第四話 最善の世界 -Only_Sensitive_Existence- ⑫
重力鋲の塊である地球の核を背に、佳奈多の乗る〈ブリハスパティ〉は相手の躯体に向き直った。イヲリのデシーバーと再建事業側の軍勢たちを前に、佳奈多は問いかけた。
「現生人類の殲滅計画は、地球再建事業であるアリストートル――あなた一人が立案し、あなた一人で完遂するつもりだった。もちろん賛同するトーテムもいたようですが、それはあくまで保険でしかない。あなたたちは粛清部隊の大多数をレシーバーで構築し、わたしたち〝幽霊〟の手を出来うる限り借りることなく事業最大のイレギュラーを排除しようとしていた」
「じゃあ、ここにいるのは――」と傍らのソラが息を呑んだ。
「お兄ちゃんの真似をしたアリ。それがわたしの至った推論です。正しいですか?」
それまでイヲリだと思われていたデシーバーはしばしの沈黙を挟むと、『参考までに、あなたがどうやって私の正体を看破したのか聞かせてもらえますか?』と合成音声の声で話し始めた。事実上の肯定発言だった。もうイヲリの言葉で語ろうともしない。
「その前に確認させていただけますか、アリ」と佳奈多。
『どうぞ』
「あのとき……あの海上要塞で話したときのお兄ちゃんは、本物のお兄ちゃんでしたか?」
『はい。人工単子としてデータ冬眠していたあなたのお兄さん、雲野イヲリ.mnd本人で間違いありません。本来、あの施設にはトーテムの勤務者はいませんでした。彼だけが自我を有した唯一のニンゲンだったのです。私ことアリストートルシステムが独断で運営していた当該施設は、基本的に自動制御のレシーバーによってのみ管理されていました。雲野イヲリは、そこへ訪れたあなたがたへの説明と説得役を期待し、特別に召喚されたトーテムでした』
アリストートルは、それから付け加えるようにして続けた。
『彼は、あなたがたへの説得役を進んで引き受けてくださいました。トーテムシステムとして過ごした千年間のバルドの記憶を引き継いでいたこともあったのでしょう、あの海底工廠で語ったことは彼の本心で間違いないでしょう。ですが、交渉は決裂した。私はこれ以上の説得は不要と判断し、彼にはPHB−NASに戻っていただきました。ですから、その後にデシーバーとしてあなたがたを追撃したのは、他ならぬ私です。彼ではありません』
「良かった。それを聞けて安心できました」
『それで、どうして私のことを雲野イヲリさんではないと? 自信はあったのですが――』
「ああ、簡単なことで――お兄ちゃん、わたしのことをカナタって呼んだことないんですよ」
バーチャルコクピット内で、佳奈多は胸に手をあてて言う。
「有機プリンターを通して復帰する前に、地球の外殻とブリューゲルのバベルで軽い確認を取りました。あらゆる非公開の資料にも、地球再建事業が新人類の殲滅を取り決めたという事実は見つからなかった。あろうことか、トーテム主導による現生人類との融和策は各地で進行しているそうです。地球再建事業に干渉しないぎりぎりのラインまで、新人類との関係を考え続けたい――それがわたしたち旧人類たちの気持ちです」
それが間違った感情であることは理解していた。独善的な考えであることも。
自分勝手な理由で地球再建事業を始めておいて、今度は新人類を尊重したいだなんて。
そんなの虫が良すぎる話だって、理解はしていた。
だけどそれがこの世界で生きていて、話ができることの意味なんだって、そう思いたかった。
そこで一息置いてから、佳奈多は続けた。
「危うく騙されてしまうところでした。まさかアリストートルが自らの意思で動くことがあるだなんて。大量のレシーバーや無人のデシーバーを配備し、地球再建事業の最大障害である現生人類を取り除くべき――あなたはそう考えた。事業を担わされた惑星型人工知能として、これ以上の合理的な判断もない。私は今でもその判断を間違っているとは言えません」
喋り続けながらも、佳奈多は自分の考えを整理し、洗練させていく。
