を細める。
「ですが、どうしてこのようなことになったのか、あなた達自身の言葉で説明して頂けるかしら?」
あなた達自身と言われたものの、実際はこの四人の中で唯一の貴族であるエリカに向けて投げかけられた言葉であることは誰もが理解していたので、他の三人はできる限り自然な動作で一歩後ろに下がった。
しかたなくエリカは事のあらましを説明する。転移の魔法陣が暴発した話のところではナタリアの母親が青ざめていた。
「大変申し訳ございません。冒険者ギルド設立の際に置いていたもののようです」
「その時の。コンクリン家には世話になりましたね」
「恐れ入ります」
冒険者ギルド設立時に冒険者となったコンクリン家は、魔物対策の一環として各所に拠点を設けていたらしい。その名残だったのが転移先の小屋だった。
「なるほど。あなた達が学院にいない理由は把握しました。ですが、自習の時間なのに遊んでいたのは感心しません」
そう言うとエミリーは椅子に深くもたれかかる。
「まあ、そのおかげで更なる被害が出ることを食い止められた訳ですから、何とも言えないのが正直なところではありますが」
エミリーの左手前に座るコーンウェル伯爵夫人が大きく頷いた。
「本当に素晴らしいわ、エリカさん。あなたはやればできる子ね」
「恐れながら伯爵夫人。手放しで彼女を褒めるのは如何なものかと」
魔物・動物学の教授であるトーマス・アンダーソンがしかめっ面で伯爵夫人を牽制する。
「実力はあるかも知れませんが実戦経験は乏しいのです。まして彼女は兵士でも冒険者でもなく、学生なのです。しかもここはスタンフォード家の領地ではない。他家の貴族が最前線に立って魔物と戦うなど、周りの兵士の気持ちを考えると決して避けなければならないことでした」
アンダーソンの言うことは正しい。コーナー家の兵士の立場から見れば、エリカの行為は確かに肝をつぶすものだった。
それに同調し始める者が増えていく。エリカはそれを甘んじて受け止めるつもりだったが、伯爵夫人は納得していなかった。彼女が少しムスッとした表情で何かを言いかけようとした時、別の声がそれを遮った。
「待ってください!エリカさんは私を助けようとしてくれたんです」
エリカだけでなく、全員がその声の主を見やる。
シェリルが必死の形相を浮かべていた。緊張のせいか恐怖のせいか、口元は震えている。だが、決然とした表情で彼女はエリカをかばう。
シェリルはたどたどしくも、デーモンスパイダーに襲われそうになった時のことを話していく。エリカが自分を守り、逃がしてくれたこと、助けを呼ぼうとしたけれど、兵士が何故か目覚めなかったことを、震えながらも自分の言葉で伝えていく。
彼女の話に口をはさむ者はいなかった。
シェリルが全てを語り終えると、伯爵夫人は立ち上がりシェリルに近付いていく。そして彼女を引き寄せるとゆっくりと抱き寄せた。
「ありがとう。よく頑張ったね」
そして伯爵夫人はジッとアンダーソンを見つめると、ナタリアとグロリアの家族以外の全員を見回した。
「皆さんの仰りたいことはよく分かりましたけど、エリカさんの行動は貴族として模範的なものですわ。学院を抜け出してここまで来たなら蛮勇として叱られるべきでしょうけど、想定外の事態に直面した中でエリカさんは可能な限り最善の行動を取っていたと思いますわよ」
冷たい怒気を放ちながら話す伯爵夫人に反論する者は誰もいなかった。
エミリーが苦笑いを浮かべる。
「伯爵夫人。そんなに目くじらを立てないでくださいな。誰も彼女を責めるつもりはありません。ただ、家に仕える者達の気持ちを汲んで欲しいとアンダーソン先生は言いたかっただけなのです」
少し青い顔になりながらもアンダーソンが頷いた。誰も建国の英雄を敵に回したくはない。
