第四話 最善の世界 -Only_Sensitive_Existence- ⑬
佳奈多が射界に収めたのは、アリストートルの憑依した件のデシーバーとレシーバー部隊、そして新人類討伐部隊の集結しつつある第九地上層の海上軍事施設。つまり、アリストートルによる現生人類殲滅計画に関わっていた空域。ブリハスパティの構える反物質照射砲には、それだけの範囲を一掃するだけの能力があった。
電磁加速帯によって加速した水素反物質の奔流が、機械仕掛けの人形たちを、第九地上層の底部を、その先の海や大気を突き抜けていく。対消滅を繰り返しながらブリハスパティの正面の空間を切り開き、空に大きな穴をつくりだしていく。薄暗かったバルドの内部が、まばゆいばかりの光で充たされていった。
ノイズ混じりにアリストートルが問う。
『これで良いのですか、カナタ=アダプト。そしてアマミソラ』
佳奈多はソラに目配せすると、彼女に返答を委ねた。
「――千年だ。たった千年でも構わない」とソラは言った。
佳奈多も無言で頷き、その先を促した。
「この世のすべての時間をあなたたちが欲するというのなら、私たちはこのかけがえの無いたった千年を生きよう。……この世界の一員として。だから、私たちとあなたたちとの戦争は今日でおしまいだ。私たちの未来に何が起きようとも、もう私たちはそのことであなたたちを恨むことはしない。でも、今の私たちに降り掛かった困難や苦悩には、これからも全力で立ち向かっていきます。――あなたたちが、地球の再建を決意したのと同じように」
ソラの言葉ののち、傍らの佳奈多はあとを継ぐようにして言葉を浮かばせた。
「ねえアリストートル、あなたはそれで淋しくないの?」
返事は、永遠に返ってこなかった。
手元に表示されたホロステータスの一枚を見つめて、佳奈多は静かに瞑目した。
(Connection_Status_to_Aristotle:Disconnected.)
そこには、そう表示されていた。
「…………」
水素反物質の照射を続けながら、彼女は考える。
戦争は、最初から佳奈多たちの敗北が決まっていた。
いずれ地球再建事業は完了し、世界は更新される。復興を遂げたバルドの地上に、佳奈多たちが生まれ育った西暦二〇九八年が完全に再現されるのだ。そのときになっても、ホモ=ヌーメノンやホモ=フェノメノンたちが佳奈多たちと共生し、生き続けていられるような選択肢は、なかった。
では、わたしにとっての本当のしあわせとはなんなのだろう? わたしが再建事業の当事者的時代に生まれた理由、そしてトーテムとしてこの時代に召喚された理由はなんなのだろう? この世界に目覚めてから、カナタはずっと考えていた。それは、過去を捨ててソラたちとともに暮らすこと? それとも、再建後のバルドで今までどおりの生活に戻ること?
佳奈多には、そのどれもを否定することができなかった。お兄ちゃんが大好きな、中学二年生の雲野佳奈多。そしてソラとともに長い旅を続けた、トーテムとしての雲野カナタ。そのどちらもが、佳奈多にとっての本物なのだ。この世界が、この思惟が、そしてこの身体が正しい実存なのかどうかは分からない。それでも、笑ったり泣いたりした佳奈多の〈心〉だけは、疑いようのない真実だったのだ。
何が正しいのかではない。何を正しく思うのか、何を正しく思いたいのかなのだ。
だから今は、これでいいと思った。
わたしだけでは、答えを出しきれないから。
亜光速にまで引き上げられた反物質の奔流は、大気層と対消滅を繰り返しながらも、光学的に不可視な火線をゆっくりと伸ばしていった。佳奈多は照射をすぐには終了せず、じっくりと引き金を引き続けた。やがて不純物(正物質)による障害物が減少し、反物質の拡散が抑えられていくと、少しずつ火線は収束、美しい直線を描くようになる。
擬似網膜に映し出された佳奈多の視界では、コンピューターグラフィックスによって淡い水色に着色された水素反物質の暴力的な流れが、手に取るようによく見えた。佳奈多はこれほどに美しく、それでいてこれほどに無慈悲な光景を他に目の当たりにしたことがなかった。
そしてフィジカルコクピット内の自分の身体に、ぎゅっと寄り添うソラの体温を感じた。
とうとう、空を穿つ反物質の奔流は地球の外殻にまで到達しようとしていた。
次の瞬間だった。バーチャルコクピット内に真っ赤な警報ウィンドウが浮かび上がる。
佳奈多は息を呑んで、バックモニターに目を移した。
「七時の方向から反物質の波……! 障壁展開!」
考えるよりも先に佳奈多の展開した霊子の障壁が、躯体を未知の攻撃から守った。
背後から、淡い水色に着色した反物質の波が襲いかかってきていたのだ。
計器類を確認すると、その波長は、今まさにブリハスパティが放っているそれと一致する。
それに気づいたのとほぼ同時に、佳奈多の手元に見たことのない情報が表示される。
「地球再建事業・第一級機密事項に対する重大な抵触行為への警告……なにこれ……!」
佳奈多は声を荒げ、照射砲の先に広がる空へと視線を移した。バルド内部を抜け、第九地上層を抜け、海を、空を、そして地球の外殻を突き抜けていく不可視の火線のその先には――。
手元に浮かび上がったデシーバーのシステムからの不自然な警告たち。
そしていま現在光学的に、そして重力波的に観測できる情報が、突きつけてくる。
馬鹿げていて、途方もなくて、絶望の塊でしかない暴力的な仮説を――。
佳奈多は茫然として、自らに問いかけるようにして呟いた。
「宇宙は……地球外殻の外の世界は……既にもう閉じていた……?」
そうこうするうちにも、モニターには躯体不全を示すアラートが乱立する。
表示されたブリハスパティの各部位が赤く点灯していた。
佳奈多は躯体損傷のチェックを済ませると、ソラに向き直って言った。
「もう躯体が保たない。全単子を再翻訳して座標を転移します。どこへ行きたいですか?」
佳奈多に判断を委ねられたソラは、少し悩んでから答えた。
「この世界の、最も美しいところへ」