地球再建事業を担わされたアリストートルは、どうあっても計画を完遂しなければいけない。現生人類は何があっても、絶対に、己の存在意義をかけて滅せなければならない対象だったのだ。しかしトーテムとして現生人類たちと触れ合った幽霊たちが、そのことへの疑問を持ち始めた。かく言うカナタだって、その一人だったのだ。
そのことを理解していたアリストートルでも、しかし無視しきれない地球再建という壮大な使命があった。そこでアリストートルは、すべての汚名を被って、独断で現生人類を滅ぼそうとした。現生人類との友好を示した幽霊たちの気持ちを理解したうえで、それでも九十億年を隔てた明日――ひいては自らを創り出した人間のために、すすんで汚れ役を買って出ようとしていたのだ。
機械のくせになんて優しい心の持ち主なのだろう! 佳奈多はそう思った。幽霊たちの願いか、それとも地球再建事業を始めた人たちの願いか、どちらの願いが本当に正しいのか、そんな矛盾の間で板挟みになって、この可哀想な機械はそれでもヒトのための機械であり続けようとしていたのだ。
「だからこそ、どうしても解せないことがあります。あの軍事要衝のレシーバーたちは、確かにアリストートルによってすべてが制御されていました。なら、どうしてあなたは、お兄ちゃんを召喚して、わたしを説得させようなんてしたんですか? どうして五分も見逃そうとしたのを許したんですか? あなたも迷っていたんだ。地球再建事業がヒトの願いから始まったのなら、ヒトの願いを優先し続けなければならないと、そのことを誰よりも知っていたんだ」
佳奈多は目を瞑ると、バーチャルコクピットの中で静かに頭を垂れた。
「だから全人類を代表して、あなたに謝辞を捧げます。アリストートル、ありがとう。あなたは誰よりもわたしたちのことを考えて、わたしたちのために尽くそうとして、わたしたちの矛盾した願いを理解しようとしてくれた。魂の揺り籠である〝地球〟として、これ以上の愛はありません」
彼女はそう言いながら躯体への憑依状態を更新し、自らの感覚を〈ブリハスパティ〉のフレームとリンクさせた。
「だけど、もっとわたしたちに委ねてくれていいんです。だから――」
佳奈多は右腕を翳すと、大容量の武装データを読み出した。
「収束三層型水素反物質加速照射砲〈ルドラプラーナ〉、顕現確認。最終安全装置解除」
ブリハスパティの巨体が、一瞬で巨大な砲座に包まれる。目を見張るほどの読み出し速度だった。展開した砲頭の長さは五十メートル、口径は七メートルほど。砲口をアリストートルの憑依したデシーバーとレシーバーたちに向けると、佳奈多は一瞬だけ逡巡するように訊いた。
「ねえアリストートル。わたしたちのしていることは、正しいと思う?」
『さきほどあなたが言ったではありませんか。何が正しいのかは、自分で決めたいと』
「そうだったね、ごめん」
佳奈多が謝ると、アリストートルは続けた。
『世の中に不要な意見などありません。あなたたちが見て聞いて感じた人間的な感情である限り、それは地球再建事業が人間のための事業で有るために必要不可欠な視点の一つです。我々機械は、あなたたちが望む世界を模索していく手助けをしているにすぎない。ですから、あなたがたが正しいのか、それとも間違っているのか、それは今後の事業のなかで自然と位置づけられていくことでしょう』
憑依状態を解いた佳奈多は、意識をバーチャルコクピット内の身体に戻した。その隣では、鳩を膝の上で抱えたソラが心配そうに佳奈多の顔を覗き込んでいた。佳奈多はソラと目を合わせると、彼女を安心づけるために微笑んだ。
ブリハスパティの構える反物質照射砲の充填が自動で進んでいくなか、アリストートルは柔らかい口調で『大丈夫。あなたたちは最善の選択を選ぶことができます』と続けた。まるで自分の子どもたちを教え諭すような声音で。
『なんだって、この世界のすべての時間があるのですから――』
それを聞いた佳奈多とソラは、少しだけ哀しそうな顔を浮かべた。
それでも佳奈多は、意を決して操縦桿の引き金に指をかけた。
わたしたちは、アリストートルの善意に報いなければならないのだから……。
「射角修正プラス2度、照射開始……!」
世界で最も優しい破壊の波が、再建途上の地球を貫いた。