「それにしてもあなたもよく頑張られましたね。あなたのおかげで王国も迅速に対応することができました。感謝します」
エミリーがシェリルに微笑みかけた。
「え、いや、私は何も……」
突然話を振られたシェリルは動揺を隠せない。
「あなたがデーモンスパイダーのことを伝えてくれたから、伯爵夫人もその情報を知らせることができたのです」
「ちょっと。その情報はジェニファーから聞いたはずじゃ」
「あら、そのことをどうしてあなたがご存知なのかしら?」
しまった、と分かりやすく顔に出す伯爵夫人をそのままにエミリーは続ける。
「あなたの勇気ある行動がコーナー領に住む人達を、ひいては王国を救ったのです」
感極まったシェリルは涙を浮かべる。だが、それをこらえると頭を下げた。
「もったいないお言葉です」
エミリーは軽く頷くと、急に伯爵夫人の髪飾りに興味が湧いたらしく、彼女をそばに呼ぶ。そのおかげでシェリルはそっと目尻をぬぐうことができた。
「ああ、そう言えばエリカ嬢。あなたの魔術について話を聞かせてもらえないかしら?」
急に話の矛先が自分に戻り、エリカはたじろぐ。
「と言いますと?」
「いくら家庭教師がオズワルドだからといって、あの災害級の魔物を一人で倒すなんて普通はあり得ないことよ。でも、あなたは余裕をもって倒したのでしょう?」
「いえ、決してそんなことは……」
「その場に居合わせた兵士達から聞いています。結界魔法が張られていたと。それに現地を調査したジェラルド先生から高純度の魔力の残滓が見つかったとも報告を受けています。それでもまだしらを切るつもり?」
エリカは返事に困る。別に隠し通すつもりはないが、話したところで誰も理解してくれないだろうと考えている。
魔法と魔術の違いは必要な魔力量と疲労度であると言われているが、まだ知られていない違いが一つあるとエリカは考えている。
それはイメージの複雑さだった。
例えば火の魔術の初歩としてファイアボールがある。これは文字通り火球なので誰もがイメージしやすく、形にもしやすい。
だが、エリカが使ったような水のヴェールなどは、そもそもそのようなものを見たことがない人にはイメージできない。それ故に複雑な魔術と誤解されやすかった。
魔術は魔法を攻撃に特化させたものとこの世界では考えられているが、その背景には、生活に必要なものを思い描くのと違い、相手を傷付けたり大量の敵を倒したりするものを生み出すのは意外と難しいという事実がある。
そしてドラゴンや吸血鬼などのように長命な種族ほど魔術に長けていることが多いのは、その長い人生の中で、人々を一瞬で死に追いやる様々な自然現象を味わうこともあったからだ。
しかしエリカには前世の知識や経験があるので、この世界では魔術に分類されるようなイメージの難しいものも魔法と同程度の魔力で発動できることが多かった。
加えて、家庭教師がドラゴンだったのも大きい。ドラゴンは向学心と探求心を持つ者にしか自分の知識を伝えないが、転生後のエリカは全ての知識に貪欲だったこともあり、その膨大な知識を自ら積極的に吸収していくことができた。
とりあえずエリカは無難な答えに逃げることにする。
「デーモンスパイダーは兵士の皆さんの手によって弱っていましたし、試しにやってみたことが全て上手くいっただけですわ。それに幸運にも恵まれました」
真実とは言い切れないが、嘘も言ってはいない。この辺りは社会人としての経験を活かせているとエリカは内心ホッとしている。
エミリーはまだ納得していなかったようだが、それ以上の追及はしなかった。代わりに別の方向から攻めていく。
「では、上手くいったその魔術を見せてもらえないかしら?学院としても新たな魔術の創造には興味があります」
ねっとりとした視線を向けてくるエミリーにエリカは引きつった笑みを返すことしかできなかった。




